ギルド『ヘカトンケイル』
唐突だが、冒険者と言う言葉から感じるイメージはどんなものだろうか。危険も顧みず人々の為に戦う屈強な戦士? それとも、数々のトラップをものともせずに遺跡から財宝を持ち出す盗賊? ……残念だが、当たらずとも遠からずと言ったところだ。冒険者とは、他人より何かしらの一芸に秀でた者達の総称なのだから……。
そんな冒険者が集まるギルド「ヘカトンケイル」。そのある一室――読みかけの本やあまり着ない服などが無造作に散らばった、お世辞にも綺麗とは言い難い部屋。そんな部屋のベッドの上で大の字になって寝ている青年『二城 条』は、まるで泥のように眠っていた。
そんな青年を眠りの世界から引き戻す為に、目覚まし時計のベルがけたたましく青年の耳朶を叩く。鳴り始めてから数秒の間は、まるで気付いていないかのように穏やかな顔で寝ていたが、やがて限界が来たのか、見る見るうちに苦悶の表情へと変わっていく。
ついに耐え切れなくなった青年は目覚まし時計に憎しみの篭もった手刀を叩き込み、強引に黙らせる。一見やりすぎのように見えるが、この目覚まし時計は青年の様々な攻撃に数年間耐え続け、現在進行形で最高耐久日数を更新し続けている。
「う……ああー……」
青年はまるで亡者のようなうめき声を一つ上げると、軟体生物のようにベッドから這い出す。やがて冷たい木製の床が頬に触れ、その刺激を脳へと送る事により、漸く青年の脳は通常通り回転し始める。
「今日の予定は……会議か。そうか――会議だと!?」
がばっと起き上がり、壁にかけられたカレンダーへ張り付いているのではないかと言うほどに顔を近づけ、日付を穴が開くほど確認するが、つけた印が移動する筈もなく、遅刻は確定。――いや、まだだ、まだ終わったわけではない。最後の希望といわんばかりに背後を振り向き、自らの手刀で叩き伏せた目覚まし時計を見やる。――せめて、一番早くセットした時間帯でありますようにと祈りながら。
しかし、いつもの粗野な扱いに対しての仕返しなのか、短針と長針は無情にも、会議が開かれる時間ジャストを指し示していた。そして、ブリーフィングルームでは――。
「二城の奴は……この分だと、また遅刻だな」 大きめの円卓と五つの椅子が用意された薄暗い部屋で、他と比べると若干高価そうな椅子に足を組んだ状態で深く腰掛け、肘掛けをトントンと人差し指でリズム良く叩いている男は、ギルド『ヘカトンケイル』のリーダーを務める『グラファイト』その人であった。
グラファイトの容姿は金髪オールバックに、視界の妨げにならない程度の薄い黒色サングラス、更には三十路を超えているというのに年甲斐も無い原色系のロングコートを好んで着用する為、初対面の相手が彼をリーダーと認識できる確率はかなり低い。
「もう少し待ちましょう。五分『まで』なら私の許容範囲です」
グラファイトの右隣の椅子に座っている女性が、少しもずれていない眼鏡の位置を直しながら言う。彼女の名前は『ダイア』。グラファイトより若干薄い金髪で、髪型は仕事をしている時はアップにしており、仕事以外のときはおろしている。更にどんな服やスーツでも着こなせるスタイルとノンフレームの眼鏡が、『デキる女』の雰囲気を醸し出している為、グラファイトをリーダーと見抜けなかった者の約九割がダイアをリーダーと勘違いしていたらしい。
「さっさと始めちゃおうよ。二城君が遅れるのはいつもの事でしょ?」
椅子に腰掛け、地面まで届かない両足を力無く揺らしながら、一人の少女が発言する。一見少女のような容姿の彼女の名前は『フラーレン』。こう見えて成人しているらしいが、何故か身長が一向に伸びないので、何も知らない人からは子供と間違えられる事が多々ある。本人は気付いていないようだが、栗色の髪を左右でくくってお下げとして両端に垂らす髪型――俗に言う『ツインテール』が彼女の幼さをより一層引き立てていることに、本人はまだ気付いていない。
「そういう訳にもいきませんよ。彼を含めてここに居る五人しか、『結成当時』のメンバーは居ませんから……」
フラーレンの発言に対し、落ち着いた声でそう反論したのは、ダイヤの隣に座る中年の程よく草臥れた男性で、名は『木倉 源蔵』。彼はどうも見る角度等によって印象が変わるらしく、ナイスミドルに見える時もあれば、ただの草臥れたオッサンに見えることもある。そして、リーダー勘違いの件の残り一割は、奇跡的に彼がリーダーっぽく見える角度から見てしまった者達である。
「確かにそうだが、遅刻してばかりの二城には丁度良い薬かもしれない。これより恒例の会議を――」「――ちょっと待ったあ!」
最初の議題を出そうとしたところで、青年――二城の声が四人の耳に飛び込んできた。その声がした後、グラファイトの視線がゆっくりと動き、その先にある壁が真ん中からゆっくりと割れ、左右に引いていく。二城が入ってきたのは、『結成当時』のメンバーしか知らない隠し扉だった。
ちなみに、このような隠し通路や部屋の類は、ギルド『ヘカトンケイル』内では特に珍しい物ではない。見つけることが比較的簡単な物に至っては、ギルド内のショートカットとして平然と使われている『元隠し通路』もいくつか存在する。
二城は軽く息を整えると、自分の椅子へと歩み寄り、ゆっくりと腰を下ろす。ちなみに対面にはダイアが座っており、木倉の対面はフラーレンである。一同の顔を順繰りに見て、最後にリーダー――グラファイトに視線を向ける。
「ギリギリセーフ……ですよね?」
「思いっきりアウトだ」
分かっていたこととは言え、その発言に衝撃を隠せなかったらしく、鈍い音と共に円卓に額を打ち付ける二城。グラファイトは二城のメンタル面の弱さに呆れながらも、当初の予定通り二つの地図を出し、作戦会議に移る。
「――まずはこの地図を見てくれ」
円卓の上に広げた地図のうちの一つ、一つの大陸とその周辺の海が描かれているものを、皆が見やすいように円卓の中央へと差しだす。それには簡易ながらも山や川、村や町などの名前が記入されており、そして中央部にはこの大陸の名前『ファシナシオ』が大きな文字で記されている。
「言うまでもないと思うが、俺達のギルドはここ」
グラファイトはどこからか取り出したペンで、横長の長方形に似たファシナシオ大陸の左下あたりを丸で囲む。大陸の中央部に城があることを考えると、割と辺鄙な場所である。
「――で、最近問題になっている遺跡はこのあたり」
ペンを少しだけ上にずらし、そこも丸で囲む。些か距離が近すぎる気がしないでもないが、ギルドが出来た後にこの遺跡が発見されたので、全くの偶然である。
そして見つかったばかりの遺跡からは、最早お約束のようにわらわらとモンスターが溢れ出てくる。危険度は相対的に増えたが、それによってギルド員が増えたので、幸か不幸かは人によって分かれるだろう。
「最近、割と大人しかったモンスターの動きが活発になってきてるんですよね?」 二城の問いに、その場に居た全員が頷く。最近発見された事もあってか、遺跡の内部からは溢れんばかりのモンスターが出てきており、ギルドで張っている防衛戦線も押され気味だ。最近はモンスターの絶対数が減ったのか、以前よりは大人しくなっていたが、急に以前の凶暴さを取り戻し、防衛戦線の深くまで食い込んできているらしい。
ちなみにこの場で使われているギルドの意味は、冒険者達が集まった組織を差す。ヘカトンケイルのような辺鄙な場所にあるギルドは、戦士や魔法使い等と比べると圧倒的に多い冒険者を中心に構成されている。都会や王都レベルになると、戦士や魔法使いギルドを作ることも可能だ。
「ああ、そろそろ静まってくれると踏んでいたが、どうやら読み違えたみたいだ。モンスターの勢いは止まらず、いつ防衛ラインが突破されるかも分からん」
グラファイトの発言に、ブリーフィングルームは水を打ったようにしんと静まり返った。誰もが諦めかけ、防衛戦線もじわじわとだが確実に押されている。今現在の戦況は、生半可な案では覆らない。
「……何も浮かびませんね。いっそのこと、敵の本陣にこっちから乗り込んでみます?」
なんとも投げやりな二城の発言、場の空気を和ませるつもりで言ったことが裏目に出たのか、部屋の空気はより重く深刻なものに置き変わっていく。
「……流石に冗談が過ぎましたね。今のは取り消しの方向で――」
「いや、二城の案は、結構的を射ているかも知れない」
発言を取り消そうとした二城を、グラファイトが手で制して告げる。その顔には、何か良からぬ事を思いついた悪童のような、純粋なのに嫌な予感がする笑顔を浮かべていた。
「へ?」
「流石に出てくるモンスターが多すぎる。この前防衛戦線から届いた報告書を見たが、数が異常だ。これは敵の本拠地に何かがあると見て間違いない!」
確信を得たような表情でグラファイトは言い切った。その瞳に迷いは一切見られない。自分の行動に絶対の自信を持っている者の目をしていた。
「敵の本拠地に殴りこみですか。あなたらしいですね」
二城が冗談を飛ばす少し前からずっと沈黙を貫き通していた木倉が、呆れと共に笑みをこぼす。
木倉が呆れるのも無理はない。ここまで砦等を築き、十人単位で人手を割いても押されている軍勢に対し、グラファイトは最悪単独でも突っ込んでいくという気概を見せているのだ。「これまでもこの方法でやってきたからな。今更変えられねえよ」
さらりと言ってのけるグラファイトだが、この自信は経験に裏打ちされた確かな技術と、グラファイトの持つ『宝具』と呼ばれる非常に優れた性能を持つ武具から来ている物だ。
グラファイトの持つ宝具『メタモルフォシル』は変幻自在の金属を意のままに操るという物で、こと一対多の状況下においては反則的な強さを誇る。
何故そんな物を持っているのか、過去何度も聞かれたであろうこの質問を、二城も敢えて聞いてみたことがあった。……それに対しての返答は、「気が付いたら持っていた」という何ともスッキリしないものだったが、真面目に答えるはずがないと思っていた二城は、そのまま追求を諦めてしまった。
「突撃するのは結構ですが、その前にリーダーとしての責務を果たして下さい」
熱く語るグラファイトに、ダイアが冷たく言い放つ。この状況では焼け石に水……などということはなく、グラファイトの闘志はあっという間に下火になる。
「責務? ……ああ、チーム編成だったな」
いくらグラファイトが強くとも、作戦の失敗は常について回る。何が起きても対処できるように、最低限のチーム分けをするのが『結成当時』メンバーでの通例であった。
「じゃあ、簡単に分けるか。今回は遺跡に乗り込むことになるとから、槍を扱う木倉はここに残ってくれ」
「了解です」
グラファイトの決定に不満は無いようで、木倉はあっさりと承諾した。……グラファイトは槍とだけ言ったが、一口に槍と言っても種類は沢山ある。木倉が得意とする得物は、一般的に長槍も含めた長柄武器全般であるため、グラファイトの言う通り、屋内戦闘が前提条件となる今回の作戦では、木倉の力を存分に生かせないのだ。
「ダイアは防衛戦線で全体の指揮を執って欲しい。指揮官も休ませないとな」
「分かりました」
ダイアは本来、戦闘向きではない。一応護身用として数本のナイフを持ち歩いているが、それだけである。ダイアが得意とするところは、戦況の把握などで、言ってしまえば後衛どころか戦線にすら出ない指揮官が向いている。唯一足りないのは場数……いわゆる実践経験だが、これまでの指揮官に補佐として付いてもらう事で何とかカバーは出来るだろう。幸い学習速度も早いので、指揮官に定期的につけさせている日誌でも読ませれば、ある程度は即戦力として使える。「残ったのは二城とフラーレンだが……二人には勿論、俺に付いて来てもらう。大まかな作戦としては俺が突破口を開き、フラーレンが討ち漏らしを仕留める。二城は特に何もしなくて良い、だが、絶対に付いて来い」
箱をあけて出てきたのは、作戦といえるかどうかも怪しい力任せの代物であった。フラーレンはまだ役目があるが、二城に至っては役目すら言われていない。言うなれば付いて行く事が役目だろうか。
ポジションで言えば中衛を任されたフラーレンだが、その装備を一言で表すなら『機械で出来た左腕』である。正式名称は『炸薬式術符射出型機械手甲』という長ったらしい名称の為、製作者である彼女自身も正式名称で呼んだことはない。
肝心の武器性能だが、簡単に言えば『魔術式を書いた札を火薬で撃ち出す』為だけに作られた装備である。これは、大事な時期に体が成長しなかったせいで、力と魔力が平均より劣ってしまった彼女が、何とか人並みに戦うために苦労して自分用に調整した専用装備だ。火薬は足りない力を補う為、術符は足りない魔力を少しでも節約する為の処置である。
そして二城の装備だが――まず二城の装備を見たものが最初に抱くイメージは『バランスの悪さ』である。右手に長剣、左手にショットガンという、明らかに間違った武器選択をしている。しかし二城本人はカッコイイというだけの理由でこの装備を変えようとしない。
更に二城の戦い方を見れば分かることだが、武器を使っているのではなく、武器に振り回されている。それを扱う為の技量が圧倒的に足りていないのだ。
それでも二城が生き残っている理由は、二城の仕事のスタイルにある。大抵の依頼には重要度や報酬を基に達成期間が設けられており、その時間を過ぎればどんなに簡単な依頼でもギルドからは無かった事にされてしまう。
二城は、そんな依頼を率先して受けているのだ。そのためか、当然中央ギルドからの正当な評価は受けられず、他の『結成当時』メンバーと違い、二城だけは最低ランクからずっと変動が無いままに終わっている。そのためにレベルに見合った依頼が受けられず、今の武器に振り回されている二城が出来上がったのである。
「――とりあえず作戦は決まった。これで今回の会議は終わり。皆は明日の作戦に備えて準備と休息を怠らない事。以上だ!」 そう言うとグラファイトは真っ先に椅子から立ち上がり、部屋から出て行こうとする。そして出て行く間際、木倉に目配せすると、今度こそ部屋から出て行った。木倉は得心がいったような表情で頷くと、結局今回の会議で使われることが無かったもう一つの地図を手に取り、懐に仕舞いこんだ。
「……それ、何に使うんですか?」
目ざとくもその行動を見ていた二城がすかさず木倉にたずねる。二城は前に説明したとおりの人物であるため、見落としやうっかりの類を毛嫌いしている。しかし他人に言っても仕方が無い為、せめて自分だけは絶対に見落とさないようにと、常に周囲に気を配っている。
「……何故リーダーが私にここに残るように言ったと思いますか? 普通だったら、戦力が不足している防衛線に投入するはずです」
「確かに……言われてみればそうですね。何ででしょうか?」
首をかしげて真剣に考え始めた二城に、木倉は苦笑いを浮かべながらも説明する。
「別に難しい話じゃありませんよ。いくら戦線が押しているからと言って、自らのギルドを無防備な状態で晒す者はいません。誰か一人、信頼の置ける人を置いておきたいんです。それに――」
「ここから南東に数キロほど離れた場所に漁村があるわ。恐らくだけど、そこも同時に守れって事でしょうね」
ダイアが途中まで言いかけた木倉の先を継いで喋る。ずっと喋れていなかったからだろうか、やけに満足げな表情を浮かべている。しかしそれをいってしまうと、フラーレンなどは一言しか喋っていない。
「――アタシは武器の調整を終えたら寝ることにするわ。じゃ、お先に失礼」
そう言うと、座っていた椅子から弾みをつけて跳び、難なく着地する。そして小走りでグラファイトが出て行った隠し扉からフラーレンも出て行った。
「じゃあ俺も準備を整えようかな……」
「二城君、もしかして『八百万の手』に行くの?」
ダイアの言う『八百万の手』とは、ギルド内に店舗を構える専属商人の店名である。
「はい。大抵の道具はあの店で揃えられるので」
「じゃあ私も着いて行って良いかしら? 私も丁度用事があるのよ」
「別に構いません。というより、何をするかなんて個人の自由だから、一々許可を取る必要は無いと思いますよ?」 その二城の返答が面白かったのか、ダイアはクスリと微笑んだ。しかし、本当に僅かに表情が変わっただけなので、彼女とよほど親しい者か、細かいことを気にする人物以外が彼女の僅かな変化を察知するのは至難の業である。
「あら、二城君は後ろから知らない人物が近付いてきても気にしないのかしら?」
「いえ、流石に確認はしますよ。ただ、言葉を交わすほどじゃないなと思っただけです」
あっという間に言いくるめられ、言葉尻がどんどん小さくなっていく二城。これ以上議論を続けても無駄だと判断したのか、視線を逸らそうとするが、ダイアはそれを許さない。素早く二城の退路を塞ぐように回り込むと、あまり度が入っていないメガネのレンズ越しに深い青の瞳が二城を捕らえる。
「逃げようとしたって無駄よ。二城君の危機感の無さは今後重大な事故に繋がる可能性が――」
「まぁまぁ、それぐらいにしておいたらどうですか? 二城君も多少うんざりしているようですし」
木倉が間に入り、上手い事取り成す。『結成当時』のメンバーは一部を除いて我が強く、いつまでたっても話が平行線を辿る事はざらにあった。そんなお互いでつつきあっているような状態でも間に入り、二人の折衷案を出したりして場を取り持ってきたのは木倉だ。普段表に出る事は少ないが、縁の下の力持ちとしてはそうとう優れた力を持っている。もし木倉が居なかったら、今の形のヘカトンケイルは無かったかもしれない。
「……それもそうね。こうしている時間が有るなら、役に立つ道具を選別しているほうがマシだわ」
そう言って二城をその場に残し、ダイアは足早に部屋を出て行った。置いていかれたと気付いた二城は後を追うように部屋から出て行く。そして一人残った木倉は、大仰な仕草で溜息をつきながら一人ごちる。
「はあ、どうしてこうも協調性が無いのか……。見てる分には楽しいんですけどね。……子供の面倒を見ている見たいで」
最後の一言だけは薄暗い部屋の闇に溶けてしまいそうなほど小さな声で呟くと、部屋を後にした。