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Le numero5

ヤシの木の下にいた。私が真ん中。右手にメイ。左手に白い女。三人並んで歩いていた。

 少し、出掛けてくるね。

 メイがそう言って鍵を開け出て行った。

 私と白い女は部屋で愛し合った。

 

 ふと目が覚めた。隣を見るとメイがいなかった。メイの携帯に電話を掛けた。出なかった。私はパソコンのスイッチを押し、換気扇に向かい、煙草に火をつけた。パソコンが起動すると、私はメイの居場所の地図を印刷した。迷子サーチの機能が付いた携帯にしておいてよかった。

 駅を越えるのか。結構離れた場所だった。私は厚手のシャツを羽織り、外へ出た。

 十分ほど走って駅の周辺に着き、私はメイの居場所を携帯で確認した。家で印刷した地図の示す居場所から移動していなかった。

 さらに五分ほどかけて辿りついたその場所は住宅街の中の一軒だった。暗い道に三・四人ほどの人だかりが確認できた。高校性ぐらいの男が二人。同じ年頃の女の子が一人。あと小学生ぐらいの子が一人いた。近くには大きな梯子が倒れていた。

 私は走って近寄り、「ちょっとすいません」とその中心を覗いた。

 「モンローさん」頭に血を流して倒れるモンローさんがいた。返事はしなかった。

 「何があったんですか」私は近くの高校生ぐらいの男に声をかけた。

 「あんた、こいつと知りあいなのか」その黒坊主の男の声は震えていた。

 「一回話したことがある」私はそう答えた。泣き顔の小学生がこのあいだモンローさんが叱った眼鏡の少年だと気付いた。「救急車はもう呼んだんですか」私が聞くと女の子が首を振った。私は携帯を取り、一一九を押した。

 「違うんだよ」もう一人のアフロの男が、しがみついて来る勢いで言った。

 「この子の部屋に侵入してきたんだよ」顎で眼鏡の少年を指し、アフロの男は続けた。

 「幽霊が出た、ってこの子が部屋に泣いてきたから、こいつの兄貴と一緒にこの子の部屋に行ったんだよ」指で黒坊主を指した。眼鏡の兄が黒坊主で、他の二人はその友達のようだ。

 「したら窓が開いててさ、この子は閉めて寝たっていうんだ。その二階だよ」そういって後ろの家を指した。

 「んで、物が勝手に落ちて、この子が、犬の呪いだ、って言うんだよ。気味が悪くなって電気をつけたんだ。そしたら部屋一面に犬の足跡が着いてたんだ。全部こいつの仕業だぜ!?」そういってまだむさんを責めるように指差した。

 「それで窓にこいつを見つけて聡史が捕まえようとしたんだ」黒坊主のことだろう。「こいつわざわざ梯子まで用意して二階の窓に張り付いてやがった。呪うぞーなんて言いやがって。そしたら梯子が倒れた。悪いのはこいつだ。不法侵入だよ。狂ってやがる」

 お前もバット振りまわしただろ、黒坊主、聡史が呟いた。「なんだと」アフロが聡史に掴みかかった。やめてよー、と女が声をあげた。

 救急車を呼んだ。「何すんだよ!」怒鳴ったアフロを無視して、眼鏡の小学生に聞いた。「私の娘…小さな和服の女の子がいなかったか?」

 眼鏡の子が頷いた。

 「中年の男に連れていかれたよ」女の子がそう答えた。

 「どこに」私は女の子に聞いた。

 「私たちが、家から出てこのお爺さんが血を流して倒れてて、どうしたらいいか絶句してたら、和服の女の子が、大丈夫?ってお爺さんに走り寄って、なんか…話したあと、シャツに黒い蝶ネクタイのおじさんが通りかかって、お前が…とかなんとか言って、こっち来い、って手引っ張って連れていっちゃった」

 「どこに」ともう一度聞くと「分かんない」と女の子は首を振った。学校の内申取り消されたらどうしよう、女の子がうずくまった。

 私は携帯を取りだし、メイの居場所を調べた。Receiving page…の表示が長い間消えず、そして居場所が出た。

 あの喫茶店だった。

 「ちょっと待て」

走りだそうとした私の背後で、モンローさんの声がした。

 モンローさんを取り巻いていた少年達が一歩、後ずさった。そうして見えたモンローさんはさっきと同じく地面で仰向けにぐったりとしており、目も閉じたままだった。

 「場所は分かっているんだろう。一言聞いて行け。メイさんに関することだ」口だけが動き、発せられた声は掠れていながらも威厳をきかせた声だった。

 私はモンローさんに歩み寄り「なんですか」とひざまづいて聞いた。

 「メイさんが来た。多分さっきだ。真夜中に入り始めた頃だろう。ワシが、こんな時間に危ないだろう、と言うよりも早くメイさんは、ね、モンローさん、と私に質問した。人とずっと一緒にいるには熱をぶつけ合わないといけないの、とね」

 私の胸に、針のような小さな衝撃が刺された。

 「ワシが、それを感情をぶつけあうことだと解釈するには、少し時間がかかった。それで、ワシはそうだ、といった。人間苦労なしで愛を得ることはできない、とな。愛について軽く説明もさせられたがな…。そしてここに連れてきた」

 私は白くなった頭で立ちあがり、駆けだした。「おまえも、時には汚くても無様でも戦え。逃げるな」去る私の背中にモンローさんは弱った叫び声をぶつけた。

 そんなに、単純じゃない。

 私は走った。

 しばらくして忙しいサイレン音が耳に入り、赤い光が視界をかすめた。


 喫茶店タナカは、当然といえば当然だが閉店していた。小さなガラスの壁から見える店内は真っ暗で静まりかえっていた。当然誰も見えない。

 私は携帯を取りだし再度、メイの居場所を確認した。サーチ中の表示が消えない画面を見ていると、ドアを開ける音がした。目を向けると女の人が喫茶のドアの中へ入っていくのが見えた。私服だが、あの女の店員だった。

 私は閉まったドアに走り寄り、静かにノブを下げた。ドアはゆっくりと開いた。だが、途中で固い手応えが僅かな隙間以上開くことを拒否した。

 チェーンロックがかかっていた。なぜ鍵をかけないんだろうか。

 隙間から中を覗くと「店長、こんな夜中に何の用ですか」少し寝惚けたような声が聞こえた。

 しばらくの間の後、店長の声がした。「こんな遅くにすまない。だがそれだけの用事がある」

 そしてまた一間があり店長は語り始めた。「君は最近ずっと機嫌が悪かった」それは・・・と何かを言おうとした女店員の声が聞こえ、黙った。

 携帯の画面がメイの居場所が現在、この店であることを表示した。

「分かってる。それは私が、あの客を、警察に通報したからだろ?それでも後日また店に来てくれて、しかもあの子を預かった御礼まで言ってくれた彼に、私が謝りもしなかったからと言いたいんだろう」

 ちょっと違う、女店員の、もう覚醒した声がそう呟かれたと思う。

 「でもあれはおかしい。挙動もよそよそしかったし、母親も見ない、なにより親子で敬語を使うのがおかしい。誘拐がそれほど珍しい時代でもあるまい。私は正しかった」

 しばしの沈黙。「いや、そんなことが言いたいんじゃなかった。でも私は今日謝ろうとした。君のために」店長の個人的な感情のために、他の関係者を入れないためのチェーンロックだとわかった。「さっき店を閉めた帰りにあの子を見つけたんだ。あの子はホームレスと一緒にどっかに移動しているところだった。ホームレスは大きな梯子と大きな袋を持っていた。私は後を追いかけた。この時から変だと思っていた。こんな夜中に、ホームレスと一緒に、大きな荷物を持って、何をしにいくんだ?怪しい、と」店長は続けた。

 「それで移動が終わったと思ったら、あろうことか、どっかの家に梯子をかけて爺さんが二階の窓に登り始めた。通報しようと思ったが止めた。また間違いだったら阿呆だからね」不快に思う皮肉だった。

 「爺さんが降りてくるのには時間がかかりそうだと思い、私はその子に近づいた。色々聞くつもりだった。親が心配してるだろうと思ったんだよ。その途端梯子が倒れた。爺さんも一緒に地面に落ちてきた。梯子の下敷きになってね。その子が梯子を持ち上げようとした。右手だけで梯子を掴み、左手は梯子の下に入れて腕で持ち上げようとする、なんだか不自然な動きだった。私も梯子をどけようと近くに寄った」

 冷たい焦りが私にこみ上げた。

「びっくりしたよ。左手が無いんだ。ただ無いんじゃないぞ。見てみろ」

 

 「え」

女店員の、驚嘆の一声が発せられた。

 興奮を抑え込む声で店長が言った。「おかしいのはこの娘の方だったんだよ」

 勝ち誇るような店長の囁く低い声が静かに響いた。そしてその音の尻尾に被さるように、あ、という小さな声を耳が捉えた。メイだ。私は脇を締めドアノブを掴んだ右手を一息に引いた。金属の荒い音と共にドアが開いた。私はそのままうす暗い店内へと走り入った。そして止まることなく、放心しているメイを右目に捉え、メイに熱を当てつづけたであろう店長に向かって、一秒でも早く足を向かわせた。

 「なんですか」迫っていく視界の中で、店長は顔を張りつめ、メイを掴んだ手を離した。私は立ちすくむ店長の一歩手前で強く左足を踏み出しブレーキをかけた、勢い余った力を右半身から回し、右足を捻り、腰を捻り、肩を入れて、一直線に、ただ見据え続けた店長の、腹に突きを差し込んだ。

 店長がうずくまった。

 そして店員が思いだしたように私に駆け寄り「やめて下さい!」と言った。

 私はメイを思いだし、横でしゃがみ込むメイに駆け寄った。「大丈夫かメイ」そう言って肩に触れると、メイが一瞬顔を歪め「アツ…」と言った。あ・・・。私は手を離した。そして興奮の余韻が残る足取りで店のコップを借りカルキの効いた水道水を一杯飲んだ。そうしたらメイを両手で持ち抱え、「ごめんなさい」と深くお辞儀をしてから店を出た。

 店から離れ、人通りのなさそうな道を進み、街灯も当たらない暗がりにメイを下ろした。

 「大丈夫か」

 「うん。ちょっと驚いたけど…」眼の下に濃く影ができている。

 「ちょっと待ってろ」少し息の荒いメイに冷たい飲み物を飲ませようと私は自動販売機を探そうと立ち上がった。

 「あ、待って」振り向くとメイが右手を伸ばし、私の移動を拒んでいた。私はメイの隣に腰かけた。

 「ちょっと、一人は怖いの」メイはそう言ってうつむき、両手で私の体にやんわりとしがみついた。そしてメイは小さく溜息をついた。右手もないのに今気付いたのだろうか。それはきっと何か物足りなくて、そしてメイを哀しくさせてしまうだろう。先ほど伸ばされた右腕の先に見えた泡白い断面。無くなってしまったメイの両手。

あの野郎。

私の腹に赤い塊が煮え、沸きあがってきた。

 「だめ」メイがそう言って腕の力を強めた。

 私は真赤に染まった自分の思考に気付き、メイを見た。「ごめん」

 すると私のうつむけた頭にメイの腕が触れ、涼しい吐息がかけられた。

 私は両目を閉じ、傾けた頭をメイに預けた。音もなく白いそよ風が頭の中央を吹き抜けた。それは血液をささやかに巡り、私の体を内からひんやりと優しく撫でた。頭に添えられた腕を両手でそっと包んだ。私は薄暗く涼しい消炭色の意識の中でただメイの感蝕にすがった。これが、私が人に頼らず生きてきた代償なのだろうか。信仰にも似た強く執着する場所だった。メイに守られていた、そう感じた。この瞬間、メイが私の意識に大きくその姿影を刻んだ。

 そして同時に強い不安が沸き起こり私は顔をあげ、メイの両腕をゆっくりと掴み、聞いた。

 「メイ、君は、どうすれば無事でいられる?」

 私から目線をそらすようにメイはうつむいた。

 「普通の子と違うの?」私は返す言葉に詰まった。いや、とだけ私の口から出た音が暗い沈黙を漂い薄れて消えた。

 「・・・公園の湖」メイの言葉が聞こえた。

 「おっとうはあれに似てる」

 「どういうこと…」

 「霧の奥にありそうな、ひっそりとある、小さな波さえ立たない静かな湖。おっかあと同じでまるで浸かるようにただ静かでいれる場所。でも、おっかあよりは少し熱があった。でもそれはちょっと暑いのに、なんかずっとそこにいたい、私が色鮮やかになるような、素敵な気持ちになれた。まだむさんはしっかりと大きなの、店員さんは小さくて深いの、店長さんはまあまあ広くて浅いの。みんなひっそりとはしてなかったけど、それぞれに湖を持っていて、私はそれを見て面白かったし、それぞれに楽しませてもらったの。でも突然、熱い丸っこい塊が飛んできた。初めて気付いたのはデパートに行くとき、周囲で飛び交ってた。その時はちっちゃい虫が少し熱くて飛んでるな、ぐらいにしか思ってなかった。でも、まだむさんや店員さんや店長さんの熱の玉がほっぺに当たったりして分かったの。みんなが投げるって。でも何で投げるのかわからなかった。最初は怖かった。でも、それが、あのヌクモリを手に入れるためだと、教わったでしょ。でも私は熱を投げたり、受けたりしなくても、おっとうのヌクモリに浸かることができた。でも、段々、心配になってきたの。なくなってしまうのかなって、まぼろしなのかなって。元々、あつくて気持ちいいなんて私はおかしいなって思ってたの。その内、私の奥に小さな灯りみたいな玉ができてたのに気付いた。綺麗だけど、ろうそくみたいに、その光に気付くと熱くて、まぶしくて、胸が勝手に熱を持って、それを手放したくない自分も怖かった。だって私の体には、熱すぎたから」熱すぎたから。抑え込むようなメイの声が、抑え込まれたように途切れ、再び無音が広がった。そこに、コン。と石にぶつかる軽い音がした。

 私は地面に落ちた下駄を見つけ、両手でそれを拾い、いとおしんでメイの足に当てた。でも履かせることはできなかった。

 もう、両足もなくなっていた。涼しい空気の感触だけが私の手に触れた。

 メイが私に顔を向けた。「小森公園に行きたいんだけど、もう歩けないの」

 眉の落ちた、口を一文字に結んだ、メイの微笑が見えた。

 「私がいるじゃないか」胸が絞られそうな感覚を踏み締めるように、私はメイを両手で抱えて立ちあがった。でも熱を当てないように、と心に言い聞かせ、私は公園へと歩き出した。

 0時を過ぎた小森公園はやはり、日中への無関心さを意識させるほどの静寂と、酔うほどの身を切る冷たい風が吹いていた。 

 私は湖を囲う木の一つを背にメイを膝に抱えたまま腰を下ろした。「メイ、小湖に着いたよ」

 私の腕の中で目を瞑るメイは、言われなくても、と言うように口をやわらかく微笑ませていた。

 膝の上にかかるメイの重さは、まるで、中に空洞が空いてしまったかのように、軽く、人にしては頼りないものになっていた。

 「おっとう」気力のようなものの消えてしまったメイの顔はロウソクのように白く、その口が動くのを見て、私は僅かな驚く感情を胸に浮かべてから答えた。

 「ん、なんだ」

「おっとうの懐はこの湖によく似てる、けど奥の方、じーと眼をこらすとピンク色の火みたいなのがゆらゆら揺れているのが見えるの。私がてれびを見てて、おっとうが一人でコーヒーを飲んでいるときなんかに見えたんだけど、それはなんなの?」

「火?ピンク色の」火、ということは情熱や衝動のたぐいなのだろうか。ピンク色とは、何をさすのだろうか。

 そんなものは見たことがないので、私は答えに困った。だがメイの疑問に答えたかった。「私は・・・私には叶えたい夢がある。そのために自分を、高めることをただ目指してきた。自分の生活に余計な制約や面倒な干渉がないよう、人との接触も必要最低限に留め、人に頼らず生きてきたつもりだ。そうしているうちに、夢を叶えることが私にとっての全てになった。決して他の人に語らず、ただ自分の奥底で夢への自分を鍛えてきた」そう言って、私は一つ小さく息をした。私は自分のことを話した。

 これが答えになるのかは分からない、が、現在の私の生活のかたち、私の人間性を形づくっている、根底にあるのは、間違いなく夢への孤独な執着、であった。

 だけど、と私は再度口を開いた。「孤独な過程を経て、手に入れる夢の先にはやっぱりぬくもりがあるよ。その瞬間、メイにも隣にいて欲しい、と私は思っている」喋ることによって辿りついた一つの望みは、メイが私の成功を隣で笑って、一緒にその瞬間を分かち合ってくれることだった。それは夢への原動力の一種となりうるものである。一緒に手をつないで、幸せを共有して・・・。

 「メイ、なんで・・・君はどんどん軽くなっていく」胸を擦るように言葉を呟き出した。

 メイが苦しそうな吐息を口から出した。

 「何故だ。もう、君を苦しませる熱は、此処にはない。熱をぶつけあう必要性など・・・それが今までの私達の生活が証明してくれる。・・・短いけど、私にはそれが幸せだった。満たされ、居心地が最良で、成長していけるなんて・・・これ以上のことはないんだ。熱をぶつける奴のいない生活はできる。苦しまなくていい筈なんだ・・・」そう言って私は気付いた。

 「私か・・・。私も、熱を出しているのか・・・?」執着、努力を強いる要求。それは・・・熱か?怒鳴らなかったとしても、それが私にとっては、善意からだとしても、メイにとっては、身を削る悪意か?

 それと同時に、私が外界との接触のない生活を提案したことに気付き、自分の言葉に恐怖を感じた。

メイを抱える自分の両手、私は汗の滲むそれを、呪いのように見た。

「ちがう・・・」メイが眼を開けることなく呟いた。

「わたしも、多分持ってしまったの。おっとうと繋いだ手、あのヌクモリがそのまま私の奥に小さく灯りになったの。熱なのに、逃がしたくなかった。でも、熱をぶつけあうのはやっぱり、わたしにはできなかった。わたしはわがままになっちゃって、それが灯りを熱く、わたしを、じぶんを消していってるの」

「そんな・・・」掠れた息が喉から出た。

私にとって嬉しい想いがメイには、命取りだった。でも・・・それは・・・人を好きになるとき、恋をしたとき、人の誰もが、持つ感情じゃないのか。それじゃあ・・・メイは・・・。

 熱が私を支配した。身に染み付いたと思っていた冷静さも、他人を欲する気持ちでいとも簡単に、赤銅色の熱源に変わった。答えが見えない。一歩も進めない。何を正しいとすればいいのか。暑さで踊る頭の中、私はどう対処すればいいのか分からなかった。モンローさんの言う通り、私は無力だった。

 額の一点が醒めた。小さく冷たい感触。私は眼を開けた。

 メイは既に顔を離し、少し照れて、穏やかに私を見つめていた。「キスしちゃった」

 顔を浮かすのにさえ、疲れてしまったのかメイは少し途切れる声でそう言った。

 こんなに小さい存在が・・・。晴れた頭が、背筋の震えた感触と同時に、そう考えた。こんな小さなメイの気持ちが光明のように私に道を照らしてくれた。私は、メイを微笑えませる存在でありたい。

 私は躊躇った。

「大丈夫・・・お願い」メイが頼んできた。

私はメイの体を少し持ち上げ、その額に、精一杯の想いを込めて浅く口付けをした。なんともないメイの額にほっとすると、メイは、本当に嬉しそうに、一杯に微笑んだ。「ありがとう」

 私の胸が何らかの素早い衝動で満たされ、そしてその想いが冷えて重く潰されそうに苦しくなった。

「メイ・・・どうせ、熱いなら、全部言うんだ。今の気持ちを私に聞かせてくれ。君の熱は、僕を溶かさないんだから」

 驚きを持った大きな目で見つめるメイに、私は精一杯微笑んだ。するとメイは手のない腕で私にしがみついた。私も抱きしめ返した。

 メイの体が少し震えた。私はなだめるように頭を撫でた。「ただ、言ってくれればいい。思ったことをそのまま」

 発せられる嗚咽のような小さな声が何かの言葉を成してきた。「怖い・・・本当はしょうがない、って分かってるのに。怖い、すごく怖いの。消えてしまうのが。もっと一緒に、おっとうと一緒にいたかったよ」始めて聞く、高まったメイの声、叫びが、嬉しく、果てしなく悲しく悔しく鋭く胸に響き渡った。「うん。私もだ」私は静かにメイを両手で包み続けた。ヌクモリでいられるように、消えないように。「ずっと一緒だ」

メイが顔を上げた。「ずっと、一緒?」

「うん。メイは消えないよ。例え、離れたとしても、絶対に再会してみせる」

 しばらくの沈黙のあと、「うん・・・」とメイが呟いた。

 私は自分の体の熱に気付き、慌てて距離をつくった。「熱くないか」

 するとメイは四肢のない体をこっちに倒し「うん。大丈夫。本当は暑いんだけど、すごく、幸せ」と言った。

「そうか。なら良かった」私はメイを包みなおし、頭を撫でた。

「これ・・・なんていえばいいんだろ。ヌクモリって熱いけど、いつまでも、ここにいたい」

 希薄になるメイの感触に私は震える喉で言った。「暖かい。そう言うんだ」

 メイが微笑んだ。「おっとうって暖かい」そう言うと、肩にもたれているメイの頭が軽くなり、その手応えが、勢いの強い水を触っているような、確かに在るが、脆い、というものになった。

「メイ」メイを顔の前に持ち上げると、額の一点、口付けた場所から湖が見えた。透明になっていた。そして、メイの体が私の手を滑り、私のほうに倒れ、体を通り抜けて地面に向けて落下した。抱き起こそうと伸ばした手が空をきった。

そして突然、霧が視界の一面を覆った。「メイ!」私は両手を振り伸ばし、メイの感触を探した。「止めろ」まるで、こっちがすごい速さで疾走しているように、勢い強い霧が辺り一面を舞い、私を混乱させた。

「メイ」私はメイを捜した。

 そして霧が晴れると、いつもの小湖の風景が戻った。さっきまでいた木の根元に、メイはいなかった。

 「メイ?」

口に出してもメイの姿は跡形もなく、ただ静けさとほろ寒さが私を暗く包んだ。




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