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Le numero3

いくらかの日を経て。

 メイを小学校に行かせるべきだろうか。メイを半日以上家に閉じ込めておくのはかわいそうだ、と思うのだ。だが、外を散歩させていれば、小学校が義務教育である限りいつかは顔見知りになった人達から怪しまれてしまうだろう。小学校に入れるにはまず書類上でメイを私の娘にしなければならない。そしてメイは小学校で無事に心平安にやっていけるだろうか。「短い間です」メイの母の言葉の扱いに困った。

 そして、一つの季節を越えた。秋風に白さの混じる頃。

 「ただいま」私はそう言いながら靴を脱いだ。

 「おかえりなさい」玄関で私を迎えたメイは、少し興奮気味に「コーヒー飲む?」と言った。

 「ああ。お願い」そう言って私は上着を脱いで、テーブルについた。

 するとすぐにテーブルにはおいしそうな湯気を昇らすコーヒーが置かれた。インスタントではない。

 「早いな」恐らくこの時間に沸くようにコーヒーを用意しといてくれたのだろう。

 メイの前には細長い暗雲が描かれた白い湯呑み。中は、氷の入っていない麦茶。

 「ありがとう。いただきます」そういって私はコーヒーに口をつけた。

 「あー生き返る」私はだらしなく溜息を着き、そう言った。

 「おいしい?」まだ麦茶に口をつけず、メイがそう聞いた。

 「ああ。一回くたばって生き返ってしまったぐらいおいしいよ」

 メイは笑った。そして麦茶を一口飲んだ。「あーいきかえる」

 「今日は何をしていたんだ」

 「お絵描きしてた!」

 「へえ。じゃあ、見せてよ」

 「う、うん」

 「照れるな照れるな」口がくすぐったいのを抑え、私は部屋を見渡した。だが、部屋の隅にクレヨンと色鉛筆が行儀良く置いてあるだけで、画用紙などは見あたらなかった。「ん、どこにあるんだ」

 「こっち」メイは立ち上がり、寝室を指差した。私はなんとなくメイの顔に真剣味を感じ、軽い心持ちで見てはいけないのか、と少し神妙気味に「よし」メイの後について寝室に向かった。

 メイは私の眼を確認するように見て、何かを告白するときのようにじっくりとドアを開けた。「入って」メイは中に入らず、私の入室を促した。

 「なんだこれ」私の・・・今はメイの布団の上に画用紙が一枚、置いてあった。黒い人影が四肢をだらしなく伸ばした絵。そのシルエットの人?は全身が脱力しているととれる。つまり、TVの殺人現場などで見る人形のマーキングのようだ。判断に困り、私はもう一歩中に入った。

 すると壁に並べて貼られた三枚の画用紙に気付いた。証明写真のような、上半身の人の黒いシルエット。肩の下には白く文字が書いてある。

セバスチャン(Sebastien)。太郎。田中年男。

「何だこれ」私はメイに振り返った。

 寝室の入口からメイは心配そうに言った。「分かる?おっとうを殺した犯人」

 私は最初の画用紙に目を戻した。くたばったシルエットの下の方に、丁寧な達筆で「おっとう」と書かれていた。

「私は殺されてしまったのか?」無念そうに目を瞑りながらもメイは頷いたので、私はなんともいえない悲しさを抱えながら、私の真っ黒な死体の上にもう一枚、小さく破られた画用紙が配置されていることに気付いた。「わたしには犯人が分からないの」メイが横から重い視線を私に向けていた。私はとりあえず視線を、私のシルエットに向けた。

「犯人名―」そう読める。私のシルエットの右手が不自然なところで内側に曲がっており、不自然なのはメイの画力の個性だとして、伸ばされた腕の先の人差し指が無念そうに「―」の伸ばし棒端に横たわるように配置されている。「―」の最後の方が恨めしそうにインクを散らして途切れていた。「これは―」

「ダイイングメッセージ」息を殺すような声でメイが呟いた。変な言葉ばかり覚えるなよ。

「三人の誰かが犯人なんだけど、分かる?」メイの表情は真剣そのものだった。私は唇を指で撫でた。

そして布団を背にした。「コーヒーを飲み干したとき、犯人もまた干されるであろう」

振り返るとメイが首を傾げていた。イマイチか。私はとりあえず有言実行するか、ということでテーブルに向かったのだった。

 「犯人はタナカ?」

私がコーヒーを飲み干すと、メイは待っていたかのように私の方にテーブルから身を乗り出した。

 「うん」

 「やっぱり!」メイが叫んだ。

 私は慌てて両手を振った。「あ、違う違う。解説を始めようと思っただけだ」

 「え、違うの…」メイはそっかぁ、と呟いた。

 「ごめんごめん。それは説明してからにしよう」じゃあ寝室に行こうか、私は席を立った。

 そして「そういえば、何で田中年男が犯人だと思った」と聞いた。

 「…名前が、怪しいから」

 「まぁ…確かに」私はうつむいたメイを見てから寝室のドアを開けた。

 画用紙などはそのままで、こうして全体を見ると散らかった様子がよく分かる。

 「後で片付けなきゃな」

 「何?」

 「いや、何でもない。じゃあ解決の時間だ」私は布団の上を指差した。

  「私の・・・被害者のダイイングメッセージ。やっぱりこれがその字の通り犯人の名前を表している」

  メイはうんうん、と眉間に小さな皺を作り真剣に聞き入っている。

  「犯人名――、一見すると犯人の正体を書きだそうとして途中で絶命したかと思ってしまうが、実はこれが犯人の名前をそのまま表している」

  「え!」メイは王道な反応をした。私は得意になってきた。

  「でも、なんで途中で死んじゃったわけじゃないって分かるの?」私はメイに水を挿された気分になった。

  「…私が無念のまま死ぬことなんて無いからだよ」

  「…おっとうすごい」メイは心底感心したようにそう呟いた。

  「ふ…じゃあ推理に戻ろう。Sebastien、太郎、田中年男。ダイイングメッセ―ジを良く見てみたまえ」

  うーん。文字通り食いつくように、布団の上に乗ってメイは画用紙を睨み込んだ。

  「だめぇ。分かんない」メイは白旗を上げると後ろに倒れこんだ。

  「じゃあ、一字づつ、割って見てみなさい」

  ううん・・・。メイは少し億劫そうにまた布団を覗きこんだ。「犯…人…名…―…。…あっ」

  「そう。名の字こそが被害者のダイイングメッセージだったんだ」私はうつむき、眉間を指で抑えた。

  「つまり、私を殺した不届き千万、酌量無用の犯人とは…」「タローくん!?」メイが叫んだ。

 「…」太郎のシルエットをりりしく指差していた私は、一番おいしいところを奪われ、膨れ上がった探偵気分が一気に逆流し、りりしく構えた私の顔をみるみる赤くした。「ご名答、ワトソン君」

 「でも、でも…」風呂でも入ろう、と萎えた気分に語りかけ寝室を出ようとした私にメイが立ちふさがった。

 「太郎くんはおっとうに不当な利子を請求されて家を担保に奪われちゃったんだよ」一息でメイがそう言った。

 「…なんで?」私にとって二つの「なんで」だった。

 「太郎くんがおっとうに高額なお金を借りて競馬と女につぎ込んじゃったんだって…」

 「…立派な犯行動機だな。これ、ビデオで見たのか?」

 「ううん。モンローさんが出してくれたクイズなの。犯人が分かったらアンフィステッキくれるの」

 「えっと…。どこの方?」

 「ええと、公園の近くのおもちゃ屋さんら辺の道」

 十五時以降なら、と散歩を許可していた。子供が毎日、日が沈むまで家に閉じ込められるのなんて酷すぎると思ったからだ。勿論携帯電話を持たせた。私の携帯に着信がくれば、私が飛んでいくことになっている。知り合いができるのは悪くないことだが…。

 顔ぐらい見に行く必要はあるだろう。

 モンローさんか…。

 私を殺しやがって。私はすべての画用紙を裏返して重ね、玄関の古新聞の上に置いた。


 「いたか?」玄関で靴を脱ぎながら私はそう言った。

 「うん。いた」ポットに向かいながら、少し興奮気味な口調でメイはそう言った。

 「話してきたのか?」そう聞きながら私はテーブルについた。

 「ううん。陰からこっそり覗いただけ」コーヒーと氷の入っていない麦茶をテーブルにおき、お盆を胸に抱えメイはそう言った。「めしあがれ」

 「ああ。ありがとう」いただきます、そう言って私はコーヒーに口をつけた。

 時計が十八時を示していた。

 メイが麦茶を飲み干し、「じゃあ行こうか」私がコーヒーの最後の一口を飲み干してそう言った。

 「うん!」メイは椅子の下から屯着を取り上げ、立ちあがった。抜かりはないようだった。

 「じゃあ…私は動きやすい服にでも着替えてくるか…」ちょっと待っててくれ、そう言って私はいそいそと寝室に入った。

 「よし!行こう」

 「うん!」

 そして私達は家を出た。

 マンションを出て右と左に分かれた道を公園の方に向かった。

 私達の生活区画を正方形とする。その中心を私達のマンションとする。左上角が近工駅。すると枠の右縦線の真中が小森公園の入り口だ。そして上枠線の真中とマンションを繋ぐ線のこれまた真中辺りに喫茶タナカがある。

 メイのいう「おもちゃ屋ら辺」は小森公園と上枠線真中をつなぐ線の真中辺りになる。つまり全体の右上ら辺にあたる。

 「メイ、そんなに急ぐ必要もないだろう。裾を踏むぞ」コッコッコッとつっかけを忙しく鳴らすメイに言った。

 「うん」そう答えてもメイは着物の狭い歩幅で早歩きを続けた。

 小森公園の入り口が見えると正方形の上に向かって曲がり、公園を囲む灰色の塀から頭を覗かせる青々とした木々たちを右手に見上げ、眺めながら進んだ。

 同じようにメイは私の前で、夜との違いを見るように公園を見上げ、進んだ。しばらく歩くと、公園の塀に埋まるように、小さな窪みの中に地蔵が一体置いてあった。

「なんだか潰されてしまいそうな地蔵だな」通り過ぎながら、押し込まれたように居る地蔵を少し不憫に思った。

「大丈夫だよ」メイは後ろ向きになって地蔵に笑顔を向けながら言った。きっぱりと述べたメイを意外に思い「なんでだ?」私はそう聞いた。

メイは地蔵に手を振り、前に向き直った。「お地蔵さんは飛べるんだよ」

「…そうなのか」地蔵が飛ぶのは、私の世界ではひどく不格好だった。

「うん、むかし火事のとき飛んだんだよ、っておっかあが言ってた」

「おっかあが…」

「うん、だから大丈夫なんだよ」メイは得意気に言い、「おっとう?」と顔を覗きこんだ。

目に入ったメイの顔が不安そうだった。私は自分の顔が沈んでいたことに気付き、顔を上げた。「それは知らなかった」

そして「じゃあこれは知ってるか」そう言って塀からのぞく柿の木を指差した。

メイはそっちを見上げ「かき?」と言った。

「そう。美味そうな柿だ。だから今年の冬は寒くなる」

メイは眉をしかめ、首を傾げた。「なんで?」

私は顎でもう一度柿の木を指した。「ああいう風に、見事なオレンジ色の柿ができるのは、今年の冬が寒くなるからなんだよ」

「へえ」感心するような、困惑するようにメイは通り過ぎる柿の木を熱心に眺めた。

私はそんなメイの横顔を眺めた。冬になれば、メイも過ごしやすいだろう。日傘をさすこともなく。そしたらピクニックに行ける。それよりも、子供らしく、雪合戦もできるかもしれない。

私がやると不格好かな。そんなことを考えていると「いた」メイが転んだ。

 「大丈夫か」駆けより両手を前に着いたメイを抱き起こした。メイは顔をしかめているが、別に顔を曇りにうつむかせることもなかった。裾の長い着物で良かった。膝をさわっても「痛くない」と照れるように言った。私はメイの手をとり、汚れた手の平をハンカチで拭った。準備に念の入ったメイに対抗して色々持ってきて良かった。メイは「ありがとう」と言って反省するようにうつむいた。

 「休憩するか」私はメイを近くの駐車場の柵の石台に持っていき、「だいじょう」…ぶと言おうとしたメイを置いて私は隣に座った。「私が一服したい」

 うそ…と呟きかけたメイに「ああ生き返る」と私は缶コーヒーをグイと一息で飲み干した。「ほら。麦茶。生き返れ」とメイにペットボトルを渡した。

 メイは困惑と笑みの混ざったような表情だったが、ペットボトルを受け取り、笑みが勝ち、そして麦茶を一息で飲み干した。正直驚いた私に「一回死んで生き返ったみたい」とメイは笑いかけた。

 「で、モンローさんはどんな人なんだ?」おもちゃ屋ら辺を間近に控え、隣で歩くメイに問いかけた。

 私と繋いだ手を振りながら「仕事のない人」と少し上を見てからメイはそう答えた。

 モンローさんという仕事がなくてメイにクイズを出してプレゼントをくれる私を殺した女の人。

 「面白そうな人だ」

 「うん。面白い人だよ」でもそう答えたメイは少し機嫌が悪そうだった。「メイ。怒ってないか」

 「うん。だって太郎くんを犯人にするなんて」すねる様にそう言った。

 あれ。私が殺されたのはいいのかなあ。

 私がそう考えていると、「あ。あそこ!」メイが指差した。

 指差す先には、地面に赤々とけばけばしいレジャーシートを広げ、その上で沢山の雑貨と派手に座る、見る限りホームレスの人が見えた。インドかどこかの修行を終えた、お爺さんに見えた。

 「男…?」目に優しくない全体像が近づいていくに連れ、近づいて行きたくない。倦怠感が私の顔にぶら下がっていった。


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