対岸秘話
どういう訳だか、交互に嫁や婿を出し合う二つの集落があった。
この二つの集落は、河を挟んでいて互いに離れている。またこの二つの集落以外にも、この周辺に集落がない訳でもない。
それにもかかわらず、まるで約束事でもあるかのように、二つの集落は嫁と婿を出し合った。
もちろん特別な取り決めがある訳でもない。にもかかわらず当たり前のように、交互に嫁と婿を出し合った。
この集落の若者は、誰に言われるでもなく、対岸の集落の若者と特に恋仲になったからだ。
交互に嫁や婿を迎えるのは、一方の集落に人が偏らない為の、言わば後知恵だった。
放っておいても、この二つの集落の若者は恋仲になる。
ならばめでたい話。交互に人を送り出すことで、集落同士の絆を深め、人口のバランスもとろうということに自然となったのだ。
今日もまた、若い男女が二つの集落の真ん中で偶然出会った。
男は突如己を襲った、胸の高鳴りのままに女に声をかける。
年長者に聞いたことがある。向こうの集落の異性と出会うと、心臓が苦しい程胸が高鳴るという。
そんなバカなと男は気にもしていなかった。だが、いざ向こうの女性に出会うと、己の懐疑心の全てを忘れた。
男は女に自分を理解してもらう為、かねてからの夢を語り出した。集落を出たいという夢だ。もっと都会に出て、事業を興して成功したいと男は言う。
一目惚れした男は、女についてきてくれるように説得した。
女は突然の話に逡巡した。
それに順番から言えば、次は女の集落に婿を迎える番だったからだ。
習わし通りなら、女は住み慣れた集落で結婚し、家族の面倒も見られるはずだった。
だが男はどちらの集落にも住まない。都会に出ていくと言う。
男は更に言う。
自分達の集落は発展から取り残されている。こんな古びた危なっかしい橋の上で、将来を語り合っていい訳がない。
そう二人の集落は河を挟んで向かい合っている。二人が出会ったのは、その真ん中に架けられた橋の上だ。
そして多くの先人達も、この橋の上で出会っている。そんな大事な橋ながら、もう随分と古くなっていた。
男は熱っぽく続ける。
自分が都会で成功し、この橋も立て替えてみせる。二人の思い出の橋を、皆の出会いの橋を、もっと丈夫なものにしてみせると。
そして男は己の胸の高鳴りを率直に告げる。自分がどれ程目の前の女性に出会ったことで、胸が高鳴っているかを伝えた。
女は男の熱意に折れた。
女の胸も、かつてない程高鳴っていたからだ。
老夫婦は満面の笑みで記念式典に呼ばれた。笑みは表面だけだ。もう二人は冷めていた。
若くして成功した二人は、その最初の志の通りに集落に丈夫な橋を架けた。
以来半世紀。この丈夫な橋は、双方の集落の人々の行き来に役立ってきた。
今日はその節目の式典だ。
老夫人は、式典に参加していた若い男女に声をかけた。
この橋で、誰かいい人は見つけましたかと。
自分達はもう冷めている。金銭的な成功が、二人の間に溝を生んだのだろう。夫人には分かっている。
だがあの日あの時、この橋の上で感じた胸の高鳴りは本物だったはずだ。
今の若い人にも感じていて欲しい。自分の過去を肯定する為にも、胸の高鳴る出会いが今もあると聞かせて欲しい。
夫人は心からそう願って訊いてみた。
だが若い男女の返事は素っ気なかった。
別に――
他に聞けば、もう昔のように互いの集落に嫁や婿を出すことはあまりないらしい。
他の集落の者との結婚や、都会の者との結婚も当たり前らしい。互いの集落だけが特別という時代ではなくなったのだ。
そう、昔のような橋の上での出会いはもうないのだ。
寂しい話。あのドキドキがないなんて。
夫人はそう思い、丈夫な橋のたもとに残された昔の橋の痕跡に目をやる。ロープをくくる大きな杭が打ちつけられたままになっていた。
それは二人が特別な胸の高鳴りとともに出会った、あの危なっかしい吊り橋の跡だった。