表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白銀の夜明け(プレリュード) [乾クエ1]  作者: 群青 坊哉
04.白銀の夜明け《プレリュード》
7/8

後編

 5

「……あたし。あんたが、その糸を使って記憶を覗いているとばかり思ってた。……けど、違うわね。あんたの能力――その糸は、魔力を吸い取るだけの糸。糸自体が強靭で粘着力もあるから、敵を拘束したり、バリア状にして鉄壁の護りを手に入れる事も出来る。ただし、魔力を宿すのはあくまで糸で、吸い取った魔力をあんた自身が使用する事は出来ない。それに、糸を強化――濃密な魔力の糸を使用したい場合にはその分、噴出量を少なくする必要がある。量を出せば出すほど魔力が分散してかっすかすになってしまうからね。だからあたしたちを捕らえる場所にこの狭い洞穴を選んだ……ってところかしら」

 『炎帝』の発動で洞穴内の気温は上昇していた。既に汗の滲み出ていた小さな額を、さらに一筋の冷たい汗が伝う。リタルが努めて冷静に声を上げると、

「ご名答。寿命が極端に短い人間の内でもより幼い容姿をしているが、なかなか。洞察力はあるようだ」

 大蜘蛛は余興が気に入ったのか、血眼をリタルに向けた。

「お褒めの言葉、どうもありがとう。……てか、ほとんどあんたが勝手にくっちゃべってくれた事だけどね。……けど、わからないわ。なんで、一向に共犯者サマはご登場されないのかしら?」

「…………」

「共犯者……だって?」

 沈黙した大蜘蛛に代わって、リタルを守るように立っていたトランが声を上げた。

「そうよ。単独犯であるはずがないもの」

 腕を組んで、きっぱりと言い放つリタル。

「……ほぉ。何故そう考える?」

 あくまで、余裕を見せる大蜘蛛をリタルは鼻で笑う。

「さっきクレープも言ってた事だし、前にあたしも文献で読んだ事があるのだけど。魔族や天使は一体につき、一つの能力しか持っていないらしいじゃない。あんたの能力が『魔力を吸い取る糸』なら、あたしたちの記憶を覗く事は不可能だわ」

「…………」

「あんたはあたしたちの記憶からナニカの情報を得ようとしていたでしょう? それが目的であたしたちを捉えたのなら、『他者の記憶を視る魔力』を持つ存在が必要不可欠なはず。……というか、そいつがいなきゃ初めからあんたはこんな大それた事、しなかったでしょうね。どっちが唆したかしらないけれど」

 沈黙を守る大蜘蛛。畳み掛けるように、リタルは発言を続ける。

「あたしたちは、あんたみたいな巨大蜘蛛――魔族なんぞに面識はない。……リチウムはどうだかしんないけど。あたしが把握している限りじゃ無いと思うわ。そもそもあたしたち人間にとって、あんたの存在は空想の産物。魔族が現存しているという事実は既に廃れていて、一般人にとってはおとぎ話なのよ。ちょくちょく姿を見せる天使と違って、あんたたち魔族は人界には現れない――姿を見せないからね。……なのに。一体あんたはどうやって、求める情報をあたしたちが持っている事を知ったのか。魔族が機械使って調べる、なんて事聞いたことない……てか、出来ないだろうし。あんたたち、自身の力しか使えないものね。機械も魔石で動いてるから扱えないでしょう? と、すると。あたしたちの事をあんたに流した何者かが居るって事でしょう。天使か。…………人間か」

「…………」

「人間……が?」

 眉を潜めるトランをリタルが横目で見遣る。

「トランも警察のはしくれなら知ってるでしょう。……てか、その類を保管してるのは警察でしょ?」

「その類?」

「記憶を探る石。そんなものがあるのなら、人間にだって十分可能よ」

「……」

「けど、ま。あたしたちの……フォルツェンド一味の事を知ってる人間なんて、把握してるだけの存在しかいないと思う。あたしたちの事をリークするとしたら、天使くらいでしょう。……記憶を覗く能力を持つ天使が現存しているかは知らないけど。後は……そうね、警察組織を所有しているのは、天使でしょ? 警察が保管している『他者の記憶を視る石』は『魔眼』と同様。術者以外にも指定した存在に働きかける事が出来る力らしいから、天使が人間に石を使わせ、そこの蜘蛛の化け物にあたしたちの記憶を覗かせたって事も十分に考えられる。……そうすると、共犯は複数いるって事になるけど」

「……てか、リタル。なんでおまえが『記憶を視る石』の事を知ってるんだ?」

 「警察がその系統の石を占めてる事は、内部の人間しか知らないはずだが」と続けるトランのジト目に、不自然なまでに顔を背けるリタル。

「独自の情報網があんのよ」

「情報網って」

「……さて。誰だか知らないけど。いつまでも高みの見物決め込んでると、絶対的に痛い目見るから、さっさと出てきた方が身のためよ。あたしが回復したらすぐに『魔眼』を発動させるから隠れても無駄だし。トランの力を見たでしょう? 早くそこの身を護る事しか能のないへっぽこ魔族に護ってもらう事ね」

 リタルが周囲へ視線を巡らせた。

 投げた声に応えは返ってこない。

 というか。捕まってからこれまで、大蜘蛛以外の気配は一切感じとれなかった。

 きっぱりと言い放ったリタルだが、総ては推測。状況から推理したことでしかない。

 すなわち、当てずっぽう。

 気力回復を狙っての時間稼ぎと、ただ単に大蜘蛛の余裕が全くもって気に食わなかったという理由で口から飛び出した――まだ纏まっていなかった考えを口にしながら組み立てていったという、まさに掘っ立て推論なのだが。

「………………」

 ……はずれ、か?

 緑色の透き通った瞳。その上の薄い眉がほんの少しだけ中央に寄った、その時、

「すばらしい」

 大蜘蛛の感嘆の声が長い沈黙を打ち破った。

 6

「まさかここまで見破られるとは思わなかった。いや、楽しませてくれる」

 僅かに発光しているクレープの体を抱えたまま、大蜘蛛は声を上げて笑った。

「認めてやろう。我は少し人間と言う種族を侮っていたようだ」

「……共犯者は何故出てこない訳? もったいぶってんの?」

 大蜘蛛の反応に驚き、しばし呆然と佇んでいたリタル。推測が正しかった事を悟ると気を取り直して軽快に笑う魔族を睨む。

「さてな。我は知らん。『共犯者』と言っていたが、我等はあくまで、利害の一致で手を組んだだけの関係。大方、奴は奴で事を成し遂げ離脱したのではないか?」

「相手の目的も知らないで協力していたのか?」

「話を持ちかけてきたのは奴の方だ。奴は我の目的を把握していたのだろうが、我は奴の目的になんぞ興味もない。敵対の間柄でもない。したがって事が済めば、もう互いに用はない」

「…………」

 大蜘蛛の言葉に、口元に手をやり何かを思案するリタル。そこへついに、思考を絶つ程の絶望をもたらす声が降る。

「……さて。人間風にいえば、『冥土のみやげ』というのであろう? 楽しませてくれた礼にたっぷりとくれてやったと思うが。そろそろ食事をはじめてもよいだろうか」

 全員に緊張が走る。

「リタル」

「不味いわね……思ったより精神力の回復が遅い。クレープもきっとさっきので打ち止めよ」

 リタルが小声でトランに相槌を打つ。

 クレープは、幽体時は何の力も使えない。しかしグレープの体を借りて現存する時、二つの力を使うことが出来た。

 一つは浮遊。そして、もう一つは、他者の力――石の魔力を高める増幅の能力である。

 クレープは有体時であろうと石を使う事は出来ない。体の持ち主であるグレープの、あらゆる石との相性の悪さが原因なのか、破壊こそはしないまでも魔力を発動させるまでには至らない。二つの力は正真正銘クレープ自身が有する力である。

 だが、幾ら自身の力といっても、他者の体を借りて発動させるが故、力の使用には制限があった。

 それは、増幅対象である(まりょく)によっても左右される。

 『炎帝』のような禁術封石の力を増幅させる場合は、クレープの調子が最も良い時で二回が限度。それを越えれば、グレープの体に入っている状態そのものに支障を来たす。だからクレープはいつも、ここぞという時でしかその力を使わなかった。

 先程もそうだ。『炎帝』であれば蜘蛛の糸を打ち破れる。勝機を見出して彼女はその力を発動させたのだろう。……だが。

 大蜘蛛に捕らわれてから、勝気なクレープが全く口を利かなくなった。おそらくグレープの中に居続ける状態を維持しているだけでやっとなのだろう。

「今、あたしの力を数回使わせてくれれば、脱出くらい訳無く出来るのに……」

 リタルに『転位』を扱う力は残ってない。三日前から、ずっと大蜘蛛の糸に毒を与えられ、力を吸い取られていたのである。こうして立ち続ける事ですら辛い。この状態では比較的楽に発動させる事の出来る『魔眼』でさえ、行使する事は難しいかもしれない。

「捕らわれたのがグレープだけだったら挑発なんてしなかっただろうし、きっとこんな窮地には追い込まれなかったわよ……。ううん、グレープが捕まったら、糸の魔力くらい暴走させてくれてたかもしれない。全くなんだってこんな時に合体してたんだか…………って。……あれ?」

「どうした?」

 リタルの疑問符に、トランが僅かに振り返った。

「なんで、クレープ。入ってたんだろうって思って」

「入ってたって……」

「だから、グレープの体によ。あたしたちの事探すだけならなにも、クレープがグレープの中に入る必要なんてないでしょう。普段からクレープ、何かある時でないとグレープの体借りないんだし。捜索だって手分けした方が効率がいい。一心同体じゃあるまいし、グレープが攫われたら、クレープは当然ここに居ないはず」

「……そういえば」

「…………」

 短い沈黙。

「……ひょっとして」

 リタルが、確信めいた呟きを漏らした時。

「何をこそこそやっている?」

 大蜘蛛の声が白い壁の向こうから響いた。

 向き直るリタルとトラン。

「……どっちにしろ、間に合いそうにないわね」

 覚悟を決めたリタルの声。現状を突破する為にあらゆる可能性を模索していた彼女が、今、思考を完全に切り替えた。今ある材料だけで解決策を導き出さねばならない。

 トランは両手をぎゅっと握りしめた。捕まっているクレープ。後ろでふらふらの両足にむち打って立ち続けているリタル。なんとしてでも無事に帰してやらねばならない。しかし、自分にあるのは炎帝と、この身一つだけ――

「リタル」

 トランは正面を向いたまま、少女の名を呼んだ。

「俺だけでも、壁の向こうに飛ばせないか?」

「……やれと言われればやってみるけど。自信は無い。でも飛んでどうすんの?」

 クレープの力で増幅したトランの最大の攻撃でも、あの糸の護りを破る事は不可能だったのだ。目の前のバリアを越えたところで、蜘蛛が再び防御の一手に出れば成す術はないだろう。

 攻撃を防がれたら――手は無いどころか、トランさえ危くなる。

 今の彼の疲労困憊ぶり。体力がとうに限界を超えている事。この状況を、誰よりもリタルは把握している。状況は極めて悪い。だが――

 トランの答えはシンプルだった。

「飛んだら考える」

 それでも、やるしかないのだ。

 例えるならば、追い詰められた崖の先端。

 それでも進まなければ、動けない。

 動かない。死の神も……幸運の女神も。

 この足が立ち止まれば、真っ先に忍び寄ってくるもの……それは、光の差し込む隙間も無いほど濃厚な闇。絶望だ。

 知っている。もう、嫌と言う程理解している。

 諦めてしまえば、何もかもを失う。己を取り巻く世界を動かす事も……増やすことだって、出来なくなる。

 小数点以下。ほんの僅かだが、確かに存在している……可能性を。

「……わかった」

 トランの決意に自分も覚悟を乗せて、示すように、真っ直ぐに前を見た。

 今はただ全力で、今できることを成すのみ。

 なんとしてでも自分は、トランを飛ばす。

「諦める事だ。おまえ達では我に敵わない」

 二人の強い視線を受け、クレープに向き直っていた大蜘蛛はしわがれ声を上げる。

「そこで見ていろ。仲間の最期を」


 散々楯突いた人間は、既に発光を止め、先程からピクリとも動かない。

 完全に麻痺したか。一瞬でも己に脅威を抱かせた少女を、大蜘蛛は鼻で笑った。やはり人間風情がどれほど足掻こうと、最初から勝敗は定められていた。少女の放った光は、退屈していた神が気まぐれに与えた奇跡の上に成り立った現象(まぐれ)で、この状況こそ当然の成り行きなのだ。

「散々大口を叩いていたようだったが。それももう終わりよ」

 大蜘蛛は、細い体を岩肌の地に下ろす。

 ひやりとした感触に、クレープの身は微かに震えた。


 もう、あまり余力はない。体がいう事を利かない。

 周りの言葉、空気ですら、届かない所に彼女はいた。

 ここは、焦燥感の中心。

 これ以上力を使えば、瞬く間にこの体を追い出され……グレープに戻ってしまう。グレープだけを危険に曝してしまう。

 溶かされる心身。食われる痛み。消え行く魂。この恐怖の真中に。

 しかしこのままでは――

 ――いいんですよ。

 大蜘蛛の興味がリタル達に向いていたその時。

 瞳を閉じ、ただ葛藤を繰り返していたクレープの内から、鈴の音がした。

(いいのですよ。クレープさん)

 グレープ……。

(いいのです。だから、クレープさんは)

 鈴の音は、体から剥がれかけてるクレープの身を案じてか、自分が主導権を握らないように、遠慮がちに、小さく、

(クレープさんは、クレープさんのやりたいようにやっちゃってください)

 だが、確かに響いた。

(みなさんを、護ってください)


「数百年ぶりの人間だ。……結局正体はわからなかったが、この希有な力。さぞ極上の味がするのだろう」

 クレープの体に、現実感が返る。

 はっきりと、敵の声、体。置かれている状況を認識して、感情が逆撫でられる。

「…………めん……」

 クレープは、微かに唇を動かした。

「なんだって?」

「…………」

 その半開きの瞳は、今、再び蜘蛛を射抜き。

 僅かな驚異を抱いた蜘蛛に、パクパクと動かした口は、確かにそう呟いていた。

 ――なめんな。

 瞬間。

 金色の光が大蜘蛛の視界を奪った。

「な」

 堪らず目を瞑る。

 発光したクレープは、目を閉じ全意識を集中させ、トランとリタル、双方へ力を注ぐ。

「クレープ、あんた……!」

「急げリタル! 助けるぞ!」


 先程は微塵にも感じられなかった魔力が、今この体の中で、溢れんばかりに膨れ上がっているのを感じる。

 トランは、静かに目を閉じた。

 力が使えるからと言って、せいぜい一発が限度。状況は変わらない。失敗すれば、もう後はない。

 綱渡りを想像した。

 今、ここに、綱は張られた。

 渡るのは容易い。しかし問題は、渡りきった後だ。

 そこに、梯子が存在しない事はわかっている。

 平穏へ降りる事の出来る梯子(ゴール)はまだ遠い。

 その先へ、そこまで。果たして自分たちは新たな綱を張る事が出来るのだろうか……。

「いくわよ! トラン」

 リタルの必死の声に、体が反応した。

 ……そうだ。

 目の前にある綱は、先程までは存在しなかったもの。渾身の力で張られた唯一の路だ。

 渡りきらなければ、次の路も見えてこない。

 立ち止まる事は、許されない。

 ……いや。

 自分こそが、許さない。

 下を見るのを止め――強い意思の篭った黒瞳が、開かれた。

 リタルが意識を集中し念じると、魔石は持ち主に応じて淡い緑に発光する。光は大きく膨らむと爆ぜ、覚悟を背負った二人の体を、瞬く間に消し去る――

 ――その予定だった。

「…………なに?」

 突然の出来事に、リタルは意識を奪われ、緑の光は消滅し、トランは呆然と立ちすくんだ。

 しかし、この場で一番驚愕していたのは、誰であろう大蜘蛛だった。

 黒い、黒い。辺りを支配する闇よりもなお暗い、拳大の弾が突如飛んできたかと思えば、目の前の白いバリアを意図も簡単に打ち破ったのである。

「……――」

 さらに糸の壁を破っただけでは飽き足らず、黒い弾はその速度を保ったまま、大蜘蛛の腹を抉った。

「…………は?」

 先程までは、あざ笑っていたのだ。

 ちっぽけな存在たちが徐々に絶望の色に染まり、成す術もなく自分を見ている。元から定められた現実の中で……それでもなお、もがき続けている、この見世物を。

 楽しんでいたのだ。

「…………」

 腹部に痛み。

 意味が解らない。

 能面は己を振り返り、ようやく、自身の腹にぽっかりと空洞が空いている事を理解した。

「なに…………?」

 在り得ない光景。

 それをもたらしたものが、ソレである事に。

 混乱し、強制停止してしまった思考が現状を把握するのに、数十秒を要した。

「…………まさか。何故。ここが」

 掠れた声で、ようやく生じた疑問をそのまま口にする。

「……なんでもへったくれもねぇだろ?」

 洞穴の奥から、響く足音。

「…………ったく」

「やっと来たか……」

 響いた声に、リタルとトランが、此処に来て初めて安堵のため息を漏らす。

 一陣の風が吹き、洞穴の中――舞台へ、何者かが姿を現した。

「それが、俺様だからだ」

 絶望という名の闇を切り裂く声に、その場に居た全員が、ようやくその姿を視界に入れた。

 闇の中でも輝く、銀色の髪。

 すらっと伸びた長い手足。

 程よく筋肉の付いた身体。

 透き通るようなブルーアイ。

 非の打ち所の無い井出達はまるで、精巧に作られた人形のようだ。

 夜の神々を魅了する、白銀を持つ男。

「リチウム・フォルツェンド……!」

 大蜘蛛が、たじろぐ。

「……遅いのよ。ネボスケが」

 地に横たわり、消える寸前の意識。それでも未だ自身の髪色と同色の光に包まれたまま、クレープがぼそりとボヤいた。

 7

 名を呼ばれ、そちらを向き直ったリチウムは、その青い瞳を動かして全体を把握すると、感心したような声を上げた。

「……あの蜘蛛の化け物か。俺様の子分たちを一匹残らず掻っ攫いやがったのは」

「子分じゃねぇ!」

「匹ってなによ!」

 リチウムの言葉にくわっと目を見開くトランとリタル。

 硬直した場は、一瞬にして殺気に満ち溢れる。

「大体遅すぎるのよあんた! 今までどこほっつき歩いてたの? 居場所解ってたんならさっさと来なさい!」

「は? 解ってたって……ああそうか、魔石探知機(レーダー)か」

「馬鹿トラン! 魔力を吸い取られてた禁術封石(いし)が魔石探知機に引っかかる訳がないでしょ! かといって魔石探知機が魔族を示すとは思えないし。大方クレープになんか持たせたんじゃないの? で、その反応を追ってきたと」

「さすがは俺様の相棒。解ってんじゃん」

「グレープがクレープになってたのも、石化製品を持たせてたからでしょう。グレープのままじゃ、持たせただけで破損しちゃうから……って、調子に乗らない! あたしを散々待たせたってのは事実なんだからね!」

「ンな事言ったって。朝は殺しちゃ駄目なんだろ? だから夜まで待っててやったんだぜ?」

 形の良い顎をくいっと大蜘蛛に向け、飄々と答えたリチウムの様子に「ったくもぉお……」とリタルは大きなため息をつく。

「まぁいいわ。この賠償は後でたっぷり請求させてもらうから」

「賠償って……俺様これでも急行したんだぜ?」

「言ったでしょう、その話は帰ってからゆっくりと」

 冷ややかな笑顔、押し殺してはいるがそれでも全身から滲み出る殺気に、リチウムはうっと呻いた。

 「怒らせるおまえが悪い」。腕組みしたトランが辛辣に突っ込む。

「それより、ひょっとしたらこれまでのやりとりも聞いてたかもしれないけど、念の為伝えとくわ。無駄に気力を使うのはもう避けたいから、一度しか言わない。耳の穴かっぽじってよっく聞きなさいリチウム」

 リチウムが素直に頷くのを見届けてから、リタルは得意の早口で一気に捲し立てた。

「そこに居る蜘蛛の化け物は、普通に、巨大化しただけの蜘蛛だと考えて……って、普通じゃないわね……前言撤回。無駄口叩くのが大好きよ、そいつ。あと糸は有限。でも、強靭よ。性質は蜘蛛の糸そのもの。それだけならトランが難なく仕留めたでしょうけど。アレはあらゆる石の魔力を吸い取る。……まぁあんたの禁術封石(いし)は発動させた状態なら大丈夫みたいだけど。それでも、捕獲されたら成す術はないと思うわ」

「なるほどな。それでンな面倒な事になった、と。……おまえらは? 動けるか」

 リチウムの青瞳に映ったリタルが首を横に振る。

「あたしもトランも、クレープの力を借りてなんとか……ってとこ」

「リチウム。クレープはもう限界だ」

 前方を睨みつけたままのトランの声に、リチウムは、ふむと頷くと、

「おまえらが、一回ずつ使えるならいい」

 そう言って、二、三歩前へ出た。

 長い髪と、マントが優雅に翻る。

 目前には白いバリア。

 中心に、人一人がなんとか通れる大きさの穴がぽっかりと空いている。

 その向こうに、腹に風穴の開いた蜘蛛と、力無く地に横たわったクレープの体。

「さて。やらかしてくれたようだな。巨大無駄口蜘蛛」

 腕組みをし、仁王立ちしたリチウムは、呆れ顔で蜘蛛を直視した。

 蜘蛛は動かない。

 そこだけ時を止められたかのように、微動だにしない。

 反応の無さを不審に思ったリチウムが眉を潜めた時、

「おまえが」

 蜘蛛が、呆然と呟いた。

「おまえか……我等が主の結晶を扱うのは」

「あン?」

 リチウムが首を捻る。

「主の力を扱う人間か……。話を聞いた時は半信半疑だったが。……まさか同じ姿をしているとは。これでは目障りと言うのも無理も無い」

 改めてリチウムの姿を上から下まで眺める大蜘蛛。

「本来なら、日を改め隙を見て奪うつもりだった。正面からでは到底太刀打ち出来ないからな」

 ゆっくりと。声色を平常に戻した蜘蛛は、僅かに体勢を低くした。

 どうやら、完全に理性を取り戻したらしい。

「そらどうも。寝首をかく予定、狂わせちまってすまんな」

 後頭部を掻きながら、淡々と言葉を返すリチウム。

「……だが。こうなってしまっては仕方がない」

 言って、蜘蛛は数本の足をクレープの首に添えた。

「…………」

「交換条件だ。この女と引き換えに、渡してもらおう。我等が主を」

「……姑息な真似しやがって」

 そこまで黙ってやり取りを見ていたトランが唇を噛む。

「つか、おいこら。俺様から禁術封石(いし)奪っておいて無事逃げられるとでも思ってんのか?」

 それでも仁王立ちの体勢を崩す事なく、リチウムは淡々と問い返す。

「……逃げられんかもしれんな。おまえが、他にどんな結晶を持ち合わせているのか、なんて、我は知らん。だが、主さえ取り戻す事ができればいい。我等の領域へ飛ばす事が出来れば、後は同志が引き受けてくれるだろう」

「同士、ね。魔族も天使と同じように自在に行き来できる訳か……」

「自在に、という訳ではない」

 リタルの呟きに、大蜘蛛は首を振る。

「天使はどうだか知らんが。我等個々では異空間同士を繋げる事など到底敵わん。自在に行き来できる者が居るとすれば、おまえの持つ転位の力と同等の魔力を持つ者だけだろう」

「それじゃあ、魔界に居る同志ってのが転位の力を持ってるって事?」

「さてな。……お喋りの時間はこれで終わりだ」

 クレープの体を僅かに持ち上げた大蜘蛛は、静かに言い放った。

「リチウム・フォルツェンド。主を渡してもらおう」

「…………」

 重い沈黙が、辺りを支配した。

「リチウム……」

「…………」

 誰もが固唾を呑んで状況を見守る。

 目を細めたリチウムは、それでも真っ直ぐに蜘蛛と、クレープを見た後、大きなな溜息をついて、深く肩を落とした。

 僅かな間の後。

「……わぁったよ」

 空返事が洞穴に響く。

 リチウムはもう一度溜息を吐いた後、さも面倒臭気に左手に装着しているグローブの禁術封石を外しにかかった。

「って、リチウム!? あんた……いいの!?」

 我に還ったリタルが間の抜けた声を上げた。

 トランもポカンと口を開けて、リチウムの背を見ている。

 ……いや。ここでリチウムが拒否していれば、クレープの命は無い訳だからして、悔しいけれど今は言いなりになるしかない。……のではあるが。

 素直なこの行動は、如何せん、この男らしくない。

 衝撃を受ける程、全くもって、この男らしくない。

「黙って見てろ、リタル」

 不機嫌に言うと、彼らの反応を視線で制するリチウム。

 リチウムはリタルと同じ型の指貫手袋を装着している。リタルが両手に装着しているのに対し、リチウムは左手のみ。なおも唖然としたままの二人を無視して、リチウムは手袋の金具を片手で器用に外してみせた。

 手の甲に嵌っていた虹色の禁術封石を、ころんと右の掌に乗せる。

「…………!」

 淡々と行われる作業を近距離で見ていたリタルが、僅かに息を呑んだ。

「ほらよ。おまえの主とやらだ。受け取れ」

 力なく言って、リチウムは手にした禁術封石を放った。

 白いバリアに開いた穴を通って。

 軽い音を立てて岩肌を転がると、禁術封石は、クレープの手元でその動きを止めた。

 クレープがそちらを見遣る――その目が、大きく見開かれた。

「おぉ……、おぉ…………!」

 大蜘蛛が、歓喜の声を漏らした。

 何もかもを忘れたように、石に魅せられている。

 ――その間、リタルが動いていた。

「……リタ……?」

「黙って」

 静かにトランの横に移動したリタルは、そちらを見る事なく片手でトランを制した。

「ついに我等が主が……!」

 大蜘蛛は何本かの足を、目前の禁術封石に伸ばした。

「お戻りになる……!」

 だが、蜘蛛の足が禁術封石に触れるより早く、クレープが麻痺に震える手で禁術封石を握る。

「……!? 今更なにを……!」

「戻れ! クレープ!」

 大蜘蛛と同時に響く、リチウムの大声。

 瞬間。クレープがグレープの体から離れてゆく。

「……な……に!?」

「やったれグレープ!」

 グレープが、その赤い瞳を開いたその時。

 世界は、花で覆われた。

 8

「な、なんだこれは!?」

 花の中で、くぐもった声がする。

 このしゃがれた声は大蜘蛛だろう。

 辺り一面に敷き詰められた花――もとい、魔力が、いつか誰かの記憶で見た『念じれば念じるだけ花が出る禁術封石』であったことに果たして気づいただろうか。

 暗い洞穴の最奥。総ての者が例外なく、花によって動きを封じられていた。

 白いバリアは今もなお、花に触れると同時にその力を吸い取り、次々と花を消し続けている。

 だが、それでは到底間に合わない。

「そのまま伏せてろ! 合図するまで禁術封石(いし)離すンじゃねぇぞグレープ!」

 口内に花が入らないよう、口元を腕で押さえたリチウムが、左手に黒い石を装着した。

 そう。

 本来彼が所持し酷使する禁術封石の色は、黒。

 無を凝縮させた禁術封石。

 『死球』

「リタル!」

 花の中、間近に在る緑色の淡い光に呼びかけるリチウム。

 その光は、『転位』のソレより数段濃い。

 『魔眼』だ。

 クレープからもらった――残った力を振り絞って、瞳を瞑ったリタルがそれに応える。

 リタルには、はっきりと映っている。

 大蜘蛛の姿。

 グレープの姿。

 『魔眼』は視界をふさがれたリタルの脳裏に、望む情報を叩き込んでくれた。

 だが、それを仲間に転送する程の精神力を今の彼女は持ち合わせてはいない。

「トラン! 二時方向! 目線より少し上に叩き込んで!」

 口を手で覆ったリタルは声を上げると即座に場に伏せた。

 トランの返事はなかった。

 が、代わりに、赤い光が灯る。

 刹那。猛り狂う炎が、花と……花の魔力を吸い取っていた白いバリアを今度こそ焼き払った。

 さすがの鉄壁も、花の魔力が桁違いな為、同時に炎を吸収する程の容量は残っていなかったらしい。

「な!」

 直線上の花が総て消失し、大蜘蛛とグレープの姿が垣間見えた。

 炎は大蜘蛛の位置から僅かに離れた方向にとんだようだ。

 ……だが、それでいい。

「グレープちゃん! 石を離して!」

 発言と共にトランも伏せれば、その後ろに来ていたリチウムが姿を現した。

「生憎だがな。俺様これ一つっきゃあ持ち合わせてねぇんだよ……!」

 構えられた左手の甲で、黒い、無を宿した禁術封石が光る。

「…………!」

 再び視界を塞ごうとする花の隙間から差す黒い光。その光こそが、自分の求めていた存在であった事に、大蜘蛛は気づいた。

 だが、

「くらいやがれ! 『死球(デスボール)』!」

 大蜘蛛へと真っ直ぐに伸びた左腕、その掌から、無の玉が生まれ出でる。

 空間そのものを呑み込み急激に膨張しながら、息つく間もなく己に迫る「無」。

 この世のあらゆる道理を無視した、問答無用の存在は――

 まるで悪夢だった。

「…………――!」

 視界が花に埋もれる寸前。大蜘蛛は、望み焦がれていた黒光に全身を呑まれ、その意志共々、消滅した。

 9

「……俺様が、……甘かった」

 リチウムが、がっくりと項垂れた。

「炎帝でトドメをさしてりゃ、蜘蛛の魔石が手に入ったってのに……」

 ただ働きだと、嘆く。

「『魔力を吸い取る糸を出す石』なんてのがあれば、ほぼ無敵じゃねぇか……」

 『死球』は文字通り、触れたものを「無」にする。

 したがって、大蜘蛛はその存在自体が「無」となり、持っていた魔力共々消失したのだ。

「……てか。俺は後一回しか炎を出せなかったんだぜ? ああするより他なかったじゃないか」

 トランが横から口を挟むが。

「俺が花蹴散らして、おまえがトドメさしてりゃよかっただろ?」

『「死球」を当てずっぽうでぶっ放すな!』

 洞穴の中、トランとリタルの声がハモる。

「だってよ。あの蜘蛛の石がありゃあ……」

 言ってリチウムは辺りを見渡した。

「もうちっと早くここから脱出できただろうが」

 相変わらず、辺りは花だらけだった。

「文句ばっかり言ってないで、さっさとグレープ探してよね。その周りに落ちてるんだし。あんたが一番ぴんしゃんしてるんだから」

 仰向けに倒れていたリタルが、顔を両手で覆いながら声を上げる。

 リチウムは声にため息を返すとボソッと一言。

「『魔眼』が使えたらなぁ……」

「無いものねだりしたって仕方ないっつってるでしょう! あんた、あたしが魔人化したらどうしてくれるのよ!? それともリチウム! 代わりにあんたが使う!? なんなら貸すわよ!?」

「冗談。俺様の属性じゃない」

「てかあんた、試してないじゃない。 これを機に試してみたら? 案外なんとかなるかもよ?」

「……っつうか」

 リタルが冷たく言い放てば、即答で答えが返ってくる。

「俺様やだ。そんなこまんちぃ力」

「…………あんたね」

「てか、早いトコ見つけようぜ? 禁術封石(いし)を破壊すればこの花だって消える。リタルとクレープはその間休ませて力を蓄えてもらえば、転位でひとっとび帰り、出来るだろ?」

 喧騒の隣で、溜息混じりにトランがボヤいた。

 トランとリチウムは地を這い、手探りでグレープを探していた。

 一瞬彼女の姿を見ているとはいえ、花を掻き分けながら進んでいるのだ。真っ直ぐ進めているかすら、正直自信がない。

「そうよ。ここにはこのあいだみたいな、邪魔な(はな)を一瞬で取り除いちゃう、かわい便利な機械ちゃん、なんて素晴らしいものはないんだし。……まぁ、花禁術は少し勿体無い気もするけど、この際仕方ないわね」

「かわい便利……なって。あの巨大で真四角な、ネジやらメーターやらいろんなもんをごちゃごちゃ取り付けた特大(ジャンボ)掃除機がか?」

「ってな訳で、あたし寝るわよ。さっきからクレープの声もしないし。あの子もその辺で寝てるんじゃない?」

「クレープさんなら、ここで寝ていらっしゃいますよ」

「って、グレープ。あんたなんでそんな小声なの? 探しにくいでしょ」

「ですが、大声を出してしまうとクレープさんが起きてしまいます。よろしければ、私がみなさんの所へ向かいますが……」

『動くな!!』

 全員の声が見事にハモった。

「あんたが動いちゃもっと禁術封石(いし)探しにくくなるでしょうが! いいから大人しく座ってなさい! あんただって麻痺ってるでしょ!」

 リタルの抗議にグレープが小声で返事をする。

 やれやれと一同が胸を撫で下ろした――その時。

『助けてさしあげましょうか?』

 花の向こうで、声が聞こえた。

「…………げ」

 リタルが閉じかけていた目を開け、トランが大袈裟に溜息をつき、リチウムがジト目で天井を仰ぐ。

 瞬間、突風が巻き起こり、煽られた花が洞穴の口へと吹き飛ばされていく。

 風の流れの中心に、男の姿が浮かび上がった。

 10

 清らかな白い衣を纏い、その背には堂々たる白翼。足元まで伸びたストレートの金髪を後ろで一つに纏めている。宙に浮く男の顔は、リチウムに酷似してた。違うのは色白の肌と髪の色、切れ長の金の目に眼鏡をかけているところだ。男は二対の白翼を悠然と動かすと、静かに地に降り立った。

「ファーレンさん。お久しぶりです」

 その背中に、グレープが笑顔で声をかける。

 ファーレンと呼ばれた男は振り返ると上品に微笑んだ。

「お久しぶりです。グレープさん」

「って、居た居た、グレープちゃん」

 男の前を無遠慮に横切って、トランがグレープに駆け寄る。

「…………」

「怪我はない? ……って、噛まれてるんだったね……麻痺してるのかい?」

「はい。けど、大丈夫ですよ。段々感覚が戻ってきました」

「無理するなよ?」

 屈んで助け起こすと、素直に頷くグレープ。その柔らかい表情に安心したトランは静かに微笑んで――傍らに転がっていた虹色の禁術封石を拾った。

「リチウム」

 投げられた禁術封石を左手でキャッチすると、リチウムは握り締めたまま『死球』を発動させ――花禁術が消滅する。

 瞬間、場に残っていた総ての花が消え去った。

 改めて互いの無事を確認した後、全員盛大に安堵の溜息を漏らす。

 クレープの姿が見えないのは、『魔眼』を所持しているリタルがまだ回復していない為だろう。

「……一応、礼を言うわ。ファーレン。助けてくれてありがとう」

 畳んだ羽に埃でも付いていたのか、優雅に叩いていたファーレンは、リタルの棒読みに顔を上げると、

「いいえ。貴女方が困っていると、風の噂で聞きつけましたので」

 眼鏡をクイっと押し上げる。

「風の噂、ねぇ……」

 ジト目で睨むリタル。

「てか、今回の件。仕組んだのはてめぇだろ? ファーレン」

 同じくジト目で睨んでいたリチウムに振り返ると、その眼鏡は不気味に光り、笑顔は凶悪に歪んだ。

「やぁリチウム。いつかぶりだね」

「『やぁ』じゃねぇだろうが。しらばっくれんのも大概にしとけや」

「リ、リチウムさん喧嘩はいけませんっ」

 焦るグレープ。立ち上がろうとするも、まだ麻痺が残っているのか、その細い体は崩れ落ち――脇に居たトランがしっかりと支えた。

「いいのよグレープ。本当の事だから」

 言って、リタルが再びファーレンに向き直る。

「蜘蛛の魔族にあたしたちの情報(こと)を流したのはあんたでしょう? ファーレン」

「さぁ。私にはなんのことだか」

 強い碧眼を向けられ、大袈裟に肩を竦めてみせるファーレン。構わずに、リタルは言葉を続ける。

「あの魔族。頼みもしないのに勝手にベラベラ喋ってくれたわ。魔族が狙ってたのは『死球』のようね? ……もう少し噛み砕いて言ってあげましょうか。あたしたちがフォルツェンド一味である事。『死球』を所持している事。この二つを把握してるのは、グノーシス一帯を管轄している上級天使であるファーレン。あんただけよ。そしてなによりあんたが、管轄外であるこの地に現れた事こそが決め手。……どう? あたしを納得させる事が出来る位に立派な反論を閃いたってのなら聞いてあげてもいいけど」

 しばしの沈黙。

 やがてファーレンは深い溜息をつき、

「……蜘蛛の分際で。お喋りな」

 金の瞳を細め、今はいない魔族を罵った。

「あんたの目的はなんだったの」

 問いにリタルを振り返るファーレン。その表情はしかし、いつもの涼し気なそれに戻っていた。

「そうですね……貴女方の戦力分析、といったところでしょうか」

「……今更?」

「天界の脅威と言えば、禁術封石を使える人間ですよ? その中でも、私は貴方方に一目を置いている。『死球』を扱うリチウム。『炎帝』を扱うトラン。どちらの禁術封石も相当強力な魔力の塊。にも関わらず、魔人化の予兆もなく、人の身で見事に使いこなしている。それに、貴女も珍しいですね。『転位』『魔眼』なんて変わり種を二つも自在に扱えるのですから。……尤も。中でも一番不可解なのは」

 ファーレンはそこで言葉を切ると視点を落とし、座り込んでいるグレープを見た。その表情はあくまで穏やか。彼はグレープを見る時にだけ、険を解く。

「……?」

 見つめられて、戸惑いの表情を浮かべるグレープ。彼女を護るように、間にトランが立った。その精悍な顔付きに、ファーレンはフッと笑みを零す。

「……まぁ、彼女の記憶を探る事は、どういう訳だか。取り調べの際に使用する天石を用いても覗く事は出来ませんでしたがね」

「警察の人間がここに居たのか?」

「いいえ。人間を遠隔操作したのですよ。トラン。私の能力です。貴方も知っていますよね? 言っておきますが、操っている間の記憶はその方にはありませんから貴方の事はばれていません。……そういえば、クイロ警部? 貴方は未だ警察機関に留まっているのですね」

「……僕の勝手でしょう。それとも手っ取り早く上に報告して僕を追い出しますか?」

 トランが言葉を改めると、ファーレンは眼鏡を押し上げる事で瞳に浮かぶ愉悦の色を隠した。

「さすがの私も、そこまで無粋な真似はしませんよ。貴方は禁術封石を多用しない。加えて、使う時は相応の事態が起こった時です。持っている物はともかく、貴方自身はさほど危険分子ではない。貴方から石と職を取り上げる事はいつでも出来ます。それよりも、このまま黙って泳がせておいた方が断然面白い。トラン。私は、貴方をかっているのですよ」

「…………」

 トランの憮然とした表情を満足気に見下ろしてから、ファーレンは再びリチウムを振り返った。

「そんな訳で。貴方方は自身が思っている以上に特異な存在の集まりです。天界や人界の治安を維持する警察機関幹部の一員としては実に興味深い。勿論私個人にとっても、トランをはじめ貴方方の挙動を眺める事は娯楽の一つとなっています。もう一つ言わせていただくと、貴方方もご存じのように、私の仕事は人界にある魔石を見つけ出す事。貴重な禁術封石を売りつけてくれる有能な貴方方(しょうばいあいて)を陥れた所で今の私には何のメリットもありません。……納得いただけましたか? 今回の件も、単に現時点での貴方方の力量を把握する事が目的です」

「で? 把握した結果、脅威には到底なり得ないと判断したってか?」

「飲み込みが早い事だけが貴方の良い所ですね。リチウム」

 にこやかに、笑うファーレン。しかし、その目は笑ってはいない。見つめれば吸い込まれてしまいそうな程深い金の瞳には、その視線だけで対象者を呪い倒せそうな程の殺気が宿っている。

「貴方方は、お上の脅威にはなりえません。私が今此処で全員を始末する事も容易いでしょう。しかし、貴方方は――世間では『大泥棒』などと騒がれているようですが、実際行っている行為は『手段を選ばぬストーンハンター』。ここで始末するには大変惜しい。という訳で、もうしばらく黙認を続ける事を決めました。また珍しい禁術封石を見つけましたら横流し、よろしくお願いしますね」

 白い衣にエチケットブラシをかけつつ「お得意様価格で買い取りますよ」と笑むファーレンに、舌打ちするリチウム。

「ンな尤もらしい御託ぐだぐだ並べてねぇで、シンプルに言えばいいじゃねぇか」

 ぴたっと。ファーレンの優雅なブラシ捌きが止まる。

「と、言いますと?」

「ただ単に、こないだの仕返しがてら仕組んだ事だろ。この騒ぎは」

 金色の切れ長の瞳が、眼鏡の奥でギラリと光った。

 11

「……覚えていましたかリチウム。いや、優秀な私と違って記憶力皆無な貴方の事です。すっかり頭から抜け落ちているのではないかと心配していました」

 調子を崩さず、あくまで丁寧な口調で話すファーレン。

「執念深い天使も居たもんだぜ」

「そういえば貴方。よくもあんなに都合よく現れましたね? しかも花禁術まで持参するとは」

「初めにリタルを狙った蜘蛛の手際が悪ぃんだよ。転位の石持ってるリタルが逃げられないってこた、禁術が使えない状態にあるって事だろうが。何が起こってるのかさっぱり検討つかねぇし、こっちも慎重になって、だな。クレープの髪留めに盗聴器付きの発信器つけて夜道を廻らせてみたんだ。思いのほかすぐ引っ掛ってくれたぜ」

 リチウムの言葉に、途端、ファーレンは神妙な顔付きになると眼鏡の位置をクイっと修正した。

「成程。攫う手順まで指示しないと駄目でしたか……参考にして以後気をつけます」

「おい」

「てか、ちょい待ち。そういえば訊きそびれてたけど、リチウム。あんたこの潔癖性悪天使に何言って恨み買ったのよ? あたしたちだってここまで巻き込まれてんだからね。聞く権利あるでしょ?」

「んぁ? 言ってなかったっけか? 『おまえの母ちゃん……』」

『リチウム!!』

 トランとリタルの静止の声がハモる。天使の全身から迸る殺気が一気に膨れ上がった為だ。

「じゃなくて! なんでそんな会話になったのよ? あんたその日は、さっきの花の禁術封石を売り捌きに行っただけでしょ?」

「……なんでだっけか?」

「さぁ。なんででしたっけ?」

 リタルに訊かれ首を捻り合う同じ顔。

「おんなじ顔でおんなじリアクションしないでくれる?」

「ああ、そうだ。売ってる途中でコイツがブツブツ言い出しやがったんだよ。同じ顔が嫌だとか、同じなのは顔だけで中身はまるっきり違うだとか」

「それは貴方がおっしゃったのでしょう?」

「いや、おまえが」

「いいえ貴方が」

「……いい、もういい、ストップ。聞くまでもない下らなさ、想像以上だったわ……」

 どっと疲れが出たのか、こめかみを押さえつつリタルが制する。

「世界には自分と同じ顔した奴が二人いる、なんてよく聞くけど……なんだってコイツラなんだろう……」

 キョトンとした表情のグレープの前で立ち尽くしたトランも、疲れ切った顔で盛大に溜息を吐いた。

「そもそも、貴方は私よりも随分後に生まれたのですよ? 年上は敬いなさい。それに、貴方は幸運にもこの私と同じ顔を持ったのです。光栄に思いなさい。それから上級天使たる私の顔に泥を塗らない様努めていただきたい。貴方は素行が悪過ぎます。とにかくそのボロ雑巾のような服はいい加減どうにかしてくださいね。汚らわしい」

「爺は無駄に話が長くて扱いに困るぜ。つか、素行が悪いのは一緒じゃねぇか……いや、でめぇにだきゃ言われたくねぇな。そもそも、てめぇが俺様の顔を真似てんだろ? てめぇこそ光栄に思え! 俺様を敬え! 服の汚れが気にいらないんならてめぇがすすんで洗濯しろや。洗浄オタクの戯言にイチイチ付き合ってられっか」

「あぁもう、どうしても認めたくないようですね。己の愚かさを。実に嘆かわしい。何故このような愚者が私の顔をしているのでしょう……」

「ったく、なんでンなたわけた潔癖天使が俺様の顔をしてるんだ……世も末だぜ……」

 目の前で繰り広げられる現実から逃避するようにぐるりと背を向け歩き出すトランとリタル。

「……さて。帰るか」

「帰りましょうか」

「え? ええ? でもまだ、リチウムさん達が……」

『いいのよあんな馬鹿ども放っておけば。おなかがすいたら帰ってくるデショ』

 焦りの声を上げたグレープの視界を、ふいよふいよと半透明の金髪が遮る。

「あらクレープ。おそよう」

「もう大丈夫なのか?」

『大丈夫よトランちゃん……てか、心配してくれたの? クレープ嬉しい!』

「だぁから抱きつくなっつの! つか、なんで俺の時だけキャラが違うんだ!」

 トランと聞けば目の色変えて飛び付くクレープと、そんな触れる事も出来ない幽体相手に、それでも押しのけようとジタバタもがくトラン。二人の……まるで子供のようなじゃれ合いも日常茶飯事。キョトンとした顔のグレープの前で、やれやれと疲れた顔で溜息を吐くのは最年少のリタルだ。

「あんたたちまでアホやらかさないの……」

『アホとはナニヨ。アホとは。これは愛のスキンシップなんだから』

「なんだそりゃ!?」

「そんなの死ぬ程どーだっていいけど、……ねぇクレープ。普段トランの頼み事しか耳に入れないあんたが、よくもリチウムの言う事素直に聞いたわね。しかも囮役だなんて。いつもなら全力で拒んでるでしょうに」

『当然デショ。トランちゃんの一大危機なんだから。愛するトランちゃんの為ならこのクレープ。どんな苦行だって乗り越えてみせるわ!』

 言ってる内に感極まったのか、クレープはトランの頭をぎゅっと抱きしめた。

「……だって。よかったわねぇトラン。愛されて」

 リタルの棒読みに、クレープをぶら下げたまま、トランはがっくりと肩を落とした。

「…………帰るか」

「あの……リチウムさんは……」

 くたびれた背に、おずおずと声をかけるグレープだったが、

「帰りましょう」

『ほらグレープ。立てないデショ? 入るわよ』

「…………、……はい」

(リチウムさん、ごめんなさい……)

 疲労に憑かれた連中の静かな剣幕に言葉を飲み込み、ただ懸命に、心の中で謝るより仕方なかった。

 ――金色の輝き。

 次いで、緑色の淡い光――

 洞穴にギャンギャン喚き合う二人を残して、騒動はようやく幕を閉じる――

「……で?」

 ――かのように思われた。

「本題に入ろうぜ。ファーレン」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ