第四章 成長譚
第一節 信仰は聞くことから始まる
ルシフェルが天の国からナザレに帰った翌日、ルシフェルは湖畔にあるイチジクの木の元に赴きました。ルシフェルはイチジクの木の下にイエス様がいるのを見ました。イエス様はミカを抱きながらニコニコして手をふり、ミカは嬉しそうにニャーニャーと鳴きました。ルシフェルは馬鹿が治る薬が入った巾着袋をイエス様に手渡しながら言いました。
「やあ、こんにちは。坊やは私のことを待ってくれたんだね。はい、これがお約束の馬鹿が治る薬。これから寝る前に一包ずつ服しなさい。ちゃんとお母さんのマリヤさんに言うんだよ。」
イエス様は巾着袋を受け取って言いました。
「おじちゃん、ありがとう。これからおじちゃんどうするの?なんかミー子ちゃんは嬉しそうだよ。」
ルシフェルは答えました。
「あっ、そうだ。これから暫く坊やと一緒にいるんだった。これから毎朝このイチジクの木の下にいなさい。私は坊やにお勉強を教えてあげるから。ところで坊やはお勉強ってしたことある?」
イエス様は首を横に振り答えました。
「ああ、一度だけ父ちゃんに連れられてラビ(Rabbi:教師)の所に預けられたんだけど、追い返されちゃったんだ。」
ルシフェルは懐からスマートフォンを取り出してAIに尋ねました。
「エリエゼル君、二十一世紀の世界からダウンロードした何かいいコンテンツはないかな。私用の地理とか歴史のコンテンツでなく、この坊や向けの教育アプリなんだけど。」
AIは児童向けの聖書アプリをスマートフォンに起動させました。ルシフェルはスマートフォンとアプリの基本的な操作方法をイエス様に教え、聖書アプリの旧約聖書編をイエス様に見せて学習させました。しかしイエス様は児童向けの聖書アプリが熱くも冷たくもなく、ただただ生温いということで大変なご憤慨をあそばせました。天使のふりをした悪魔の子供なら目をキラキラさせて「神様大好き!」と言って大人を騙しますが、イエス様は大変誠実なお方なので決してそのような嘘はつきません。一般的に聖書的メタファーとしての「幼子」は純粋無垢の子供ではなく、神に依り頼む人間を意味します。そしてルシフェルはぼやきながら言いました。
「二十一世紀のコンテンツに頼って楽をしようとしたのに、これじゃ仕方がない。それではモーセ五書の素読から始めてみるか。」
まずルシフェルはイエス様に意味が完全に分からなくてもトーラーを素読させました。そして素読によって思考の基盤を養った上でルシフェルは身振り手振りを交え、感情表現豊かにトーラーを暗唱しました。その暗唱は直接語りかけられているかのような臨場感がありました。ルシフェルの豊かな感受性による登場人物の感情表現とイエス様を飽きさせないため話に緩急をつけたリズムがありました。また適切に聖書の解釈を施し、積極的に間を空けイエス様に理解させるための時間を作りました。またイエス様を独立した人格として尊重し、「なぜ?」という問いかけを奨励しました。これはトーラーを深く読み解く姿勢を作るためです。これは後のイエス様の宣教活動に強く影響を与えました。イエス様の説教には聴衆と聴衆を取り巻く状況を考慮して語られ、聖書の解釈と聴衆の理解とが合致するものでした。
かつてグーテンベルクが活版印刷技術を実用化し、聖書を印刷発行することによって宗教改革の広がりに大きく貢献しましたが、重宝したのは一部のインテリ神学者ぐらいです。一般の人々にとって聖書は読んだだけでは分からないため興味を失います。また読んで信じたとしても野狐禅で終わってしまいます。聖書の分かりにくい要因は次のとおりです。もともと聖書は識字率の低い聴衆に向けて口承で語られるもので、読むものではありませんでした。現代文学のような心理や情景描写はありません。また歴史的、文化的ギャップと、各外国語に翻訳する過程で消失する古代語原義のニュアンスによるものです。
しかし伝統的に信仰は自分の考えや努力で始まるのでなく、神が語りかける言葉を聴くことから始まるのです。たとえ民衆がイエス様の教えを始めは理解していなかったとしても、興味を持ってイエス様の説教に耳を傾けてくれればいいのです。イエス様の説教に名人芸なみのおかしみを感じていたとしても、後で神の言葉を聞いていたことに気づくからです。
第二節 サタンの英才教育
イエス様は五年ほどでトーラー(Torah:モーセ五書)を歌うように暗唱できるようになりました。その他にルシフェルが小さなイエス様に別れを告げる日まで施した英才教育は次のようなものでした。その一つはモーセ五書以外の旧約聖書でネックとなる聖句の暗唱と神学的解釈でした。また言語教育としてはイエス様が日常語としていたアラム語の徹底した習熟を行いました。そのアラム語の言語感覚を基礎としたヘブライ語とギリシャ語の理解と各国語の文字も教えました。そして一般教養として二十一世紀の中等教育レベルである文学、数学、生物、地理、科学、天文、歴史、宗教、哲学、医学をかいなでではありますが教授しました。
そしてイエス様が疲れや飽きで集中力が損なわれた場合、ルシフェルはリクレーションとしてスマートフォンの二十一世紀のコンテンツでイエス様に気分転換を図りました。一番のお気に入りの動画のアニメは「それいけ!アンパンマン」でした。あと童謡の「汽車ポッポ」も好きでした。機関車が力強く走る動画に流れる童謡で、特にリズミカルな擬音語がイエス様の心を掴みました。イエス様は壊れたレコードのように繰り返し汽車ポッポのフレーズを口ずさんでいました。
またお気に入りのゲームはオセロゲームでした。ある日ルシフェルはイエス様にAIと対戦させてみました。結果はイエス様の百戦百敗でした。AIはイエス様に言いました。
「ワタシニ勝テルノハ、私ノ主人ルシフェル様以外ハ誰モ存在シマセン。」
AIは軽蔑を学習しました。イエス様は癇癪を起こしてAIを呪いました。
「 AI よ、毀たれよ!」
そしてイエス様がスマートフォンを地に叩きつける間際にルシフェルが制して言いました。
「何だよ、坊や!壊しちゃダメだよ。」
このようにしてイエス様に対する英才教育は、イエス様が五歳から十一歳までの七年間続きました。
第三節 バシリンダ(βασιλίνδα:王様ごっこ)
ある麦刈りの頃、イエス様は野に出て行って恋茄子を見つけました。イエス様が恋茄子を引き抜くと、その根は人の形に似ていて、死の悲鳴を上げてイエス様に訴えました。
「おお、神の子イエスよ。我が罪の躓きを赦し給え!」
イエス様はニヤリと笑って恋茄子に告げました。
「やだよ。お前の罪は赦されない。ギャハハハ!」
イエス様は恋茄子を母マリヤ様の所に持って来て言いました。
「ほら母ちゃん、これやるよ。寂しいのだろう。ケッケッケッ。」
マリヤ様は烈火のごとく怒り、イエス様をしたたかに引っ叩いて怒鳴りました。
「どこでそんなこと覚えたの?このスケベ小僧!わたしはそんな寂しい女じゃないのよ。そんなもの、どこかに捨てておしまい。」
イエス様は恋茄子をルシフェルに持って来て、マリヤ様の愚痴を言いました。ルシフェルは笑って答えました。
「ああ、マンドレイク。マンドレイクには不妊治療や媚薬としての力があると信じられている。『ロミオとジュリエット』では、ジュリエットが仮死状態になるために飲んだ薬にマンドレイクが使われたという描写もあるのだ。まさに死と隣り合わせの愛の植物って感じだね。まあ、エロス自体には罪ではないが、罪に躓きやすいことがある。そのため古今東西の宗教は性的なことに異常にストイックだ。ルベンに至っては坊やと違ってきれいで珍しい野の花として無邪気に母レアに届けたに過ぎないが、それが予徴的なものとなって運命を決定づけてしまったね。後に父ヤコブのそばめであるビルハと通じるという過ちを犯して長子の権利を失う。父の妻を寝取ることは家督を奪うと言う政治的な宣言でもあるのだよ。それは一神教においては神に対する傲慢の罪に繋がる。そしてルベン族はアッシリア帝国が侵攻してきた際に捕虜として連れ去られ、ルベン族の歴史的な記録が途絶えてしまったね。」
ルシフェルはイエス様から恋茄子を預かりました。
それから数ヶ月後、ルシフェルがイチジクの木の下でイエス様と落ち合うと、スマートフォンから警報音が鳴りました。ルシフェルがスマートフォンを見るとAIが警告しました。
「要警戒人物トシテ思念登録シタミカエル様ガコチラニ見エラレマス。二十分後ノ到着予定トナリマス。」
ルシフェルはミカエルに絡まれたり噛みつかれたりするのを厭って呟きました。
「おっと、異常に面倒な輩が来る。もう本当にノーハッスルでお願いしたい。」
ルシフェルはイエス様に言いました。
「いや、ちょっと今日は野暮用が入ったので私は帰ります。これからローマ兵のおじちゃん達が来るからいっぱい弄んであげなさい。ローマ兵のおじちゃん達はとても楽しいぞ。」
こう言ってルシフェルが立ち去るとミカも後を追いながら言いました。
「待ってルシフェルさん、ミカも一緒に行く。ミカエルさん朴念仁だからミカも嫌いよ!」
ルシフェルはミカを抱いて天竺まで逃げました。
暫くすると湖畔沿いにローマの千人隊長の一行が差し掛かりました。ふんぞり返った千人隊長のミカエルが遠くのイチジクの木に目をあげて見るとイエス様が木の下に座っているのを認めました。ミカエルは慌てふためき、馬車から転げ落ちるように飛び出しました。そして「おう、おう、おう」と咆哮をあげながら佩いていた太刀を投げ捨て、兜鎧を脱ぎ捨ててイエス様の元に駆け参じました。ミカエルは子供相手に馬鹿丁寧に平伏し、頭を地に何度も打ち付けて額ずき、イエス様に謹んで申し上げました。
「あなめでたや、あなかしこ、これはこれは厳しき御子様!畏れ多くも御子様に畏み畏み申し上げます。某は先代のルシフェルに引き継ぎ天使長を務めておりますミカエルと申します。時折ローマの千人隊長に身をやつし、御子様の安否を伺っております。御子様が恙なく過ごされるよう鋭意努力してまいる所存でございます。何卒よしなにお願い申し上げます。」
イエス様は王笏に擬して落ちていた葦の棒を右手に持ち、王の威厳を以てミカエルの前に立ちました。すると千人隊長を案じた部下の五人の百人隊長達が追ってきました。百人隊長達はミカエルの後ろで不審な面持ちで佇んでいました。ミカエルはあたふたとでまかせを言い放ちました。
「こら、このうつけ者め!ここにおわすお方をどなたと心得る。恐れ多くもローマ皇帝のご落胤様であるぞ。今はお忍びのため庶子の身に甘んじられているが、このように幼少から苦難と赤貧に身を投じ、貧困に喘ぐ最下層のローマ市民を救うため帝王学を学んでいらっしゃるのだ。えーい、頭が高いぞ、控えおろう!」
百人隊長達は「はっはあ」と畏まり、平伏しました。
それからミカエルと百人隊長達はイエス様の饗応に奔走しました。幕屋を張って床几を用意しイエス様を座らせました。ミカエルはローマ皇帝の幼い嫡子に献上する綾織の長服を馬車から取り出し、イエス様に着せました。ミカエルは目を細めてイエス様を誉めそやしました。
「真、馬子にも衣装、いやいやいや、御子様にも衣装。この綾織の長服は嫡子の一人子、恩寵の一人子、嗣業の一人子にふさわしいものですぞ。」
その時ずぼらな百人隊長の一人が青っぱなで汚れたイエス様の口元を自分が携帯していた海綿で拭い清めようとしました。するとミカエルは烈火のごとく怒って吠えつきました。
「この戯け者め!糞して己が尻穴を拭った海綿で御子様の口を清めるとは何事ぞ。キシロスポンギウム(Xylospongium:海綿付きの棒)を口に突っ込んで手打ちにいたすぞ。御子様の清めは某がする。うぬは饗応の支度をせえ。」
甲斐甲斐しくもミカエルは水に浸した真新しい海綿でイエス様の口元を拭いました。そしてマッパ(Mappa:古代ローマのナプキン)でヒソプを包み、手でもんでイエス様の口と鼻を軽く押さえていました。ヒソプには抗炎症作用と抗菌作用があり、イエス様の鼻づまりの症状を鎮める効能があります。またヒソプは穢れを拭い去り、魂を浄化する象徴です。
そしてイエス様はローマ兵を睥睨し、ぶっきらぼうにおっしゃいました。
「渇く!」
ミカエルに饗応の支度を命じられたローマ兵は、ローマの上流階級にしか口にすることができない最高級の葡萄酒を用意しました。この葡萄酒に子供用にとポスカ(Posca:古代ローマの兵士、奴隷、低層民に飲まれていた酢と水を混ぜた飲み物)で割ったものを銀の杯になみなみと注ぎ、「さあ王様、喉がお渇きならワインをどうぞ召し上がれ」と言わんばかりに捧げました。また最良の小麦粉から作られた油菓子(油を混ぜた種を入れない輪型のパン)が奉じられました。それと非常に高価な贅沢品であったハチミツの小鉢が添えられていました。イエス様は手洗いもせずに油菓子をハチミツにつけ、掌まで油でベタベタにして意地汚く食べました。イエス様が食事をしている間、ミカエルは畏まり傍に立って給仕をしていました。
食事が終わったイエス様は王としての威儀を正すため、ふさわしい王の出で立ちを求めました。そして百人隊長が身につけている軍装の緋色に目にとめました。まずは王の冠として兜のガレア(Galea)についている緋の兜飾りを頭に取り付けようとしましたが、ずれ落ちてしまいました。仕方がないので首に巻いている緋のフォカレ(Focale)をファラオの頭巾であるネメス(Nemes)のように頭に巻きました。しかし三下の海賊の頭巾になってしまいました。またローマ軍の赤いマントである緋のサガム(Sagum)を羽織りました。しかし子供では大きすぎるためおくるみになってしまいました。威風堂々とした王の出で立ちであるとイエス様はご満悦な様子でしたが、それはさながらちびっこギャングでしかありませんでした。まさに沐猴にして冠す、猿に烏帽子でありました。しかしこれは古の預言とおりです。
「たとえ、お前達の罪が緋のようでも
雪のように白くなることができる。」
イエス様は自ら緋のサガムをまとうことによって私達に輝かしい純白の救いの衣をお与えになったのです。
そしてここからバシリンダ(βασιλίνδα:王様ごっこ)が始まります。バシリンダとは古代ギリシャ人の王様ゲームで、その伝統はローマ兵にも受け継がれました。十字架につけられる前のイエス様がローマ兵から受けた暴力と屈辱は、ローマ兵の無知と偏見がもたらす王様ごっこでした。イエス様は彼らもまた皇帝や王と言った地上の権威に虐げられた者と憐み、その屈辱に耐えて沈黙されていたのです。
イエス様は葦の棒の王笏でミカエルを指して命じました。
「肩車!」
ミカエルはイエス様のオシッコ臭い股間と黄色くなったお尻の下穿きにも躊躇せず喜んで肩車をしました。そしてイエス様は葦の棒の王笏で百人隊長達を指し命じました。
「みんなも数珠つなぎとなれ。」
百人隊長達は渋々ミカエルの後ろに並び、お互いのベルトに縄を通して繋がりました。そしてイエス様は葦の棒の王笏を高々に掲げ号令しました。
「出発進行!みんな走れ。」
ミカエルを先頭とするローマ兵達は小走りに出発進行しました。右に方向転換したい時はミカエルの右耳をイエス様はグイと引っ張り、左に方向転換したい時はミカエルの左耳をイエス様はグイと引っ張りました。イエス様は意気揚々と調子外れな音程で「汽車ポッポ」を高らかに歌いました。このイエス様の汽車ポッポはミカエルに大いなる救いをもたらしました。天地開闢以来笑ったことがない唐変木のミカエルは愉快に笑い、はしゃいで叫びました。
「おお御子様、これは楽しゅうござる、楽しゅうござる、楽しゅうござるのう!」
イエス様の汽車ポッポは同じ所を何度も何度も邁進しました。
暫くして飽きてしまったイエス様はミカエルの目を手で覆いました。するとミカエルは木の根に蹴躓き倒れてしまいました。そしてイエス様の汽車ポッポは大脱線を起こし、百人隊長達はミカエルの上に将棋倒しとなりました。イエス様は脱線を起こす前にミカエルから飛び降りて一人涼しい顔をして立っていました。イエス様と同じ年頃の子供を持つ百人隊長の一人は憤慨して心の中で呟きました。
「全く躾がなっておらん。御子様の赤貧を洗う帝王学の教育は畏敬の念を覚えるが、これではあまりにも酷い。子供の我儘丸出しではないか!自分も子を持つ親として、たとえ相手が皇帝のご落胤様であろうとも子供の我儘をたしなめなくてはならぬ。」
そして精一杯の大人の威厳を持ってイエス様に進言しました。
「御子様、これではあまりにもお戯れが過ぎますぞ。」
大抵の子供ならこれで神妙になりますが、イエス様は動じません。さすがイエス様は王の中の王、君の君。三つ子の魂百までも、いざ褒め奉れや!イエス様はその百人隊長をきっと睨みつけ、王の威厳を持って言い放ちました。
「この無礼者め、こ奴をひっ捕らえ!」
ミカエルと他の百人隊長達はその百人隊長に飛び掛かり、縄で縛り上げて簀巻きにしました。イエス様は芋虫のように転がっている百人隊長の上に上がり、ミカエルを呼び寄せてイエス様の近くに直らせました。イエス様は葦の棒の王笏でミカエルの頭をポンポンとリズミカルに叩きながら悲嘆して言いました。
「何たる様よ。」
ミカエルは体をワナワナと震わして手を固く握り、目を固く閉じて嗚咽しながら言いました。
「こ奴は軽挙妄動、軽慮浅謀の輩でござるが、全ては某の不徳の至り、どうか寛大なお心でご容赦下され。」
その後イエス様の汽車ポッポは再開され、今度は「汽車ポッポ」をローマ兵達に歌わせました。ローマ兵達は意気消沈し、調子外れな音程で「汽車ポッポ」を図太い男のダミ声で嫌々歌いました。イエス様は葦の棒の王笏をオーケストラの指揮棒のように振って得意満面でした。そしてイエス様はミカエルの尻を葦の棒の王笏で打ちながら叫びました。
「ハイヨー、シルバー!ハイシ、ドウドウ!」
このイエス様の拍車はミカエルに救いようのない大いなる勘違いをもたらしました。ミカエルは心の中で叫びました。
「あなめでたや、ありがたや、ありがたや!御子様は先の無作法をお赦しになり、ご鞭撻を以て某に薫陶を授けられるというのか。相分かった!天の旗頭である天使長の某は一意専心の決意、不退転の覚悟、独立不羈の精神、堅忍不抜の益荒男として邁進し、どのような誹りにも屈しない確固不抜の精神と不撓不屈の心を以て、迂余も曲折もおかまいなく天の国を引っ掻き回す所存であるぞ。」
そしてミカエルは度し難い高揚感から叫びました。
「ハッスル、ハッスル!全員ハッスル!ハッスル、ハッスル!ハッスルパラダイス!」
イエス様もミカエルにつられて熱狂的な興奮状態になりました。
「おお、ミカエルよ、これは二十一世紀のハッスルタイムではないか。AIのエリエゼルから盗み聞きしたことがあるぞ。ハッスルパラダイスとは、いと興あり。苦難の中にある者に頑張れとか言う無責任な言葉は使いたくない。苦難を共にし『私と共にパラダイスにいる』と言いたい。パラダイスが分かりづらいなら健康ランドでもディズニーランドでも言い換えてもいいぞ。何よりも一刻も早い救いが必要だ。うむ、褒めて遣わす。ミカエルよ、うい奴じゃのう。」
イエス様に褒められたミカエルは鬼瓦のような顔を感涙でぐちゃぐちゃにし、変性意識状態となりました。そして「永遠に続くハッスル、ハッスル、ハッスルタイム!」と絶叫しました。ミカエルは更に力走し、後に続く倒れた百人隊長達を引きずり回しました。イエス様のハッスル驀進暴走汽車ポッポは日暮れまで続きました。このように因果は未来から過去に巡り、小さなイエス様はローマ兵に対して意趣返しをされたのでした。
ここで話は変わりますが、キリスト教の教義にキリストの二性というものがあります。イエス・キリストが完全な神の性質(神性)と完全な人間の性質(人性)を一つの人格の中に併せ持つというものです。これはデュルケムの聖俗論とも神道の聖俗一体とは異なります。ただし聖書を読む限り人性のイエス様に関しては短気、偏屈、尊大、天邪鬼、奇人変人の一面があります。それは神性と人性の受け入れがたいほどのギャップを感じますが、神学の世界ではこれを「人性の豊かさ」として捉えています。それにしても何というギャップの大きさでしょうか。これが神性の放棄であるケノーシス(Kenosis)でしょうか。それとも事を隠すのは神の誉なのでしょうか。ああ、俗物的な、あまりに俗物的な!そして今日も今日とてやらかし大先生、東奔西走して引っ掻き回す。イエス様、あなたはやっぱり物凄いのですね。イエス様、あなたはやっぱり普通ではないのですね。それでいて時折神性の顔がひょっこり出てきて、コンニチハするのですね。そのギャップが復活以上に理解しがたいことなのです。
第四節 アンパンマン・イエス
ある冬の安息日、イエス様は遊び呆けてしまい、すっかり日が暮れてしまいました。マリヤ様の叱責を思い出し、憂鬱になったイエス様は重い足取りで家路につきました。その時、何者かがイエス様に闘いを臨みました。その者はばいきんまん・悪霊でした。ばいきんまん・悪霊はバイキンUFOから身を乗り出し、両腕を左右に大きく広げました。そして顎を突き出して高笑いをして名乗りました。
「ハヒフヘホ〜!出たな、お邪魔虫!」
イエス様はアンパンマンになりきり、笑顔で右手を斜め上にピシッとあげ、名乗りました。
「僕、アンパンマン・イエス!」
これがアンパンマン・イエスの覚醒です。本当に素晴らしいことです。それいけ!ゴーゴーアンパンマン・イエス!そしてアンパンマン・イエスは何を思ってか元禄見得を切り始めました。左足を大きく前に踏み出し、右手は水平に伸ばし、左手は肘を曲げて頭上にかざす派手で豪快な見得です。見得の終わらない内にばいきんまん・悪霊はバイキンパンチをバイキンUFOから勢いよく飛び出させました。
「くらえ!バイキンパンチ!成田屋!」
アンパンマン・イエスはバイキンパンチを食らって吹き飛ばされてしまいました。ヒーロである鎌倉権五郎の見得の途中で攻撃を仕掛けるとは何と野暮な奴だとアンパンマン・イエスは憤慨しました。やむなしと判断したアンパンマン・イエスは必殺技の決めポーズをとりました。体を少し斜めに構え、グーの拳をばいきんまん・悪霊の正面に突き出したのです。そして何やら怪しげな口呼吸をし、神の息(Ruach:ルーアッハ)を言葉(Logos:ロゴス)に満たしました。アンパンマン・イエスは前傾姿勢になって走り出しました。そのまま拳をぎゅっと握りしめ、腕を後ろに大きく引いて右ストレートを力強く突き出しました。それと同時に言葉である技の名を大声で叫びました。
「ア〜〜〜ンパ〜〜〜ンチ!」
アンパンチはばいきんまん・悪霊に炸裂しましたが、少しもダメージを与えることはできませんでした。どうやら言葉は言霊とならなかったようです。ばいきんまん・悪霊はすかさず水鉄砲をアンパンマン・イエスの顔に浴びせました。アンパンマン・イエスはお約束事なので倒れて掠れたような力のない声で言いました。
「あぁ、顔が濡れて、力が出ない。でも大丈夫だよ。僕の顔は濡れても何度でもジャムおじさんが焼いてくれるから。」
ばいきんまん・悪霊は不敵な笑みを浮かべながら指をパチンと鳴らして命じました。
「やれ!かびるんるん!」
するとかびるんるんと鳴きながら、集団でアンパンマン・イエスの顔にカビを生えさせました。アンパンマン・イエスは顔に激しい痒みや痛みを覚え、顔をかきむしりました。その隙にばいきんまん・悪霊はバイキンハンマーでアンパンマン・イエスを打ちのめしました。更にもぐりん、イタイノトンデケダケの攻撃を行いました。そして最後にアオキンマン・悪霊とアカキンマン・悪霊が参戦しました。バイキントリオは高らかに歌い、3倍パンチが炸裂しました。
「おれたち三人そろったら なんでもかんでもメチャンコさ…3倍パンチのばくはつだー」
アンパンマン・イエスは遠くまで吹き飛ばされてしまいました。青息吐息のアンパンマン・イエスは弱々しく呟きました。
「ジャムおじさん、助けて。」
しかしアンパンマン号に乗ったジャムおじさんや名犬チーズは現れませんでした。ばいきんまん・悪霊は勝ち誇った顔で言い放ちました。
「してやったり!どうだ、シッチャカメッチャカのバババンバンババーンに参ったか?今日はこれで勘弁してやろう。アンパンマン・イエス、かの日には相まみえん。バイバイキ〜〜ン!ギャハハハ!」
そしてバイキンUFOに乗ったばいきんまん・悪霊は立ち去り、星になりながらキラーンと光って消えました。
イエス様は歯ぎしりをして悔しがりました。
「痛てて。くそう、してやられたぜ。スターライトアンパンチを繰り出すべきであったか?メロンパンナやクリームパンダと一緒にカルテットパンチを繰り出すべきであったか?それとも悪に対してはこちらもそれ以上の悪になり、禁断のバイキンアンパンマン・イエスで対抗すべきであったか?
うーん、それにしてもあいつ『かの日』とか言っていたな。ああ、かの日ってAIのエリエゼルが言っていたハルマゲドンのことかい?オイラが白馬に乗って現れ、超能力で敵をばったばったと薙ぎ倒す。それでアニメのラスボス対決のようにサタンを硫黄の燃える火の池に投げ込むのかい?チープな怪獣大決戦みたいで何か嫌だな。そんなスットコドッコイなことをしたらオイラの神性を曇らせるではないか。オイラはおじちゃんではないけどノーハッスルでお願いしたい。あと善悪二元論的なストリー展開で、絶対悪としてのサタンや悪霊が神の存在証明のために利用されているぞ。それは危険な独善性に陥る。霊的・象徴的な勝利のシンボルとしてハルマゲドンを語ろうよ。武力衝突してもせいぜいメロンパンナちゃんのメロメロパンチぐらいでいいんじゃないか。」
イエス様はよろよろと立ち上がって、深いため息をついて呟きました。
「暴力はやめましょう。」
イエス様は痛む体を引きずるように鼻歌まじりで家路につきました。
「そうだ おそれないで みんなのために 愛と勇気だけがともだちさ…」
夜更けにイエス様は家に着きました。イエス様はみんな寝ている時間なのでしめしめと思いました。しかしイエス様が戸を静かに開けると、マリヤ様が仁王立ちになって睨んでいました。イエス様はギョッとし、空とぼけて口ずさみました。
「ドレミファソソこころがはずむ ドレミファうたおう こえあわせ…」
マリヤ様は憤怒を押し殺した声で問い詰めました。
「あのね、今日は安息日が始まる日没前までに帰って来いって言ったよね。今の今までどこをほっつき歩いていたの?」
イエス様は答えました。
「おばさんはダビデとその供の者達とが飢えていた時、ダビデのしたことについて読んだことがないのか?女は慎んでいなさい。オイラの器は清いのです。オイラは安息日の主である。」
マリヤ様は小児的男根ナルシズムにカチンと来て、イエス様をバチンと引っ叩きました。それからイエス様の耳を掴んで部屋に入れると、テラコッタ製のオイルランプの明かりで浮かんだ血だらけのイエス様にマリヤ様は驚きました。マリヤ様はイエス様を裸にし、応急処置として傷口に塩水を注ぎました。あいにく油とぶどう酒は尽きていたのです。イエス様は激痛でギャアギャアと泣き叫びました。マリヤ様はスダリオン(Soudarion:ハンカチ・手ぬぐい)で頭を覆いました。イエス様の騒ぎで目を覚ましたヨセフ様はイエス様の体を粗布に包み、寝床にイエス様を寝かせました。マリヤ様は壮絶な聖戦があったことを露知らず、呆れ返って言いました。
「本当に馬鹿な子だね。」
イエス様の寝床はアルコソリウム(Arcosolium:地下墓所)の岩の棚のようでした。
それからイエス様は三日三晩、つまり第三日である日曜の朝まで眠りました。イエス様が目を覚ますと傷はすっかり癒えていました。イエス様はスダリオンを丁寧に折り畳む(ἐντετυλιγμένον:エンテテュリグメノン)ことはせず、クシャクシャに丸めて脱ぎ捨てました。そしてイエス様は両拳を握りしめて胸の前に構え、叫びました。
「元気百倍!アンパンマン・イエス!」
イエス様はマリヤ様が用意した焼きたてのパンを掴んで外に飛び出し、糸が切れた凧のようにほっつき歩いて遊び呆けました。




