いいねが消える日
この物語は、「いいね」が消えた世界の話です。
けれど本当に消えたのは、数字ではなく、
誰かを“ちゃんと見ること”だったのかもしれません。
名前を呼ぶこと。
隣にいる人の声を聞くこと。
触れられる距離にいる誰かを、見失わないこと。
当たり前すぎて、気づかなくなっていたものを、
少しだけ思い出してもらえたら嬉しいです。
その日、世界から「いいね」が消えた。
正確には、消え始めた。
最初に気づいたのは、クラスの中で一番フォロワーが多い陽キャの子だった。
「ねえ、なんかおかしくない?」
昼休み、スマホを見ながら言った。
「昨日まで3万あったのに、今2万切ってるんだけど」
最初はバグだと思われていた。
でも違った。
全員、減っていた。
いいねが、減っている。
それだけのことなのに、世界は簡単に揺れた。
放課後、教室の空気はどこかざわついていた。
誰もがスマホを見ている。
誰もが、自分の価値を確認している。
私は、その輪の外にいた。
もともと投稿なんてほとんどしないし、いいねの数なんて気にしたこともなかった。
はずだった。
ふと、開く。
自分のアカウント。
0。
たったそれだけの数字なのに、喉がひりついた。
昨日までは、たしかにいくつかあったはずなのに。
「ねえ」
隣から声がした。
彼女だった。
名前も知らない。
でも、いつも同じ時間に同じ席にいる人。
窓際、一番後ろ。
「減ってる?」
「……うん」
「私も」
彼女は少しだけ笑った。
でもその笑い方は、どこか他人事みたいだった。
「ねえ」
彼女は続けた。
「もし全部なくなったらさ」
少しだけ間を置いて。
「私たち、どうなるんだろうね」
その問いに、私は答えられなかった。
翌日、ニュースになった。
“いいね消失現象”。
専門家は原因不明と繰り返す。
企業は対応に追われる。
インフルエンサーは発信をやめる。
世界が、「数字」を失い始めていた。
学校では、もっと分かりやすく変化が起きた。
人気者だった子が、静かになった。
目立たなかった子が、さらに消えた。
そして、誰も誰を見ていいのか分からなくなった。
私はまた、あの席を見る。
彼女は、いつも通りそこにいた。
本を読んでいる。
「それ、面白いの?」
気づけば、話しかけていた。
彼女は顔を上げて、少し驚いて、それから笑った。
「うん。評価とか関係なく、好きな話」
その言葉に、少しだけ救われた気がした。
「ねえ」
彼女は言う。
「名前、なんていうの?」
少し戸惑った。
同じクラスなのに、名前も知らないなんて。
「……美咲」
「そっか」
彼女はうなずいた。
「私は、陽菜」
その瞬間、胸の奥が少しだけ温かくなった。
数字じゃない。
ちゃんとした“名前”。
それだけで、こんなにも違うんだ。
それから、私たちは少しずつ話すようになった。
いいねが減っていく世界で、私たちは増えていった。
会話が。
笑う回数が。
一緒にいる時間が。
「ねえ美咲」
「なに?」
「私、ちょっと怖いんだよね」
「何が?」
「全部なくなったらさ」
彼女は少しだけ目を伏せる。
「誰にも見つけてもらえなくなりそうで」
私はすぐに言った。
「見つけるよ」
彼女が顔を上げる。
「絶対、見つける」
根拠なんてなかった。
でも、それだけは本当だった。
ある日、いいねが完全に消えた。
世界から、数字が消えた。
誰が人気で、誰が価値があって、誰がすごいのか。
何も分からなくなった。
そして同時に、陽菜が学校に来なくなった。
理由は、誰も知らない。
でも私は、探した。
SNSを開く。
投稿は残っている。
でも全部同じに見えた。
数字がないと、誰が彼女なのか分からない。
初めて気づいた。
私は彼女を、“ちゃんと見ていなかった”。
数字の外で。
本当の意味で。
走った。
記憶を頼りに。
言葉を頼りに。
好きな本。
帰り道。
笑い方。
全部、かき集めて。
そして、見つけた。
小さな図書館。
窓際、一番奥。
彼女は、そこにいた。
「……来たんだ」
「当たり前じゃん」
息を切らしながら言う。
「探した」
「どうやって?」
「ちゃんと覚えてたから」
彼女は少しだけ驚いて、それから泣きそうに笑った。
「そっか」
沈黙のあと、私は言った。
「好き」
今度は、迷わなかった。
彼女は少しだけ目を見開いて。
「いいね、つかないよ?」
少しだけ笑った。
「いらない」
彼女は泣いた。
その涙は、どんな数字よりも確かだった。
数年後。
世界は元に戻らなかった。
いいねは復活しなかった。
でも、私はもう困らなかった。
隣には、陽菜がいる。
「ねえ」
「なに?」
「いいね、押してよ」
冗談みたいに言う。
「もう押してる」
私は、彼女の手を握った。
「ここで」
彼女は笑う。
「そっか」
世界から数字が消えても、残るものがある。
名前。
記憶。
そして。
「好き」
それだけで、十分だった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
この物語を書いたきっかけは、
「いいね」というたったひとつの数字が、
どれだけ私たちの感情や価値観に影響を与えているのか、
ふと考えたことでした。
誰かに見てもらうこと。
認めてもらうこと。
それ自体はきっと、悪いことではありません。
でも、数字がすべてになってしまったとき、
見えなくなってしまうものもあるのではないかと思いました。
名前を呼ぶこと。
誰かをちゃんと見ること。
その人のことを、覚えていること。
そんな当たり前のようで、忘れがちなものを、
この物語の中に残したかったのだと思います。
読み終えたあと、あなたの中に
消えない何かが残っていたなら、とても嬉しいです。




