2の2 前田利政推参
御女中など部屋の出入りが多かったが、母の松が現れると場が和んだ。
「まあ高い所にお部屋がありますのね。驚きました。利政殿、やっと逢えましたね」
母の松は奥村安を連れて入室した。安は家老奥村永福の妻で、右近の母である。
安の持つ一掴みの菖蒲の葉の香りが、青く爽やかに漂った。
「如何したのですか、母上」
「ええ、今日は五月五日で端午の節句でしょ。皆で祝おうと数日前に京を立ち、途中からは、城を飛び出したあなたたちを追いかけて来ました。香りのよい菖蒲の葉と、小豆を入れた柏餅を持参しましたので、町の皆様もご賞味下さいね」
大名の妻子が京都から出てはいけないという決まりはない。天皇陛下に対して忠誠の証として京屋敷に住めというもので、豊臣家への人質ではないのだ。表向きは。
利政と右近、松と安が上座側に、渡辺長老と太田殿、新たに入室した親子二人が下座に着席した。
「恐れ入ります。副会長の石川秀彦さんと息子さんです」
渡辺長老が紹介すると二人は頭を下げた。
「息子の石川達也です。松様をご案内して来ました。僕がここに居ていいのかなぁ。ああそうだ、水道は復旧しました。山の古井戸をさらってポンプ供給しています」
「おおーっ」
長老たちは安堵の声を漏らす。水は大事であろうと利政も思う。
「皆さん、今年は天正十八年だそうだ」
渡辺長老が言った。
「天正十八年といえば、1590年で小田原攻めの年です」
「うちの息子は本が好きなので」
石川の父殿が紹介した。もしや坊主頭の息子殿は、学僧なのかも知れない。
「1590年の七月五日に小田原城の北条氏直が降伏します」
七月五日に北条が降伏とは、二ヶ月後か。その予測も有り得るだろう。
「まあ、それは上々。ところで能登は前田家の領地ですが、こちらの町衆はどこから来たのですか」
母が穏やかに尋ねた。
「申し上げにくいのですが、四百三十年後の未来で、2020年、令和二年です。四百三十年ものちの世界からであります」
石川の息子殿がすぐに回答した。
「なんとまあ、四百三十年後からですか。それは神業でございますね」
母は全く驚かずに、にこにこ笑っていた。
四百三十年とは本当であろうか。現実に凄い町がここにある。それに、この者たちは真面目で口裏合わせて嘘をつくような様子ではなかった。嘘を付くにしても、こんな建屋は一朝一夕では造れない。真実なのだ。先ほど「別世界」だと感じた自分の勘を信じてみようと思う。
利政は両手を合わせて神仏に祈ると次の質問をした。
「そんな長旅をご苦労だった。この町で何か困っていることは有るか」
うーん、と町の三役は顔を見合わせた。
「コロナは消えたよな」
渡辺長老が仲間に尋ねている。石川父殿が応じた。
「はい、和倉は感染ゼロです。でも二週間は様子見でしょう」
一同は、顔から白布を外して深呼吸をした。ほっとした表情を見せる。
そして石川の息子殿がこっちを真っ直ぐ向いて回答した。
「まず銭がありません。食糧もありません。次に温泉客もおりません。仕事がありません。放火や盗みを取り締まる者もいません」
「おお、そうだった」
長老が額に手を当てて唸り、うんうんと頷く町の三役。この息子殿はしっかりしている。
「そうか」
ひと呼吸置く利政たち。そこに料理が運ばれて来た。
「どうぞお召し上がり下さい。お造り(刺身)、天ぷら、焼物、煮物、茶碗蒸し、握り寿司、お吸い物(汁)、香の物(漬物)です」
横の右近は「お毒見を」と目で訴えているが、知らぬ振りをして汁を飲み、寿司なるものを食した。
「お醤油をどうぞ」
御女中に促された黒い「おしょうゆ」というものを付けると、さらに旨かった。普段は食当たりを恐れて、生食はしないのだが。
珍しい柄の小椀も手に取った。器がまだ熱い。光る銀の匙で食すと出汁が効いた卵に椎茸や銀杏、海老が入っていて、風味も極上に旨かった。
「美味しいですね、母上」
「ええ、本当に」
何か考えている様子の母だ。
利政は判る。この町の人が恐れているのは流行り病で、最初から口布姿なのが怪しかった。しかし利政には魅力の方が上回った。
「母上、和倉温泉を前田家で買いませんか。女子供も飢え死にさせては忍びない。きっとこれも神仏のめぐり合わせでしょうし」
利政は(前田家では)当主顔負けの実力者である母にお願いした。何か考えていたのであろう母は、また大らかな風情に戻った。
「そうですね。飢え死には可哀そうですね。町の長老の皆さん、如何でしょうか。前田家の和倉温泉になりませんか。町の守りは保証します」
渡辺長老が代表して答えた。
「本来は町民全員の意見を聞かねばならないのですが、非常事態ゆえに前田様の保護を受けましょう。皆さんもよろしいですか」
町の四人は顔を見合わせて黙ってしまった。
「極端に言えば和倉温泉は加賀屋さんの城下町だ。太田社長の返事が貰いたい。どうです」
渡辺長老はこの館の主、太田殿に丁寧にお伺いした。
「何もしなければ倒産と飢え死にです。加賀屋の進退、前田様にお預けしたいと思います」
交渉は成立した。母の松が仕切り始める。
「この松にお任せ下さい。ただ小田原に兵二万で出陣中のため持ち合わせの銭がありません。そこで支援米をお贈りいたします。一人一日玄米五合とします。赤子や老人は代理人が受取り、米を売って生活して下さい。そこでまず人別帳と米蔵、私の住む宿をご用意下さい」
そうか、母はここに住み、米を配るのか。京都屋敷の差配は如何するのかと少し脳裏をかすめたが、そっちは誰か奉行を置けばいいだろう。
渡辺長老が応じた。
「住民票をすぐ作ります。市役所の代わりとして、郵便局総動員で石川さんお願いできますか」
「はい」
「宿と米蔵は加賀屋さんにお願いしたい。太田さん如何ですか」
「分かりました。宿は別邸の『松乃碧』にご用意させて頂きます。米はどれくらいでしょうか」
もし町民が三〇〇人なら一人五合で三六〇余日とすると空の算盤を弾いて五四万合、五四〇石にもなる。
母の松が先に口を開いた。
「別邸『松の緑』とは良いお名前ですね。米蔵は余裕を見て一〇〇〇石もあれば十分でしょう」
太田殿は小声で「どれくらいかなー」と首をかしげた。
すかさず石川息子殿が「千石は150トン」と助け船をだした。三十歳前後のこの学僧はやはり頭が回るらしい。トンとは彼らの世界の言葉であろう。
「ええっ、そんなに。新しく米蔵を作らねばなりません。もう一つ心配があります。お客様が三名おりまして帰宅困難であります。如何しましょうか」
「詳しく話して下さい」
母が優しく尋ねた。
太田殿は少し迷った様子で口を開いた。
「実は、還暦祝いのご夫婦でして、お医者様です。もう一人はイギリスからの若いお嬢さんです。こんな状況で帰る場所もなく、如何しましょう」
この話に石川息子殿が反応した。
「カレンさんだ」
「ええ、お知り合いでしたか」
「今朝、ちょっと話をしました。故郷がスコットランドでは遠くて帰れません」
この問題について利政は母を見た。
「承知しました。松は別邸にてその三人と一緒に住みます。このお寿司というのは美味しいですね。こんなに甘くて大粒のお米が、四百三十年後のお米なのですね」
いつも明るい母だが、今日は特に楽しそうだった。
「ありがとうございます。このお米は『ひゃくまん穀』という名前です」
「まあ『百万石』ですか。ぜひ種籾を分けてください。珍しいお野菜も欲しいです」
「わかりました」
太田殿が短く応じた。
「ちょっと、うちの支配人と相談します」
太田殿は控えていた番頭の男を呼んで、米蔵などの段取りを決め始めた。
利政は五月の端午の節句に天命を受けたことを喜んだ。周囲に目を移すと、母が何か言う間を計っている。
「どうかしましたか、母上」
「この一件を利家殿に報告せねばなりません。使者は誰が良いかと考えておりました」
「では、実際にこの町を見聞した我が使者となりましょう。戦はあと二ヶ月で終わるらしいので急がねばなりません」
利政は初めて戦場に出るが、我も武者なりと気合を入れた。
「道案内に親類の高畠石見(定吉)殿を呼びます。利政殿、右近殿、それに石川達也殿、すまぬが明朝出立して、戦場の夫・前田又左衛門利家に能登の状況を知らせて下され。天下の形勢が決まるほどの一大事ですから」
「はい」と三人は返事をした。石川息子殿の表情は困惑ぎみであった。




