1の2 突然の荒野
町の周囲が消えた。驚くべき天変地異なのだが、パニックは起きていない。
住民は「正常性バイアス」が掛かっているのだろう。これは、かなりの大災害であっても「自分だけは大丈夫だ」と思い込むのが、人の心理というものなのだ。
いったん家に帰ろうと歩いていると、小中高と同級生だった森山三郎に出くわした。愛車のスポーツタイプ250CCバイクを布で磨いていた。
「おっす、森山」
「おう、石川」
森山は郵便局勤めで、赤いバイクの配達員だ。よく日に焼けていて、仕事服が似合っている。
パソコン屋の達也とは違うタイプだが、仲は良い。なんか最近、若くて綺麗な彼女が出来たと聞いたぞ。うらやましいなこのやろう。
「今日の朝七時から井戸掘りだけど、森山も手伝ってよ」
「石川はアホか。仕事はどうする。郵便だよ」
前庭から出て来た森山もノーマスクなので、ちょっとだけ距離を取った。達也より体力があるのに、配達だけではもったいないだろう。
「いいか、手紙もお金も品物も、郵便っていうのは大切な仕事なんだよ。ときには人生が決まるときだってあるし、俺たちは皆の愛と真心を運んでいるんだ」
おっと、思い出した。森山はこういう熱い漢だった。
「よく見てみろ、この町以外は消えたぜ。それなのに仕事馬鹿か。水道出ないから三日分の飲み水確保な。町内の郵便なら一時間で終わるだろうに」
「本当だ。向うの建物が無くなっている。ただの地震かと思った」
かなり呑気だなあ。
そうこうすると、向うから細身で鮮やかな水色のワンピース姿をした目元美人の外人さんがひとりで歩いて来たので、達也は挨拶してみた。
「グッド、モーニング」
「グッモーニン、何か起きたのですか」
欧米系の白人娘さんで長く赤い髪をポニーテールにしている。
「あっ日本語、この町は丸くなりました」
達也は変な日本語で応じてしまった。一応、三人ともソーシャル・ディスタンスを取って話している。
「私はカレン・コガ・ベイカーです。スコットランドから来ました。私のお婆ちゃんは日本人です。私はお花が好きなので、京都の池坊短大でお花を習っています。今はコロナで学校がお休みなので和倉温泉に来ています。それで、町の様子を教えて下さい」
綺麗な日本語を使った。頭も良いのであろう。森山と交代だ。
「俺はサブロー・モリヤマ。彼はタツヤ・イシカワだ。どうやら和倉温泉以外は消えたらしい。京都もイギリスも、今はまったく判らない」
森山の説明も日本語で曖昧だった。これで外人さんに上手く伝わったのかと疑問に思う。達也も英会話をちゃんと勉強すれば良かったと後悔する。
「ごめん。僕たちもよく判らないんだ。通信も出来ないようだし」
達也が認識不足を謝ると、カレンさんはつぶやいた。
「パラレルワールドですか」
おおっとそう来たか。よく知らないが、SFでいうところの並行世界。町ごと別世界に飛ぶなんて在るのだろうか。
「私は加賀屋さんに泊まっていますが、お金少ない。どうしよう困った」
そうか、このお嬢さんは「お金持ちなんだ」と思った。和倉温泉といえば加賀屋だ。日本一の旅館として、泊まればゆっくり出来て豪華な料理も食べられる。宿代も高額で一泊4万円から5万円はする。
「政府の緊急事態宣言が解除されて、加賀屋さんも営業再開したばかりだ。お客さんが少なくて経営はキツイだろう。それに郵貯銀行のATMも回線が死んでいては、現金もおろせないよな」
達也が森山に確認した。お互いうなずく。
「取りあえず今は加賀屋さんに泊まっていて、どうしても追い出されたなら、俺の彼女の家でシェアハウスするか。俺の名刺渡しておくよ。ポストマン、モリヤマ、OK」
さすがに体育会系のノリで決めてしまった森山だが、あとで彼女さんに絶対怒られるであろうと達也は思った。
「センキュー」
「美人には弱いな」
達也はぽつりとつぶやいた。森山の眉がきゅっと寄る。
「あっ、僕は井戸掘りだ。森山も彼女さんに連絡しろよ。では解散します。グッバイ」
「さようなら」
外人さんに手を振って帰路につく。
「おっ、猫だ」
白黒交じりの野良猫「オセロ」に手を振った。達也は何を置いても無類の猫好きで、近所の猫たちに「チャトラ」や「ヤマト」と勝手に名前を付けて楽しんでいる。非常事態でも、野良猫は呑気に顔を洗っていた。
家に着くと、母が朝食を用意してくれていた。
今朝の地震は中程度だったので、プロパンガスは自動ロックされなかった。でも残り寿命は一ヶ月か二ヶ月くらいであろう。
「朝ご飯食べるでしょう」
「ありがとう」
朝が弱い母の気まぐれ料理に感謝した。
「僕、七時から井戸掘りに行ってくるよ」
ペットボトルの水少量で手を洗い、達也は母に伝えた。
「そう。今日は食料品買えるかしら」
主婦は家のことが心配なのだろう。
「食糧調達も大事だね。お父さんに相談してみたら」
「だめよ。お父さんは家のこと何もしないから」
母には「ごもっとも」と、うなずくしかなかった。朝方に飛び出して行った父は、夜中まで帰って来ないだろう。町も郵便局も大変だから。
「じつはお母さん、この町は丸く切られて郊外は荒れ野原になっちゃった。だから買い物に行くスーパーも無いよ。たぶんね」
母はきょとんとした顔でつなぐ言葉を失った。




