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13の2 極寒地獄

 六月一日、大連に着いた。

 三百年後にロシア人がダルニー(遠い)と名付ける大連は、1594年現在、大きな湾に囲まれた小さな漁村であった。


「迎えの船が来るまでに桟橋と城を造る。城はあの山が良いだろう」

 利政殿は港の真南にある山を指さした。

 達也の眼で見て標高170メートルくらいの小山だ。現地民は緑山と呼ぶらしい。


 大殿にも了承されて、五万の将兵が汗して働き、大連城はひと月で完成した。堀と土塁を多用し、門や重要な場所には石垣を組んだ。

 城下には兵たちの長屋や集まった民の市場が開いて、俄かに活気が出て来た。

 海に囲まれた大連は、真夏でも過ごしやすい気候で、とても良い所だった。


 海を見るという利政殿にお供して、達也も右近殿と着いて来た。

 完成した桟橋を確認し、海辺に腰かけていると、髷を結った一人の日本人が現れた。服はぼろを着ていて、頭部は剃っていない。


「前田の若殿様ですね」

「いかにも。前田侍従能登守である」

 利政殿は立ち上がって返答し、右近殿が刀に手を掛けて警戒した。


「さる六月二十日、錦州において我ら真田家を含む日本右軍四万五〇〇〇が、明軍四万三〇〇〇と合戦に及び、勝利いたしました」

 真田昌幸殿からの使者が、戦況を伝えに来たらしいと判った。


「よく知らせてくれた。敵の将軍は死んだのか」

「山海関に逃げ延びた李如松りじょしょうは、兵一万とともに籠城。味方は山海関の東に陣を張っています。戦死者は三〇〇〇名でした」


 丁度昼時で、利政殿は使者に自らの握り飯を振舞った。

「腹が減っただろう。これを食ってくれ」

 今はもう日本から持参した米も少ない。使者は竹皮包みの百万石で作った握り飯を大事そうに受け取り、懸命に食らいついた。よほど空腹だったのだろう。


「おおぅ、すごく美味いです。ここまで鳥や獣を食し、泥水をすすり、敵地の真っ只中を、懸命に走って来たので」

 達也は、そんな凄いことが出来るのは忍者かなと思った。


「そうか大変だったな。しばらく休んでくれ。名は何と言う」

 利政殿は、竹筒の水も差し出した。

「これは、かたじけない。真田忍び(透破)の佐助です」

「ここ大連は安全だ。石川、佐助殿に銭をやってくれ」

「はい。まずはこれをどうぞ。後で城に銭を取りに来て下さい」

 達也は懐の銭袋を佐助殿にあげた。たしか二〇〇文(一万円)くらい入っていた。


「石川にはもうひとつ、父上に伝令を頼みたい。六月二十日、錦州で合戦あり。負けた李如松が山海関に一万で籠る。以上だ」

「はっ。承知しました。右近殿、警護を頼みます」

「おう」

 達也は大連城に走った。確か常夏フィリピンでも走っていたような気がする。


 そして七月一日の初秋となった。

「船だ。船が来たぞ」

 待望の日本海軍だった。湾内に大船四〇隻が集結した。他にも関船や小早がある。

 大連の将兵たちは沸き立った。すでに日本から持って来た兵糧米も無くなり、出店の麺や水餃子、饅頭などで飢えをしのいでいた。


 大連城に諸将が集まった。

「朝鮮水軍の李瞬臣を討ち取るのに三ヶ月も掛かりました。遅くなって申し訳ない。お詫びとして、船に兵糧を積んで来ました」

 海軍大将の小西行長殿が、日本左軍大将の前田利家殿にまず詫びた。


「なんの、こちらこそ。済まぬが天津まで兵五万を運んでもらいたい」

「任せて下され。三日で移動出来ます」

 小西殿は座ったまま背を伸ばした。


「いよいよ出発となるが、佐竹殿、南部殿、津軽殿、宗殿は大連に残ってくれ。兵は四〇〇〇になるだろう。大連城代は佐竹義宣殿(二十五歳)とする」

 大殿が大将として命令を下した。

「ははっ」四名が平伏した。


「ごほ、ごほ、ぐ」

 利長殿がとても苦しそうな咳をした。

「大丈夫ですか。兄上」

 利政殿が心配した。達也にも、かなり悪そうな咳に聞こえた。


「少し咳が出るが、風邪でもひいたのだろう」

 利長殿は青い顔をして、辛そうだった。

 熊本のインフルエンザでは、達也は予防に力を入れた。そのお陰で皆が手拭いか懐紙を出して口元に当てる。利長殿も手拭いを自分の口元に当てた。


「石川、薬はあるか」

 利政殿の急な問いにあわてた。

「和倉の現代薬は在りません。現地調達か、唐天竺株式会社から買うかでしょう」

「父上、薬師をお願い致します。石川は、何とかして咳薬を入手しろ」

 利政殿が指示を出した。


「会議は終わりだ。皆の者、渡海の準備を始めよ。利長はすぐに薬師に掛かれ」

 諸将は港に向かい、大殿は前田家の薬師を呼んだ。

 城内の小部屋に利長殿は移った。

 達也は薬の入手を命じられている。そこで老年の薬師に確認した。


「咳風邪の漢方薬というと麻黄、甘草、桂皮シナモンでしょうか。麻黄、甘草は北方で、桂皮は南方で取れるのですよね」

「よく御存知で。少量なら在ります。朝鮮五味子も日本産同様で咳に効きます。生姜も身体を温めて風邪に効きますし、ここは戦場です。あるもので何とかしましょう」


 薬師は、利長殿の脈を取り、布団に寝かせた。

「我は前田軍の大将だ。戦場へ行かねばならぬ。早く治してくれ。ごほっ」

 利長殿は非常に辛そうであった。


「何とか薬を手に入れます」

 達也は退室し、前田家の銭をたくさん貰って市場に走った。

「重いなぁ」

 背負い籠の肩が痛い。途中、佐助殿に出会った。


「おお、よい所で会った。僕は今から風邪薬を買いに行きます。この前の御礼です。はい、どうぞ」

 縄で括った一貫文(銭一〇〇〇枚、5万円、3・75キログラム)を与えた。


「誰か、ご病気ですか」

 佐助殿が尋ねるので、正直に答えた。

「若殿の兄上、前田利長殿だ。咳がひどくて辛そうなのだ」

「なるほど。お供しましょう。異国を無防備な坊さん一人で、銭持って歩くのは危ない」

 焦っていて気が付かなかったが、その通りだ。ここはお願いしよう。

「では、頼みます」


 大連の市場は自由市場だ。税も取らない。食堂は日本の兵で賑わっていた。

「佐助殿は何歳ですか」

 達也は薬屋を探しつつ、世間話をした。

「三十五歳だ。それが何か」

「あっ、僕と同い年だ。いや、落ち着いて居て貫禄があったから」

 ちょっと焦って弁解した。

「信州真田家は小国で、周りの強国と何度も戦をしてきました。そのせいでしょう」


 なるほど。雑踏の中に薬屋らしき店が見つかった。

 馬賊みたいな若い男の店主に「薬屋ですか」と聞いてみた。

「シサイユーン(こんにちは)。クスリ売ります」

 たぶん男の店主は満洲女真族で、片言の日本語を覚えたようだ。


「おお、日本語だ。ちょっと待ってね」

 達也は懐からメモを取り出して店主に見せた。

「咳止薬必要、麻黄、甘草、桂皮」

 漢字は読めるかなと、ちょっと心配になる。


「マオウ、カンゾウ、あるよ。それとニンジンも買うか」

 おお、通じた。それに朝鮮人参もススメられた。日本なら万病に効く高級品だが、ここでは一般薬のようだ。

「買う。買う。銭いっぱい持っているから、たくさん売ってくれ」


「麻黄はモンゴルで取れた小さい木の枝ね。地面にいっぱい生える」

 縄で括られた20センチほどの枝の束を三つ、前に出した。

「甘草は豆類の根っこね。甘過ぎるので注意だね」

 一メートル程の根っこは細いゴボウみたい。これも二本添えた。

「ニンジンは万病の薬ね。二〇本あるよ。全部で銭五〇〇〇枚ね」


 おお、五貫文(25万円)だった。かなり遠方で取れた貴重品にしても高価だ。でも大至急、薬が欲しい。命に係わる緊急事態だったから。


「じつは銭四〇〇〇枚しか持っていない。まけてくれないか」

 背中の籠から、銭四〇〇〇枚を出して見せた。本当に今はもうない。

「でも、子供たちや一族を食べさせたいから、まけるのダメ」

 なるほど。馬賊の店主は減額を渋る。


「これを使ってくれ」

 控えていた佐助殿が、銭一貫文を前に出した。

「あっ、さっき上げたやつ。良いの」

「ああ、使ってくれ」

 佐助殿は余裕の笑みを見せた。店主は両手を広げて喜んだ。

「バニハ(ありがとう)。ありがとうね。ありがとうね」


 薬草を買って城へと急いだ。佐助殿も運ぶのを手伝ってくれる。

「佐助殿には助けられた。何か御礼をしないと」

 達也が感謝を述べると、佐助殿は真剣な顔で言った。

「ならばワシも北京攻めに連れて行ってくれ」

「一応、利政殿に聞かないと、僕は雇われ僧だから。たぶん大丈夫だろうけど」

 少し曖昧に返事をした。


 そんな訳で、大連城で利政殿に事情を話したら、すぐに了解を貰えた。

「いいよ、真田忍びの佐助殿、大儀。薬もありがとう」

 利政殿は佐助殿を仲間に加えた。

 達也は思う。忍者って世渡りが上手いなぁって。


 老年の薬師は確認後に、細かく擦り潰し、煎じて利長殿に薬を飲ませた。

「咳に効果はありました。しかし、これは労咳(肺結核)です。治るまで戦場には出られません」

 小部屋には、薬師たちと病気の利長殿、見舞いの利政殿、右近殿、そして達也が居た。

「そうか」

 そういって布団に寝る利長殿は、天井を見つめた。


「利政、聞いてくれるか」

「何でしょうか、兄上」

「恥ずかしながら、熊本二本木町の遊郭で労咳を貰ったらしい。酒や女にうつつを抜かしていたのではない。気晴らしに和歌や音曲を楽しんでいたのだ。知っておろう。ワシは戦の槍働きより、和歌や漢詩を好むのを」

 利長殿は静かに涙を流していた。


 達也が思うに、前田家の嫡男としてかなりの重圧だったのであろう。利長殿が文化人タイプなのは、うすうす感じてはいた。

 表情は穏やかだった。

「労咳は重い病だ。皆にうつしては悪いので、ワシはこの城に残ろう。父上も胆石で苦しんでおられる。利政に前田家を任せる。よろしく頼んだぞ」


「そんな、すぐに良くなりますよ、兄上」

 利政殿は突然渡された大きなお役目に戸惑ったようだ。弱冠十七歳で前田家と将兵、たくさんの領民の運命を率いることになる。

「北京攻めをしっかりとな。ワシの病気がうつる前に、海を渡れ。さあ、急げ」


 達也たちは、後ろ髪を引かれる思いで、渡海の準備を急いだ。

「大連には傷病兵を置いて行く。しっかり治療してくれ」

 利政殿は薬師にそう指示した。


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