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戦国和倉温泉  作者: いばらき良好
第5章
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5の1 お金の話

 天正十八年(1590年)七月二十七日、石川達也は二ヶ月半の長旅を終えて、故郷の和倉温泉に帰って来た。頭に触ると、だいぶ髪も伸びていた。


 小田原へ出発した時に青かった稲も、黄金色に穂が垂れている。

 同行した前田利政殿、奥村右近殿はもちろん、帰りには関白豊臣秀吉殿下と馬廻り衆二〇〇〇名も一緒に来てしまった。

 あらかじめ利政殿から母の松様に先触れの人を出してもらう。


 そして今日、和倉町の入口で松様と御女中たちが関白殿下を出迎えてくれた。

 直径600メートルの円外で、時空転移前に交番があった場所には、いつの間にか立派な番所が建てられていた。原っぱだった町の東方には物売りの小屋が多く建って、見事な市場になっていた。


「ようこそお越し頂きました。天下様、小さな町ですが、ここからは前田の松が御案内させて頂きます」

「おう、松殿かたじけない」

 上機嫌の関白殿下は、さっと下馬して松様の前に歩み寄った。


「ここから先が四百三十年後の温泉町だな」

「はい。どうぞ和倉温泉にお浸かりになって、戦さの疲れを流して下さりませ」

「よし、刑部(大谷吉継二十六歳)、左衛門佐(真田信繁のち幸村二十一歳)供をせよ。他の将兵は、しばし城外にて休め」

 関白殿下は二人の供と連れ立って歩き、東門を通った。


 達也の目にも留まったが、丸い町の周囲には小さめの堀と高さ六尺(182センチメートル)ほどの京風土塀が建っていた。盗賊除けであろう。この短期間で町は簡易城塞になっていた。

「松様、塀を作ったのですね」

 達也は素直に町の様子を述べた。


「門塀を設けました。あとは丘の上の廃屋を米蔵にしました」

 なるほど休業したホテルを米蔵に使ったのか。良いアイデアだ。高級旅館「松乃碧」が米蔵では、もったいないだろうと思っていた。


 松様御一行の中にイギリス人留学生のカレンさんが居た。たぶん松様の所で働いているのだろう。それと白衣の老夫婦。お二人は医者だ。

「松殿、この娘御は南蛮人かね」

 早速に関白殿下が気付いたようだ。カレンさんも挨拶する。


「私の名前はカレン・コガ・ベイカーで(満年齢)二十四歳です。スコットランドから来て、京都の池坊短大に留学していました。今は松様と一緒に松乃碧で暮らしています」

 上手な日本語で応えるカレンさんは、美しい赤髪を紐で結んで背に垂らし、水色ワンピース姿で上品に立っていた。


「カレンちゅうのか。あとで異国の話を聞かせてちょーでぁー」

 関白殿下から楽しそうな尾張弁が出た。

「白衣の者たちは医者かね。風呂上がりに脈でも診てちょー。刑部の眼病も心配だで、よろしゅー頼むだわ」

「承知しました」


 他の住民の様子は、コロナの恐怖から解放されたが、お米を配給してくれる前田家のために懸命に働いていた。これが戦国時代に突入し、安全と食糧という二つの生命線を握られた和倉町民の二ヶ月半後の姿である。


 もし、今の生活が嫌になっても、外はいくさの世界で誰も守ってくれない。

 達也はずっと戦場にいたので、和倉の住民の細かな変化を見逃さなかった。


「松殿、まずはあの海城(加賀屋)に上ってから、松殿の館で長老たちに会おう。湯を浴びて美味い酒と珍しい話などを聞きたい」

 せっかちな関白殿下は大谷殿や真田殿と、松様は町衆を引き連れて町中を西へと歩いた。利政殿、右近殿、達也も後に続く。


 和倉温泉の丸い町は直径600メートルしかないので、地上二〇階の加賀屋までは数分で到着した。

「恐れ入りますが松様、私は着替えて来ます。すみません」

 達也は、汗と埃にまみれた茶の僧衣を早く着替えたかった。


「分かりました。長旅ご苦労さまでした。また後程お会いしましょう」

 松様は微笑みを絶やさず、関白殿下も陽気に手を振ってくれた。

「おう石川、ご苦労。後で会おう」


 達也は丁寧にお辞儀して、山側の自宅へと向かった。無事に故郷へ帰れて安心した。いやーぁ長旅疲れたなあ。ゆっくりと休みたいよ。

「おう、ヤマトーぅ」

 近所の黒猫がのんびりと歩いていたので手を振る。


「ただいまー」

「お帰り、えっ、なんでお坊さんなの」

 実家の母は達也のよれよれ坊さん衣装に驚いて、ふふふと笑った。

 久しぶりの母は元気そうだった。

「恰好だけだよ。戦場は本当に危ないんだ。武士だと斬られちゃうからね」


「疲れたでしょう。何か食べるかい」

「うん。その前に着替えて来るよ」

 達也は荷物を自室の机に置いてから、風呂場で水浴びをして、普段着で柔らかい灰色スエット上下に着替えた。あぁ現代は楽だ。


 深夜のテレビ視聴が出来なくなり、母は夜更かしをしていないのだろう。元気で明るくなっていた。

 台所には、玄米のお握りとお漬物が用意してあった。今まで達也が戦場で食べて来たものと同じだ。特に美味しくもないし、普通だ。


「色の付いた玄米は固いでしょ。糠くさいし。どう、大丈夫かい」

 母も困っている風だった。

「ありがとう、大丈夫だよ。お母さん、他に何か困っていることないかい」


「トイレットペーパーがもう無いの。この時代に、どうやって求めるのかしら。あと、お父さんは副会長のままだけど、忙しくなったみたい。町会長の渡辺さんが引退して、加賀屋の太田さんが新しく町会長になったのよ。あとは、お金も使いづらくて不便ね」

 そうかトイレットペーパーないのと、父は忙しくて、お金はつかえないと。


 短時間で食事を終えると達也は席を立った。

「お母さん、僕も加賀屋に行かないと。今、関白殿下が和倉温泉に来ているんだ」

「もしかして秀吉なの、凄いわね。でも頭も髭もぼさぼさじゃない。床屋さんに行って来なさい」


 母は引き出しから銭の束をくれた。

「おお、すげー」

「コツコツ貯めたの。一〇〇枚も有れば十分ね。お釣りは、ちゃんと貰って来てね」

 米の配給をこつこつと売って貯めたのだろう。この銭束は確かに重い。

「ありがとう」


 達也は部屋に戻り、地図帳と電子辞書、ノートパソコンを鞄に詰めて、床屋さん経由で加賀屋に向かう。

「じゃあ、また行って来ます」

「行ってらっしゃい」

 元気になった母に送り出してもらった。


 配給される米で物々交換するのは、さぞかし難儀であったろう。お金のこと、特に収入については何とかしないといけない。


 近所の床屋さんで坊主頭に刈ってもらい、シャンプーと髭剃りもして貰った。現代は快適だ。とても良い。やっと帰って来たという感じで、極楽の一時間であった。

 支払いを銭で払う時には「やっぱり戦国時代だな」と思った。


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