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戦国和倉温泉  作者: いばらき良好
第4章
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4の2 家康の印象

 翌二十六日、諸将は宇都宮城に移動する。

 城主の宇都宮国綱は三の丸に控え、関白殿下と精鋭馬廻り二〇〇〇名が本丸に入った。

 関白殿下は、この城に諸将を集めて東国の仕置を行う。

 蒼々たる猛将たちが本丸御殿に並んだ。皆が新たな恩賞を望んでいる中で、粛々と石田三成殿が目録を読み上げた。


――――――――――――――――――――

   東国仕置

 徳川家康は関東五ヶ国に転封。一九〇万石に近江八幡一〇万石を加えて二〇〇万石。武蔵国江戸に居城を据えよ。


 森忠政は西上野に転封。高崎二五万石。

 池田輝政は東上野に転封。厩橋を前橋に改名せよ。二四万六四〇〇石。

 細川忠興は下野に転封。宇都宮四六万石。

 小西行長アウグスティヌスは常陸に転封。水戸五五万石。与力として次の六人を付ける。秋田実季三万石、戸沢光盛三万石、六郷政乗一万石、小野寺義道三万石、相馬義胤五万石、宇都宮国綱五万石。


 上杉景勝は南陸奥と出羽米沢に転封。会津の黒川を若松に改名せよ。一一六万石。

 伊達政宗は遅参のため陸奥の留守四郡に減封。仙台城(千代城)に居城を据えよ。一五万六二〇〇石。

 蒲生氏郷レオンは陸奥の葛西八郡と大崎五郡に転封。一関四二万石。

 筒井定次(キリシタン名秘匿)は出羽の最上二郡に転封。寒河江三七万石。

 丹羽長重は出羽の庄内三郡に転封。鶴岡一四万二〇〇〇石。


 佐竹義宣は羽後八郡に転封。久保田二五万五八〇〇石。

 南部信直は兵一〇〇〇での早い参陣大儀。本領五郡に鹿角、稗貫、和賀の三郡を加増して一〇万五〇〇石。不来方の地に盛岡城を築いて居城とせよ。

 大浦為信は津軽三郡安堵四万五〇〇〇石、これより津軽氏を名乗れ。鷹岡の地に弘前城を築いて居城とせよ。


 蠣崎慶広は蝦夷地安堵。米は取れないが、豊富な海産物により一〇万石格とする。未開の蝦夷地と区別して、支配地を北海道と呼び、これより松前氏を名乗れ。箱館(のちの函館)に居城を据えよ。


 堀秀治は越後に転封。長岡三〇万石。与力として旧来の二人を付ける。溝口秀勝六万石、村上義明九万石。


 真田昌幸は北信濃で加増。上田三四万石。

 京極高次は中信濃に転封。諏訪九万六五〇〇石。

 石川数正は南信濃に転封。飯田一〇万二〇〇〇石。

 一門の浅野長政は甲斐に転封。甲府二五万石。


 中村一氏は駿河に転封。駿府一七万石。

 堀尾吉晴は遠江に転封。浜松二六万八八〇〇石。

 田中吉政バルトロメオは三河に転封。岡崎三三万石。

 金森長近は本領の飛騨安堵。高山三万八七〇〇石。


 羽柴秀勝は東美濃に転封。岐阜三三万石。

 羽柴秀次は西美濃に転封。大垣二五万石。


 前田利家は本領に越中新川郡と加賀の能美、江沼郡の三郡加増。金沢一一九万石。さらに「東国総取締」として「反乱鎮圧権」を与える。


 新領主は検地を進めよ。佐竹、南部、津軽は石田三成が、伊達は増田長盛が検地奉行を務める。

 佐渡と伊豆と尾張、敦賀郡を除いた越前は「豊臣家蔵入地」とする。


 津軽の青森港一〇〇石は「豊臣家軍港」とする。代官は加藤嘉明で、所領として丹後国与謝郡に転封。宮津三万一五〇〇石。


 下野細川領の足尾銅山、常陸小西領の赤沢銅山(日立鉱山)、会津上杉領の八総鉱山、陸奥南部領の尾去沢鉱山、出羽佐竹領の阿仁銅山、加賀前田領の尾小屋鉱山には「豊臣家代官」と「銭座」を置く。

 その他、全国の金山、銀山、銅山、鉛山は豊臣家に「鉱物半納」とせよ。


 これから関白豊臣秀吉は北上し、仙台の地で安堵状を発布する。

――――――――――――――――――――


「以上」の声の後、皆から「おおーっ」と声が上がった。加増の感嘆と残念な溜息とが入り混じっていたと思う。

 大名たちはその後、あわただしく下がって行った。


「兄上如何しましたか」

 利政は、前田の本陣で下を向いて考え込む兄の利長に声を掛けた。

「関白殿下は信長公の娘婿たちを遠ざけられた。蒲生、筒井、丹羽だ。このワシも永姫を娶っておる」

 確かにそれもあるだろうと思った。


「でも前田家は加増ですから、心配し過ぎですよ、兄上」

 一方で、父上も何やら面白くない様子だ。


「面従腹背の徳川家康は気に喰わん。家康は人質時代が長かったゆえに顔では笑っているが、心で刃を研いでいる。もしワシが死ねば、前田家にも斬り掛かるであろう。決して隙を与えてはならないぞ」

 兄の利長は、勇んで応じた。


「武田家や北条家のように滅びたりはしません」

「我(利政)も肝に銘じます」

 利政は、精強な徳川軍との攻防を想定して、一晩眠れなかった。噂に聞く本多忠勝は無双の強さらしい。


 関白殿下と一六万の兵は奥州へと北上した。

 七月一日、関白殿下は、仙台城東方の躑躅ヶ丘の陣屋にて、期待の各諸将に「安堵状」を発行した。

 利政も父から前田家宛の「安堵状」を見せてもらった。その時の様子を父は語る。


「所領を十分の一に減らされた伊達政宗は、ヤケを起こして派手な格好だった。陣羽織に極彩色な大水玉を刺繍して、とても美しく、傾いておったわ」

 若い頃は相当な傾奇者だった父だ。たぶん同類の政宗を気に入ったらしい。

 前田の家臣は三五万石もの加増に喜んだ。


 翌朝、ひょっこりと関白殿下が前田の陣に現れた。供は石田三成殿と浅野長政殿。

「石川よ、そなたの知識が役に立った」

 関白殿下が石川殿に礼を言った。

 利政も全国の詳細な石高をそらんじられる石川殿に驚いたものだ。


「こちらこそ有難うございます」

 石川殿は控え目で威張らない人間だ。

「ワシも天下を統一するのに、よく働いた。能登の和倉温泉でゆっくりしたい。利政に道案内を頼みたいが、良いか」

 父利家も利政も了解だ。

「はっ、これから移動なされますか」

「準備もある。明日にしよう」


「では、義兄上、また」

 浅野殿が父利家に頭を下げた。昔から親しみを込めて「あにうえ」と呼んでいる。

 関白殿下は少ない警護で、再び散歩するように戻って行った。


 翌朝には、関白殿下は会津へと進軍を開始した。

 美しい猪苗代湖畔を経て坂を下り、七月六日に会津盆地南東にある黒川城改め若松城に入った。政宗は付いて来ずに、引っ越し手配の重臣が関白殿下をお迎えした。


 その後も一行はゆるゆると行軍して、途中で刺客からの鉄砲騒ぎも起こったが、怪我もなく越後の春日山城には七月十六日に到着した。

 ここで天下平定の戦は終了。一同解散となった。


 ただし、前田軍二万は「東国総取締」として、しばらくは越後の地で東国をにらむ。

 関白殿下は、馬廻り二〇〇〇名を直率して和倉温泉を目指した。


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