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戦国和倉温泉  作者: いばらき良好
あらすじと目次
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あらすじ

私は仕事で、能登和倉に数ヶ月間、住んだことがあります。

冬の自然は厳しいですが、能登の人はいつも温かでした。

この小説は5年前のコロナ禍に書きましたが、文章は元気に明るく、

読者の皆さまに「愛」と「友情」をこめてお贈りいたします。


 2020年6月25日の早朝、コロナ禍の石川県能登和倉温泉が直径600メートルの範囲で住民205名と共に時空転移した。石川達也(三十歳)は、やって来た前田利政(十三歳)から天正十八(1590)年だと知らされる。領主の前田利家から保護を受けるため、小田原の戦場に行くと歴史が変わり始めた。


 和倉温泉を訪れた関白豊臣秀吉は、スコットランド人留学生のカレンと意気投合して側室にする。重病の弟豊臣秀長が和倉温泉で療養して元気になった。カレンから秀吉の三男秀清が生まれ、二歳離れて淀君から四男秀頼が生まれた。後陽成天皇の和倉行幸も成功する。


 キリシタンによる日本人奴隷売買を知った秀吉は、伴天連を追放する。秀吉は南蛮諸国から日本国を守るため、全国規模で造船を行い、文禄三(1594)年に南蛮攻めの大号令を発した。


 前田利政らは、台湾経由で常夏フィリピンのマニラを攻略した。マラリアに倒れる利政。石川達也の薬で無事に快復し、戦利品の金銀150トンと巨馬「雷神」を船に積んで帰国する。


 太閤豊臣秀吉は明使の無礼な態度に怒り、朝鮮経由での征明を命じる。朝鮮では連戦連勝。朝鮮王は逃亡中に官吏によって毒殺された。大陸では冬の寒さに徳川家康が謀反を起こす。利政らは北京講和条約で銀200万両を獲得した。


 若狭に上陸した家康は京を占領し、近畿から関東までを瞬く間に支配した。秀吉は九州熊本から大坂城に戻って籠城し、西国兵を集めて争う。前田利政らは、海氷が溶けた翌春(1595年)に帰国して、近江彦根で徳川と決戦する。鉄砲と火薬に勝り、士気の高い前田が優勢だ。戦場に大型バスで現れた父前田利家の鉄砲小隊が徳川の退路を断つと、家康は自刃して果てた。


 時空転移から5年後の和倉温泉で、豊臣家の夏祭りとなった。秀吉の寿命はあと3年。霊廟建設を命じ、今後の夢を語った秀吉は、世継を秀清と定めた。


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