ジェイムズ・コノーヴァーの婚約
ジャンル、変更しました。
誤字報告ありがとうございます。助かります。
ひょっとしたら頂いた感想を消してしまったかもしれません。
大変申し訳ありません。操作ミスです。
ジェイムズ・コノーヴァーは困っていた。
この夜会で次期伯爵として顔を繋いでおくべき、高位貴族の方々に挨拶をしたいと思っているのに、共に挨拶に行くはずの婚約者が、休憩室から出てこないのだ。
休憩室からは、令嬢たちの華やいだ声が聞こえていた。ひときわ大きな声が上がり、話している内容まで廊下に響いてきた。
「キャスリーンったら、ジェイムズ様のところに行かないといけないんじゃないの?」
「そうね、そろそろ行かないと」「見初められるような佳人にもそれなりの苦労はあるのね」
「苦労って、そんな事は無くってよ」
「平々凡々のジェイムズ様でも伯爵夫人にしてくださるんだから大切にしないと」
「クロード様のことはもう良いの?」
「クロード様とわたくしは何もありませんわ」
ジェイムズが声の掛けどころを失うような会話が、滑らかに流れていく。
茶色の髪に茶色の目、中肉中背のジェイムズは16歳と年若く、確かに人の群れの中では紛れ込みやすい。平々凡々と言われても仕方ないかもしれない、とジェイムズは思った。
「ジェイムズ、キャスリーン嬢とは会えたかい?」後ろから呼びかけられた。その声に休憩室の中がシンとなった。
「ヘンリー、今夜は挨拶回りはちょっと無理なようだよ」とジェイムズは小声で、同い年で親友のヘンリーに答えた。
「そうなのかい?イーサン卿とは、今日を逃すと次の機会を都合するのは大変だよ?」
「一人で挨拶して、彼女とはまた次の機会を待つことにするよ」
ジェイムズとヘンリーは、2人並んで夜会の会場に戻っていった。
「聞こえたかしら」「さぁ?」「少なくとも聞こえなかったふり、をしてくださったようよ」「ごめんなさい、キャスリーン」
「きっと聞こえなかったのよ。大丈夫よ、みなさん」とキャスリーンは朗らかに言った。
「まあ、流石に自信のある方は余裕ね」
ちょっとばかり嫌味な声もあったが、キャスリーンは聞こえなかったふりをして、部屋を出た。ジェイムズとは、探していたのに会えなかった、という顔をして合流するつもりだった。ジェイムズに思慕の念は全く無かったが、貴族の義務は果たすつもりだった。
夜会の会場の奥で、ジェイムズがヘンリー・オズボーンと一緒にイーサン・ギネス侯爵令息と話している。キャスリーンは間に合わなかったようだ。
ジェイムズがキャスリーンを見たのが分かったが、キャスリーンは動かなかった。
キャスリーン・クレア子爵令嬢とジェイムズ・コノーヴァー伯爵令息の婚約は、一昨年急に決まった。というのも、本来コノーヴァー家はジェイムズの兄が跡を継ぐはずだったが、狩りの際の落馬が原因で一昨年急逝したのだった。
ジェイムズの年の離れた兄のチャールズは既婚で、亡くなった時妻は妊娠中だった。男児が生まれ、家同士の契約もあって、チャールズの息子が成人して家督を継ぐのは確定していた。それまでの繋ぎの伯爵となる為にジェイムズとキャスリーンが婚約する運びとなった。
キャスリーン・クレア子爵令嬢にとっては一時伯爵夫人になる、と言うだけの結婚だ。この話が来るまでは、幼馴染のクロード・キャンベルという男爵家の次男と結婚をするだろうと思っていた。
クロードはキャスリーンの為に騎士爵を取ると約束していて、キャスリーンも騎士となったクロードと一生をともにするのを楽しみにしていた。
キャスリーンにとってジェイムズとの結婚は、義務なので果たすつもりはあるが、積極的にしたいと思えるものではなかった。先程の休憩室での会話はこの背景を皆が知っていたからこその結果だった。
「義姉上、フィリップ、おはようございます」
「ジェイムズ、おはようございます」
ジェイムズは、自宅の朝食室で義姉のプリシラと甥のフィリップに挨拶をした。
プリシラは茶色の髪に碧の目の穏やかな女性で、ジェイムズのことも義弟として、息子のフィリップの叔父として尊重してくれている。
ジェイムズにとっての兄は、いつも偉ぶっていて反りの合わない人だったが、義姉にとっては最愛の人だったらしい。兄が亡くなって、後追いするかと周囲が心配するくらいに嘆き悲しんだ。それもあって、ジェイムズに義姉を添わせる話は立ち消えになった。
「ジェイー、あーよー」ともうすぐ2歳のフィリップが、食事の合間に可愛く答えた。この甥は亡くなった兄のチャールズにソックリなのだが、兄の尊大さは引き継いでいないようだ。きっと義姉上の育て方が良いのだろう、ジェイムズはそう思った。
「夕の夜会では、キャスリーンさんはご一緒ではなかったようね」
「早耳ですね、義姉上」
「何かしら言いたい人というのはいるものよ。ジェイムズには迷惑ばかりかけて申し訳ないわ」プリシラはため息をついた。
「フィルのためですからね。でもまあ、他の選択肢があるなら私も考えたいですね」と苦笑しながらジェイムズも言った。
「なぜだか、私がキャスリーン嬢を見初めて、婚約を無理強いしたことになってるようですよ」
「まあ、厚かましいこと。こちらはキャスリーン嬢ではなくて評判の良い妹のグロリア嬢を、とお願いしたのを一つ年上のキャスリーンの方が年回りも良いと、無理矢理姉の方にしたのは、クレア家でしょうに」
ジェイムズの結婚は元々キャスリーン嬢ではなく、妹のグロリア嬢を相手に進めていたのだが、クレア家が、ぜひともキャスリーンに、と話を姉の方にして進めたのだった。
おそらく頭が良くて茶会での立ち廻りの上手いグロリア嬢には、良い縁談が他にもあったのだろう。クレア家としては見かけの儚い美しさだけが売りのキャスリーン嬢を、片付けたかったのだ。
ジェイムズの方も繋ぎの伯爵と言う訳ありの結婚なので、仕方なくキャスリーン嬢と婚約したのだった。
繋ぎとは言え、フィルが成人するまでには後15年以上ある。ジェイムズの父である伯爵から、ジェイムズが成人する2年後あたりに爵位を譲られる予定だが、フィルに爵位を譲るにしてもやはりかなりの年月を伯爵夫妻として過ごすことになる。
フィリップに爵位を譲った後は、家が持つ子爵位をもらって自分が、そしてジェイムズたちの子に譲ることになっていた。
ジェイムズは、あのキャスリーン嬢とそんなに長く連れ添っていけるようには思えなかった。
「ジェイムズ、私の従姉なんだが、子ができないからと近く離婚になりそうなんだ。誰か良い人がいないだろうか?」
ヘンリーからそんな話が持ち込まれたのは、ジェイムズがそんな悩みを抱えていた時だった。
「ヘンリーの従姉って、スチュアート侯爵家に嫁いでたソフィア様の事?」
「そうなんだ、離婚の話が出てるらしいんだが、そうなったらソフィア姉さまの扱いがどれ程悪くなるかと思うと、両親もすごく心配してるんだ。オズボーン侯爵家はソフィア姉さまの叔父夫婦が継いでるし、家も本家に強く出られないしね」
ヘンリーの家の本家に当たるオズボーン侯爵家は数年前に侯爵夫妻が領地のがけ崩れに巻き込まれて亡くなり、弟夫妻に代替わりしていた。
ソフィア様は、スチュアート侯爵夫妻に請われて嫡男のアンドリュー様に嫁いでいたが、アンドリュー様がソフィア様に隔意があることは有名だった。
「もういっそ、ソフィア様に私が求婚しようかな」ヤケな気持ちも込めてジェイムズが言った。
「キャスリーン嬢は?」
「キャスリーン嬢はクロードと結婚したら良いんじゃないか?私もキャスリーン嬢に軽く扱われるのは飽き飽きなんだよ」
「それはいい考えだね。うちの両親にも言っても良いかい?」
「私も義姉上に相談してみるよ。ソフィア様なら昔から知ってるし、私のことも大事にしてくださるだろうし、社交にも問題ないしね。大事な挨拶時に居ない、なんてことは絶対に無いよね」
「姉さまも自分の状況が悪いのはわかってるし、そこに声かけしてくるジェイムズを大切にするのは間違いないと思うよ」
「問題はどうやってキャスリーン嬢と婚約を解消するかだよ」
「そこは大人に相談しようよ。私たちでは出てこない解決策を考えてくれるさ」
「だったら良いんだけどね」ジェイムズは、期待しすぎないようにしようと思ったのだった。
結局、特に政略が絡んだ婚約でもなし、普通に解消を申し出るのが誠実だろう、という話になった。ジェイムズも確かにキャスリーンに不満はあっても取り返しのつかないような問題があるわけじゃないし、きちんと話をして解消の手続きを取るのが良いだろう、と自分を納得させた。
互いの家族が集まって、話し合いをすることになった。ジェイムズには母親がいない。兄と姉を産んだあと父の最初の妻とは離縁になった。家に残った子どもたちを育てるべくジェイムズの生母が後妻に入ったのだが、ジェイムズを産んでから数年で鬼籍に入った。
割りを食ったのが、姉のエレナだ。本来ならジェイムズの母に世話をされて社交界にデビューするはずだったのだ。それが一転、幼子の世話をする羽目になった。エレナはおおらかに笑ってジェイムズを育ててくれた。全く以てエレナに頭が上がらないジェイムズだった。
数年前にエレナは近隣の伯爵領へ嫁いでいったのだが、今回ジェイムズのために嫁ぎ先から出て来てくれたのだった。
「キャスリーンさんの方もお好きな方がいらっしゃるようですし、無理にこのまま婚姻しなくてもよろしいんではなくて?」
「そうは仰いましても今回の婚約のためにその話は流れておりますので、こちらとしても解消は困ります」と言ってキャスリーンの父は汗を拭った。
「婚約者としても挨拶回りやダンスも一緒にしてないみたいですし、未だに婚約の披露もしてませんもの、解消しても問題は有りませんでしょう?」エレナが貴婦人らしい遠回りな言い方で、クレア家を口撃した。
「それでもキャスリーンの周りは既に周知しておりますし…」
「ソレはクレア家の問題であって、コノーヴァー家には関わりのないお話ですわね」
「最近出たお茶会で、ジェイムズの婚約の話が話題に出ましたの。中継ぎ伯爵夫人になるくらいしか利点のない婚約で、恋人と引き裂かれてキャスリーン嬢もお気の毒に、っていうお話でしたわ」
その場のみながキャスリーンを見た。
「わたくしは何も言っておりませんわ。わたくしが伯爵夫人になるので妬んでそんな事を言う人も居るのですわ」
はっきりとした婚約披露をしていなかったこと、キャスリーンが夜会等でエスコートされていただけで、婚約者として挨拶などを行ってなかったこと、友人間でジェイムズが少々貶められるのをそのままにしていたこと、等を理由に婚約は無事に解消となった。
「エレナ姉さま、色々とありがとう。助かりました。彼女と一緒に暮らしていける気がしなくて…」
「あなたはもっと自分に自信を持たないとね。この後ソフィア様に求婚するんでしょう?」
「!姉さま、ナニを言ってるんですか!」
「今回婚約の解消を申し出るくらいだから、何かあったんだろうなと思って。ちょうどソフィア様の話も話題に上がってたからね、ああ、そういうことか、と思ったのよ」
あなたは昔からソフィア様に憧れていたからね、とエレナは笑ってそう言った。
やはりエレナには頭が上がらないし、侮れない、とジェイムズは思った。ヘンリーと一緒にオズボーン家の庭で泥だらけになって遊んでいた頃、オズボーン家で時々見かけるソフィア様はキレイな憧れのお姉さんだった。年下の泥だらけの少年たちにも微笑んで世話を焼いてくれた。
ヘンリーのきれいな従姉は同じ年頃の少年たちから「初恋泥棒」と密かに呼ばれていた。少年たちの心を軒並みに奪って返さないことが由来で、侯爵家に嫁ぐことは既に決まっていたし、みんなただ見ることしか出来なかった。
数カ月後、ジェイムズ・コノーヴァー次期伯爵の婚約が決まった。少々訳アリの女性ではあるが、社交界で一目置かれている彼女はジェイムズの隣で穏やかに微笑んでいた。
ジェイムズ・コノーヴァーは甘酸っぱい初恋を叶えたらしいと、しばらくお茶会の話題を独占したのだった。
ちょっとばかり書き足しをしました。ストーリーに影響はありません。
義姉とジェイムズが結婚する方が、流れ的に有りなんですが、どうしてそうならなかったか、を入れました。単に兄夫婦がラブラブだった、という設定です。
感想でご意見をいただきまして、ムンクばりの叫びを上げそうになりました。
半日以上考えた末の結果です。ご指摘ありがとうございます。