*8* ジブンの見え方
「おなかーすいたー」
「…栞さん、目ぇ回りますよ」
回転椅子に跨ってグルグル回るあたしに、あきれた口調でそう言うのは、遠藤陸(えんどうりく)・22歳。
この間からこのアトリエでアルバイトとして働き始めた、芸大写真学科に通う4回生だ。
「ねー、りくー。おなかすいて目がまわるー。ランチ行こー?」
「だから、目が回ってんのは栞さんが回してるからでしょ」
「むぅー。陸、冷たいー」
陸にこうしてちょっかい出して絡むのが、実は最近のお気に入り、だったりする。
短い髪に、無精髭、長身でガッシリとした体つき、趣味のサーフィンのせいで黒く焼けた肌。
一見強面に見えるけど、笑うと急に可愛くなっちゃうし、真っ直ぐでいいヤツだし、雨宮さんもあたしもすぐに陸のことが大好きになった。
「陸、何してるの?」
あたしのおなかすいた宣言を聞くと、いつもすぐにランチに一緒に出かけてくれるのに、今日は一向に席を立ってくれない。
今朝から陸が真剣な顔で向かう、雨宮さんのMACを覗き込んだ。
「データの整理頼まれてて。年代別に分けて、クライアント名でインデックス付けてるんです」
「へぇー。陸、良かったね」
「何がっすか?」
「何が、じゃなくてー。雨宮さんのデータ見放題じゃん!」
あたしの言葉に、マウスを触ってた手を止めて、一瞬言葉を詰まらせる。
「ヤバ…、俺そういうつもりで見てなかった…」
左手で口元を押さえながらそう言って、カチカチとクリックさせて次々と写真を開いていく。
「どんどん見て雨宮さんの癖、盗んじゃえ!雨宮さんのMAC触れる機会なんて早々ないよ!」
「こら、栞。お前、俺がいること忘れてるだろ」
アトリエの一角にあるソファスペースで、買いだめた雑誌を消化していた雨宮さんが笑うのが聞こえた。
「でもそういうことでしょー?」
自分のパソコン触らせて、データ整理を任せるなんて、自分の手の内を見せるようなもの。
雨宮さんは陸を育てたいって思ってるんだ。
「わかんねーことや知りたいことあったら何でも聞けよー。俺のMACも自由に触っていいからなー」
視線を雑誌に落としたまま、さらりとそんなことを言ってのける雨宮さんは、やっぱりカッコいい。
「雨宮さーん、それってあたしにも言ってるんだよね??」
「栞はいつも勝手に俺のデータ見てんだろ」
「バレてたか…」
「栞さん、いつもそんなことやってんすか?」
心底呆れたように振り返ってあたしを一瞥する陸の頭を軽くペシっと叩く。
それでも嬉しそうな顔を見せる陸は、きっと今あたしとランチなんてことしてる場合じゃないだろう。
雨宮さんも、サンドイッチかじりながら雑誌見てるし。
仕方ない、ひとりでランチにでも行こっかな。
「お疲れさまでーす」
表のドアが開いて、入ってきたのは、
「おータケル、お疲れー」
あの日以来、何かと会う機会が多くなり、こうしてふらりとアトリエに顔を出すようになったタケルくんだった。
初めて会った時のあたしの直感めいたものはやっぱり当たっていて、あたしや拓海とはもちろん、雨宮さんや陸ともすっかり打ち解けて、仲良くなっているのだ。
「タケルくん、いいとこに。ランチ食べた?」
「や、まだ食ってない」
「よし、ランチ行こう」
「ちょ、待て。俺今来たばっかなんだけど」
「どーせふらっと遊びに来ただけでしょ?」
掛けてあったコートを引っ掛けて、今入ってきたばかりのタケルくんの腕を引っ張る。
「お前なー」
「行こ?奢る」
「バカ、栞に金出させるわけねーだろ」
「…いや、あたし、タケルくんより年上なんだけど」
「分かってんだけど、なんかなー。どうもしっくりこねーんだよな…」
ブツブツ言うタケルくんの背中を押し、雨宮さんと陸に行ってきまーすと告げて、外に出た。
ヒューッと冷たい風が頬にあたり、思わずマフラーを口元まで上げる。
さみー、と言うタケルくんの背中に隠れるように歩き出すと、「俺のこと風除けにしてるだろ」と睨まれた。
気がついたら呼び方が「栞ちゃん」から「栞」に変わってて、―――あたしからしてみたら、そんなのはどっちでもいいんだけど―――急激に仲良くなったあたしたちを見て、雨宮さん的には、あの栞が!?という感じらしい。
つまり…。
あたしは、別に人見知りというわけではないけど、ある程度の距離を持って他人と接するクセがあるらしく、自分を出すのにやたら時間がかかるのだとか。
言われて初めて…、と言うかこの歳になるまで気づかなかったけど、もしそれが本当だとしても、タケルくんの件に関しては、彼の人柄が大いに関係してると思う。
あのスタンスで歩み寄ってきてくれるからこそ、あたしも距離を縮めることが出来たわけで。
タケルくんはきっと誰が相手でもそういう対応ができる人だ。
雨宮さんと陸に初めて会った時もそうだったし、莉子ちゃんやケンにも、新井さんたちにもそうだったから。
「どこ行く?」
「うーん、タケルくん何食べたい?」
「栞さぁ、アトリエの近くのパスタ屋、美味いって言ってなかった?」
「あ、言った。そこにする?」
「そうしようぜ。さみーから急ご」
この間から急に寒くなり、マフラーとニット帽が手放せなくなった。
大きなボンボンが付いた生成り色のニット帽を目深にかぶりなおして、目的のお店へ急ぐ。
「あのね、そのお店、パスタだけじゃなくてコーヒーも美味しいんだって」
「へー。栞飲んだの?」
「ううん。雨宮さん情報。あたしコーヒー苦手だから」
「マジ?仕事先でよく出されるっしょ?」
アトリエから歩いて5分弱。
お店はちょうどお昼時で少し混み合っていて、入口付近の待合スペースで名前を書いて待つ。
「うーん。まったく飲めないってわけじゃないから、そういう時はミルクと砂糖でごまかして飲むよ」
「じゃあブラックとかもってのほかってこと?」
「うん。だって苦いじゃん」
「…お前子供かよ…」
しばらくして通された窓際の陽当たりの良いテーブルに向かい合って座り、他愛のない話と、明後日に控えた撮影の話を小一時間ばかりして、あたしたちは解散した。
いよいよ、明後日。
あたしの新しい舞台が幕を開けるのだ。