*4* 新しい一歩
それは突然訪れた。
「栞、これやってみないか?」
いつものように雨宮さんのアトリエで、撮影したデータをMACに取り込んでいた時のこと。
何やら嬉しそうな顔をしている雨宮さんからA4サイズの紙を受け取った。
それはアーティスティックな企画で毎号誌面を賑わせている、ファッション誌『WEAVE(ウィーヴ)』の企画書で、企画のコンセプトや撮影の流れなどが事細かく書かれていた。
その中で、あたしの目を惹きつけたのが『若手のクリエイター(モデル、フォトグラファー、ヘアメイク、スタイリスト)を使い、毎月編集部で決めたテーマに添ってひとつの作品を作り上げる連載物』という文章だった。
「雨宮さん、これ…」
「うん。栞にどうかなと思ってさー」
「ええ!?」
その言葉に、思わず顔を上げて雨宮さんを見ると、コーヒーが入ったマグカップを左手に持ち、くくくと笑う雨宮さんと目が合った。
「昨日さ『WEAVE』のエディターと会う機会があって。誰かいい若手いませんかー?って言われてさ。企画書見たら面白そうだったから、栞の名前出したら写真見たいって言いだして。ちょうど俺、栞のポートフォリオ持ってたから見せたんだよ。したら一発で気に入って」
にこにこと雨宮さんが話すその内容は、あたしにとっては願ってもいないようなことで。
あまりの出来事に上手く反応できずにいたら、その様子を見た雨宮さんが、ポートフォリオ作っといてよかったな、って微笑んだ。
ポートフォリオとは作品集のこと。
3か月前、写真を勉強し始めてから撮りだめていたものを、雨宮さんやお父さんに見てもらいながらセレクトし、ひとつのポートフォリオを完成させた。
それまでも写真をプリントしてファイルに綴じていくという簡易的なポートフォリオは作っていたけれど、今回作ったのは製本しているちゃんとしたものだ。
こういうポートフォリオを作ることは、あたしの小さな目標でもあった。
―――高校生になったばかりの頃。
ファッション誌で活躍するお父さんみたいなフォトグラファーになりたいんだ、と初めてお父さんに打ち明けた。
それまでお母さんにはこっそりその夢を話したことはあったけれど、お父さんには恥ずかしくて言えなくて、「お父さんにはあたしから言うまで、絶対内緒にしててね」って何度も念を押していた。
あたしの一大決心をお父さんはびっくりしたような顔をして聞いていたけれど、すぐに優しい笑顔であたしの頭をぐりぐりと撫で、本棚から取り出した一冊の本をあたしに見せてくれた。
それはお父さんの写真だけで構成された写真集だった。
初めて見るものばかりで、夢中になってページを捲った。
わざとフォーカスをずらした粒子の粗い写真はお父さんの得意技。この頃からこういう写真を撮ってたんだ、って思ったのを覚えている。
「これはポートフォリオ、つまり作品集だよ。お父さんみたいな職業は、こうやって自分で作品集を作ってそれを名刺代わりにするんだ」
「そうなんだ…」
「それでこれはお父さんの一冊目のポートフォリオ。26の頃に作ったものだよ」
栞に見せるのはちょっと恥ずかしいけどね、とお父さんはそのポートフォリオを人差し指でとんとんと叩きながら笑う。
「栞が一冊目のポートフォリオを作るのは何歳の頃だろうなぁ」
「え…?」
「そのポートフォリオを雑誌社に見せて、栞の写真を気に入ってくれて仕事が決まったら、その時が栞がフォトグラファーとしての一歩を踏み出したってことになるんだ」
自分を売り込みに行く際にしっかりしたポートフォリオがあるのとないのとでは、相手の自分に対する印象が全く変わってくるんだよ、とお父さんは教えてくれた。
その日から、あたしの中で一冊目のポートフォリオはとても特別なものになったのだった。
そして、そろそろ自分のポートフォリオを作って、営業に出るのもいいんじゃないか、って言ってくれたのは雨宮さんで。
そして夢にまで見た、「ポートフォリオで仕事が決まる」その日がこんな形で来るだなんて。
「どした?うれしくない?」
そう言いながらあたしの顔を覗き込む。
「まさか…!嬉しすぎて、なんて言ったらいいか分からないんです…」
企画書がぼんやりと滲んで見えた時、初めて自分の目に涙が浮かんでいたことに気付いた。