*3* 栞の仕事
拓海に切ってもらって出来た新しいヘアスタイルは、あたしの予想に反して周りからとても好評だった。
子供みたい!カワイー!ってのが大概みんなの第一声で、子供みたいってのはこの際聞かなかったことにして、可愛いって言われて悪い気はしない。
ちょっとだけ、拓海に感謝。
そして、失恋のキズはというと…―。
やっぱりというか、こっちの方は予想通りというか。
あたしにとってはさほど大きな問題でもなかったみたいで。
あれから少し時間が経った今ではもうそんなに思い出すこともなくなっていたし、彼がいないという状況にも十分に慣れてきていた。
というか、あれから仕事が急に忙しくなって、恋だの愛だの言っている場合ではなくなったというのが実のところ。
こんな惨めな終わり方をした恋との決別に仕事を利用したくはないけれど、この状況下で多忙になったということはあたしにとっては好都合だった。
あたしの職業はフォトグラファーだ。
同じくフォトグラファーであるお父さんの影響で、写真に興味を持つようになってどのくらいが過ぎただろう。
幼い頃からお父さんにカメラを持たせてもらい、見よう見まねで写真を撮る日々を過ごした。
それを仕事にしたいと思うようになったのは、確か小学校6年生の時だったように思う。
ちょうどその時、あたしたち兄妹は学校が夏休みで、お父さんのスタジオで行われていた撮影を見学できるということになった。
それまではお父さんは仕事場にあたしたちを入れることは絶対にしなかったけれど、あたしたちがもう静かに見学できる年齢になったと思ったのだろうか、お父さんは、朝ごはんを食べていたあたしたちに「撮影、見に来るか?」と声をかけたのだった。
キレイにメイクをしたモデルさんがフィルムの中に収められていく瞬間と、ファインダーを覗きながら指示を出すお父さんの姿に身震いしたのを覚えている。
さっきまでニコニコ微笑んであたしたちと話をしてくれていたモデルさんが、別人のような表情を浮かべてポージングをとる。
それを指示したり、盛り上げたり、時にはそのモデルさんを煽って挑発するような言葉を投げかけたり。
カメラの前であらゆる顔を見せるモデルさんの奥から滲み出るような一面を引き出しているひとつに、お父さんのチカラが含まれていると思うだけで、あたしはとても誇らしい気持ちになった。
ちなみに。
その撮影を見て、ヘアメイクという仕事に興味を持った拓海が、人知れずヘアメイクアーティストへの道を目指すようになったということを知るのは、随分後の話だ。
そんなわけで、高校卒業と同時に写真の専門学校に入学。2年間そこで勉強したのち、専門学校の制度を利用してNYの写真学校に留学した。
2年間向こうの学校で写真を学び、こっちに戻ってきてからは、一人前のフォトグラファーになるために、お父さんの一番弟子で今では第一線で活躍している雨宮誠治(あまみやせいじ)さんのところでお世話になっている。
雨宮さんとの最初の出会いは今から15年前の春。
写真の専門学校を卒業したばかりの二十歳の雨宮さんが、お父さんのアシスタントとして働き始めた時に遡る。
その時の雨宮さんはまだ写真を勉強中の身で、仕事が終わった後もうちに来てお父さんとカメラの話をしたり、実際に雨宮さんが撮った写真をお父さんに見てもらったりしていた。
当時中学1年生だったあたしと拓海。カッコよくて優しくて面白く雨宮さんのことを、お兄ちゃんみたいに慕うようになるのに、時間はかからなかった。
それから雨宮さんはお父さんのところで10年間、ファッション写真のノウハウを学び、お父さんの勧めもあって独立しフリーになったのが5年前の事。
ちょうどその頃あたしはNYから日本へ帰国する準備をしているところで、これからの進路について悩んでいた。
お父さんに従事することを考えた時期もあったけれど、親子の師弟関係がいかに難しいかということはよく理解していたつもりだったから、どこか別のところでお世話になることを考えていた。
小さな頃から可愛がってくれていたお父さんの仕事仲間の人たち数人から、うちにおいで、と声をかけてもらっていたけれど、雨宮さんが独立したということを聞きつけて、そのまま雨宮さんのところに転がりこむような形で押し掛けたのだった。
雨宮さんは、「俺よりも朝倉さん(あたしたちのお父さん)についた方がいいんじゃないか」って言ったけれど、あたしはお父さんの技術やセンスに雨宮さん独自のカラーを加えた雨宮さんの写真が大好きだったから。
そのあたしの思いを、雨宮さんは照れながらも受け止めてくれて、お父さんも誠治のところだったら安心だなって応援してくれた。
それから4年と半年。
単発ではあるけれどファッション誌の撮影を受けることも増えてきて、フォトグラファーとしてのキャリアを積むべく日々邁進中のあたしの身に、失恋のショックを忘れるほど多忙になる大きな仕事が、目の前に舞い降りてきたのだった。