第十六話:強さの本質
両手で持った両刃剣を下段に構えたゼルディアは、ふぅっと息を吐き、神也を殺すかもしれない躊躇いを吐き捨てる。
そして──。
『駆けろ! 雷狼疾駆!』
彼は剣で斜めに十字を描くように、強く、鋭く二度剣を振った。
刃から放たれた二つの稲妻が大きな狼のような姿を型取り、激しい衝撃と共に、床を雷光の如く駆け抜けていく。
そして、そのまま二頭の雷の狼が神也に食らいつこうと飛びかかった瞬間。
彼は咄嗟に身体の前で腕をクロスし、左腕の盾で護る動きを見せた。
片腕を護る程度の小さな盾で、何かできるはずもない。
神也が恐怖で怯えそんな行動を取った。誰もがそう思った、その時。
「止まって!」
神也の叫ぶと、突如彼の目の前に、身体を覆えるほどの巨大な白き盾が現れ、二頭の雷狼を食い止めた。
初級戦技のひとつ。闘気の盾。
その名の通り、自身の前に闘気で作った盾を生み出す護りの戦技であり、サルディアの街で神也が身につけた、現時点で唯一の戦技である。
とはいえ、普通は手に持てる程度の大きさの盾を生み出す物。
ここまで大きな盾を生み出す物ではないからこそ、それは周囲の者達を驚かせた。
とはいえ、ゼルディアの繰り出したのはただの狼ではない。
普通の獣ならば、止められれば一度距離を置く。だが、相手は雷撃の狼。
盾に食いついた状態のまま、より勢いを増していく。
威力に押され、踏ん張る神也の足がズリズリッと床を滑り、同時に白き盾に、少しずつヒビが入り始めた。
──あれじゃ、流石に無理だろ。
技を放ったゼルディアは理解していた。
規格外の闘気の盾に防御強化も掛けているとはいえ、残念ながら威力と勢いに勝る雷狼疾駆には及ばない。
しかも雷狼は力を失うまで、ずっと相手に食らいつかんと襲い掛かる。もし逸らせたとしても、それで終わりではないのだ。
「若!」
「神也!」
鴉丸と六花の危険を伝える叫び。
神也が戦技に精通していれば、別の打開策もあったであろうか。
だが、彼にその選択肢はなかった。
二人を護る。
そんな強き意思だけで戦っているのだから。
少しずつ盾のヒビが大きくなり、雷狼がより威力を増し彼を喰らおうと盾を押し込もうとする。
誰が見ても神也が劣勢。
「ありゃ死ぬな」
ジリ貧にしか見えない状況に、観客席のマールが呆れ口調でそう呟くと。
「どれだけ腕が立とうとも、強さの本質が分からねば、人は強くなれん」
相変わらず表情を変えず、静かにサルヴァスが独りごちる。
「どういうことでしょう?」
シャリオットがそう問いかけると、戦いから視線を逸らさず、彼は答えた。
「強さの本質。それは、強き想いだ」
「ふざけおって! そんなもので何が変わるというのだ!?」
自身が思っていた最悪の結末を前に、ゾルダークが憤慨し怒鳴り散らす。が、サルヴァスは未だ微動だにしない。
──あの者の強さ。お前達にはわかるまい。
弟子を含む、国を担う四護神達が、一様に神也の死ぬ未来しか見ていない。
そんな先見の明の無さに呆れながら、サルヴァスは神也から目を離さず、これから起こるであろう真の未来を見届ける事に終始した。
剣聖の口にした、強き想い。
それだけで世界が変われば、確かに苦労はしない。
だが。想いがなければ、貫けない事もある。
──僕は、ずっとそうだった。自分が誰かを助けたいって思う度、結局みんなに助けられてきただけ……。
神也は、ずっと悩み、苦しんできた。
神職にも、魔を祓う多くの術があったにも関わらず、救いの庇護しか使えない。
幼き頃から共にいてくれた鴉丸。
助けた事で、一緒にいてくれるようになったあやかし達。
彼等がいたからこそ、助けられた命も沢山あった。
彼等がいたからこそ、自分は助けられてきた。
──でも、それじゃ駄目なんだ。自分が助けたいと思ったからこそ、自分もみんなと並びたって、少しでもみんなの力になって。自分の力で助けられなきゃ駄目なんだ。
異世界フラヴェールに来て、自らに聖者の力があり、神職とは違う、この世界での適性があるかもしれない事を知ったあの日。
みんなの役に立てるかもしれないと思ったその日から、ずっと心の中に仕舞っていた想い。
力ではあやかし達に及ばない。
だが、その強き想いは、彼等にも負けない。
絶望的な状況にあっても、迷いなき想い。
それが、神也の内にある何かに、火を点けた。
「だから……」
必死な表情のまま、ぼそりと漏れた声。
少しずつ下がっていた足が、強く地面を踏み締めたかのように動きを止め。
「僕は……」
今にも砕けそうになっていた闘気の盾のヒビが、ゆっくりと、まるで時が巻き戻るかのように消えていく。
「絶対に……」
白き盾の光がより強くなり、神也やゼルディア、雷狼達を照らし始め。
「みんなを……」
輝きはより強く、眩くなっていく。
『な、何が起こってやがる……』
突然の変化に目を見開くゼルディア。
いや、彼だけではない。
「若……」
「神也……」
背中を見守っていた鴉丸や六花も。
「お兄ちゃん……」
「神也……」
「ダーリン……」
「シンヤ……」
それぞれに息を飲み状況を見守っている雪や玉藻、メリーやセリーヌも。
他の参加者や四護神すらも驚愕する中。
「護るんだぁぁぁぁぁっ!」
神也が、魂の叫び声をあげた瞬間。呼応するように、より強い光が溢れ、その場を強い輝きが覆う。
突然襲った眩しさに、身体ごと目を逸らす者達。
光が収まり、やっと神也を改めて見られるようになった時、彼等はまたも驚愕した。
未だ盾を構えたまま動かない神也。
だが、盾に食らいつき彼を襲おうとしていた二頭の雷狼の姿は、既にそこにはない。
代わりに彼等の目を奪ったのは、神也が繰り出していたはずの闘気の盾だった。
先程までの、白い光を帯びたシンプルな盾の姿はそこにはない。
まるで、女神の翼に護られたかのような、神々しい白き翼の盾。
ここにいる者達が見たことすらない盾。それが雷狼疾駆を完全に止めた。そう察するのに十分な光景。
「な、何なのですか? あれは……」
「わ、わからん……」
観客席のシャリオットやゾルダークが驚きの声を漏らし、マールも目を丸くしたまま固まる中。
──女神の翼か。よもや、伝承でしか聞かぬ奇跡を繰り出すとはな……。
唯一サルヴァスだけは、表情に意味深な笑みを浮かべた。
と。その盾は役目を終えたかのように、ふわりと淡い光となると、幻想的な羽根を散らしながら、霧散し消えていく。
残された神也は、暫く目を瞠っていたゼルディアから目を逸らさず、無言で見つめていたのだが。ふっとその表情から力が抜けると、そのまま前のめりに倒れた。
「若!」
「神也!」
ハッとし、慌てて駆け出した鴉丸と六花。
試験中だという事も忘れ、玉藻達やセリーヌも思わず闘技場の中央に駆け出していく。
神也の隣で屈んだ鴉丸が、すぐさま彼を抱え仰向けにすると、そのまま動きを止め。
隣で彼を覗き込んでいた六花も。駆けつけた玉藻達やセリーヌも。皆、神也の表情を見た瞬間、それまでの不安を忘れてしまう。
神也は目を閉じ、穏やかな寝息を立てながら微笑んでいた。
まるで、やりきったと言わんばかりに。
「……ったく。あたし達がどれだけ心配したと思ってんだい」
「ほんにのう。無茶しおって」
「でも、お兄ちゃんの寝顔、可愛い」
「うんうん。わかるわかる。やっぱダーリンは何時見ても癒やされるよねー」
「流石に、お疲れになられたのでしょうね」
「であろうな。あれだけの戦いで傷一つ負わず、今も安らいでいるのであれば、命の危機はあるまい」
そのまま両手で神也を抱え、鴉丸が立ち上がると、一緒に他のあやかし達やセリーヌも立ち上がる。
「ゼルディアよ。これで若は試験を通った。それで良いのだな?」
『あ、ああ……』
「じゃ、あたし達の試験は終わりだね。神也をベッドで寝かせたいから、先に引き上げるよ。いいね?」
『それは、構わないが……』
未だに自身の戦技が止められた現実を受け入れられず、呆然とするゼルディアを見て、六花は肩を竦める。
「システィとやら。先程セリーヌはあれだけの術を見せたが、更なる試験はあるかのう?」
『あ、い、いえ。そちらの方も、試験は終了で問題ございませんが……』
「じゃ、一緒に行こう?」
「はい。そうしましょう」
システィの答えを聞き、雪がセリーヌにそう促すと、彼女も微笑みうなずき返す。
「それじゃ、ゼルディア君にシスティちゃん。まったねー!」
相変わらず元気に手を振ったメリー。
そして、鴉丸達はぞろぞろと歩きながら楽しげに会話しつつ、闘技場の門から去って行く。
『俺の、技を……止めた……』
残された者達が、唖然としながら彼等を見送る中。ゼルディアがぽつりと独りごちった言葉が、音響の効果で闘技場内にいる皆の耳に届く。
その言葉こそ、今回の試験がとかく異質であったこと。
そして、剣聖の目に狂いがなかった事を示していたのだった。




