九話 琴原美里② 6月19日
私には才能がない。
そんなことを他人に言えば、「おいおい何言ってんだよ琴原さん。あんたほど才能あふれた人間はいないだろうが」と言い返してくるだろう。
でもそうじゃない。才能ってのはそういうことではない。めちゃくちゃ頭がいいとか、運動神経がめちゃくちゃいいとか、顔がめちゃくちゃかわいいとか、そういうことでは。
私が思う才能とは、好きになれることだ。勉強も運動も自分の顔も、結局は好きになれなければ意味がない。
私はその才能がなかった。私自身のことを好きになれなかったのだ。
おだやかな時間は好きだけど、それもちょっと私の言いたいこととは違う。
それでは才能の極致はどこにあるのだろうか。答えは簡単。
恋人だ。
考えてみよう。恋人ができる人というのはどういう人だろうか。お金持ちの人? 顔がかっこいいまたは可愛い人? 運動が得意な人? 頭がいい人?
選択肢は無限にある。人の数だけ、その人の特徴というものがあるからだ。
じゃあその無限の選択肢の中に、恋人ができる人がどういう人か、に対する答えはあるのだろうか。もちろんある。あるっていうか、全部だ。
全部が答えであり、答えではない。意味不明だけどそういうことなのだ。どんな選択肢に当てはまる人でも、たった一つ、自分を好きになれる才能があればいい。
それができれば、人は誰かと思いあうことができる。
私はそれができなかった。これからもできるとは思わない。
だから私は恋人がいる人たちみんなを尊敬している。相手を、そして自分自身を大切にできる人たちを、私は素晴らしいと感じる。
金谷くんと野々原さんもそうだ。彼らほど強い絆で結ばれている二人を私は見たことがない。
だから私は彼らの味方でありたい。
でも困ったことに、金谷君と野々原さんの願いは相反するようだ。金谷君が怪我した事件を解明したい野々原さんと、事件から離れてほしい金谷くん。
彼らが私に頼んだことは、事件解決への協力と、事件から引き離すこと。野々原さんは直接話したことがないけど。野々原さんと仲良くなった美紀ちゃんが私のところに来たからたぶんそうなんだと思う。
どちらの肩を持つべきかなんて私にはわからなかった。
間をとって、私は協力しないことと、事件から引き離さないことを選んだ。つまり、何もしないということだ。
事件に関わろうとする野々原さんを引き留めず、だけど無関心でいられることもできず、こうして野々原さんの行動を遠巻きに観察することはやめられなかった。
「で、君達は何をしてるんだ」
放課後、部活動が活発になる時間帯。思わず苦笑いがこぼれてしまった。
「琴原さん? 何か言った?」
宮野さんに聞かれていたみたい。そんなに睨まないの。男の子が逃げるよ。
「いやいや、なんでもないさ」
適当におどけて誤魔化す。
教室のベランダから野々原さんの動向を見ていたら、明らかに怪しい人影が二つ。彼らのことはよく知っている。
なにしろ、私にはない才能を持っている二人だ。
海斗君と美紀ちゃん。てっきり野々原さんにくっついて行動すると思ってたけど、どうしてストーカーみたいなことをしてるんだろう。もしかして振られちゃったかな。
「だからね、図書室っていうのは元々本を読む場所だと思うの。まあそこをね? 勉強室として使うのも間違ってはないよ? 実際自習コーナーもあるわけだし」
ってことは、野々原さんが二人の協力を断ったってことだよね。でもそれってなんで? どうしてその必要があったんだろう。単純に自分だけの力だけで解決したいからってことだろうか。ここからは一人で十分です、みたいな。
意外と我が強い系なのかな、野々原さんは。でもまあ、そうでもないと金谷くんと付き合うなんて偉業は成し遂げられないか。
「あいつら、急に勉強にやる気出して何なんだって感じ。おかしくない? いやね、勉強はいいと思うよ。結構結構って感じだよ? でも私たちの聖域を冒されたんだから抵抗するに決まってるって」
我が強いのはいいんだけど、問題は野々原さんが何を考えているかということで。
私はまだ彼女のことをほとんど知らない。話したこともなければ、別の学校の人ということもあって、私の手足達も動きづらいようだし。
情報が少ない。情報が少ないと傾向が読めない。情報があってもその人がどう動くかなんて予想が当たるとは限らないのに、ゼロだったら予想を立てようがない。
危険な行為に出なければいいんだけど。
「やっぱりさ、イライラするの。琴原さん、わかる? なんていうか、こう、異物感みたいな。今までなかったしこりが胸の奥でつっかえてるみたいな。そんな感覚。それってすごく気持ち悪くない?」
「気持ちはわからなくもないよ」
実際、野々原さんという異物に頭を悩ませているわけだし。
「だよね」
「でもよかったんじゃない? 明確な対決方法が決まって」
「うん。だからごめんね。こうして愚痴に付き合ってもらっちゃって」
「これぐらいお安いもんだよ」
宮野さんたち文芸部の人たちは図書室を活動の場にしていた。
部員はたしか七人だ。お互いのおすすめの本を一か月の間に読み、感想を交換する。たまに自作の小説を作ってきた人がいれば、それの感想会を重点的に行うって感じだった。
そこに高橋さんたち、いわゆる陽キャと呼ばれるような人たちが図書室に入り浸るようになったのだ。二週間ほど前だったかな。
でも素行に問題があるわけではなく、静かに勉強しているみたい。
それならいいじゃんって思うけど、宮野さんたちは良しとしなかった。
放っておけば喧嘩になっていたであろうところに、一週間前の私は一つの案を出した。
「次のテストの点で勝負したら?」
まあ、なんだそれって感じだけど、そこらへんが落としどころだと思う。平和的で、勝敗がハッキリしていて、学生らしい。
負けた方は図書室を譲り、勝った方は図書室の使用権を得る。勝敗は五教科の最高得点の数で決まる。文芸部は七人で、高橋さんたちは四人だから結構不利な気もするけど、95点が七人いても、100点が一人いればそちらの勝ちとなる。
勝負もできて、お互いの勉強促進にもなる。私の提案を二つのグループは快く受け入れた。誰から見ても宮野さんたち文芸部が理不尽だけど、陽キャたちは「え、おもしろそいじゃん」となぜだか乗り気だった。
ちなみにこのルールだと、一人ずつ一教科に集中して他の科目を捨てる、という作戦がかなり有効になる。そんなバカげた作戦する人はいないと思いつつ、一応「でも一教科だけ集中するとか駄目だからね。そうだなあ。全科目の平均点が70点を下回ったら失格としようか」と釘を刺した。
そうすると全員が絶句してたけど、そんなに厳しくないって。
「でも勉強したくないなあ」
「高橋さんたち、結構力入れてるって聞いたけど。宮野さんはいいわけ? こんなとこで話してて」
「よくない。勝って、いい大学行って、いつも嘲笑してきたあいつらに向かって言うんだ。はい、私の勝ちーってね!」
「そんなに仲悪かったんだ。そりゃ知らなかった」
「あ、いや、別に嫌いってわけじゃ。嘲笑もされてないし。そんな気分で行こうって話!」
勢いで誤魔化そうとしてるけど大分滅茶苦茶言ってんな。
「はいはい。拗らせ陰キャの考えそうなことだわ」
「誰が拗らせ陰キャだ! もういい勉強する!」
「偉い偉い。頑張ってねー」
「うるさい!」
宮野さんはずんずんぷんすかして教室に戻った。鞄を回収してそのままどこかに行ってしまった。きっと勉強しに行ったのだろう。
今日も平和だなあ、とか思ってたら野々原さんどっか行っちゃった。美紀ちゃんたちも見当たらないし。
まあ焦る必要はないか。
そんな風に呑気に考えていたら、スマホが震えた。