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七話 市原美紀① 6月16日

 キス魔とは驚くほど簡単に合うことができた。

 奴が三年五組だという情報は周知の事実であるので、とりあえず昼休みに三年五組の教室を訪れた。

 最初に会った男子の人に「琴原さんっていますか?」と尋ねたら「あーどこだっけ、あそうそう。教室の後ろの方に今はいたな」と中に入るように促された。


 キス魔は窓の方でクラスメイト何人かと談笑していた。なんというか、普通だ。てっきり「あいつは休み時間は教室にはいないよ」ぐらいはあり得ると思ってた。なんなら「あいつは授業中もどこにいるかわからないよ」まではあってもおかしくない。

 だからあーいう感じで普通に教室にいることがなんというか拍子抜けだった。学校中を探し回るかもしれないと思って昼休みにしたのに、あんまり意味なかったな。


 近づきながら海斗の言葉を思い出す。


「人の前でキス魔って言うなよ」


 もちろんわかってる。いくらくそったれのキス魔だとは言っても、普段の生活もある。級友の前で妙なことは言われたくないだろう。私が誰かに友達の前で「キス魔の美紀ちゃん」なんて言われたら鼻っ柱を拳で叩き折る自信がある。

 そうならないために、私は正しい名前でキス魔のことを呼ばなければならない。

 目標目の前。いざ。


「すみませんキス魔先輩」


 ピタッと話が止まった。おまけに空気も止まった。硬直した。

 やばい。しまった間違えた。こんなことを言うつもりではなかったのに。

 心の中で言い訳しても意味はない。


「それ、私のこと?」


 キス魔はにこっと微笑んだ。変な呼び方をされたけど私は全く気にしてませんよ、言っているように見えた。

 でも、実際は違う。

 この人はこう言っている。

 何言ってんだお前。もう一回言ってみろよ。


「あなたのことですよ。琴原先輩。私の彼氏にキスしたのはあなたですから」


 挑発したのはそっちだ。

 うん。いや、言いだしたのは私だけど向こうは年上の先輩なんだから大人の対応で受け流すこともできた。それをしなかったのだから向こうが悪い。

 売られた喧嘩は買ってやる。


「琴原そんなことしたの?」


「実里まじ?」


 キス魔のクラスメイトがざわつき始めた。

 ちょっとずるいかもだけど、周りも利用させてもらう。普段一緒に生活しているクラスメイトから怪訝な目を向けられたら、いくら変人で有名なキス魔でも心にくるはずだ。

 さてどうするキス魔。

 ここで「違う。あの時はまだ二人は付き合ってなかったし」などと言ってみろ。それは事実だけど、そんな小さな免罪符で許されるようなもんじゃない。

 あなたができることは素直に謝罪することだけだ。


「うん。ちょっと興味がね。抑えきれなかった」


 てへ、っとキス魔は蠱惑的な舌を出して見せた。

 キス魔の美貌は悔しいけど並大抵じゃない。芸能人と並んでも見劣りしないだろう。キス魔のその仕草はすべての人類を惑わせる魔力を秘めている。

 人の彼氏の唇を奪った理由が「興味本位で」なんて普通の人間なら許されるはずがない。

 なのに、教室の雰囲気は「仕方ないなあ」みたいな感じに緩まっていた。

 は? ふざけんな。


「あのですね……」


 ってちょっと待った。

 私はここに何しに来たんだっけ? 少なくとも喧嘩しに来たはずじゃなない。思い出せ。そう。そうだ。


「でも別に楽しくもなんともなかったね。あんなニヒル気取ったかっこつけ少年なんて」


 殺ス。

 そう思ったと同時に私は一気に駆けた。

 無関係な先輩たちをすり抜けて、キス魔に近づいた。右腕を背中の後ろに回して、狙いをあの美しい顔面につけた。

 私の一連の動作は鋭敏なものではないだろう。武道の心得はないし、運動部にも入ったことがない。筋肉がついている方じゃないから、私の軽いパンチなんて大した攻撃にはならない。

 でも、この拳は、私の大切な人を侮辱した人間への怒りをこめた拳は、決して軽くなんかない。


「おっと」


 キス魔は気の抜けた声でさらっと私の渾身の一撃を避けた。

 ついでに、多分私の足がキス魔の足に引っ掛けられた。私はバランスを崩して「ヒッ」とか間の抜けた声を出してあえなく転んでしまった。

 勢いは転んだだけでは止まらず、床を少し滑った。壁が近づいてくるのが見えた。私は咄嗟に両手を前に交差させて壁との衝突を防いだ。

 腕にビリビリとした感触が伝わった。いった。


 顔を上げてみると先輩たちが私を見下ろしていた。引き気味に。野生の猛獣を見るかのように。

 死ぬほど恥ずかしいし、ダサい。ハッキリ言って今の私はクソダサい。私でさえそう思うんだから、周りの人たちはそれ以上に意味不明だろう。

 いきなり下級生がやってきて、琴原美里とちょっと話したと思ったらいきなり殴りかかって壁に激突した。そんな事態に直面してどうすればいいかわかっていないようだ。中には「どうする? 先生呼んでくる?」とぼそぼそ声で話している人もいる。


「不躾だよ。美紀ちゃん」


 キス魔が私の名前を呼んだことで周りの空気がほんの少し和らいだ。キス魔の知り合いだとわかって安心したんだろう。

 知り合いは知り合いだけど、そんな気やすい関係じゃない。


「名前で呼ぶのやめてくれませんか?」


 立ち上がって、キス魔を睨みつける。


「ああ、ごめんごめん。でも私、殴りかかられるようなことしたかな? まったく心当たりがないよ」


 このキス魔はあまりにもいけしゃあしゃあとセリフを述べる。とぼけた顔で人差し指を頬に当ててもいる。そんな姿さえも絵になることがどうしようもなく腹が立つ。思わず「チッ」と舌を打ってしまった。


「本気で言ってんだとしたらたいした神経ですね」


「いやあ本気も何もないよ。ただ何も思ってないだけで。通学路を歩くときに何も考えないみたいにさ」


 スカートだとか気にしなかった。

 左足を体の外側に回転させながら突き出した。それに合わせて、上半身と頭を回転させながら右足を思いきり振り回した。


「やるね」


 私の蹴りはあっさりとキス魔に受け止められた。左手一本で。むかつく。足を降ろした。あと今スマホで写真撮った馬鹿は後で殺す。


「空手かー。どこで習ったのそれ」


「英語の先生ですよ」


 外国人のスミス先生が言っていた。ゴルフは体にあるバネを効率よく、全部利用してスイングすることが重要だと。

 それを思い出して、むかつく気持ちと組み合わせて何となく繰り出しただけだ。


「あの先生、空手できるんだ。知らなかったよ。世界は広いなあ」


 むかつく。まじで。なんなのこの人。わけわかんない。


「で、帰ったら? 美紀ちゃん。美紀ちゃんのなんちゃって空手は私に通用しないし、その様子じゃ用事もないんでしょ?」


「そうですね。帰ります」


 私はキス魔をすり抜けた。

 用事はない。いや、なくなった。キス魔に野々原さんと会ってもらうように頼むこと。でももういい。こんな奴に頼もうと思ったのが間違いだった。


「でも、次に海斗を侮辱するようなことを言ったら。今度こそ……」


「今度こそ? 何?」


「殺すから」


「はーい。頑張ってねー」


 キス魔の舐め切った声を断ち切るために、勢いよくドアを閉めた。騒ぎを聞きつけたのか廊下には結構な人数がいた。私は彼らを押しのけてずんずん歩いた。

 気持ち悪い。まじで。吐き気がする。あの女。初めて見たあんな嫌な奴。何考えてんだよ。本当に人間かよ。むしろ人間じゃない別の生き物と言われた方が納得する。

 悪魔とか。

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