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五話 野々原由乃① → 金谷健一① 6月15日

 最後の授業が終わった瞬間、私は教室を飛び出した。

 私の所属する清堂学園バドミントン部は大会で全国常連の高校だ。その部員である私は第二体育館に向かい、すぐさま着替え練習に励む。

 いつもならそうしていただろう。

 でも今日は違う。練習をほっぽり出してでも行かなきゃいけない場所がある。

 クラスメイトで部活仲間でもある薫に、大雑把に用件を伝えておいたのでとりあえず問題はないと思う。普段一日だって休まず練習してるから、薫も「わかった。気を付けてね」と頷いてくれた。

 後日羽川先生には叱られるかもしれないけど、それは些細なこと。

 最寄りの駅まで人目も気にせず全力疾走して、普段なら乗ることの無い時間帯の電車に乗った。

 電車の中では何度もスマホを確認した。気が気でなかったけど、そんなことをしても電車は早く着きはしない。

 三駅揺られた後、乗り換えて五駅揺られ、また乗り換えて二駅揺られた。

 家に自転車を取りに行こうかと思ったけど、すぐにその選択肢は頭から消えた。ロータリーに止まってるタクシーを発見したからだ。

 私はタクシーに乗り込み、行き先を伝えた。


「凪坂中央病院までお願いします」


 白髪の目立つ運転手さんは「はいよ」と短く返事をした。

 タクシーは料金が高いけど、今回ばかりは気にしてられない。三千円しかないから、それで足りたら別にいい。足りるよね。ちょっと心配になってきた。

 でも、それよりももっと心配なことがある。

 私はスマホを見てメッセージを確認した。メッセージは金谷信江さんからのものだ。

 私の目は「健一が入院した。由乃ちゃん何か知らない?」という短い文をなぞって、濡れた。


「健一」


 大好きで大切な彼の名前を呼んだら、胸がキュッと苦しくなった。頭の中で黒い靄がぐるぐると駆け回っている。

 どうして健一が入院したのか。

 私にとってそれが一番の心配の種だ。入院したこと自体よりも。

 だって、昨日までは一緒にいたんだもん。部活が終わって、自主練も終わって、それから健一とゆっくり晩ご飯でも食べに行こうって話になって、地元で健一と合流した。

 健一は昔は無口な方だったけど、今では口を開けば馬鹿でくだらない話ばかりが出てくる。そんな明るい健一が大好きだし、健一も私のことを大切に思ってくれている。

 それで、ファミレスに入って、ハンバーグがおいしいねなんて、幸せすぎて自分でも「うわあ」って思っちゃうような時間を過ごした。

 九時ぐらいに健一と別れのキスをして、解散した。私は「お肉の味がしたなあ」とか呑気なことを考えていたけど、健一はその間に病院に運ばれたらしい。


 やっぱり、事故かな。急な病気とかはあんまり考えにくい。健一は健康なことが一番の取り柄だし。だからあるとしたら事故。昨日帰る途中で車とかバイクと衝突でもした。

 それが妥当なところだと思う。それも轢き逃げとか。信江さんが「何か知ってる?」って私に聞くくらいだから原因が分かってないんだと思う。

 どうせなら事故であってほしい。

 そっちの方が安心する。

 健一は中学時代、実は結構荒れていた。荒れてた、なんて一言で片づけるのは色々な人に申し訳がないけれど、やっぱり私には荒れていたとしか言えないような人だった。

 その時、結構な人たちから恨みや怒りを買っていたみたいだから、その人たちの復讐、みたいなことだったら、私はそれが一番怖い。

 だから、事故だったらいいのに、と私は最低な祈りを捧げる。


「着きましたよ。680円」


「ありがとうございます!」


 急いで清算を済まし、病院の中に入った。

 健一の病室は606号室。六階だ。信江さんから聞いている。

 受付をスルーして、エレベーターに向かった。エレベーターは二台あって、それぞれ七階、八階に出張しているみたいだ。

 十秒ぐらい待って、じれったくなった。右の壁に階段の案内が表示されていたので、扉を開けた。

 その階段を駆け上った。ローファーだと走り辛いし、鞄が肩にバンバン当たってめっちゃくちゃ鬱陶しいので、脱ぎ捨てて放り捨てたくなった。

 途中、白い看護服を着た女の人とぶつかりそうになった。衝突こそ避けられたものの、看護婦さんを驚かせてしまった。


「ごめんなさい!」


 すれ違いざまに謝罪を残して駆けた。

 六階に着いた。反省して、早歩きで廊下を急いだ。

 601、602、603、604。

 あった。606号室。金谷健一ってネームプレートもある。ここだ。


「失礼します」


 呼びかけると「どうぞ」と返事が来た。ドアに手をかけた。そういえばノックするの忘れてた。もういっか。

 ドアを開いた。

 病室は四人部屋だった。ベッドが四つ、四つの角にそれぞれ配置されている。右側の二つのベッドには誰もいない。左側の手前のベッドにもいない。

 左側の奥、白いベッドの布団から心配で心配でどうしようもなく会いたかった人の頭がのぞいていた。

 間違えるはずもない。


「健一!」


 よかった。ひとまず無事みたいだ。

 全身にめぐっていた黒い靄があっという間に晴れた。

 駆け寄ると、「由乃ちゃん。ここ病院」と健一が入っているベッドの横にいた信江さんに窘められた。


「あ、ごめんなさい」


 正直、信江さんがいることに気が付いてなかった。ごめんなさい。でもそりゃいるよね。


「それで、その、健一……」


 ゆっくりとベッドに近づき、健一の顔を覗き込んだ。

 そこでようやく気が付いた。健一の頭に包帯が巻かれている。左目には眼帯が施されていて、右腕にはギプスが嵌められていた。

 無事だったんだね。

 そうは言えなかった。


「よう」


 健一は何食わぬ表情で、左手をあげた。

 でもどこかぎこちない。無理しているようにしか見えない。きっと私を心配させまいとしてるんだ。


「よう、じゃないよ……」


 心配だった。


「悪い悪い。でもほら、大丈夫だって。ここの医者は包帯なんか巻いて大袈裟だけどさ、実際ちょっと怪我しただけだから」


 健一はへらっと笑う。いつもの調子で。


「ちょっとには見えないよ。ねえ、なんでそんな怪我したの? 病気、じゃないよね。事故? 事故なんでしょ?」


「事故だよ。って言っても、階段から落ちただけだ。俺の不注意だ」


 健一はたはは、と笑った。

 自身の不注意を恥じているかのように。


「そうなんだ」


 私にはわかる。これは嘘だ。たしかに、不注意で階段を踏み外したのかもしれない。そんなことあり得ない、とは言い切れない。例えば、私のことを考えていたのかもしれない。それでちょっと上の空になって階段に気づいていなかった。

 あり得ないと言い切れないのが健一の残念なところだ。

 それならば恥ずかしがるのも納得できる。

 でも、やっぱりこれは違うと思う。

 健一は左利きだ。もし階段から落ちたのなら、まず利き手が動くはずだ。前向きに転んだのか、後ろ向きに転んだのかはわからないけど、どっちにしろ地面に触れるのは右手ではなく左手になる。だから健一の場合、右手でなく左手が骨折していなければならない。それに目を怪我している。目という一番防御反応が鋭い場所を守らなかったなんてことがあるだろうか。

 などと、それっぽい理由を並べてみたけどどれも想像でしかない。

 実際に階段から落ちた経験があるわけでもないし。でも健一が嘘をついていることは確かだ。

 ふう、というため息が聞こえた。信江さんだ。


「飲み物買ってくるわ。由乃ちゃん。ちょっとお願いね」


 頷くと、信江さんはそう言って病室から出た。

 伸江さんも健一が正直にことを話しているとは考えていないのだろう。でも聞くことができなかった。

 だから言ったのだ。お願い、と。

 わかりました信江さん。私が聞いてみます。


「ね、健一」


 私はベッドの向こう側に回って、健一の左手を両手で包み込んだ。


「なんだよ」


 健一は頬を赤らめた。

 お互いの裸も知ってるのに、手を握ったくらいで恥ずかしがる健一は本当にかわいいと思う。他の女の子といても健一がこんな顔をしているところは見たことがない。だから学校が別々でも女の子面ではまったく心配していない。


「本当に、心配したんだから」


 連絡を受けたのはついさっき。六時間目の授業が終わってすぐにスマホを開いたら信江さんからメッセージが五分前に届いていたことに気が付いた。

 最初に、健一の無事を確認した。

 伸江さんから無事だということと、ついでに連絡が1日遅かったのは学校をサボらせないためというメッセージを受け取った。まるで私がサボるみたいな言い草だけど、私なら学校に行かずに病院に行ってただろうから正しい判断だった。正しいかは微妙だけど。

 今の健一は優しくて足が早くて面白くてカッコよくて、何より頼りになる人だから何の心配もないと思ってた。

 だから入院したと聞いた時はとても心配した。


「それは……ごめん」


 健一は目を伏せた。

 まるで怒られてる子供みたいだ。ってそうか私は怒っているのか。


「聞きたいんだけどさ。本当に不注意なの?」


「そうだ。ちょっと気を取られて足を踏み外した」


「本当に?」


「だから、そうだって言ってるだろ」


「私には正直に話して」


「俺の、不注意だ」


 健一は馬鹿だ。テストもあんまり出来ないし、嘘の付き方も知らない。

 だってさっきから目が合わないんだもん。

 私は健一の顔を両手で掴んだ。


「健一、私の目を見て、言って」


 じっと、私たちは見つめあった。

 健一の目は少したれ目で、輝いている。キラキラ輝く宝石というよりは、鈍く光る蛍光灯って感じだ。その目の中に私が映ってる。

 私は、自分で言うのもなんだけどかなり可愛い。顔は小さいし、身長は高くなくて体つきは華奢だ。長く伸ばした髪は手入れを欠かさないし、美容も頑張ってる。だからまさに女の子って感じの見た目だと思う。

 見た目は可愛いくて間違ったことが許せなくて、ちょっと人よりバドミントンが好きな女子。

 健一は誰よりカッコよくて優しい素晴らしい人だ。そんな健一が私のことを好きでいてくれている。

 だから、健一をこんな目に合わせた人がいるなら、私は行動する。もし、いるのなら。

 十秒間ぐらい、見つめ合った。


「由乃。何度も言うけどあれは俺の不注意だ」


 健一は目を逸らさずに言った。


「……わかった。健一、信じるよ」


 パッと両手を健一の顔から離した。


「今日はもう帰るね。無事で安心した。それじゃ!」


「待てよ。もう帰るのか?」


「うん。今日は部活をサボったから。家で自主練しないと。筋トレと、お母さんに手伝ってもらってラリーの練習でもしようかな」


「そっか。俺も退院したら陸上、また頑張るわ」


「うん。健一は今年で高校卒業だもんね。頑張って」


 私は今年が駄目でも、まだ二年ある。だから猶予はある。健一は大学に行っても陸上は続けるだろうから、そういう意味ではチャンスはまだあるけど、やっぱり高校でも結果は残したいだろうし。


「おう」


「じゃ、帰るね」


「気をつけてな」


「うん。信江さんにもよろしく言っておいてね」


「わかった」


 ばいばーいと手を振り合って私は病室を後にした。

 病室の前に信江さんが待っているかと思ったけど、いなかった。本当に飲み物を買いに行ったのかもしれない。

 私はエレベーターで一階に降りて、受付を素通りし、病院を後にした。

 時刻は17時30分。

 このまま北に少し歩けば家に着く。でも私は北には向かわず、東に向かった。

 健一はやっぱり嘘をついている。何が「俺の不注意だ」だ。あんな風に誤魔化して私が分からないとでも思ったのかな。

 あの健一がそんな風に言わざるを得ないということはよっぽど酷い目にあったんだろう。例えば、私をダシに使って脅したとか。

 そうでもない限り健一が私に嘘をつくなんてありえない。

 私は、そいつ、もしくはそいつらを許さない。どんな手を使ってでも、殺す。



 ◆ ◆ ◆



 夕ご飯を食べ終わり、消灯時間が近くなった。心配して連絡くれた友達に返信もして、スマホを見るのも飽きた俺は電気を消して寝ることにした。

 てかなんで伸江さんは夜になるまでいるんだよ。それも別に看病とか身の回りの世話とかじゃなくて、ただ喋ってるだけだし。あの人俺のこと心配してんのかな。

 ベッドの上の俺を見ての第一声が「あんた何してんの」だもんなあ。俺は「別に」って答えたからお互い様か。でもその後「私にも言えないってわけね」と寂しそうに言うのはちょっと心が痛んだ。

 つまり、伸江さんは俺の怪我について深く聞いてこなかった。由乃が来る前も、帰った後も。

 それがあの人の優しさというか、性格なんだろう。今回はそれにとても助けられた。俺にとってこの怪我の原因は誰にだって知られたくない。

 特に、由乃には。

 でも、由乃のあの様子なら俺の言葉をそのまま受け止めてはいないだろう。由乃は普段静かなくせに、いざとなると大胆な行動に出るところがある。

 今回のことで由乃が危ないことをしなければいいが。

 などと、叶わないであろう願望を抱いていると、ドアが開いた。


「やあ」


 そう言ってその女は断りもなく病室に入ってきた。廊下の光が逆光になって姿がハッキリしない。


「ずいぶんひどい姿だね」


 ケラケラとあざけるように女は笑う。


「うるせー」


 こいつとは話したことがないが、こいつに関する話はよく聞く。

 聞くというか、嫌でも耳に入る。

 だからまあ。なんでこいつがここにいるのか、とかいう疑問はあまりわいてこなかった。


「金谷君。その怪我は何?」


 当然のように俺の名前を知っている。ひょっとしたら全校生徒の名前を知ってるんじゃないだろうか。

 病室の表に書いてるからかもしれないが。


「何って、見ての通り怪我だよ。それ以外になんかあんのか?」


「……ま、なんでもいいけどね」


「そうかよ」


「ただ、私のいる場所を荒らす人間がいるなら、私も動かずにはいられないかな」


「待て」


「なんで? いいことじゃん。金谷君をそんな目に合わせた人間に報復してやるって話だよ? いい話じゃない?」


「そうでもねーんだよ」


「もしかして、さっきの子?」


「何のことだか」


「言っとくけど、カマかけとかじゃないよ。昔、色々あったみたいだしね」


 昔のことも知ってるのかよ。


「……噂通り、気持ち悪い女だな」


「失礼な。ただの美少女だよ」


 どこがだよ。


「まあ、そういうことなら金谷君の心情を汲んでやらないこともない。可愛い女の子が危険な目にあうのは私も嬉しくないし」


「そりゃありがたい」


「でもね。実を言うと、何があったか私はわかっていないんだ。だから、とりあえずって感じだけど」


「そうかよ」


 俺の願望は、頭の先から足の先まで自分自身のためだ。身勝手で、他人のことなんて一切考えていない。

 ただ俺はその時が来るのを恐れて、怯えている。そんなことわかってる。でも、できることならその時が来なければいい。

 そのためなら、なんだってしてやる。

 悪魔にだって縋ってやる。

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