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四話 田神諒① → 琴原美里① 6月14日

 自分は運動神経と頭がいいんだと確信したのは小学生の時だった。才能というと偉そうな意味になるので、ここはセンスと言っておこう。

 俺にはセンスがあった。

 物心ついた時には身体の理想的な動かし方がわかったし、どう考えれば最適な答えにたどりつけるかわかった。

 そしてそのセンスは使い方を気を付けないと痛い目を見ることも小学生の時に理解した。

 優秀ではあったが金銭的な面で家庭環境があまりよくなかった俺には悪い意味で目立ってしまったのだ。

 大事な学びを傷の浅い小学生時代に得たおかげで、中学校では変に目立つこともなく安寧な時代を過ごすことができた。

 学校では勉強に集中し、テストや体育など実力が問われる場面では手を抜いた。家では時間の許す限り筋力トレーニングや走り込みなど運動能力の研鑽や、プログラミングや映像編集など、世の中で需要の高まっているスキルの獲得に努めた。

 これがいい意味でも悪い意味でも多感な中学生が集まる場所での俺の処世術だった。


「諒、あんた元気?」


 そう母さんに聞かれたのは中学三年の二学期のことだ。

 母さんは看護婦で夜遅くまで働いている。女手一つで俺を育ててくれた。たまに連れてくる男がことごとくクズ男なのが玉に瑕だけど、尊敬している。

 家庭環境っていうのはそういうことだ。

 いい母親だけど、男に金を毟り取られている姿を見て育った俺は苦労を掛けたくないと思っていた。


「元気だよ。高校に入ったら陸上部に入ろうと思ってるんだ。必要なものはバイトして買うから心配しないで」


 男のこともあってうちにはあまりお金がなかった。


「そう。でも無理はすんな。進路も、あんたの好きに決めていいから」


「うん。ありがとう。母さん」


 高校生になったら地元から遠い高校に通って、蓄積した能力を存分に発揮しようと決めていた。

 この年齢になれば、精神的にも成熟した人が増え、少しぐらい目立っても角が立つことはなくなると考えたからだ。


 俺のこの考え方は概ね正しかった。

 入学と同時に入試試験の五教科すべて満点を取った生徒がいると話題になり、候補として俺の名前が上がり、入部と同時に俺は全部員から注目された。だが俺をやっかむ人間は現れなかった。

 中学時代は母親譲りの整った顔を隠すため敢えて遠ざけていたお洒落に手を出したことも相まって、好意を向けられることが多くなった。

 しかし、この考え方は間違っていたのだとしばらく高校生活を謳歌してわかった。


 俺を嫌う人間が現れたのだ。

 彼らは明確に感情を表に出すことはなかった。でも態度が違っていた。それは微細な変化で、通常なら気が付くことのないぐらいだ。

 話すときに目が合う頻度が減った。そもそも会話の頻度が減った。声のトーンがほんの少し下がるようになった。笑う時の口角の上がり方が鈍くなった。靴の先が俺の方を向かなくなった。俺の方を見ていたくせに目が合いそうになると直前に目を逸らす。

 挙げ連ねればキリがない。

 でも俺は特に気にせずに過ごしていた。

 人間、生きていれば嫌われることもある。すべての人間に好かれるなど不可能な話だ。だから多少は仕方のないことだ。

 幸い、友達もいた。俺に嫌悪感を持つ人がいても、高校生活自体に大きな影響はなかった。望み通り、思う存分力を発揮し、それでいて安寧な学校生活を送れていると言ってもよかった。


 すべてはロッカーを開いたあの瞬間からだ。


「野村先輩、スパイクがありません」


 このセリフ、自然に言えただろうか。

 いかにも傷ついてます、困惑してますって表情をできていただろうか。そう野村先輩に問いたかったが、当然そんなことしていいはずがない。

 まあ、犯人はわかってる。

 金谷先輩でしょ。

 俺の入部当初から俺に対する接し方がおかしかった。最近はますます俺への嫌悪感が増してきているようでもある。ついでになぜか不機嫌な気がする。


「まじ?」


 野村先輩は驚きつつも心配してくれている。表面上は。

 この人はあまり人に関心がない。誰のことも好きじゃないし、嫌いでもない。どうでもいいと思っている。誰かの行為が好ましいとかむかつくとかはあるだろうけど、その人のことをどうこう思うってことはない。

 だから個人的にこの人は信頼できる。裏表がありすぎて本心を全く見せない感じが俺にとっては楽に感じる。


「はい」


「昨日はあったのか?」


「はい」


 野村先輩は何か考え始めた。

 心配しようとしているけれど、うまくいってない。犯人を見つけることが最も合理的に優しいと考えてしまっているのだろう。

 普通なら憤ったり、励ましたりするだろうけど、その発想に至らないのが本物という感じがして良い。

 みんな野村先輩みたいに他人に無関心でいてくれたら楽なのにな。


 それから先生が来て事情を説明した。その日は部活が休みになり、各自解散となった。

 俺はスマホで校舎の陰から部室を動画に納め、家に帰った。

 母が知り合いから譲り受けたというパソコンで二時間ほど作業し、母が用意してくれていたハンバーグと味噌汁と白ご飯を電子レンジで温め、冷蔵庫のポテトサラダを挟みながら頂いた。

 腹が膨れたら俺は街に出た。


 ◆ ◆ ◆


 放課後。

 一仕事終えた私は学校の近所にあるモールに来ていた。

 女子高生が学校帰りにモールに来たとすれば、どういう店に行くだろうか。

 カフェ、ファストフード、あるいはフードコート。

 多くの女子高生はそういった店に行くことが多いだろうが、私は違う。


「―――てわけで、今は図書室の攻防が熱いって感じ。実里、聞いてる? 実里?」


 私はスープだけとなったラーメン鉢を両手で支え、ぐいーっと喉に流し込んだ。嚥下する度に旨みが身体中に染み渡る。

 あー。やっぱ美味い。塩分とカロリーをこれでもかってくらい一度に体に流し込む感覚。こんなのは犯罪的だ。こんなことをしているとクラス女子達に知られたら私は殺されるだろう。

 罪悪感はスパイスだ。

 年頃の女の子は自分の体型を気にしている。もちろん私だって例に漏れず、体型の変化には敏感だ。

 だからこそ、ラーメンのスープはどんな料理よりも、美味い。うっま。


「おい」


 ラーメン鉢の向こう側から冷徹な声が聞こえた。私に言っているみたいではないようだ。人を刺すような鋭さがあったが、それよりもラーメンのスープの方が大事だ。

 ぐいっとラーメン鉢を上側に傾けた。食べきれていなかった麺が顔を覗かせ、すーっと私の方に近づいてきた。それをちゅるんと口に滑らせると同時に、スープも無くなってしまった。

 非常に残念ではあるが、ラーメンは最後の一口が最高なのだ。

 すごくおいしい。きっと私はこれを味わうためにこの世に生を受けたのだ。少なくとも後一万回は味わいたい。


「で、何?」


「なんで聞いてないんだよ。馬鹿かよ」


「うそうそ。聞いてたから」


「ほんとかよ……」


 嘘だが。

 目の前のご馳走に集中しているというのに、人の話など聞いていられない。私の耳はそこまで器用にできていない。そこまでというか、ぶっちゃけ全く器用ではない。噂で十人に同時に話しかけられて同時に適切な返事をしたってあるけど、そもそも二人から話しかけられたらテンパるし。そう見えないように努力はするけど。ていうか十人から同時に話しかけられるってどんな状況よ。


「やっぱ実里聞いてないでしょ」


「まあねー」


「で、次はどうするの?」


 私が適当に返事をしても彼女は気にしない。

 付き合いが長いからだ。もう十年は一緒にいると思う。

 彼女ほど私の人格を理解している人物はいない。同時に、決して私に共感はしてくれないだろうことも私は知っている。


「ま、なんも。陸上部の件もあれで大丈夫だろうし」


 野村くんがやる気になってくれたからもう私の出番はないかな。突発的に起きた事件だからどうするか悩んだけど。

 目下、私が首を突っ込みたいと思うような出来事はなくなった。


「あそ。これといって問題もなさそうだし。まあいっか」


「図書室の攻防とやらは楽しんでるだけでしょうし」


「聞いてたんかよ」


「勝手に聞こえるの」


 昔から私は耳がいい。一度に聞き分けることはできないけど、遠くまで聞こえるということに関しては尋常じゃないらしい。

 こうして店にいるだけでも、例えばテーブルを三つ挟んだとこにいる女の子二人は「ミザクラ」について話している。最近二人組になったユーチューバーだ。「ヤバくない?」「やばい」らしい。

 ちなみに二人目というのは私のことなんだけどね。

 反対側に座っている男子三人は好きな女子について話している。うちの高校の制服を着ている。なるほど。彼らはおっぱいが大きい女子が好きなようだ。「やっぱ琴原でしょ」「あれは人間じゃないからなあ」「もうちょい可愛らしさがあれば……!」だそうだ。顔は覚えたからな。

 厨房にいる店員二人は最近入ったアルバイトの素行について頭を悩ませている。

 こんな感じで私は聞こうと思えば少し離れていても聞くことができる。だいたい二十メートルくらい離れてても平気だ。いまくらい近くだと聞こうと思ってなくても聞こえてしまう。勝手に脳が認識しているのだ。

 この聴力が私の活動の大きな助けになっている。でもそんなのは小さな能力で小さな助けにしかならない。


「あんたよく人からセコイって言われてそう」


 最も大きな助けは目の前にいる同年代の少女、花宮明菜だ。

 明菜は私の活動の情報収集の部分を補ってくれている。明菜は自分の気配を消すことができるのだ。それもただ気づかれにくい、とかではない。

 条件はあるけど。まず今みたいに認識してる状態からは気配を消せない。それから明菜から発した音を聞かれたり、気配を消した明菜とぶつかったりしたら認識される。それ以外なら歩こうが手を振ろうが気づかれることはない、らしい。

 特技みたいなもんだと明菜は言う。

 その特技を使って、私の人助けを手伝ってくれているのだ。

 ちなみに口調が荒いけど普段は猫被って大人しい系女子になっている。


「勝手に言わしとけばいいよ」


「そこらへん適当だよな。実里は。あたしだったら嫌味の一つでも言ってやるけど」


「私だったら適当に叩き潰すけど」


「さすが」


「叩き潰して地面の染みにして水で洗い流すまでがワンセット」


「あんただったらやりそう。ていうかやれそう」


「深夜三時とかなら完全犯罪できるかな」


「実里がそこまでしないといけない人間がいたら見れるのに」


「いやそこまでされていい人なんていないから。そこまでの極悪人なら捕まるし」


「確かに。警察は優秀だもんな」


「おかげでいつも平和だしねー」


「そうだな」


 平和。

 素晴らしい言葉だと思う。おだやかでなごやか。平仮名にするとさらに深みが増してしまうな。

 争いが起きそうになった人間はこの言葉を思い出し、自身の浅薄さを恥じ、踏みとどまるべきだ。もっとも、それができるのなら私のすることがなくなってしまう。そっちの方がいいか。

 他人の手など本来借りるべきではない。自分のできることをやればいい。

 そうは言っても私も明菜の手を借りてるのだから偉そうなことは言えない。助けがなくても問題はないけど、捗っているのは事実だ。

 ああ、違うな。明菜の、ではない。明菜達のというのが正しい。

 明菜以外にも何人か学校に私の協力者がいる。彼らのおかげで私は平和に、おだやかでなごやかに過ごすことができている。

 何百人も思春期の男女が集まれば問題などひっきりなしに起きるが、幸い今はこうして一服できるくらいには落ち着いている。

 このようなゆったりとした時間が私は好きだ。いつまでも、こんな時間が続けばいいと私は思う。


「よし」


「なんかするか?」


「すみませーん。餃子一人前! それからチャーハン一つ!」


「まだ食うのかよ……馬鹿だろ」


 呆れた声は明菜だけでなく、厨房の方からも聞こえた。その後すぐに「あいよ!」と景気のいい声が聞こえてきた。

 カラッとした店長の声に免じて、「あの姉ちゃん。将来太るな」という戯言は受け流してやることにした。


 ◆ ◆ ◆



 街はすっかり夜の闇にのまれ、どこか艶やかな空気で満ち満ちている。スーツを着た会社員は何人かで居酒屋を探し、学生はベンチで談笑したり男女でイチャイチャしている。

 午後七時ぐらいで補導されることはないだろうけど、一応私服に着替えておいた。

 スマホをちらちらと眺めながら街を徘徊していたら、目的の人物を見つけることができた。

 言うまでもなく、目的の人物というのは金谷先輩だ。彼は俺が見たことがない女の人と二人でいた。見た感じ高校生に見えるが、女性は実年齢が分かり辛い。

 彼らは随分と楽しそうに笑いあっている。その様子は街の光に照らされて、まるでドラマのワンシーンのように輝いていた。


 人の気も知らずに。


 二人がファミレスに入ったので俺も中に入った。


「お一人ですか?」


 店員に聞かれたので人差し指を立てながら、


「一人です」


 カウンター席に案内された。

 ここなら目立つことなく見て居られるだろう。体ごとだとおかしいので、視界の端で捉えておく。

 いつも不思議に思うことがある。

 サスペンスドラマなんかでは誰かを襲おうと思っている登場人物の内面描写をすることがある。中には「よし。や、やるぞ」、「やってやる、でも」、「あいつにも妻と同じ思いを味わわせてやるんだ。殺人を」と常識と憎しみの間で揺れ動く場面がある。

 その時、視聴者の間ではでかい花火が打ちあがるような緊張感を覚えているが、当然中にいる襲撃犯以外の登場人物は襲われる人間もモブも含めて誰一人として気づいていない。

 彼らの間ではいつもと変わらない時間を過ごしているにすぎない。

 視点が違うというだけでこれほどまでに景色が変わってしまうというのに、誰もそれに気づかない。

 いついかなる時も、あらゆる場面で、すべての角度から物事を俯瞰できる技術があれば、サスペンスドラマは成立しなくなるだろう。

 でもまあ実際のところ、そんな技術はあるわけがない。

 何の話をしているのかって?


 犯罪って結構簡単に起こるんだってことだよ。

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