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三話 野村裕樹① 6月14日

 授業が終わった後の黒板を誰かが消していく瞬間が好きだ。

 黒板にはその授業のすべて(前半のほうのは消されちゃうけど)が現れる。いわば授業の完成体だ。その完成されていたものが一瞬で消滅する。

 その無常感がけっこういいのだ。俺って結構芸術のセンスあるんじゃね。

 俺の数少ない趣向のうちの一つだけど、以前人に言ったら「何言ってんの?」となぜか心配されたのでこれは誰にも言わないことにした。


「何ボケっとしてんの?」


 長瀬佳奈子。

 ごく一般的な幼馴染が俺と黒板の間を遮った。邪魔だ。

 一般的、というのは見た目の話で、佳奈子は特別可愛いということもないし、目立って不細工ということもない。中学の時、友達何人かと「可愛い女子ランキング」で誰か一人が五位に名前を挙げる、そんな感じだ。ちなみにその一人とは俺のことだったりする。

 幼馴染の贔屓目ありだとすると、佳奈子は意外とかわいいところがある。歌がものすごく下手で音楽の歌のテストの時、毎回一生懸命練習しているところとか。ていうか幼馴染に贔屓目とかあんのか?


「別に。最近楽しいことあんまねえなーって」


 黒板を見ていたとは言えないので、適当に誤魔化す。ちなみに佳奈子が俺の趣向を聞いて心配してきた奴だ。


「へー退屈なんだ。動画投稿でも始めたら? ゲーム好きでしょ」


「なんでだよ」


「いや退屈っていうから」


「だからってなんで動画投稿しなきゃならねーんだよ。大体ゲームはやるのが好きなのであって、人に見せるためじゃねーし」


「あそう。なら音楽は? キーボード買って作曲とか」


「やだよめんどくさい。ていうか何でそんなクリエイティブ方面に偏ってんの?」


「退屈っていうから」


「そんなん言われて、俺がはいやりますって言うと思うか?」


 ていうか微妙に答えになってねえ。


「いや、あんまり思わない」


「思わないのかよ」


「まーでも、何かやってみてもいいんじゃない? 裕樹は頭いいんだし」


「うるせ」


 会話に満足したのか「はいはい」と言って佳奈子が離れていった。

佳奈子がモテないのって女の子らしさがないからだろうな。見た目じゃなくて中身が。他の女子に「退屈だ」なんて言えば「えーなんで?」「そっかーなるほどー」「あーでも私もかも」「なんでこんな退屈なんだろうねー」なんてどうでもいい話が始まるだろう。

 佳奈子は結論を弾きだそうとする。いっそ清々しいくらいに。ほわほわした女子っぽさを求めるなら、佳奈子は適任ではない。

 にしても、動画投稿に、音楽か。

 いや、ないな。

 そんなのやっても伸びるとは限らない。70億総発信者の現代では競合が多すぎる。何か投稿したとしても類似する動画、曲は無数にあるだろう。その中で俺だけの特色を見せていくのは困難を極めるはずだ。そもそも俺に目立った特色なんてないし。

仮に伸びたとしても顔バレ、身バレとかリスクもある。顔だしなしのゲーム実況なら可能性は低いけど、顔を出さないっていうのはそれだけでウケるチャンスが減るらしいし。ただやりたいってだけなら好きにすればいいけど、別にそこまでやりたいわけでもない。売れるのを優先するなら顔出しは必須らしい。

ちなみにこれ全部、動画投稿者の受け売り。

というわけで動画投稿も曲もなし。

 いつも通り、なんとなく過ごしていくとしようか。


 ◆ ◆ ◆


 北川先生の気合の入りようがここ最近凄い。

 今までもそれなりに厳しい方ではあったけど、田神が入部してからは厳しさのランクが一つ上がったように思える。

 俺はそこそこ、とはいっても部活の時間ぐらいは全力で必死になるくらいはやろうと思っていて、長距離走の地区予選でそこそこの成績を残せればいいな、というくらいのスタンスで部活動に参加している。

 要するに普通って感じだ。

 みんな口では「全国優勝!」なんてとりあえず言っているが、本気でそう思っている人間はそんなにいない。自分の実力をわかっているんだ。

 限界を知っているから、思い出作りの一環として部活動に打ち込む。そういう人間は俺以外にもいると思う。意識的か無意識的かは別として。


「野村ー。部活行こうぜ」


 授業が終わり、学校は勉強から部活動の空気へと変化する。この瞬間も結構好きだったりする。勉強という行為に縛られた時間が終わり、部活や帰宅など各々のプライベートへの時間が始まる。

 部活動がプライベートって言われて違和感がある人もいるかもしれないけど、みんなやりたい部を選んだと思うし、やっぱりプライベートで正しいと思う。

 緊張、ストレスから解放されたときの学生はすごい。話し声、笑い声、歩く音、椅子が床をする音、扉が動く音、その他色々な音が一気に教室を動き回る。そんなものを味わえるのは学校しかないと俺は思っている。

 だから学校は好きだ。


「おう」


 このクラスでは陸上部に所属しているのは俺と広田だけ。

 そのこともあって自然と二人でいることが多くなった。

 俺たちは運動部用のバッグと普段使いのバッグを背負って教室を出た。


「そういえば田神、またタイム縮んだらしいぜ」


 そう言った広田はしかめ面をしていた。


「まじかよ。あいつまだ速くなるのかよ」


 田神は入部時からすさまじい能力を発揮した。一年生が最初にするテストがある。短距離、中距離、長距離をみんなそれぞれ得意な距離を走る。

 田神はまず百メートルを選んだ。ウォームアップをして、スタートの号令とタイムを計る人の準備ができた。

 二年や三年は軽く練習しながら物見遊山に興じていた。普段もそんなに必死ってわけでもないけど、この日は一層気が緩む。みんな新入生に興味津々なのだ。

 旗が振り上げられると田神は走った。

 数秒後、ゴールと同時に二年、三年がざわめきだした。あいつ速くね、と。

 その時タイムを計っていた三年の先輩が「はあ?」と声を出したのが聞こえた。

 しかもそれだけでは終わらず、田神は次に長距離のテストにも参加したのだ。結果は言わずもがな。

あっというまに田神は部のエースになった。


「入部したてでも全国出れそうな勢いだったんだぞ」


「まじで優勝するんじゃね」


「ありえるよなあ」


 俺と広田はそろってため息を吐いた。

 俺たちは酷い先輩だろうか。後輩が実力をつけているというのに喜ぶどころか憂鬱に感じている。

 嫉妬ですらない。

 ただただ練習がきつくなるのが嫌なだけだ。


「今のうちに先輩風吹かしとくか」


「あー。ありあり」


 田神が大物になって「優勝できたのは野村先輩のおかげです」なんて言ってもらえればちょっといい気分になれそうだ。今のとこあいつに何もしてないけど。


「いいか田神。お前に足りないのは―――」


 広田が田神にアドバイスをする練習を始めた。当たり前だけど偉そうだ。


「えーっとなんだろ」


「考えずに言い始めたのか」


「急には出ねえって。あいつ俺より出来てるんだし」


「たしかにな」


 言ってる間に陸上部の部室に着いた。うちの高校は部室棟がある。大体縦五メートル、横三メートルくらいの部屋で、それが一階に五つ、二階に五つある。

 一階の右から二番目が我々陸上部の部室にあたる。

 部員はゆうに四十人は超えるのでかなり手狭だが、バッグが入るロッカーは壁一面に設えられているので問題は無い。


「とりあえず練習頑張ろうか」


「だな」


 俺は部室のドアノブを捻った。

 これが俺の生活だ。勉強も部活もそこそこ全力で楽しみつつ、天才にはかなわねえなと現実を受け止めて楽しく過ごす。

 さて、今日も楽しく走ろうじゃないか。そんな気分で俺は部室に入った。


◆ ◆ ◆


たかだか2、3時間の運動がなんでこんなに疲れるのか何度も考えたことがある。

 俺、体力ないかな。でももし2、3時間も走り続けてなお平然としてたらどうだろうか。

 やばいな。やばい。

 それが自分だったらと思うと寒気すら感じる。

 パソコンなんかは使い続ければ熱を持つ。俺の場合ゲームしたりネットに入ったりとか。

 それがパソコンの本分だ。パソコンが本分を果たすとき、パソコンは熱を持つ。

 逆説的に熱を持っている時は本分を果たしているということだ。ということは人間は運動をすると熱を持つので、運動が人間の本分ということだ。

 違うか。

 俺は流しっぱなしの水道から頭を離した。だいぶスッキリした。頭が冷えた。運動後にはこれが効くんだよな。


「お前なんかぶつぶつ言ってなかった?」


 広田が隣で頭をタオルで拭いていた。


「言ってねえよ」


 やば。口にしてたのか。


「あそ」


 それ以上広田は追及するつもりはないようだ。助かった。

 タオルで頭を拭き、水筒のお茶を飲みながら俺は広田と部室に戻った。

 部室には大半の部員が残っていた。各々帰宅の準備、または仲間との雑談を楽しんでいる。

 俺もその中に加わった。

 運動部は部活が終わったら制服に着替えるという校則があるので、俺は着替えがながら広田とよく雑談している。


「タイムどうだった?」


「俺はそんなにって感じだったな。広田は?」


「若干速くなった。でも誤差かもなあ。わかんねえ」


 俺と広田は同じ陸上部だけど、明確に違う点がある。俺は長距離走の選手で、広田は短距離走の選手だということだ。

 でもどちらにせよ、タイムの更新は簡単にできるもんじゃないから広田の「若干速くなった」というのは素直にすごいと思う。たった0.1秒でも速くなったのなら喜ぶべきだ。


「田神はまたタイム更新したんだとさ」


 広田は少しだるそうに言った。


「まじか」


 田神のタイムは高校生全国大会の短距離走で活躍する選手と比べても劣らない。そんな田神のタイムが縮まるというのは、同じ短距離選手としてはひどく嫌な気持ちになるだろう。

 おそらく広田が素直にタイム更新を喜ばないのもそういうところもあるはずだ。

ちなみに俺は気にしてない。

 長距離走でも田神は優秀な成績を残しているけど、どうだっていい。


「お疲れ様でーす」


 俺と広田は部室に残っていた先輩たちに挨拶をして、駐輪場の方に向かった。

 なんだかずっと広田と二人きりな気がする。今日はたまたま、練習が終わった後にクラスの奴と会って話してたからみんなより遅れただけで、普段はもっと同学年のやつらと一緒にいる。

 駐輪場に着くまでは適当な話をしていた。

 明日の数学の小テストが面倒だとか、もうすぐ体育祭があるからリレーの練習もしないとだめだなとか、そんな感じだ。

 突然、肩に何かがのしかかった。広田はスキンシップを好まないので、広田じゃないことはわかった。


「よ、お疲れ」


 軽い口調に、シーブリーズで拭き取れなかった汗の匂いの中からほんのり匂う香水が特徴の先輩はただ一人しかいない。


「金谷先輩」


 広田が彼の名前を口から零したように呼んだ。


「どうしたんですか?」


 金谷先輩は「上」の方に位置している。

 派手目の女子の先輩とは仲がよさげで、誰かと楽しそうに話している姿をよく見かける。彼女がいるという話は聞いたことがないが、けっこうモテるらしい。

彼がいるとこに人の輪があり、人の輪があるところに彼がいる。

 そんな人だと思う。

 思う、というのは俺が彼とあまり関りがなく、あまりよくわかってないからだ。

 ちなみに俺はこの人が苦手だ。金谷先輩に限らず、そこまで親しくもないのになぜか親し気に接してくる人たちが苦手だ。


「お前らさ。ぶっちゃけどう思ってる?」


 金谷先輩は俺と広田の顔を交互に見た。


「何がですか?」


 なんとなくわかっていながら、俺は尋ねた。


「田神のこと」


 金谷先輩の目に怪しい光が宿った。

 俺は内心ため息をついた。

 金谷先輩は、陸上の選手としても上位に位置している。次の県大会も予選くらいなら軽く突破できるだろう。うちの陸上部でナンバーワンとの呼び声も高かった。

 そう。

 高かったのだ。

 田神が入部するまでは。

 元々人気のあった金谷先輩が他の部員から見限られることはなかったけど、やっぱりどこか扱いが変わったように思えた。俺は見てるだけだったけど。


「い、いや俺は別に何も……」


 広田はあんなふうにやっかみを口にするけど、本気で嫌っているわけではない。うまくいっていない自分の現状にムカついて、ちょっと鬱憤晴らしに田神を利用しているだけだろう。それはそれで酷いけど。


「野村は?」


「俺も別に」


 どうも何もない。

 田神がいくらすごかろうと、それは俺には関係のないことだ。あいつを羨んでもそれで俺に変化が訪れるわけじゃない。そんなことをするぐらいなら、もっと別のことに労力を割くべきだ。


「ふーん。そうか」


 金谷先輩は俺たちからパッと離れた。


「また明日な」


 金谷先輩の目からさっきの怪しい光は消え、ニッと笑って去っていった。

 俺たちはすぐに動くことができなかった。


「今のさ」


 広田がぽつりとつぶやいた。


「もし別のこと答えてたらどうなってたんだ」


 別のこと。金谷先輩が考えているであろうことと、同じ意見。

 つまり、田神について否定的な意見ということだ。

 それを金谷先輩に言ってしまうとどうなってしまっていたのか。正直考えたくもない。


「帰ろうぜ」


「おう」


 ◆ ◆ ◆


 それから一週間後、事件は起こった。

 部活が始まる前のことだ。


「あれ」


 気の抜けた声を出したのは田神だった。

 部室で着替えている最中だった。部室には俺と田神、他にも何人かが着替えをしていた。みな思い思いに雑談を交えていたが、田神の異変に気付き話し声が沈んだ。


「どうした?」


 たまたま近くにいた俺が声をかけた。

 一応俺は先輩のはずだけど、田神は返事をせずに「あっれー」とか「えー」とか言いながらロッカーの周りをしきりに漁り始めた。

 ロッカーの周りは使われなくなった、誰の物かもわからないスパイクやトレーニングシューズやバッグなどが散乱していて、けっこう散らかっている。


「なんか失くしたのか?」


 田神が何か探していることは誰の目にも明らかだった。

 それを手伝うのは当たり前だが、探している物がわからなければ、手伝いようがない。


「いえ、あの……」


 田神は言い淀んだ。

 探し物が何か言わない時の理由なんて大体決まっている。

 見られて恥ずかしい物で言い辛いか、もしくは失くすことなど想定していなくて、混乱しているかだ。


「言ってみろって」


 恥ずかしい物、例えば好きな子の写真だとかエロ本だとかだったりする可能性もあるが、田神は真面目な奴だ。それはないと考えていいだろう。

 俺は何度か話すように促すと、田神はゆっくりと口を開いた。


「野村先輩。スパイクがありません」


 部室が少しどよめいた。

 状況を飲み込めていないのか、田神はどこかぼんやりとした表情をしている。

 俺の脳裏には、金谷先輩の顔が浮かんでいた。どう考えてもあの人しかいない。少なくとも、俺の中では。

 田神の陸上の実力は全国レベルだ。だがこの高校は平凡な高校だ。設備も整っているとは言い難いし、コーチを務める先生も知識はあるが、有力選手だった過去を持つわけでもない。

 そんな部に入る生徒も、当然平凡だ。俺を含めて平凡な選手ばかりだ。選手と呼ぶのもはばかれる。ただの学生だ。

 そこに、田神だ。

 平凡な人間の中に、天才が一人混じったらどうなるだろうか。普通なら戸惑ったり羨んだり、もしくは純粋に感動しつつ、受け止めるだろう。

 それができない人間もいる。部員は40人もいる。40人の中で田神のことを憎く思っている人間が金谷先輩だけとは限らない。それに陸上部以外の人間が犯人の可能性もある。

 金谷先輩が犯人だと決めつけるには少し早いだろう。


「まじ?」


「はい」


「昨日はあったのか?」


「はい」


 ほとんどの部員は部室にスパイクを置いている。

 ロッカーは部員が全員使っても余裕があるくらいはあるからだ。

 田神もその一人だということだろう。

 それがないということは、やはり盗まれたということだろう。


「オレ先生に言ってくるよ」


 俺と同じ二年の西村が部室を出た。

 スパイクは高校生にとって高額な代物だ。それに盗んだものが何であれ、盗みは立派な犯罪だ。子供だけでどうこうしていい話じゃない。


 ややあって西村と北川先生が部室に来た。

 先生はいつもと変わらない真面目な表情だったけど、どこか違う気がした。

 二人だけで話をするため、先生と田神以外の陸上部員は部室から出た。今日の練習は行わないとのことだ。

 みんなでグラウンドにいた部員たちにおおまかな事情を説明し、解散となった。

俺は委員会で遅れていた広田に「部活なしだってよ」と連絡を回し、そのまま校門に向かった。

 俺の家は学校の最寄り駅のすぐそばにある。

 校門を右に曲がり、すっかり花弁を散らした桜の木が並ぶ川沿いの道を五分ぐらい進み、人間が入っているところを見たことがない植物の種屋さんのところにある信号で道路の反対側に渡り、住宅街に入る。

 さらにそこからくねくねっと五回ほど角を曲がったところが俺の家だ。

 植物の種屋さんの目の前に駅があるので、そこまでのルートは結構同じ高校の学生がいる。特に今日なんかは部活がなく、一斉に帰る帰宅部と合流する形になるので、いつもよりも多い気がする。

 校門を出たところで、見知った背中を見つけた。


「川上―、黒田。お疲れー」


 同じ陸上部の二人だ。同級生だけどあいつらとはあんまり話したことがない。

 二人とも短距離走の選手だし、それにいつも二人でいるから話しかけづらい。俺も広田と二人でいることが多いけど、他の人とも普通にいる。でもこの二人はほとんどそんな様子を見ない。

あ、お疲れ。野村。

お疲れ。

 二人とも声が小さくてあんまり聞こえなかったが、多分そう言ったと思う。


「お前ら最近どんな感じ? あ、陸上のこと」


 田神のスパイクの件について話すのはなんとなくはばかられた。

 別に、楽しいけど。

 可もなく不可もなく。

 たぶんこう言った。


「え、どこ行くん?」


 二人はさっさと歩いて行ってしまう。

 話すことがあるわけじゃないけど、逃げることはないだろ。


「部活なくなったのラッキーだよなー」


 うん。

 そうだね。

 二人は止まらずにそう言った。あまり会話をしたくないようだ。

 これ、なんか怪しくね。この二人。もしかして、俺と広田の代わりに金谷先輩に唆されたんじゃないだろうか。ここまで俺を避けようとするなんて、それぐらい怪しい。

 でももう一つ可能性がある。

 単に俺と話すのが嫌だという可能性だ。二人に何かした覚えはないけど、苦手意識を持たれているのかもしれない。

 そっちだとしたらものすごく悲しい。


「じゃ、俺こっちだから。またな」


 また明日。

 ばいばい。

 蚊の鳴くような挨拶を聞いて俺は二人と別れた。

 二人が右に曲がったので、俺はまっすぐ進んだ。


 帰宅部たちに混じって駅までの道を歩く。

 不思議と知り合いはいなかった。

 俺は一人考えながら歩いた。

 金谷先輩そして川上と黒田。三人は本当にスパイクを盗んだのだろうか。でも、記憶が正しければ昨日三人が同時に姿を眩ませたことはない。少なくとも部活の最中は。

 ロッカーは毎日開く。部活が始まるときと終わる時だ。だからスパイクが盗まれたのは昨日の部活終わりからさっき田神がロッカーを開けるまでのどこかだ。そうなれば、今日の授業中だろうか。もし、三人が今日の授業時間中、もしくは休憩時間中のどこかで教室からいなくなっていたのなら、その時に盗んだのかもしれない。

 でも授業中はないだろう。授業を抜けて盗みに行く。そんな目立つことをしたらすぐに犯人候補として名前が挙がるだろうし。

 それなら休憩中か。休憩中ならどこかにいなくなっても誰も気にしないだろう。ただ部室の鍵は職員室にあるから、誰にも見られずに鍵を手に入れることは困難だと思う。

 それか鍵を使わずになんとかして侵入したのだろう。

 やり方はなんだろう。前日の内に鍵を閉められないように、鍵の中のとこに何か詰めていたとか。

 つかあれだな。

 やっぱあの人たちなんじゃね。

 他にも犯人候補がいたら話は変わってくるけど、俺の中では金谷先輩は確定で、川上黒田は濃厚ってとこだ。

 でもこれって俺の推測でしかない。状況証拠はあるけど、逆に言えばそれしかない。

 確たる証拠がないまま、犯人だと突きつけてもし違っていたら俺の高校生活は終わると言っても過言では無い。

 そういう不安要素を全部置いておいて、本当に金谷先輩達が犯人だとしよう。

 俺は周囲の人たちにそれを言うべきだろうか。このことを言うということは、安全圏にいるだけの人物から情報提供者へと変わるということだ。

 なんてことは無い。

 要するにビビっているのだ。でも、それでもいいだろ。深く事件に関わることを避けたいと思うのは自然なことだと思うし。

 正義感に駆られて行動した結果、良くなるとは限らない。それなら無理に関わらずにいた方がいい。


 ぐるぐると益体のないことを考えていると、それを止めるかのように頭に何か感触があった。

 うつむき加減になっていたので気づかなかった。

 すぐにそれから離れると、ぶつかったのは人だということがわかった。


「あ、すみません―――」


 言いながら、俺の脳はその人物のことを思い出していた。


「なに。気にするな」


 人と人がぶつかった以上、悪いのがこちらだけでは無い。それにも関わらず、その不遜な態度。

 黒髪が大半を占める日本では目立ちすぎる金色に輝く美しい頭髪。

 誰もが目を止める程の美貌を持つ女生徒。

 彼女の名前はあまりにも有名だった。

 琴原美里。

 うちの高校の生徒なら知らないやつはいないと思う。

 ここで出会うとは思ってもみなかったが、話すことなど何一つない。


「ところで野村くん」


 頭を下げて脇を抜けようとした時、彼女の言葉が俺を引き止めた。


「他人に迷惑をかける失敗をしたのが自分であることを黙っているというのはどういう心境なんだと思う?」


「は?」


 何言ってんだこの人。


「例えば、学校の銅像が壊れてしまったとしよう。壊した人物はわざとではなく、友達と遊んでいたら、たまたまボールが飛んで行ってぶつかって壊れてしまった。そういう時、つい犯人だと名乗り出なかったということはよくあることだ。もちろん、目撃者がいないという前提でだ」


「そんなの決まってますよ。怒られるのが怖かったんでしょう」


 この人、なんでこんな話をしてて来るんだろう。

 いや、心当たりはあるんだけどさ。限りなくその可能性は低いだろうけど。もしそうだったらかなり気持ち悪いなとか思ってるんだけど。

 田神のスパイクの件、知ってるんじゃないだろうか。そして俺が金谷先輩を疑っていて、状況的に犯人である可能性が高いということを。

 ていうかこの人俺の名前呼んでなかった? なんで知ってるんだよ。


「そう考えるのが自然だな。そうなると、犯人は現れず事件はお蔵入りになった。ではここで問題」


「なんなんですか」


「実は銅像を壊したところを見ていた人がいたとしたら?」


「そりゃ―――」


 言いかけて、俺は気づいた。

 やっぱりこの人、知ってるんだな。

 琴原先輩は「報告しない理由はいくつか考えられる。第一としてその犯人を庇っている。友達だったとか好きな人だったとかな。第二としてはその犯人が怖い人物だった。やんちゃな同級生には逆らわないのが世の常だ。第三としては―――」と得意げな表情で持論を展開し続けている。

 なんか。なんだかなあって感じだ。

 要するにあれだろ?


「言えよってことですよね」


 琴原先輩はピタリと喋るのを辞めた。

 なんだよ不気味だな。


「なんで知ってるのかわかりませんが、俺が行動することでしか事態は解決できないし、するべきだと。そう言ってるんですよね」


「野村くんは意外と頭がいいな」


 意外とは余計だ。


「そして君が事件に関わるのが面倒だということも知っている。だが君はどうするべきかわかっているのだろう?」


 ほんと偉そうだなこの人。

 まあ、でもそうなんだよな。広田はあれで気が弱いところがあるし、きっと閉口してしまだろうし。俺が言わないと誰も言う人がいなくなる。て、ちょっと待てよ。


「琴原先輩はどうなんですか? 俺が言わなくても琴原先輩が言えばいいじゃないですか」


 俺は極力面倒ごとに関わりたくない。損することはあっても得することはないからだ。

 俺がやるよりも、そういう小さなことも何もかも超越してそうな琴原先輩が行動した方が、反感を買うこともないだろう。


「君はそうだな。言い訳が多い」


「は?」


「私にもあったなー。そういう時期が。思考が回ってしまうばかりに何をするにもリスクを勘定に入れちゃうんだよなー。わかるわかる」


「そんな時期が琴原先輩にもあったと?」


「ま、ないけどね」


 うぜえ。急に口調が砕けたのもなんかうぜえ。


「自分で自分の行動を制限するのって、結構損だ。後悔するかもしれない」


 まじで、なんなんだよ。だんだん腹が立ってきた。なんでも知ってるのはよくわかったし、頭がいいのも何となくわかったし、俺にどうしてほしいのかもわかった。

 その上で、言わせてもらう。琴原先輩は気に食わない。そんな人の言うことを聞いてやろうと思う気になれない。

 むかつくことに琴原先輩は楽しそうに微笑んでいる。何を考えているのかさっぱりだ。


「わかりましたよ。言えばいいんでしょ。言えば。話は終わりですね。では」


 事件に関わるよりもこの人と関わる方が面倒に思えてきた。適当に誤魔化しておこう。


「私は一度も『言え』とは言ってないぞ」


 先輩の言葉に俺は思わず足を止めた。


「野村くんは素直でいい子だからな。たまには狡猾に立ち回るのもいいと思ってな。私からはこう助言させてもらおう。絶対に『言うな』と」


 琴原先輩はニヤッと口角を上げていた。


「ふはっ」


 俺も釣られて笑ってしまった。

 ほんとにイヤらしい先輩だなこの人は。なんなの? 俺のこと好きなの? ってくらい俺の生態を理解してやがる。気持ち悪いほどに人の心理をついてきやがる。

 こんな面白いこと言われたら、もう絶対に反発してやるしかないって。


「わかりましたよ。わかりました。絶対に誰にも、何も言いませんよ。それじゃ」


 あーあ。

 これ絶対乗せられている。これでもかってくらい綺麗に乗せられてる。わかってるけど、それもまあいっか、と思った。

 人間の思考なんて完全に理解しきっている悪魔みたいなこの先輩に、乗せられてやろう。


 ◆ ◆ ◆


 翌日、部活が始まったと同時、俺が琴原先輩に反発する機会は失くなってしまった。

 田神のスパイクを盗んだ犯人と思っていた金谷先輩が入院したと聞いたからだ。


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