風の囁き
母や知哉のことを思い出せたことにより、記憶を呼び覚ます手がかりを掴めてきたのかそれに続くように篤志、洋貴、クラスの人達のことを少しずつ思い出していけるようになった。
そのことををきっかけに前の自分に申し訳ないと思っていた人生は、新たな発見と思い出が増えていくことでいっぱいの毎日で。
けどその一方、記憶を取り戻していってるにも関わらず、心の片隅には前から感じていた何か物足りなく寂しいような感覚。それが未だに変わることなくずっと残っていた。
知哉や篤志、洋貴のことを思い出し、以前の記憶も交えながら三人と過ごせる日々が当たり前になってきていた放課後。
靴箱を開けると、久しぶりに三通目となる手紙が入っていた。
その手紙を見て二通目から少し時間が空いた今もまだ、僕は手紙についての記憶を何一つ思い出せていなかったことに気付いた。
<ダリアへ
一昨日は午後から久しぶりの大雨でしたね。
私は天気予報を見て家を出たからよかったけど、私のクラスでは放課後になって傘を忘れた人が続出して、みんな雨に打たれながら帰っていました。
ダリアは濡れずに済みましたか?
ちなみに来週も大雨になるらしいから、傘を忘れずにね。
私より>
何気ない手紙……
でも心成しか、この手紙をどこか楽しみに待っている自分がいた。
「おはよう」
「おはよう。朝ご飯できてるよ」
次の日。僕はまだ眠たさが残る目を擦りながら一階のリビングへと降りた。
〔今日の天気予報です。
台風の影響もあり、風の強い一日となるでしょう。
くれぐれも強い風には警戒してください。〕
ちょうど僕が降りた時間、テレビでは朝のニュース番組のお天気コーナーがやっていた。
僕はそれから忙しなく朝ごはんを食べ終え、全ての準備を終わらし家を出ようと玄関のドアを開けた。
すると、ドアを開けたそばから風がビュンビュンと音を鳴らし、顔をしかめたくなるくらいの強い風が吹いていた。
けどそうこうしているうちに朝のホームルームも始まってしまうため、とりあえず僕はそのまま学校まで向かおうと歩き出していた。
「うわっ」
家から少し歩いたところで、僕はまたも強い風に吹かれた。
完全に油断しきっていた僕は、体ごと持っていかれそうになってしまっていた。
僕は風に飛ばされないよう、今度は全身に力を入れた前傾姿勢になってまた歩き出した。
(それにしても、今日の風はすごいな……)
風自体が感情を持っているというのか。何かに操られるというよりも意志を持って動き、吹いているような……
強い風はいろんな角度から吹いたり止んだりを繰り返し、とにかく安定することのない風だった。
僕は何とか学校まで辿り着くと、朝から日菜が明るく話しかけて来た。
「ねぇ遼介。
今日の放課後、空いてない?」
「特に予定は入ってないけど……」
「なら決まりね。
最近人気になってるカフェのクーポンがあるの。だから放課後一緒に行こ」
このとき僕はふと思った。
(そういえば、日菜のこともまだ思い出せてないや……)
クラスの中でもほとんどの人の記憶を取り戻していたが、知哉たちと同じくらい一緒に過ごしているはずの日菜だけ、なぜかまだ思い出すことが出来ていなかった。
(でも今日の放課後をきっかけに、日菜のことも思い出せるかもしれない……)
そう思い、「うん。分かった」
僕は日菜からの誘いを笑顔で受け入れた。
昼休みの時間、僕は知哉たちに日菜と放課後カフェに行くことを話した。
「お! いいじゃん。楽しんでこいよ」
最初は僕と日菜の関係に驚いてた知哉も、今ではすっかり当然のことのように受け入れていた。
「そこのカフェ、パンケーキが有名って聞いたことある。
しかもそれがめっちゃ美味いって」
篤志は自分が行ったことはないものの、そのカフェのことについて知ってはいた。
「マジか!
遼介、俺も連れてけよ」
篤志の話を聞いた洋貴は立ち上がり、こっちに迫り来るように言ってきた。
「洋貴、空気読めよ」
続けて言った知哉の一言で、洋貴はがっかりするようにまた座ってしまった。
「今日はあれだけど、またみんなでも行こ」
僕がそう言うと、洋貴はとびっきりの笑顔で何度も頷いていた。
「じゃあな」
「また明日」
僕は先に教室を出た知哉たちに手を振り、帰る準備ができた日菜と一緒に目的地のカフェまで歩き出した。
朝とは違い、静かになった風。
でも学校からしばらく歩いた辺りで強い風が一気に僕の後ろから吹いた。
(え……?)
強い風が吹いた瞬間、その風は僕に向けられて吹いているような……
そんな雰囲気が僕の中で漂っていた。
なぜか僕は風が吹いた先の後ろの方に惹かれるものを感じ、思わず後ろを振り返っていた。
「遼介? どうしたの?」
急な僕の行動を心配して、日菜は聞いた。
「いや、何でもないよ」
振り返ったところで結局何もなかったため、僕は心配する日菜に作り笑いで答えた。
「そっか。ならいいけど……
もうすぐで着きそうだよ」
僕の作り笑いにまだ少し日菜の中で納得できていない部分がありそうだったが、日菜はすぐに明るく切り替えてくれていた。
「うん。行こう」
そこから僕達はまた何もなかったかのように歩き出した。
駅から少し歩いた辺りのところで、カフェらしきものが見えた。
「ここ……」
確かに初めて来たはずのこの場所。
けど僕は一度、誰かとここに来たことがあるような……
そんな違和感を抱いていた。
「知ってるの……?」
日菜は不思議そうにというよりは、僕の顔色を窺うように聞いてきた。
「いや……」
僕はそんな日菜にこの違和感のことを言いづらくなり、結局何も言わないまま店の中へと入っていった。
「ねぇどれにする?」
メニュー表を手に日菜は聞いてきた。
「んー、ならこれで」
僕はチョコパンケーキとコーヒーのセットを頼んだ。
「なら私は……
これにしよっかな」
日菜が選んだのは、いちごパンケーキとミルクティーのセットだった。
「お待たせ致しました」
店員さんに運ばれてきたパンケーキは、見た感じだけでもとても美味しそうだった。
「いただきまーす」
「いただきます」
お互い手を合わせ、僕は先に日菜が食べるところを見ていた。
「美味しい」
幸せそうな笑顔で日菜は言った。
僕はそれを見て、
「美味しそうに食べるね」
無邪気に食べる日菜に、僕は思ったことを素直に言った。
「だって本当に美味しいから。
ほら、早く遼介も食べてみてよ」
(あれ、この光景……
確かにどこかで、でも何か違うような……)
最初にこのカフェを見たときと同じ違和感が、僕の脳裏を彷徨っていた。
「遼介? 大丈夫?
今日ずっとボーっとしてるように見えるけど……」
「え? いや。大丈夫だよ」
今度は不安そうに聞く日菜に、僕はまたも作り笑いで答えていた。
「本当に?
しんどかったら無理しないでいいんだよ」
「うん、大丈夫。
無理なんてしてないから……」
僕がそう言うと、これまで明るく振る舞ってくれていた日菜も顔色が少し暗くなったような気がした。
「ありがとうございました」
僕達はパンケーキを食べ終え、店員さんからのお礼の言葉と共に店の外へと出た。
「美味しかったね」
「うん……」
「また来ようね」
(これもだ。この言葉を確かに僕はどこかで聞いたことがある……
でも何だろう、この違和感は……)
店を出てからも、僕は日菜の行動一つ一つに違和感を持っていた。
「ごめんね……」
「え……?」
「遼介やっぱりしんどそうだし、無理に付き合わせちゃったかなって」
「いや、そんな……」
「全然いいの、だから気にしないで。それじゃあ……」
暗く沈む声と共に、日菜は振り返ることなく真っ直ぐと帰っていった。
僕は日菜が遠くなっていく姿を、その場でしばらくじっと見ていることしかできなかった……
(僕が悪いんだ。
ずっとどこか浮かない顔をして、脳裏に浮かぶ違和感のことばかりに気を取られていたから……)
(家に帰ったら、ちゃんとメールで謝ろう……)
そう思いながら一人、ゆっくりと家まで帰っていた。