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7(王子の憂鬱)

 


 憂鬱だ。

 自分で決めたことなのに、こんなにもうだつが上がらないのは彼女のあんな顔を見てしまったからだと、エリックはウィザードロゥの帰り道、狭い車内で考える。


 彼女。イザベラ・オーガスタスは少し変わった女性だった。


『野菜を育てております。いついかなる時も自力で生きていけるように』


 妃候補たちとの交流の場で、令嬢らしからぬ趣味を楽しそうに教えてくれたのは2年前だった。

 誰もかれもが模範的な受け答えをする中、彼女の素直な言葉はとても異質で…魅力的だった。

 誰が最も妃としてふさわしいかを見極めるための会で、真に心の内をさらしてくれたのは彼女だけだったからだ。そうして5人の中でも年嵩で特に目立ったところのなかった令嬢は唯一エリックの興味を引く存在となった。



 ◆◆◆



「ゲハード!なぜ今日の会にイザベラ嬢がいない?」


 エリックは小さなお茶会を取り仕切る事務官に詰め寄った。


「…なぜ、と言われましても。イザベラ様は体調不良のため、療養に入られたそうです」

「体調不良…どこか悪いのか?」

「さあ…強いて言うのなら頭でしょうか」

「ゲハード!!」


 王子の叱責にも耳を貸さず、つんとした態度で書類仕事を続ける事務官は性格が悪い。

 さらにこれで仕事はできるのだから質も悪い。あらかた先日のイザベラの態度を良しとせず、勝手に落第通知でも送ったのだろう。


「イザベラ様は妃となることの自覚が足りなさすぎます。しかし、ご実家はさすがですね。例の件がもれて騒ぎになる前にイザベラ様をお隠しになった。こちらとしても、騒ぎになれば沙汰を出さねばなりませんから…それは王子としても本意ではないでしょう?」

「私に気を使ったというのか」

「王子がイザベラ様を気に入られたことはすぐにわかりましたから…こちらを」


 ゲハードが帳簿を付けているのとは反対の手で、わきによけてあった一通の手紙を差し出す。


「っ!イザベラ嬢からか」

「…ずいぶん嬉しそうにされていますが、内容は当たり障りのない謝罪の手紙ですよ」

「勝手に読むな」

「そういうわけにはまいりません」


 仕事ですから、と淡々と告げたゲハードはそこでふと手を止める。


「しかしこの初動の速さ、もしかしたら…」

「なんだ」

「いえ、もしこの一連の騒ぎをイザベラ様が計算して動いていたとしたら…と。」


 そこまで言ってゲハードが頭を振り、目の前の帳簿に向き合う。


「なんて、ありえませんね。もしそうだとしたらイザベラ様は王子の気を引くためにとんでもない賭けをしたことになる。あの発言で王子が興味を抱くかなんてわかるはずもないのですから」


 エリックは渡された手紙を眺めた。

 もし、ゲハードの言う通りだとしたなら、この手紙はとてつもない意味を持つ。

 イザベラの瞳と同じ琥珀の封印を見つめ、エリックは唇を引き結んだ。



 ◆◆◆



 イライザからの手紙は劇薬だった。

 当たり障りのない時折挟まる奇天烈な言葉と発想。面と向かって相対しているときよりも、さらに互いの内面が良くわかる手紙のやりとりはエリックの心をあっという間につかんだ。

 ウィザードロゥでの暮らしの中に垣間見える彼女の面影はエリックの興味をいっそう駆り立てることとなったのだ。


「やはりイザベラ様は頭がおかしいかと」


 もはや恒例となった、ゲハードからの手紙の受け渡し作業。

 毎回何かとイザベラへの小言付きだ。


「業務が増え、よく眠れないとおっしゃる王子に、羊を数えればよいのでは、などとよくもまあそんな発想がでてくるものです」

「…ゲハード、私はまだ読んでいないのだから先に言うな。それと、業務を増やしているのは誰だと思っている」

「王子を思ってのことです。お茶会にはあまり参加したくないようですから」


 否定できない事実にエリックは口をつぐんだ。

 ここのところ妃の選定に関し周囲がとてもざわついている。

 お茶会参加者であるグレイプ家の令嬢ソフィアが行方不明となったからだ。いまだその行方は明らかになっておらず、グレイプ家も詳細を公にしなかった。そしてそれは、騒ぐ人々に一つの憶測をもたらした。


『名門貴族のお嬢様が未だ行方知れずというのはおかしい。娘が行方不明となったのに大々的に捜索をしようとしない実家もおかしい。さては、より高位の者に口止めをされている』


 と――。

 そしてそのピリピリした空気感は小さなお茶会にも広がっており、このところエリックはお茶会への参加を休んでいた。



「ゲハード、ソフィア嬢のこと、どう考える?」


 エリックは、性格は悪いが優秀な事務官に今回の件の見解を尋ねた。


「そうですね…まず、ソフィア様は無事でしょう。グレイプ家の当主はソフィア様を溺愛していたことは有名ですし、グレイプは武の一族です。もし本当にソフィア様が行方不明であればいくら脅されていたとしても大人しく泣き寝入りするとは考えられません。ですが、グレイプ家の者がことを荒立てないようにしているのは事実。脅されていないのだとしたら、いったい何を恐れているのでしょうね」


 そう言ってゲハードは試すようにエリックを仰ぎ見た。

 エリックは少し考えて答えにたどり着く。半年前に、同じように沙汰を恐れて娘を隠した家があったではないか。


「我々か」

「おそらく。どんな事情かまでは解せませんが、ソフィア様の行方不明騒動は嘘であり、グレイプ家はそれを王家に咎められることを恐れているのです。ソフィア様も妃候補のおひとりですからね」


 エリックは頭が痛くなった。

 グレイプ家が行方不明騒動を画策してまで娘を妃にしたくなかったとは。

 もとよりソフィアに興味もないエリックではあったが、こうして徹底的な拒絶を見せられると些かくるものがある。


「そこまでわかっているのなら、イザベラにしたようにグレイプ家に落第通知でも出せばいいだろう。そうしたら向こうも少しは気が休まるだろうし、ソフィア嬢も戻ってこれるのではないか」


「それは浅慮な考えですね。王子はこれがグレイプ家の意志だけで行われたものだとお考えのようですが、妃候補を降りたいのだけであれば、こんな大騒動起こす必要がありません。考慮すべきは、グレイプ家は妃候補を降りる気はなかったが、何者かによって降ろされた場合です。」

「つまり、噂通り、グレイプ家の裏に何者かが関わっているという説だな」


 ゲハードはこの思考ゲームにエリックがついてこれていることに満足して頷いた。


「そうです。グレイプ家が王家の介入を望んでいないということは、この騒動、グレイプ家納得の上で、利害の一致によって為されたことと考えます。…落第通知を出してしまえばこちらからの介入の機会を失ってしまいますから、裏に誰がいるのかを探るため、もうしばらく様子見としています」


 エリックは憂鬱な気分でため息をついた。


「ということは、まだしばらくはあの殺伐とした空気の茶会が続くのだな」


 グレイプ家を追いやったものが誰なのか、腹の探り合いが繰り広げられるお茶会はもはや妃選定の場というよりは戦場だ。


「それもお仕事です。それに…少し興味が沸いたのではないですか?」


 ゲハードがしたり顔で問いかける。

 本当に、この男は憎たらしいほど優秀だ。人の心の内をやすやすと読み取る。

 認めたくはないが、ゲハードの言うとおり、興味が沸いた。

 無害そうな笑みを浮かべる少女たちの中に、他者を蹴落としてでも王妃の座を狙っているものがいることに。

 エリックは形の良い唇を小さく歪めた。


「実に好ましいではないか。妃に必要なのは、従順なことでも家庭的なことでもない。王の隣に立ち、劣ることなく人を従わせる力だ。…だが、我々が選定すべき妃を勝手に辞退に追い込むことは許されることではないな。」


 ゲハードが重々しく頷いた。


「ごもっともです。犯人はそれ相応の処罰を受けることになるでしょうね」







「…くしゅん!」

「お嬢様、お風邪ですか?」

「うーん、花粉かしら?」

「いや、俺は誰かが噂してるんだと思いますよ」

「えー?……くしゅん!」

「ほらね」


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