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作業台の上に並べられた6つの鉱物。まだ研磨もされていないそれらは宝石の原石なのだろう。灰色の岩肌の隙間から淡い半透明の光が見える。
私から見て上段に緑系統の石が3つ。その下に青系統の石が3つだ。濃淡が異なるそれらを並べて物足りなさそうな顔をしたビルは、部屋の端の棚から新しく3つの黄系統の石を持ってきて加えた。
「じゃあ、この3色の石の中からそれぞれトパーズを選んで。ルーペは好きに使っていいから」
どうせ分かるはずもないと高をくくっているビルの目の前で、私は特に色が淡く色調が近しい石を3つ選び取った。迷いのない私の行動にビルは露骨に嫌な顔をした。
「なに、分からないからって考えることも放棄したわけ?それに緑を2個って…話聞いてた?それぞれの色の中から1つずつ選ぶんだけど」
うんざりした顔を見せるビルに私は小さく頭を振った。
「いいえ。3色選んだわ」
「上段から2個取ってるじゃないか。そこは緑の段だ」
「さっき入れ替えたの。薄いから違いが分かりにくいだろうけどこれは確かに青色よ……貴方には緑に見えるんでしょうけれど」
ビルが黄色の鉱石を取りに背を向けた瞬間、好機とばかりに配置を変えておいたのだ。
私の言葉にビルははっとして、自身の視界を覆う黄色い色眼鏡に手を伸ばし逡巡を見せた。
…やっぱり。
その様子に確信を強めた私は、戸惑うビルに畳みかけるように質問を投げかける。
「その眼鏡、色を補正するわけでもなく、いったい何のためにかけているのかしら」
「何のためにって…目が悪いんだ」
「3階からわたくしのハンカチがドラジェブルーだと分かったというのに?」
「…っ!」
私たちが初めて出会った玄関ホールで、ビルは3階からこちらの様子を伺っていた。私がハンカチを出したのはピートの手当てをするその時だけ。
つまり、ビルはあの距離から、ちらっとしか見えないはずの私のハンカチが何色かを識別していたことになる。ましてドラジェブルーはとても淡い水色。遠くからでは白と見間違ったっておかしくはないというのに。
…昨夜、眼鏡に触れられたくなさそうな様子を見て思い出したのよね。そういえば、最初は眼鏡をかけていなかったって。目が悪いわけでもなく、わざわざ色付きの眼鏡を掛けるなんて変だもの。
色眼鏡には理由がある。それは何かをよく見るためのものではなく、きっとよく見せない為のものなのだ。
分かりやすく狼狽えるビルの瞳を私は逃すまいと捉えた。
「ねぇ、ビル。これはわたくしの予想なのだけれど、貴女の瞳、紫色ではなくて?」
貴族では珍しい黒い髪。王族の出席する夜会に参加することができながら、その素性は誰とも知れず。年の頃15,6のこの少年は、シンディア姫の探す人物に違いない。
そう確信をもってその瞳の奥の反応を探る私に対し、ビルは平気な顔でとぼけてみせた。
「何の話だ」
「違っていたならごめんなさい。試験に戻りましょう。でも、教えてくれないのなら、シンディア様に黒髪の少年がいたってことだけは報告させていただくわね。わたくしシンディア様とお約束しているの。黒髪に紫の瞳を持つ少年を探すって」
「……」
「少しでいいのよ?その眼鏡の下が紫じゃないってわかればそれで終わりの話なんだから」
私の脅しにビルの目つきが強くなる。
ビルは瞳の色を隠してる。それはつまり、シンディアにその存在が知られるのはビルにとって都合が悪いということ。詳しい理由なんて知らないけれど、今はそれだけ分かっていれば十分だ。
射殺さんとばかりのその睨みに、私は余裕たっぷりに微笑んだ。
「顔が怖いわ…別に道は一つじゃない。わたくしはここで紫の瞳を持つ少年になんて出会わなかったし、貴方はコインを一枚失った、そういう話にだってできるのよ」
私の言葉に一瞬揺れたように見えたビルは、それからしばらく思案するように虚を見つめ、やがて一つのため息とともに私の対面に腰を下ろした。
「あんた、そんな性格じゃ妃候補になれても王子に嫌われるぞ」
そう言って邪魔なものを剥ぎ取るように外された眼鏡の奥の瞳は、アメジストをずっと淡くしたような綺麗な紫色だった。
…すごい、初めて見る。まさかこんなに美しいなんて―———。
思いもかけず惹きこまれた私を現世に戻したのは机に転がるコインの音だった。私の前で音を立てて倒れたそれを手に取って私は呆けたように呟いた。
「…交渉、成立ってこと?」
「なんであんたが不思議がってんだ。いいか、約束は守れよ。王女様に捕まったら一生外国になんて出られなくなる。もし破ったらどうにかしてあんたも引きずりこんでやる」
伸ばした指でびしっとこちらを指し示すビルの言葉に私は何度も頭を振る。
これまでのことから、ビルがシンディア姫の探す人物であることには確信があった。けれど、コインをくれるかどうかは賭けだった。
7枚目のコイン…これでまた、妃候補になれる!!
妃候補を落第になりヴィザードロゥに追われて約6年。ここまでにかかった道のりに思いを馳せ、私は赤銅に光るコインを掲げ、そっと額を近づけた。
ありがとうビル、ありがとうジョシュ!!
礼拝のようなその行動にビルは一瞬ぎょっとしながらもすぐに軽快に笑い飛ばした。
「なんだそれ!あんた変わってるな。そんなに嬉しいなら…まあいいか。妃候補頑張れよ。だめだったら公爵家で面倒見てやるから」
「えぇ…嫌よ。ここなんだかきな臭いんだもの」
主が住まない本館に、世間から隠された孤児の子供たち。権力者の諸事情に巻き込まれちゃたまったものじゃない。面倒ごとは御免だと顔をしかめれば、ビルが意味深に笑った。
「ま、今はそうだな。でもあと10年もすれば俺が公爵だ。それならいいだろ?」
10年後。いまのイザベラと同じくらいになったビルはその珍しい容姿で世の女性が放っておかないだろう。美貌の公爵。おおぅ確かにそれはちょっといいかも。今のうちから繋がりがあっても損はないと思うけれど…
楽し気にこちらの様子を伺い、身を乗り出してきたビルのおでこに私はパシッとデコピンをかます。
「大丈夫!10年後はわたくしこの国の王妃になっている予定だから。心配しなくても貴方の助けは必要ないわ」
「……はぁ~?なんだよそれっ。だいたい―———」
眼鏡が彼の重荷になっていたのか、歳相応のけたたましさで文句を言い始めたビルを私は微笑ましく思いながら、自分で放った10年という言葉を夢想する。
10年後--。
私はその隣に胸を張って立てているだろうか。笑顔で過ごせているだろうか。
…貴方の差し出すその手を、取ることはできたのだろうか。
願いに満ちた未来を夢見て、私は赤銅色のコインを強く握り直した。
「あ、そうだわ。いいこと教えてあげる」
「……あんた、悪魔か?」
「大丈夫よ。ちゃんと自分の体で試したんだから」
「でも、こんなの…」
「100%安全かは分からないけど、1日くらいなら大丈夫だったわ。ま、必要になったらやってみて」
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