22(王子の疑念)
イザベラから手紙が返ってきた。
確かに、詳しく聞かないといったのはエリックだったが、アナリーゼたちとの一件について、清々しいほどにひとことも記載がない。あるのは、最近夜会に繰り出すようになったことと、紫が存外似合うことを知ったという内容だった。
「どうなっている…」
「考えるのはやめたほうがよろしいかと。何度も言いますが彼女はメギツネです。考えれば考えるほど深みにはまりますよ」
頭を抱えるエリックにゲハードは最近憐みの目を向けるようになった。優秀で知られるこの男にもイザベラの行動は理解ができないようで、そんな彼女に振り回される王子を見ては嘆きの言葉が絶えない。
「夜会でのイザベラの行動について、なにか情報はあがっているか」
あの後、いくら調べても出てこないグランチェスタとオーガスタスの関係よりも、新たに何か有力な情報はないかと、エリックはゲハードに尋ねる。
ゲハードは軽く頭を振ってこたえた。
「遊戯室に出没していることは聞いていますが、何をしているかまでは……おそらく上手く隠していますね」
「遊戯室?誰か連れがいるのか?」
遊戯室は女性が一人で入れるところではない。誰と連れ立っているのかと問えば嫌な回答が返ってくる。
「毎回適当に見繕っているようですね。本当に、こういっては失礼かと思いますが、品がないですね」
さすがのエリックもこれには閉口した。
「それは…聞きたくなかったな」
イザベラの白くしなやかな手をその腕につかまらせ、談笑しながらともに夜を過ごす男がいると想像するだけで、エリックの胸は張り裂けそうだった。
それからも何度か手紙のやり取りをしたが、イザベラがエリックに送ってくる手紙の話題はいつだって夜会のことばかりだった。
エリックに聞こえてくるイザベラの噂も余り芳しいとは言えず、心配のあまり、夜会への参加を少し控えるようにと書いたこともあったが、これもまたすっかり無視された。
そして、エリックの心をえぐる出来事はそれだけに留まらなかった。
イザベラが、ジョシュ・グレイプをウィザードロゥの屋敷に招き入れたというのだ。
◆◆◆
「すまないな、急に呼び出して」
「いいえ、暇でしたから」
くすんだ蜂蜜色の髪をふんわりと垂らして綺麗な緑の瞳に穏やかそうな笑みを浮かべるのは、ジョシュ・グレイプの元婚約者、リナ・ハワードだ。
「今日、君を呼んだのは…」
「イザベラ様のことですね」
エリックがみなまで言う前にリナがはっきりと口にする。驚くエリックに軽く笑みを見せ、リナが話し出す。
「わたくし自身には王子にお声がけされる理由がございませんもの。最近ジョシュがイザベラ様のところに転がり込んだそうですから、そのお話ではありませんか?」
リナの推測は大正解だ。ジョシュがなぜイザベラの下へ居候しているのか、それを聞くために事情を知っていそうな元婚約者を呼んだのだ。
「聡いな。だが、それなら話が早い。君の元婚約者は何を考えている」
未婚の女性の屋敷に転がり込むなど到底あり得ない話だ。エリックは少し腹立たしい気持ちで問いただした。しかし返ってきた言葉はあっけないものだった。
「わかりません」
「分からないだと?」
「ええ、本当に何を考えているかわからないのです。ジョシュには何を言っても伝わらないのです」
信じられないでしょう?といった顔でリナが訴える。
「ジョシュは、わたくしが話したことを全て曲解するのです。既にお聞き及びかもしれませんが今回のわたくしたちの騒動も、わたくしは別れようだなんて言っていないのです」
「どういうことだ」
噂では、リナがジョシュを振ったことになっている。とある夜会でずいぶんと派手にやらかしたようで、夜会でのイザベラの情報を集める際に度々聞いた話だとゲハードが言っていた。
リナはようやく人に弁明できるのが嬉しいのか、流れるような速さで事の顛末を語った。
「確かに、ソフィア様のことがありましたから親の間では一度破談にしようという話はあったようです。ですがわたくしはそんな必要はないと思っておりましたから、グレイプ家の当主に、『このままでよい、放っておいてくれ』と伝えたのです。そしたら、なんの勘違いが起こったのか翌日から別れたくないという手紙が大量に届き、そんなつもりはないと返しても、信じられないのか心配そうに私の周りをウロチョロしだす始末で。かといってこちらが、話があるから会いたいと言うと、今は聞きたくないと逃げ出すのです。信じられますか?なんて自分勝手な被害妄想でしょう!?あまりにも人の話を聞かないのでわたくしも怒ってしまって……それで、夜会での出来事に繋がるわけです」
途中語気を荒らげたリナは最後には恥じ入った様子を見せたが、おそらく本音は前者だろう。固く握った拳が怒りで小刻みに震えている。
「ですので、大変申し訳ないのですが、わたくしには、あのジョシュの考えることはわかりません。ただ、イザベラ様に無礼を働くようなことはないでしょうから、ご安心ください」
震える拳を抑えて、リナは穏やかな笑みでエリックに告げた。
「…もしそんなことがあればただではすまないが、それにしても、君は随分とジョシュを信用しているのだな。私が言うのもなんだが、イザベラは魅力的だぞ」
リナはこの場に呼ばれたわけを即座に理解した女だ。エリックのイザベラへの好意についてはとうに気が付いている。エリックは隠すことなくイザベラの魅力を伝えた。
「王子のお心を射止めるくらいですから、イザベラ様はとても魅力的なのでしょう。ですが、ジョシュは一途ですので心変わりなどありえないのです」
「変わらずいまも君を想っていると?」
「はい、変わることなく」
きっぱりと断言するリナの言葉を、エリックは理解できなかった。
人の心など移ろいゆくもので、どちらかがそうあって欲しいと信じていたところで、思い通りにはいかないものなのだ。
エリックも、何度イザベラが自分を想ってくれていればいいと考えたことか。でも現実は儘ならない。こちらの気持ちを弄ぶかのように、イザベラはエリックの言葉をかわし、払い除ける。そのくせ、意味深に涙を零したり、突然すぐ近くに現れたりしてエリックの心をかき乱すのだ。
苦い思い出に顔をしかめつつエリックはリナに尋ねる。
「いったい、その自信はどこから来るのだ」
リナは何食わぬ顔で答えた。
「わたくしが語った愛の数です。先ほども申し上げましたとおり、ジョシュはすぐに物事を勘違いするのです。曖昧な言葉など使った日にはとんでもない解釈で泣き出す始末です。ですから、わたくし、常に直接的な愛の言葉をなげかけるようにしているのです。」
年頃の娘から恥ずかしげもなくこんな言葉が出てくると思わず、固まるエリックにリナはお構いなしで続ける。
「これまでジョシュに伝えた愛の言葉が、わたくしの自信の根拠です。曲解されることはあっても、過去に受け入れられた言葉は彼の中で変わりませんから。その証拠に、実際振られたと勘違いしてもジョシュはわたくしのあとを追いかけ回しておりました。ジョシュがわたくし以外に乗り換えるなんて——万に一つもありえません」
火の女神と同じ名を持つ彼女は、みかけによらず情熱的らしい。確信を持って語る彼女の言葉は雄弁で、エリックも思わずそうなのか、と考え込んでしまう。
口元に手をやり、今聞いた言葉をかみ砕いているエリックを見てリナはふと口にする。
「恐れながら、もしかしてエリック様もイザベラ様に同じようなお心当たりがあるのではないですか?」
問いかけるリナの言葉にエリックは小さく頷いた。
見当違いかもしれない。けれど、確かに言われてみればおかしな反応はいくつかある。手紙のやり取りでも、話が急に変わることはよくあった。
これまで、イザベラが意図して話題を変えているものと勘ぐっていたが、もしかしたら単に彼女が何かを勘違いしていたのかもしれない。それに、イザベラが給仕をしていたことも、結局真相が不明な以上、リナが言うところの周りをウロチョロされたと捉えられなくもない。
「…心当たりはある。だが、確信はない」
「余計なお世話かもしれませんが、少しでも可能性があるのでしたら、とんでもない曲解に苦しめられる前に、はっきりとお気持ちをお伝えすることをお勧めいたします。わたくしもそれに気が付くまで本当に大変でしたから」
そう言ってリナが遠い目をする。
よっぽどひどい目にあったに違いない。エリックは少しの同情をもって親切なリナのアドバイスに頷いた。
「ところで王子、今回の件に関して、何もせず様子を伺うだけのおつもりですか?」
過去の記憶から戻ってきたリナがおもむろに問いかける。
「やましいことはないと信じておりますが、ジョシュの暴走を放っておくと、思わぬ方向にこじれるのは目に見えておりますから、わたくし、近々乗り込もうかと思っています。よろしければご一緒にいかがでしょう」
リナは、まるでお茶にでも誘うかのような軽い調子で提案した。