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アナリーゼは、私が食事の用意をしていた天幕のすぐ横にいた。何かを考えるように軽く俯き前髪をいじっているアナリーゼに私は声をかけた。
「あの、アナリーゼ様」
ちらりとこちらを見たアナリーゼはカッと目を見開いた。
「何考えているの!?エリック様をおひとりにしたの!?」
驚きと非難に満ちたヘーゼルの瞳に詰め寄られ、私はすぐに釈明した。
「いえ!護衛は残っておりますし、王子から許可がでてここにおります!!」
行っておいでって言われたもんね!
軍隊ばりの返事をする私を訝しげに見つつ、アナリーゼはならいいわ、と呟いた。
「それで、何か用かしら」
「アナリーゼ様が心配できました」
「は?」
私の言葉に思わず飛び出たであろう令嬢らしからぬ言葉を慌ててアナリーゼが手で押さえる。
そしてまた、確認するようにゆっくりと尋ねた。
「あなた、わたくしのことが心配で、追いかけてきたというの?」
「はい」
その言葉に私は即肯定だ。
酔っているとはいえ王子にあんな勢いで、しかもほとんど私のせいで起こった内容で咎められたのだ。気にかかるのも当然だろう。
アナリーゼは私の肯定の言葉をきいて口をへの字にしながらも呆れたように小さく笑った。
「……あなたって、変わっているのねえ」
「良く言われます」
アナリーゼの顔に笑みが戻ったことに気を良くした私はへにゃりと笑った。そんな私をアナリーゼは不思議な生き物を見るような目で見ていた。
「気にかけてくれてありがとう。でもいいの、王子の仰ることは正しいわ。自分でも、少し偉そうな態度をとっていることがあるというのはわかっているの。王子があんなに怒ってらっしゃるのはきっと私の発言で嫌な思いをした方がいて、それが王子の耳に入ったのね。身から出た錆だわ。本当に……直さなくてはいけないわね」
アナリーゼが情けなさそうに肩をすくめる。
「わたくし、あなたにも嫌な思いをさせてないかしら」
「そんなことはありません!」
そう言って私は首を横に振ったが、アナリーゼは釈然としない表情で私を見つめていた。
うーん、これは信じてないね。私は気にしてないけれど、実際私もさっきかなりばっさり切られたし。アナリーゼ様が自覚あるなら気やすめなこと言っても信じられないよね…
私は少し考えて、正直に自分の考えを伝えることにした。
「確かにそういうところもあるのかもしれませんが、わたくしはアナリーゼ様の凛とした態度、好きです。ご自分に自信がないとできることではありませんから」
アナリーゼは11歳。貴族に生まれていなければもっと肩の力を抜いて好きに遊びまわっている年ごろだ。貴族の令嬢として自分が果たさなくてはいけない責任。自分がこうありたいと望む姿。儘ならない現実。そういったものにすべて折り合いをつけて彼女は令嬢らしくあろうと努力している。
「貴族の娘というものは思っているより不自由です。高位の令嬢であればあるほど、一挙手一投足を値踏みされ、言葉のすべてには責任が生じる」
私が転生して一番大変なのは”貴族として生きる”ということだった。衣食住には苦労しないけれどなんでもかんでも思い通りにいくわけじゃない。それこそ、前世の感覚ではちょっとのやらかしでも、この世界では田舎に追放になってしまうのだから。
「それを理解して努めていないと、アナリーゼ様のようなお言葉は出てきません。だからわたくしは、同じ貴族の娘として、アナリーゼ様を尊敬しております」
一日でこの行程を組み立てたことも、責任感の強さも、プライドの高さも。ちょっと様子を伺いにきたつもりが、この小さな令嬢にすっかり魅せられてしまった。
私は気落ちしているアナリーゼを励ますつもりで拳を二つ作り、頑張れ!のポーズで言葉を締めくくった。
アナリーゼは驚いたように目を瞬かせた。
「あなた、やっぱり変わっているわ。普通そういったことは直接相手には言わないものよ?人によっては不躾に感じる方もいるから気を付けたほうがいいわ。でも……その言葉、とても嬉しいわ」
そう言ってちょっぴり頬を赤く染めたアナリーゼは、拳の意味を理解していないながらも、たどたどしく真似し返してくれたので、私はそれをえいやっと突き合せた。
◆◆◆
「話はついたか」
二人して戻ってきた私たちをエリック王子はちらりとみて声をかけた。
定位置であるエリック王子の後ろに戻った私は、対面にいるアナリーゼと顔を見合わす。
まるで私たちが話してたことを知っているような口ぶりだけど…一緒に帰ってきたから、そうだろうっていう予想だよね?
アナリーゼもそう思ったのか、一瞬戸惑った顔を見せたがすぐにいつも通りの顔で答えた。
「お時間頂戴して申し訳ございませんでした。ご指摘の通り、わたくしの態度については……よく反省したいと思います」
そこでアナリーゼは姿勢を正し、はっきりと述べた。
「ですがわたくし、人を貶めるようなことは絶対にいたしません」
これだけは言いたかったといった様にアナリーゼが王子を真っ向から見据える。さっきまで項垂れていたとは思えない様相だ。
「権力をかさにきて人を貶めるような卑怯な真似は決していたしません。それだけは信じていただきたいのです」
アナリーゼの言葉にエリック王子は少し考える様子を見せた。しばらくして何かに納得したかのようにひとつ頷くとおもむろに立ち上がり、その長い脚を2、3歩動かして、背後に控える私の前に立ちはだかった。
私はびっくりして身を固くした。
アナリーゼが怪訝そうにこちらを伺っている。
「君は……自分の意志でここにいるのか?」
エリック王子は、突然のことに驚き慌てる私をものともせずに尋ねた。
サファイアブルーの瞳がまっすぐにこちらを見ている。
王子との久しぶりの対面に、私の胸の鼓動は勢いを増し、なんで?ばれた!といった感情はあっという間に塗りつぶされてしまった。
貴方に会いたくて
その言葉の代わりに私ははっきりと頷いた。
「そうか」
エリックはそれをみとめると、くるりと背を向け、アナリーゼの下へと移動した。身構えるアナリーゼの前でエリックはきまりが悪そうに謝罪の言葉を口にする。
「今日はすまなかったな。私が口を出すべきことではなかったかもしれない」
「とんでもございません」
エリックの言葉にアナリーゼは優雅に最上位の礼をとった。
「王子のお言葉がなければ、わたくしの高慢も治るところを知らなかったでしょう。機会を与えてくださってありがとうございます」
「本当に、君は…」
異を唱えても礼儀は失わず。
両の手を胸前で交差させ柔らかい笑みを浮かべて述べるアナリーゼにエリックは一瞬気圧されたようで、はっとしたようにアナリーゼを見つめた。
あれ、なんだろ…
アナリーゼ様とエリック様のわだかまりが解けてよかったと、思いたいのに。
私の胸の中で不愉快なざわめきが広がる。自分に向けられたことのないエリックのその眼差しは、相手を認め、ある種尊敬するものだった。ふと、記憶が蘇る。それは一年前、エリックがアナリーゼを王妃にと口にしたあの夏の夜と同じ眼差しだった。
その後、ヘトヘトになったセーラを伴って仕留めたウサギを片手にシンディア姫がご帰還されたり、葡萄酒を飲みすぎたルーカス様がクサイ言葉をぺらぺら話し出したりでそれなりに騒がしかったようだが、正直あまり覚えていない。
私は、この不愉快な感情を知っている。
時に身を亡ぼすともいわれる、醜いこの感情はーーーアナリーゼへの、嫉妬だ。




