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どうやら王子は怒り上戸らしい。
中座から帰ってきたとたん「どういうことだ」とアナリーゼ様を詰問し困らせている。
私は慌てて水を差し出し、王子はそれを大人しく受け取り一気に飲み干した。
「すまない、かけてくれ」
水は意外にも効果があったようで、王子は少し冷静になってアナリーゼに着座を促した。
そして一息ついて王子が問う。
「それで、アナリーゼはイザベラのことを何だと思っている?」
急に私!?
思わぬ展開に私は息をのむ。ふぁ?ともへ?ともとれない微声が若干漏れ出てしまった。
驚いたのは私だけでなく、アナリーゼも同様に面食らったようだが、早々に王子は酔っているのだと理解したようで、この脈絡のない質問に淡々と答え始めた。
「オーガスタス家のイザベラ様、ですよね。そうですね…正直あまり好きではありません」
うっわ、ばっさり!
私アナリーゼ様に嫌われてたの!?いやまあ特に親しくしたことはないけど、逆に嫌われることもまだしてないと思うのだけど。
私は王子の横に並ぶくらいに前のめりになって次の言葉を待った。
「あくまでレディとして、ですが、王子もご存じのように、小さなお茶会でお話しされていたことはとても高位令嬢の言葉ではありません。あの場にまで来てあのような発言をされることにも驚きましたし、あのお歳で妃候補が何たるかをご理解されていないようでしたので軽蔑さえいたしました」
言葉のナイフがぐっさりと突き刺さる。
当時の私の考えが甘かったのはすでに理解していたつもりだけど、こうして第三者にはっきりと言われるとくるものがある。
「浅はかな発言によって妃候補を落第させられているのですもの、ご両親はさぞお恥ずかしかったことと思います。今もウィザードロゥにいらっしゃると聞いていますが、家の名に泥を塗っておいて、いつまでも田舎で遊んでいるだなんて、わたくしからしたら考えられませんわ。仮にも伯爵家の娘なら汚名を挽回するためにも王都へ戻ってきて社交に精を出すべきと思います」
ご、ごもっとも!!
私はアナリーゼに今すぐ謝りたい気持ちになった。
王都でやらかすくらいならと田舎で好き勝手させてくれているうちの両親のことは置いといて、アナリーゼの言葉にはものすごいプライドが感じられる。少女特有の潔白な気持ちで同じ伯爵令嬢のイザベラを糾弾しているのだ。アナリーゼがイザベラと同じ立場にいるからこそでてくる言葉に、私は名家の令嬢としてのプライドも忘れ、私利私欲のために給仕に扮していることを心の中で盛大に謝罪した。
ごめんなさいアナリーゼ様!!
アナリーゼの言葉にまた自分がやらかしていることに気がついた私は、少しでも気配を消そうと一歩後ろに下がろうとして、それが阻まれたことに気づく。
隣にいる王子が私の前掛けを引っ張って下がらせないようにしているのだ。
「…君のその令嬢らしいプライドは好ましいこともあるが、今回に関しては高慢が過ぎるな」
いつもより低い声で唸るように言葉を発する王子は少し怖い。
…王子、なんで私の前掛け掴んでるのっ!ナプキンと間違えてますよっ!
「イザベラがわかっていないと言ったが、では君は妃が何たるかわかっているのか?ずいぶん自信があるものだな」
鼻で笑うエリック王子に対しアナリーゼが一瞬むっとした表情を見せたが、すぐに取り繕い礼儀正しく謝罪した。
「決して驕ったつもりはなく、あくまで令嬢としての心得の話でございましたが、王子をご不快にさせてしまったようです。申し訳ございません」
エリック王子はアナリーゼが弁明を交えつつ謝罪をすることが気に入らなかったようで、アナリーゼへの非難を続けた。
「心得か。聞くところによるとサロンでもよくその心得とやらをレディ教育と称して、他の令嬢にも無遠慮に窘めたり咎めたりしているそうだな?もう王妃気取りか」
「そのようなことはございません」
「そうか?報告があったぞ。サロンにてメアリー嬢以下数名が、アナリーゼこそ王妃にふさわしいと話しているそうではないか。」
王子の言葉にどきりとしたのは私だ。
アナリーゼを第一位の妃候補に押し上げるため、そう言ったことをサロンで口にするようにメアリーに協力してもらったことがある。
さすがにこれは事実だったようでアナリーゼも返す言葉に迷っていた。
すかさず王子が畳みかける。
「そういえばシンディアのこともずいぶんと親しく呼ぶのだな?」
これについては私も気になってはいた。アナリーゼはシンディア姫のことを常時呼び捨てで呼んでいる。
「それは、シンディア…姫がお許しくださったので」
アナリーゼが控えめに応じる。
「いくらシンディアが許可したからと言って、周囲の人間の目がある場においてもそうして良いと思っているのか?これこそ、その令嬢としての心得とやらに聞いてみたいものだな。……他人を裁く前に己を省みろ。自分のことを棚に上げて他人を見下し貶めることなど高慢以外の何物でもない。目上の者に対しての礼儀は当然必要だが、その地位をかさに着て他者の尊厳を傷つけるようなことは断じて許されるものではない」
鋭い目つきで非難した王子の言葉に思うところがあったのか、アナリーゼは下唇をかみ、次いで俯いてしまった。
これまで決して頭を垂れることのなかったアナリーゼのその姿を見て、王子は言い過ぎたと思ったのか少し言葉を緩めた。
「…なにもアナリーゼだけに責任があるとは思っていない。だが、このようなことは今後一切許すつもりはない。あらためろ」
「はい、申し訳ございませんでした」
アナリーゼがふらりと生気なく頭を下げる。
小刻みに震える手を見ていると心がぎゅっと痛くなる。
だってアナリーゼ様が怒られていたのってサロンでの出来事のことでしょ?間違いなく私のせいだもん。
最初の勢いはどこへやら。大人しくなったアナリーゼにさすがに王子もばつが悪くなったのか、退席の許可を出した。
アナリーゼはそれを素直に受け、供を連れて席を立った。
私はアナリーゼ様に申し訳ないやら心配やらで、後を追いかけようとしてそれができないことを想いだした。
そうだった、私王子に前掛け掴まれてた!!
私は握られた前掛けをさりげなく引き抜いてみる。王子ちょっと失礼しますね。
ぐいぐい
…うん、離してくれないね!!
どうしたもんかと頭をひねる私に一呼吸おいて王子が苦悩がにじむため息をついた。そしてするりと手を離す。
「行っておいで」
王子がそっぽを向いて少し納得のいってなさそうな声でそう言った。
私はその声音を不思議に思いながらも、王子に軽く礼をとりアナリーゼを追いかけたのであった。