13(王子の動揺)
「…王子どうされるのですか」
「………」
「いつまでも待てませんよ。集荷時間は決まっているのですから」
「……」
「王子!!」
「わかってる!…今回はやめておこう」
そう言ってエリックは手にしていた手紙をポケットに閉まった。
エリックがこうして悩んだ末に手紙を出さないのはこれで20週目だ。ゲハードはさすがにうんざりしたようにため息をついて、手紙の集荷を担当する侍従にもう行ってよいと合図した。
「手紙くらい出されてもよろしいのでは?」
「…また代筆だったらどうする。私はもう立ち直れる自信がない」
エリックはウィザードロゥから帰ってきて3か月を抜け殻で過ごした。ようやく手紙を書けるくらいに回復したと思ったが未だに手紙を送ることはできていない。
「イザベラは私のことなど気にしてないのだろうな」
「そうですね。情報によると、最近はもっぱら美術品集めに凝っているようですよ。実に優雅な趣味ですね」
優秀な事務官がもたらす情報にエリックは深くため息をついた。
せめてもう少しなにか自分の面影が見える情報であればよかったのにと。
「…王子、私が言うのもなんですが、そろそろしゃんとしていただけませんか?イザベラ様がここまではっきりと態度でお示しになったのも、ある種優しさかもしれません。未練を残さず次に進めるようにと」
「そうかもしれない…だが」
あの涙が、エリックの心にずっしりと重く引っかかっていた。
はああ、とまたしてもため息をつくエリックにゲハードが一枚の報告書を差し出す。
「こうなった以上、王子が気にかけるべきはアナリーゼ様かと思いますが」
エリックは報告書に目を通した。事務的な言葉でシンディアの教育内容についてつらつらと書き連ねられている。アナリーゼからのシンディアに関する週間報告だ。
異母妹のシンディアは少し変わった生い立ちで、9歳まで山で育った。それを引き取って城で面倒を見始めたのは、イザベラがウィザードロゥへ行って少ししてからだ。最初は遊び相手になってもらえればと歳の近いアナリーゼに頼んだが、いつの間にかアナリーゼはシンディアのレディ教育の先生になっていた。おかげで本来であれば妃候補者として王子と親睦を深めるはずの手紙も、こうしてシンディアの成長記録と成り代わってしまっている。
「アナリーゼには驚かされるな」
11歳にして既に自分のやるべきことがわかっている。若干高慢なところもないではないが、それも伯爵令嬢としてのプライドからくるものなのだから潔い。下手をすればエリックよりも堂々として見えるその態度は確かに王子の妃候補としてふさわしい。
…だからこそ、イザベラはアナリーゼを推挙しているのだろうか。
「しかし、ここまで優秀だと、これまでイザベラが仕組んだと思っていたことも実はアナリーゼが指示したのではないかと疑ってしまうな」
ちょっとした冗談で発した言葉だったが、ゲハードは思いのほか顔をひきつらせた。
「ありえませんが、もしそうだとしたらアナリーゼ様はご自分の手を汚さずにすべてをイザベラ様に押し付けていることになります。そうなれば…メギツネなんて可愛いものでは言い表せませんね。」
そんな妃は戴きたくないと独り言ちるゲハードを前に、エリックは本当にありえないことだな、と言い放った。
「そうだとして、イザベラが汚れ役を甘んじて受ける理由がどこにある」
アナリーゼのグランチェスタ家もイザベラのオーガスタス家も共に5名家のひとつ。爵位だって同じ伯爵だ。どちらかが脅し脅せる関係ではないはずだ。
しかし、ゲハードは静かに首を振った。
「あります。王子はお考えになったことはあまりないでしょうが、次代の王妃候補を擁立する家は貴族社会で大きな影響力を持ちます。妃候補を失ったオーガスタス家は後々のためにどこかにつかねばならなかったのでしょう。そう考えれば落第の原因となったイザベラ様が汚れ役を受ける羽目になったのも納得がいきます。」
エリックは冷水を浴びせられた気分だった。
これまで、イザベラはアナリーゼが妃にふさわしいと考えているからこそアナリーゼを支持しているのだと思っていた。しかし、そうではない可能性があることを知り激しく動揺した。
アナリーゼ支持はイザベラの意志ではない…!?
だとするならば、やはりあの涙は―—
思考の海に飛び込もうとするエリックを止めたのはゲハードだった。
「王子、今の話はあくまで憶測です。グランチェスタ家とオーガスタス家の間で何かがあったとの報告も上がっていません。事実なのは、イザベラ様がアナリーゼ様を第一位に押し上げるために暗躍していたということだけです」
過度な憶測で主に傷を負わせてしまったことのあるゲハードは冷静な言葉でエリックを落ち着かせた。
相手の裏を読む能力も、もちろん必要なことではあるが、それで誤った道に進んでしまっては意味がない。
「証拠は何もないのです」
「そう…だな」
エリックは暴走しかけた自身を反省した。
イザベラの本心を疑い、アナリーゼの優秀さを疑い、自分の希望に沿わせたいがためにグランチェスタを悪者にする穿った見方をしてしまうところだった。
その後、何度かアナリーゼと会う機会があったが、彼女は変わらず真面目で完璧なレディであり、とても裏で何かを画策しているようには見えなかった。
考えすぎだったか、とエリックは安堵するとともに、アナリーゼの優秀さを手放しで賞賛できるようになった。
今日このときまでは。
◆◆◆
間違いない。イザベラだ。
エリックは席に戻る途中ちらっとその姿を盗み見て確信した。
色白な肌に良く似合う黒髪ときゅっと引き結ばれた小さな唇。1年ぶりだからとて見間違うはずもない。
「お水でも飲まれますか?」
戻ってきたエリックをアナリーゼが起立して出迎える。
しらじらしい。
まさか、そんな感情を年下の少女に抱く日がくるとは思わなかった。こんなに近くにイザベラを置いて、エリックが気が付かないと本気で思っているわけでもあるまい。
「どういうことだ」
「どう、とは?」
突然のエリックの問いにアナリーゼは困惑した表情を見せる。
だがそれすらもエリックにとっては演技にしか見えなかった。
貴族の家同士の争いはいつだって起こっている。それに王族がいちいち口出しをするのは正解とは言えないかもしれない。だがしかし、これはあまりにも酷い。イザベラに立場を分からせる為のようなこの仕打ち。
妃候補を落第したとはいえ、名家の令嬢であるイザベラに給仕をさせるなど侮辱するにもほどがある。
たとえ、それを家のためとイザベラが納得していたとしても、エリックには到底許容できなかった。




