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sin-心-  作者: 小城
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sin-心-final

 この物語は、フィクションであり、実在の人物、団体、事件等とは、一切、関係ありません。

 某タイムスリップ漫画とは、関係ありません。

 先に、拙著『戦国ラブコメ』を一読して頂けると、内容が、より理解しやすいかもしれません。

 階段から落ちて、2021年の現代から、戦国時代にタイムスリップした心理士の倉橋心。彼は、先々で、徳川家臣の服部半蔵。伊賀忍者の頭目の一人で、若き少女の百地丹波守などと知り合い、人々の悩み相談を受けて暮らしていた。そんなとき、運命のいたずらなのか、織田信長の悩み相談を受けることになる。天下は取れないという信長に、心は、天下への道筋を示した。


天下への道

 時が過ぎた。相変わらず、心は、岡崎城の万相談室で、人々の悩みを聴いていた。その傍らには、百地丹波守が寝ている。

 天正九年(1581)9月。織田軍は、山を越えて、武田領の信濃、甲斐に侵攻した。それは史実よりも、半年程、早い侵攻であった。本来ならば、その年は、織田軍の伊賀侵攻が行われた時である。しかし、心がいるこの世界では、伊賀国は、既に信長に降伏していた。

「参る。」

 武田攻めは、徳川家も参加した。家康と信康を総大将にして、駿河より攻め上った。既に、武田家の家臣の多くは、織田、徳川に内通しており、戦らしい戦も起こることはなく、武田勝頼は、新府の城で自害した。彼の子たちは、剃髪し、寺に入れられることになった。

「武田の姫が岐阜の義兄上の下に、輿入れするらしい。」

 信長の駿河、遠江遊山に従って帰国した信康からその話を聞いた。

「もとより、義兄上の婚約者は信玄公の御息女だったらしいが、この度の武田家との最期の約定にも、決められたことだったそうな。」

 武田家当主は、自害の前に、織田家の使者との間で、誓紙を交わし、幼子の出家や武田家に逃れていた者たちの引き渡しや身柄のことなど、十数箇条にも及ぶ約定を取り交わしたらしい。

「それにより、徳川家は駿河一国を賜ることになった。」

 家康は、やがて、浜松から駿府へ移るという。それに伴って、信康も、岡崎から浜松へ移ることになった。駿府の城の普請やら引っ越しの支度やらで、忙しく、それに、年末も重なり、どたばたしている岡崎城で、心は、やはり、城内の片隅の万相談室に座っていた。

「おれも一度、里へ帰る。」

 百地が言った。

「三太夫も心配しているらしいからな。」

 そう言ったその日の内に、百地の姿は、消えていた。

「(寂しいな…。)」

 年末の寒さのせいもあるのだろうか。心の胸に冷たい風が吹き込むようであった。


石谷再び

「御免下され。」

 万相談室に訪客があった。ここのところは、皆、忙しく、久しぶりの来客である。

「あなたは…。」

「明智家臣。石谷孫九郎にございます。」

 土佐の石谷光政の養子である。

「上様がお呼びにございます。」

「明智殿が?」

「いえ。織田様にございます。」

 その話は、信康も承知であった。石谷の案内で、安土に向かうと、城の外に光秀がいた。

「これは、どうも。御足労痛みいる。」

 一行は、安土城の信長の下へ伺候した。

「お連れの方は、本日は、おられませぬのかな。」

 百地のことである。

「里へ帰っています。」

「年の暮れにございますからな。目薬の木にござったな。あれのおかげで、眼病が良くなりました。」

「(本当に効くんだ…。)」

 心は思った。

「よう参った。」

 石谷、光秀、心の3人で信長に面会した。信長の傍らには、乱丸がいた。

「日向。どこまで、伝えた?」

「未だ。」

「左様か。心よ。よく聞け。そこにいる石谷は、日向の遠縁に当たる。彼の者の養父が、土佐の長宗我部に仕えておる。娘が当代の室である。して、都の我等と長宗我部との間を日向が取り持っておった。然れど、厄介なことが出来致した。」

「厄介なことにございますか?」

「うむ。まあ…。日向や長宗我部には、悪いことをしたがな。」

「いえ。上様の仰ることもごもっともにございまする。」

 光秀が応えた。それを見る限り、二人の意思疎通は、うまく言っているらしい。

「隠し立てする訳ではないが。以前、わしは、長宗我部の四国切り取りを認めておった。」

「四国切り取り?」

「ああ。何と言えば分かるか。ちと待て。不便だの…。」

 そう言いつつも、心のことを信長は考えてくれていた。

「切り取り次第とは、あれだな、わしが前に言うた、美濃を自力で手に入れたようなことだ。長宗我部が自力で手に入れた国は、彼の者に与えると、朱印をしたためていた。分かるか。」

「はい。」

「良い。然れど、長宗我部は、まこと、四国を全て、掌中に収めるべき勢いでな。それでは、まずいのだ。それは、日向や孫九郎にも言うた。」

「何がまずいのでございましょうか?」

「ふむ。ちと待て。」

「上様。某が代わりに…?」

 光秀はそう言ったが、信長はそれを制した。

「良い。わしの口から言おう。天下を安んじるには、余りに大きな力を認めることもできぬ。天秤が傾くからだ。分かるか。」

「はい。」

「良い。加えて、四国は四方を海に囲まれておる。そのようなところ全てを領するような大名を、そのままにしておけば、いずれ、天下の乱れを生むことになろう。それ故に、わしは、長宗我部は、阿波半国と土佐の一ヶ国に封じたいと思うておる。然れど、それを長宗我部は承けることがないことは目に見えておる。それに、彼らは、兵を集め、砦を整えて、着々と、四国を切り取っておる。そうなると、わしは、四国に兵を送らねばなるまい。然れど、日向や孫九郎の手前、それも避けたいのが、本音である。それ故、思うたのが、おぬしよ。分かるな。」

 要するに、信長は心に、四国へ渡り、長宗我部家と交渉して、戦争を未然に防げということらしい。

「おぬしの評判は、わしも知るところ。危うくないという訳ではないが、やってくれぬか。わしの願いだ。頼む。」

 信長は、手を付いて頭を下げた。

「分かりました。それでも、しばらく、お待ちいただけませんか。」

「よう言うてくれた。感謝する。支度が入り用であろう。後は、日向と相談するが良い。長宗我部宛ての書状は、後ほど、乱に遣わす。礼を申すぞ。心よ。」


四国土佐

 心は、安土の明智邸に逗留した。

「(とりあえず、岡崎に伝えないと…。)」

 心の現代文は、この時代の人々には、読めないらしいので、代わりに、詳しいことを述べた手紙を、岡崎の信康の下に送ってもらった。

「某も、同行できれば、やまやまなのだが、あいにく、近々、上様と、中国表へ出陣せねばならなくてな。」

 中国地方で、毛利家と交戦している羽柴秀吉の軍団への援軍だと言う。

「土佐へは、孫九郎が同行することになる。」

「よろしくお願い致します。」

 石谷孫九郎は、聡明な紳士であった。しかし、もう一人、頼れる人が欲しかった。

「伊賀へ遣いをお願い致します。」

 心の内に思い浮かんだのは、百地丹波守の姿だった。

「おい。起きろ。」

「え…?うわ!?」

 朝、起きたら、百地がいた。

「お前が呼んだのだろう。これ。」

 百地が取り出したのは、筒に入った丸薬だった。

「何でしょうか?」

「丹薬だ。また、倒れられては困るからな。今日から、これを、飲め。」

 丸薬からは、独特の匂いがした。

「あと、半蔵からは、金創薬だ。やつは、今、甲斐や信濃を走り回っておる故、おれが代わりに行ってやった。」

 百地が出したのは、容れ物に入った膏薬であった。これも、また、毒々しい色をしていた。

「土佐へは、ひと月程かかりまする。」

 年が明ける前に、安土を出掛けた。長宗我部家へは、年始の挨拶も兼ねて行くという。道中、石谷、心、百地と伴の者たち数名を連れての旅であった。

「長宗我部とのやり取りなど、おぬしにできるのか?」

 百地が言った。

「さあ…。どうなんですかね。」

「頼りにならぬな。」

 心も事前に、長宗我部家のことなどを聞いていたが、だからといって、どうにかなりそうでもなかった。

「しかし、信長も妙なことをするな?」

「何がです?」

「長宗我部が降るか降るまいが、いずれにしても、四国に兵は入れねばなるまい。長宗我部が強いとは言え、四国も乱れていよう。ならば、大軍を見せ付けて、威を示した方が、長宗我部も従おうというもの。それを、内々のやり取りだけで、済まそうとは、今までの信長らしくない。」

「そういえば、あのとき、百地さんは、本当に眠っていたんですね。」

「何のことだ?」

 百地はきょとんとしていた。


長宗我部

 堺から船で四国に渡り、山道を抜けて、一行は、土佐の岡豊に着いた。

「お待ちしておりました。」

 石谷光政だった。一行は光政の屋敷に逗留し、翌日、長宗我部家当主に目通りすることになった。

「父上。御当主殿の様子は、如何でございましょうか?」

「ふむ。さてな…。」

 光政は、言葉を濁して。それ以上、語らなかった。

「もとより、こちらは、織田家との争いは望んでおらぬ。」

 謁見の席上で、長宗我部家当主、元親は述べた。

「かく言うのも、上方では知らぬことだろうが、我等が、四国を切り従えるのには、まだ、数年はかかるだろう。そのような中で、もはや、武田も降した織田家に抗う余力はない。」

「然らば、織田殿に従われまするよう。」

 孫九郎が口上を述べていた。元親は、終始、口髭を触っていた。

「だが、我等も武士の端くれ。戦わずして、降る訳にはいかぬ。」

 謁見は、それきりであった。

「織田殿には、正直に伝えるしかなかろう。」

 光政は、謁見を終えた孫九郎を、そう諭した。

「どうしたものか…。倉橋殿。」

 謁見の席には、心も同席していた。

「そうですね…。」

 元親は、ああ言っていたが、心は、気になっていることがあった。謁見の席での元親の素振りが、よそよそしく感じていた。

「何か、言いづらいことがあるのかもしれません。」

 謁見の場には、長宗我部家の臣たちも、並んでいた。

「ならば、当主に直接、尋ねるしかあるまい。」

 百地が言った。


姫若子元親

「大丈夫ですか…。」

「静かにしろ。」

 その日の夜、百地は、心を連れて、岡豊山の中腹にある元親の屋敷に忍び込んだ。

「来い。」

 百地は、塀に飛び乗って、心を引っ張り上げた。百地の手は温かった。

「屋敷の縄張りは存知ている。」

「どうして…。」

 謁見の時、百地は同席していなかったので、その時に、調べたのだろうか。忍びの性というしかない。

「堂々としておれよ。」

 二人は、番兵の前を通過した。

「ご苦労にござる。」

 百地が頭を下げた。

「…?」

 二人は、館を中に上がった。

「ここだ。」

 百地は襖を開けた。

「何用か?」

 元親は、灯明の明かりで読書をしていた。目が悪いのか、かなり近めだった。

「土佐守。織田殿よりの遣いだ。」

「織田殿?」

「倉橋心左衛門にございます。」

「昼間の…。」

 室内が、暗いこともあるが、やはり、元親は、目が悪いのかもしれない。

「おれは人が来ないように見張っておる。」

 百地は、襖の前に座り込んでいた。

「突然、お邪魔致しまして、申し訳ありません。」

「ああ。」

「それというのも、実は、御当主殿の心の内をお聞きしたく参りました。」

「心の内とな。」

「昼間の席では、何か仰りにくいことがあるように、お見受け致しましたので、こうして、密かに、参りました。」

「貴殿は、相人か何かかね。」

「そうにん…?」

 人相見のことだろう。心に人相のことは分からない。ただ、この長宗我部元親は、長い髭を蓄えた痩せた人物であった。

「織田殿は、我等との戦は望まぬのか?」

「おう。戦になる前に防ぎたいと。それ故に、某を遣わされました。」

「我も織田と戦はしたくない。今までの誼を壊したくないのでな。」

「左様にございますか。」

 元親は黙っていた。心も黙っていた。

「訳を尋ねぬのか?」

「言いにくいのであれば、無理強いは致しません。」

「ふふ…。その割には、押し掛け強盗のようだが。」

「それは、まことに申し訳ありません。」

「怒ってはおらぬよ。織田殿は、若年の砌、うつけと呼ばれていたそうだが、わしは、姫若子などと呼ばれていた。」

「ひめわこ?」

「姫のようだと言うことよ。」

 心は思った。この場は、暗くて、分からないが、昼間見た元親は、痩せて、色白であった。

「わしは、それが嫌でな。故に、威勢を上げて、槍を振るうておったら、今後は、鬼若子と呼ばれるようになった。」

「鬼わこ、にございますか。」

「それから、わしの内には、姫と鬼が住むようになった。もとより、土佐は、国が定まらず、地侍共が、小競り合いをして、日々、暮らしていた。その中で、運良く、勝ち残ったのが、長宗我部に過ぎぬ。それは、今も変わらぬ。長宗我部家は、彼らの上に、ようよう立っているだけだ。」

「左様にございますか…。」

「わしが戦をやめたくとも、地侍共を、どうにかせねば、土佐は、再び、乱れよう。」

「なるほど。」

 長宗我部家が織田家に降伏したとしても、それを良しとしない勢力が反旗を翻す、あるいは、謀叛を起こす。それは、長宗我部家の進退問題である。それは実力行使に裏打ちされた民主主義のようだった。

「分かりました。」

「何がかね?」

「某が彼らをどうにか致します。」


土佐国人

 翌日から、心と石谷は、土佐を回った。

「なるほど、先祖代々の地を奪われるのが嫌だと言うことにございますね。」

 心と石谷が、手分けして聞いた国人たちの意見要望を元親に伝える。

「ふむ。では、そのことは朱印にしたためよう。」

 元親は、できうる限りのことをした。それは、心たちが、そうだったからである。

「これらをまとめて、上様に差し出しましょう。」

「それが良い。」

 3か月近くかけて、土佐の国人たちと元親の意向をまとめた文書を作り、安土の信長の下へ届けることになった。その間の中央とのやり取りには、百地が駆け回ってくれた。

「すみません。頼ってばかりで…。」

「構わん。」

 百地は走って行った。

「これならば、上様も、納得されるはず。」

 ようやく目処がついた。元親は、近く、上洛し、信長に謁見することになった。

「おぬしらのおかげで、土佐がまとまったようだ。」

「とんでもない。」

 元親の上洛に先立って、石谷孫九郎が、安土へ戻ることになった。

「安土でお待ちしております。」

「お気を付けて。」

 孫九郎は、心と伴にまとめた文書を携えて、岡豊を発った。 

「参ろうか。」

元親の上洛が整った。心と百地も、彼ら一行と伴に、安土へ帰ることになった。心が乗った馬を百地が引いて行く。

「(綺麗だな…。)」

 土佐から見る海は美しかった。山々は緑に覆われ、里には、田畑に水が引かれていた。

 ズドン。

 大きな音がした。辺りは騒がしい。心は、気が付くと、青空を仰いでいた。

「曲者!」

 叫き声が聞こえる。

「おい!?しっかりしろ!!」

「百地さん…。」

 百地の瞳は、綺麗に輝いていた。


罪-sin-

「気が付いたか。」

「先輩…。」

 辺りには、百地はいなかった。いたのは、心棚橋メンタルクリニックの先輩であった。

「気分はどうだ?」

「僕は一体…?」

「階段から転げ落ちたんだよ。」

 先輩は、車で、心を自宅まで送ってくれた。

「明日、病院行けよ。みんな知ってるから。有給あるだろ。」

「はい。ありがとうございます。」

1DKのアパートである。リュックサックには、鍵が入っていた。スマホの電源は入ったままだった。ファイルを調べても、戦国時代で撮った写真はなかった。

「(幻想…?)」

 意識を失った中で、繰り広げられた幻想。戦国時代のことは、全て、そうであったと、結論付けられた。スマホで、検索しても、歴史が変わったということは、なかった。

「(死んでる…。)」

 天正十年。1582年。織田信長は、本能寺で明智光秀の謀叛に遭い、命を落とした。

「(徳川さんは…。)」

 岡崎次郎三郎信康こと、松平信康は、天正七年。1579年に、謀叛の罪で、家康から切腹を申し付けられた。

「(全部、夢だったのか…。)」

 それでも、心は寂しかった。

「こんにちは。ひと月ぶりですね。」

 その後も、倉橋心は、心棚橋メンタルクリニックで、カウンセリングを続けていた。

「(えっと。××さんは…。)」

 クライアントの記録を見る。

「(鬱と罪業妄想だったか…。)」

 クライアントの××さんは、3年程前から、クリニックに通い治療とカウンセリングを受けている。

「体調はどうですか?」

「はい。食欲も出て来ました。睡眠も摂れていると思います。」

「それは、よかった。」

 ××さんは、穏やかな顔付きだった。

「(罪業妄想は、どうなのかな…?)」

 ××さんは、自分が罪を犯していると思っている。それは、鬱の症状である。実際、××さんが感じているのは、罪悪感であって、犯罪を犯している訳ではない。

「(自分が書いている小説の登場人物に非道いことをしたという罪悪感。自身を小説の登場人物に投影している…。)」

 記録には、そう書いてある。それは、以前に、心が記録したものだが、何故か、余り記憶になく、自分が書いたものではない気がする。

「小説はお書きになっていますか?」

「ええ。」

 ××さんは、小さく答えた。余り、話したくないのかもしれない。

「以前、確か、お気になさっていた小説のタイトル。何でしたっけ…。」

 ××さんは、その小説の登場人物に罪悪感を抱いていた。

「『戦国ラブコメ』…。でしたかね。」

「はい…?」

 それは、織田信長の小姓、森乱丸と信長の娘の恋愛模様を書いた作品だと言っていたのを思い出した。しかし、結局、信長と乱丸は、本能寺の変で亡くなってしまう。

「確か…ヒロインが百合姫でしたか…?」

「百合姫…?って何のことですか。」

 どこかで聞いた名前のような気がした。

「先生。もしかして、誰かと、間違えているんでしょうかしら?」

「えっと、××さんですよね。」

「はい。」

「ちょっと待って下さい。」

 パソコンのデータ記録を見た。そこには、間違いなく、先月、××さんのことで、その小説や登場人物の名前が書いてあった。

「今、書いているのは…。タイムスリップのやつで。現代の臨床心理士の先生が、戦国時代にタイムスリップして、本能寺の変を防ぐっていうのです。ごめんなさい。先生を参考にしてるから、言いにくくて…。」

「現代の心理士が、タイムスリップ?」

「はい。だけど、百合姫って、良い名前ですね。それなら、信長の娘で、森乱丸さんと結ばれるっていうのも良いかも。それで、先生が呼ばれる感じで…。」

「えっと…。」

 心は混乱した。

「戦国ラブコメっていう小説は、ご存知ない?」

「はい。」

「その登場人物のことで、つらくなっていたということも。」

「ありません。だって、私、書くなら、ハッピーエンドにしたいですし。」

「その今、書いている小説には、信康さんとか、服部半蔵さんとか、百地さんとかは出て来ます?」

「はい。それです。でも、私、言いましたっけ?」

「いや…。そうなんですね。」

「?」


epilogue-心-

 倉橋心が戦国時代にタイムスリップして、日本史が変わることはなかった。変わったのは、ある一人のクライアントの心と、それにまつわるちょっとした出来事だけだった。そのちょっとした出来事というのも、知っているのは、倉橋心だけであるので、世の中は、全く、何の変化もなかったと言える。

 その翌月、××さんは早くも、小説を書き上げたという。

「前回の先生との面談で、インスピレーションが湧いたんですよ。」

 ××さんはうれしそうだった。

「ちなみに、結末は、どうなるんですか?」

「気になります~?」

 ひょんなことから、松平信康の命を救った心理士は、信長の伊賀侵攻や四国侵攻も阻止する。

「でも、最後、その先生、鉄砲に撃たれてしまうんですよね。」

「ハッピーエンドではない訳ですか?」

「いえ。でも、鉄砲の弾丸は、事前に、百地丹波守にもらっていた丸薬の容れ物に当たり、一命を取り留めるんです。」

「そういえば、確か懐に…。」

「え?」

「いや。それで、どうなったのですか?」

「はい。撃った刺客はすぐ掴まるんですけど、彼は、長宗我部家と織田家の融和を快く思わない阿波の三好家の残党だったんです。」

「それを知った信長は、四国に渡り、長宗我部家と伴に、四国を平定するんです。それからは、あとは、信長の天下統一がなって、家臣や旧敵などとも融和した政権を建てます。」

「心理士は、どうなったんですか?」

「心理士の先生はですね。結局、信長の姫との婚約が決まっていた北条家が、信長に反旗を翻して、小田原に攻め上るんですけど、その途中、崖から落ちて、気が付くと現代に戻ってるんです。そして、歴史を調べたら、織田信長が天下統一を成し遂げたように変わってるっていう感じですね。」

「なるほど…。ところで、その婚約を破棄された姫様はどうなるんですか?」

「百合姫様ですか?あっ、すみません。名前使ってしまいました。」

「いや。構いませんよ。」

「彼女は、信長の仲介で、森乱丸さんと結ばれるんです。」

「そうか…。それは、良かったな…。」

 その日のカウンセリングは、終了した。

「だけど、主人公の心理士の名前が思い浮かばないんですね…。」

 ××さんは、荷物をまとめながら言った。

「名前。心左衛門なんかどうです。心という字で心左衛門。」

「それ、いいかも。」

 ××さんは笑顔で帰って行った。

「おい。心。」

「先輩。」

「来月から、俺、育休するの知ってるよな。」

「はい。」

 先輩は、奥さんに子どもが生まれたので、しばらく、職場を離れることになった。

「その間、俺の代わりの先生。今、第3面談室にいるから、挨拶して来いよ。」

「分かりました。」

 心は、第3面談室の扉を開けた。

「あなたは…?」

「はじめまして。百地と言います。」

 そこにいたのは、瞳が綺麗な少女のような先生であった。

「はじめまして。倉橋心です。」

 倉橋心が戦国時代にタイムスリップしていたという証はない。しかし、彼の心の中には、そのとき、出会った友達との思い出が、確かに存在していた。


fin


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