正直と嘘
人は嘘を付く。
相手を騙すこともあれば
相手を傷つけないためだったり、
嘘によって物事を丸く収める事もあれば
自らをとことん追い詰めてしまう事もある。
嘘が嫌いだ、という人に対して
「じゃあ嘘ついたことないの?」
するとこうだ。
「良い嘘と悪い嘘がある」の下り。
それ対して
「嘘に良いも悪いもないだろ」という下り。
一度は経験したことがある光景だ。
では「良い嘘と悪い嘘」とは何だろう。
前述で言えば、「良い嘘」は
「相手を傷つけないためだったり」
「嘘によって物事を丸く収める事もあれば」で
「悪い嘘」は
「相手を騙すこともあれば」
「自らをとことん追い詰めてしまう事もある」
だろうか。
この項目だけで言えば
相手のことを考え、気遣うのが「良い嘘」で
自分のことだけ考えるのは「悪い嘘」という事になる。
こんなに単純ではないが大まかそういう事だろう。
だが現代は実に嘘をつきにくい。
「悪い嘘」はすぐに暴かれ、
「良い嘘」も内容云々ではなく、
嘘をついたという一点で糾弾される。
という事は現代の嘘は
すべて「悪い嘘」という事なんだろうか?
しかし、プラスがあればマイナスがあり
白には黒、イエスにはノー、
晴れがあれば雨がある。
好きがあれば嫌いがあり、
美しいがあれば醜いがある。
物事には反対に何かがあるものだ。
当然、嘘の反対には「正直」がある。
だが「正直」も過ぎると「がんこ」と言われてしまい、
「正直」が過ぎる故に言葉を選べず、相手を傷つける事もある。
まぁ、こんな事を言っていたら「良い嘘と悪い嘘」論と同じである。
「良い正直と悪い正直」という話になってしまう。
…表裏一体。
一
恋愛に発展する場として
夜も深くなった静かな Bar は
絶好の場所と言えるだろう。
気心の知れたマスターなんかが居たら
尚の事、絶好だ。
思い切って告白したシーンだろうが、
あっさり振られるシーンだろうが、
マスターは見て見ぬ振りをしてくれる事だろう。
そんな店を一軒くらいは持っていたいものだ。
二
彼女とは知り合って半年は経つだろうか。
会社の忘年会で知り合った。
半年とは言っても二人で合うのは月に一度程度。
つまりは6度ほどしか会ってはいない。
この6度をどう感じるかは個人次第だと思うが
自分はどちらかと言うと、良く言えば慎重派。
実のところは「意気地なし」だ。
女好きな上司が言っていた。
「女を口説く必勝パターンの一つくらい持っとけ」と言って、
いくつかそのパターンとやらを伝授してくれたが
なにか自分とは違う世界の話に聞こえた。
意気地無しと同時にもう一つ、問題があった。
それは嘘を付くのが苦手だ。
高校生の時、友達に
「お前って嘘つくときに鼻触るよな」
そう言われてから、気になって
嘘をついても鼻を触らないように意識する、ではなく
嘘をつかなきゃ鼻は触らない、になってしまい、
今でも嘘を付くと鼻を触ってしまいそうで気になってしょうがなくなる。
多分、多分だが今のところは会社ではバレてはいないのでは…と思っている。
三
金曜の夜、仕事帰りに彼女を誘い、食事に出かけた。
金曜の夜なのに誘いに乗ってくれるなんてラッキーだった。
彼女とは妙なところで気があった。
今どきとは逆行してコーヒーは濃いより薄いほうが好き、だとか
グレーが好き、とか
スポーツウエアは何だか気恥ずかしくって普段着でウォーキングをする、だとか
豆大福は餡も大事だがまわりの生地の塩加減が重要、なんていうのもあった。
とにかく一緒にいて会話を楽しめた。
判断できてはいないが、これはもう好きなんだろう、とは思う。
だが確信できない。
…このあたりが意気地無しの意気地なしたる所以か…。
「だが確信できない」なんて格好をつけて
自分の気持ちを自分で誤魔化している。
自分ではとっくに好きなことに気づいている。
最初のキスはデートの4回目なんて昔雑誌で見たことがある。
(正しいかは不明である)
6回しか会ってないから…なんてのも誤魔化しだ。
でも彼女はどうなんだろう?
こんなたまにしか誘ってこない男なんて
友達としか思ってないんじゃないだろうか。
もし、もしだ、恋愛対象として見ているなら
きっと6回の間で何かサインを出しているはずだ。
それが出ていた感じはしなかった。
お互い楽しい会話を楽しむ間柄、そんな感じだった。
また誤魔化した。
そんなサインなんて読み取れるような経験豊かなわけ無いだろう。
鈍感なくせに。
だいたい彼女の気持ちを察しているようなフリで
自分を気持ちを誤魔化すなんて正直、卑怯だ。
ではどうする。
えーい、意気地なし!
正直な気持ち、ぶつけてみるか。
四
マスターが
グラスの酒がなくなったのに気づき、
次の一杯を持ってきてくれた。
何かを察知してくれているのか
見て見ぬ振りをしてくれている感じだ。
客は自分たちだけ。
これ以上ないシチュエーションだ。
嘘は苦手だ。
「誰かにキミの事が好きかと聞かれたら
大きくうなずくと嘘になる気がする。
でも誰かと女性の事を話していたら
一番最初に浮かぶのは間違いなくキミだ。
キミに彼氏ができたと言う噂を聞いたら
間違いなく腹が立つし
めちゃくちゃ悔しいと思う。
コレがボクがキミに対する嘘偽りない正直な気持ちだ」
ついに言ってしまった。
意気地なしには精一杯のパフォーマンスだ。
何言ってんのこの人?と思っただろうか。
気持ちが伝わっただろうか。
彼女はどんな反応をするだろうか。
勢いよくカウンターを叩く音がして驚いた。
「嘘でもいいから好きって言ってくれればイイのに!」
そう言い残して彼女は店を出ていってしまった。
明らかに失敗だ。
嘘を付きたくないからと言って、あれはないだろう。
言った直後は最高のパフォーマンスだと思ったが、
冷静に考えれば、あれはないだろう。
彼女の反応からして、何も考えず「好き」と言えば良かったのだ。
……フラれたようだ。
まあ当然といえば当然か。
嘘つくなんて最低!
男がくだらない嘘を付くと
女は良く言う。
当たり前だが時と場合による、と言う事か。
正直と嘘を天秤きかけたらどっちが重いのだろう。
嘘が苦手な自分からすると正直より嘘のほうが良く目につく。
嘘の方が重いと思うのは自分だけだろうか…。
「マスター、振られちゃったみたい…」
と見て見ぬ振りをしてくれていたマスターに声をかける。
自分たちしか店内にはいなかったのだから
今のやり取りは見て見ぬ振りをしてても耳には入ってきた事だろう。
「そんな事ないと思いますよ〜」
慰めてくれているのだろうか。
「そうかな〜」
「でも、あんな変な口説き方始めて見ましたよ」
あれを「口説いてる」と評してくれるという事は
やはりマスターは察知していたようだ。
また空になったグラスに酒を注いでくれた。
「だよね〜」
誰が見ても変だ。あれはないだろう。
正直も時と場合によるって事か…。
自分でも嘘を付くときに鼻緒触る癖はバレてないと思ってるんだから
「好きだ」と一言言ってみればよかったんだ。
触ってると気づいたところで特に何という事もなかっただろう。
今考えると単純にバカだ。
「でも彼女も少し風変わりなところがあるから
意外と刺さってたりするんじゃないですか」
マスターが預言者的なことを言った。
「彼女も」って事は
自分たちはマスターに
「風変わり」な二人にうつってたか。
まぁ確かに自分で言うのも何だが
なかなか気が合う人間には出会わない。
それだけに彼女の存在は大きかったはずだ。
バカだな、オレ…。
はぁ〜。
大きなため息が出た。
普通ならここで追いかけて店を出るところなんだろうが
なぜかそんな気になれなかった。
こんなところもマスターの言うところの「風変わり」なのだろうか。
五
もう一杯だけ飲み帰ることにした。
お会計を済まして店を出た。
地下一階の店の階段を
うつむき加減で登っていると
フッと人の足元が見えた。
顔を上げると階段の一番上で彼女が立っていた。
店を出ていってから三十分は経っているだろう。
まずい。やはり追いかけるべきだった。
当然怒ってるよな…。
だが彼女は怒ってるでもなく言い放った。
「ま、その調子ならもし浮気しても正直に白状しそうでよろしい」
えっ?もしかしてこれって
さっきの返事ってこと?
としたらOKって事だよね。
マジ!
マスターすごい!
預言者爆発!!!
という事は嘘と正直で重いのは
やはり正直…?
「あのまま帰ろうかと思ったんだけど
鼻、触ってなかったから嘘じゃないんだな〜
って思ったら何だか笑えてきちゃって」
えっ?
バレてる…?