サンザシさん
つぶあんぱんさん[@2222anpan]、王子さん[@ojitw]、掃き溜めに鶴さん[@hakidamenoturu]、(有さん[@mameomochi])との合同創作企画 #四題茶会 。
【1月お題】
・天空
・Don't worry
・空耳
・山査子
丈の短い着物に兵児帯を締めて、足元の下駄をカラコロ鳴らして、ふわふわ揺れる猫っ毛の白髪と、細い音を吹き奏でる小さな口。真冬でも真夏でも変わらない衣装、きっと百年後でも変わらない背格好。
名前の由来である大きな両眼は丸くて紅くて、白い肌によくよく目立つ。
「……っていうのが〔サンザシさん〕。
そういう見た目なんだけど……ええと、知らないかな?」
人生で何度、この言葉を口にしただろう。そして何度、小さな挫折のようなものを味わっただろう。
どうして私はあんなにも、単なる御伽話に執着したんだろう。
私の地元は辺鄙な土地で、都市伝説や地域伝承と云われる類の話をよく耳にした。
けれどもそれらは全て随分とマイナーで、特に〔サンザシさん〕はその最たるものだったらしい。
中心地にある高校に入学してからは、同じ県内であるにも関わらず「何それ?」なんて嗤われてしまうばかりだった。
それまでずっと当たり前だと思っていたことが相手に伝わらないというのは意外とこたえる。下らない雑談程度のことであっても、だ。
決して偏差値の高い学校ではなかった。特別垢抜けた子ばかりだったわけでもない。
自分が田舎者すぎるのかと考えたこともあったけれど、どうもそういうことでもないようだ。
友達との軽い昔話から生まれた、心の中の小さな小さな疎外感。
それは大きくなることも消えることもなく、ただ私の中に在り続けた。
きっとあの時私は心の中に薄い線を引いてしまったのだ。気にしなければ見えないのに、気付いてしまったらどうしようもなく気になる。それは、知らない間に指先に出来るささくれに似ていた。
そんな薄くて小さい透明な疎外感がいつからか少しずつ顔を出していったせいなのだろう。
私の高校生活は、誰とも深く関わることのないまま終わっていった。
高校を出て、騙し騙しの友人たちに別れを告げた。県外の大学へ進んでも何も変わらないまま、いつだって誰にだって一線を引いて過ごしている。下らない御伽話のせいで。どうして私はこうなんだろう。
きっかけは祖父の死だった。
高齢で負ってしまった大きな怪我が、彼から生きる気力を吸い取ってしまったのかもしれなかった。
「葬儀には出席するでしょう?」
母親からの、さも当然だと言わんばかりの電話に従った。祖父とは昔から、妙に折り合いが悪かったのだ。
各駅停車を敢えて選んだ。帰るのなら遅く、出来るだけ鈍く帰りたかった。
鈍行列車の中で口をついた「おばあちゃんのことは好きだったんだけどなぁ……」の独り言が、畑と田圃ばかりに変わっていく車窓にしみた気がした。
祖父の葬儀は恙無く終わり、後片付けでバタついた空気の実家から逃げるように散歩へ出た。
火葬には立ち会わないのかとしつこく訊かれたけれど、それとなく、それとなく。
「葬式には出たんだからいいじゃない……」
不便な土地のせいですぐに家へ戻れないことがもどかしかった。帰りの切符はもちろん特急。
でこぼこの道をとぼとぼ歩いて、ときおり端に座り込んで空を見た。
たぶん地元のことは好きじゃない。でもこの高い高い空は好きだった。世界は広いんじゃないかと錯覚させてくれる。
特に今日は雲もないような快晴だ。深呼吸をして、肺を緑の匂いでいっぱいに充した。
視界の端に煙が見える。祖父が遥か遠くの天空に上がっていく。きっとそこには……そこには何もない。
と、ずっと聞こえていた高い音が鳥の囀りではないことに気が付いた。
勝手に何かの鳥だと思い込んでいたけれど、これは。
「……口笛?」
空耳だろうか。口笛を吹いて歩くような陽気な人間が、この土地にいただろうか。
「どこかの子供が遊びに来ている、とか?」
他にすることなんてない。音の正体を突き止めてみようと、口笛の鳴る方へ足を進めた。
聞こえているのだからそう遠くではないはず。
見回してみても人影が見当たらないことを不思議に思いつつ一本道を歩いていくと、前方から、小さな影が向かってくる。
あんなに遠くの口笛がここまで届くもの? それに、こんなに見通しがいいのに今の今まで気が付かなかっただなんて。
なんとなく気持ちが悪くなって、嫌な予感もして、立ち止まった。それでも影は進んでくる。
近づいてくるにつれ聞こえる音が増えた。カラ。コロ。カラ。コロ。
……ぞっとした。どうしてもっと早く気付かなかったんだろう。あんなに奇妙に固執していたくせに。ここは家の近所じゃなく、実家のある土地なのに。
話に聞くそのままの姿に怖くなる。
「サンザシ、さん」
まだ少しの距離があるにも関わらず掠れた声を聞き届けたらしい人成らざる子供は、遠目にもわかる程の喜色を露わにカラコロ下駄を鳴らして駆け寄ってくる。
そして、
「心配ない。大丈夫だよ」
と笑った。
その日その後、〔サンザシさん〕の話を本人から直接聞いた。
「僕は誰かに仇なす類じゃないよ」
サンザシさんは人ではないし生きてもいないけれど、人間を呪ったり祟ったりするようなお化けではないらしい。
「僕は本当は誰にだって視えるんだよ」
サンザシさんは口笛が届いた人間にだけ視える。つまりあの時私が聞いたのは、空耳であって空耳ではないらしい。
「僕はみんなの不安を取り除く為に在るんだよ」
サンザシさんは何か心配事を抱えた人間の前に現れては、心配ないよと励ましてまわっているらしい。そんなのは単なるお人好しのように思えるけれど、曰く、
「僕がそうしているのには、ちゃんと理由があるんだよ」とのこと。
でも、その理由についてサンザシさんは語らなかった。
「僕ね、君が友達になってくれて嬉しいよ」足をぶらぶら揺らしながらサンザシさんは言う。下駄が落ちてしまいそうだ。
あれから、私はサンザシさんに会う為にこっそりと帰省するようになっていた。もちろん家族には秘密で。
列車を乗り継いだ先の小さな無人駅に降りると、サンザシさんはいつだってベンチに座っている。だから私は隣に座って、少しだけ話して、そのままどこへも寄らずに家へ帰る。
「友達、では……きっとないわ」
こんなのは得体の知れないただの固執。現に私はサンザシさんのことを知らないし、サンザシさんも私のことを知らない。
「心配ない。ちゃんと知ってるよ」
「……またそうやって心を読むみたいなことするのね」
不思議だけど嫌な感じはしなくて、少し笑う。
「僕は人間じゃないから、知ってるんだよ」
サンザシさんは確かに知っていた。
あの日以降に再会した時「心配ない。君は誰かと、ちゃんと関わり合えるよ」と、そう言われた。
私が抱き続けた疎外感を知っていたのだろうと思う。たぶん、自分自身がそのきっかけであるということさえ。
元凶ともいうべき存在に慰められていることがなんだかおかしくなって、私は笑った。笑って、泣いた。
「貴方が原因みたいなものなのよ」
そう言ってみたこともある。
するとサンザシさんが大袈裟に面食らったような顔をして、
子供らしい笑顔を浮かべて「僕を大切に思ってくれていたってことだよ。君が。僕を見つける前から」なんて嬉しそうに言うものだから、つい心臓の奥がキュッとした。
理由は分からないけれど大切だったから、だからこそ誰にも知ってもらえないことが悲しかったのだと、知った。
「おや、こちらにおられるとは珍しいですね。帰省ですか?」
突然声をかけられてどきりとする。声の主は袈裟を纏って風呂敷包みを手に、「少し遠出をしてきた帰りなんです」と言った。
「先日はお世話になりました」帰省なのかという質問には答えずに挨拶を済ます。わざわざうちの家族に報告したりもしないだろう。
はたと気になって軽く周囲を見回すと、サンザシさんはいつの間にかいなくなっていた。
「おじいさまのことは、大変でしたね。お忙しかったことでしょう」
「いえ」だか「はあ」だか曖昧な返事をしながら、今日はもうこのまま帰ろうかと考えていたところだった。
「心根がお優しくて繊細でいらっしゃるのは、きっと血筋によるものなのでしょうね」
祖父に繊細だなんてイメージはない。父も母もそんなタイプには思えなかった。
だからこそその言葉が気になって、「繊細、でしたか? 祖父が?」なんて妙な質問をしてしまったのだ。
それに「血筋」とは一体どういう意味だろう。
住職は少しだけ驚いたような顔をしたものの、怪我をしてからの祖父のことを教えてくれた。
怪我をしたのは単なる事故だ。私も、母親からの電話で「転んじゃってね」と聞いていた。
足の骨を折ったことで自由に動くことが叶わなくなり、それから祖父は目に見えて老け込んでいったという。
「体力が落ちてしまうのはもちろん仕方のないことだろうとは思うのですがね。
おじいさまの場合は、気力も失ってしまった様子でした」
本などをお見舞いに差し入れされても手をつけなかったらしい。代わりに酷く心配性になったのだ、と。
家の戸締りやガス、電気に始まり、果ては「このままこの足は無くなるような気がする」とまで話していたとか。
「こう言ってしまっては失礼にあたるかもしれませんが……認知症に罹ってしまったという雰囲気でもありませんでしたね」と住職は言った。
「だから、元々そういう気質の方だったのではないかと私なんかは思うんですよ。
心配性で些細なことでも不安で……そう、繊細だったんですね。
先の方には、それが理由で亡くなった方もおられると伺っていますし」
この言葉が衝撃だった。「繊細さが理由で亡くなった方」?
そんな話は今まで一度も、誰からも聞いたことがない。一瞬、胸が波立った。
これ以上聞いてしまっていいものか。この先に知るべきことがある気がする。けれど、知りたくない気もするのだ。
「あの……」
祖父のことを話終えて家路につこうとするのを引き止めた。うっかり引き止めてしまった、が正しいけれど。
「その、先のって言うのは……祖先ということですか?」
すると住職は「私もあくまで伺っただけですが」と話し始めた。
「亡くなった時もまだ幼かったようです。十歳前後と聞いていますがね。
物心ついた頃から、なんと言えばいいのか……言葉を選ばずに言えば、精神が少し病質的なくらいに繊細だったんですね。
とにかく常にいろんなことが不安で仕方がなくて、心配で、怖くて。いつも一人で居て、しかもすぐに泣き出してしまうようなお子さんだったとか。
昔は今ほど人間の精神面に関して理解が進んではいなかったでしょうし、ご両親は彼を責めていたと。
もっと強くなれ。下らないことで泣くんじゃない。そんなことを言われ続けて……疲れてしまったんですね。加えて、ただ生きているだけでも精神的な負担が大きかったでしょうから。
そうして疲れ果ててしまって、一番悲しい道を選択してしまったようです」
これがそちらのお家の遠い遠い御先祖様のお話ですよ、と住職が言った時、私は自分がどんな顔をしていたか分からない。
ただ、これがサンザシさんのことだという確信だけは胸の中にあって。鼻の奥がツンとなって、今すぐにでも彼を抱き締めたくなった。
彼はどういう気持ちで、不安がる人間に「心配ない」と言い続けてきたのか。それは本当は彼自身がかけてほしかった言葉ではないのか。
住職の後ろ姿を見送って、それが遠くへ見えなくなっても、サンザシさんは現れなかった。
その後何度地元へ帰っても駅のベンチには誰もおらず、口笛も聞こえなかった。
私の不安が消えたということなのかもしれない。サンザシさんの「心配ない」という言葉によって。
目的無く田舎道を散歩しながら、空に向かって小さく声をかけた。
「もう、怖くないよ」
「私は誰かと、きっとちゃんと関われるよ」
「だってここで、大切な友達をつくれたもの」
「だから……」
「だから、君も大丈夫」
「大丈夫だよ。心配ない」
「もう何にも、怯えなくっていいよ」
遠くで聞こえた口笛はすぐに消えた。
きっと、単なる空耳。