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卵は炎に包まれる

「アンナさん、社長が呼んでた」


 学校からそのまま事務所にやってきたヒナちゃんが伝言を頼まれたのかアンナさんに声をかけた。


「なんだろう? 途中だけど行ってくるね」


「いってらっしゃい」


 ファッション誌を見ながら服の組み合わせについて聞いている最中だったので残念だけど急ぎの用なら仕方ない。


「ナコちは朝からいるの? 学校は?」


「最近あまり行ってないんだよね。社長も無理に行かなくていいって言ってるし。ヒナちゃんは大丈夫?」


「なんか言われてもそんなに気にならないから。休み時間は仲良い子たちにガードされてるおかげかも」


「いいなあ」


 とはいえ私も多分一連の騒動について直接なにか言われてもそれほど気にはしないと思う。

 どちらかというと周囲から庇われたりしたときに困惑したくないから学校に行ってない部分もある。


「アンナさんとなにしてたの?」


「服の組み合わせ方を教えてもらってたよ。だいぶ覚えたからヒナちゃんにもアドバイスできるんじゃないかな」


「アンナさんレベルじゃないけど私も服くらい選べるよ」


「ファンサイトに『私服がひどい』と書かれてるヒナちゃんの自信はどこからくるの」


「私のセンスが人類には早過ぎるだけ」


 どちらかというと古過ぎるんだよね。レトロを通り越しておばあちゃんっぽいというか。

 でもファッションの流行は大体順番でくるくる回ってるって聞くし、そのうちヒナちゃんファッションの時代が来たりするのだろうか。


「……ないな」


 ファッションの輪廻にヒナちゃんの私服は入ってこない気がする。


「ナコちが年上を敬わない」


 ステージ上にいないときのヒナちゃんは本当に普通の女の子だ。

 この小さな体のどこからあの輝きが生まれているのだろう。

 前に聞いたときは、自分が輝いてるのではなくてファンが私を輝かせていると言っていたけれど。

 ヒナちゃんにとってはファンの応援が太陽なのかな?


 しばらくするとアンナさんが戻ってきた。

 だけど、なんだか顔色が悪い。

 社長となにを話したのか聞いてもいいのだろうか。ちょっと気軽に聞ける雰囲気ではないけれど。


「アンナさん、世界の終わりみたいな顔してるよ」


 迷う私をよそにヒナちゃんがずいっと踏み込んだ。

 アンナさんはすぐに取り繕うように笑ってみせようとして、やめた。


「……ここでなんでもないなんて言うのは仲間に対して不誠実よね」


 それから、中学生に聞かせるような話じゃないんだけどと前置きをして、彼氏とラブホに入るところを週刊誌に撮られたと教えてくれた。


「社長から言われたわ。恋愛を禁止してはいないのだからせめて先に知らせておいてほしかったって。こういうとき大きい事務所なら他にネタを用意して差し替えてもらったりもするけど、うちにはスプラッシュスパークルしかいないし、他に出せるものなんて天音トリコの空白の10年間くらい。でもそれは新人アイドルのスキャンダルの対価として出すのには大き過ぎる」


 確かにそれは釣り合わないとわかる。

 その空白を知っている私にとっては大切な家族との日々ではあるけれど。


「ごめんね。明るいミキがいなくなって、相談できるリンゼもいなくなって、吐き出せる場所が彼氏しかなかったの。でも軽率だった」


 私は最年長者のリーダーへかかるプレッシャーを知らない。不幸が重なることでどんなストレスを抱えていたかなんて、ヒナちゃんだってわからなかっただろう。

 頼りない中学生の私たちに心配をかけないようにアンナさんは上手く悩みを隠していた。

 だから責めることなんてできない。

 私にもっと頼りがいがあったらよかったのに。


 いや、アンナさんはそれでも頼ったりしなかったかもしれない。

 中学生の肩に寄り掛かるなんて考えもしない人だ。


「今、スプラッシュスパークルは面白半分に叩いて炎上させてもいいって世間に思われはじめてる。きっと私はグループが大変なときに男と遊んでいた不届き者と扱われるでしょうね。それは私の罪だから甘んじて受け入れるつもり。できるだけ防波堤になって火の粉がヒナタとヒナコに届かないようにするわ」


 この瞬間も責任を果たそうとしている。

 アンナさんだってまだ17歳の女の子なのに。


「だけど世間が飽きて、他のスキャンダルに飛びついたら……私も脱退しようと思う」


「アンナさん! 嫌だ。私たちふたりきりになっちゃう」


「そうなればきっと新規メンバー補充って話になるわ。それでね、新生スプラッシュスパークルのリーダーはヒナコにやってほしいの」


「そんなの私じゃ力不足だよ」


 人気の差で考えたらヒナちゃんを指名するべきだ。

 アンナさんが辞めること自体にも賛成なんてしないけれど。


「デビューしてから私たちには明確な人気の差ができた。圧倒的なヒナタと、それなりの私たちと、目立たないなんて言われてしまうヒナコで。でもヒナコはそれで腐ったりしなかった。努力を重ねて、できることをして、ずっと真面目だった。きっとスプラッシュスパークルで一番芯の強い子はヒナコよ。あと正直ヒナタにリーダーは向いてないと思う」


「うん無理」


「ヒナちゃん!」


「これからどんな子が来たって、ヒナタって光に寄り添う影になれるのはヒナコだけだよ。だからお願いね」


 それがアンナさんと直接顔を合わせた最後の日となった。

 新人アイドルのスキャンダルなんてそう話題が長続きはしない。

 焼け野原に立ちながらアンナさんはどんな気持ちだったのだろう。

 それを尋ねる機会は、もうない。



 天音トリコはほぼ沈黙を守っていた。

 新規メンバーの件には触れず、後に控えたライブは2名のみで行うことだけを発表し、それ以上の情報を伝えることはない。


 少なからず批判の声もあったが、世間では天音トリコはあくまで看板であり、実際のところはお飾り社長なのだろうと予想されていたので、それほど燃え上がることはなかった。

 グループに残ったふたりも年少組だったためか、絶え間なく吹いていた逆風は少し落ち着き、少しずつ好意的な視点の記事なども増えてきた。


 スプラッシュスパークルはふたりっきりにはなってしまったけれど、私もヒナちゃんも問題を起こすようなタイプではない。

 次のライブの規模を縮小しつつ、新メンバーに関する告知をして、仕切り直せばきっと大丈夫。

 きっと社長だってそんな感じで計画を進めているだろう。


「ねえヒーちゃん。最近作った曲見せて」


「どうしました? チェックするなんて久し振りじゃないですか」


「生徒としてヒーちゃんは優秀だから一度教えれば放っておいてもどんどん作曲するだろうな、と思って。ママがチェックして出来が良かったら今度のライブでお披露目してみない?」


「……ヒナちゃんの音域じゃなくて私の音域での作曲なので手直しが必要かと」


「その辺りは私が調整するからとりあえず全部出しなさい」


 ライブまでそう時間も残ってないのにヒナちゃんに練習させるのか。

 ヒナちゃんに合わせるなら私も練習が必要だな。

 習作だからパート分けもしてないけれど、それも母が調整してくれるのだろうか。


「これとこれがいい感じね。鹿角のパートはこっちで考えるから、ヒーちゃんはソロでも歌えるように仕上げておいて」


 なるほど、ソロで歌えるようにしておけばヒナちゃんに突貫で詰め込んでもフォローできるって考えね。

 ライブでの反応を見て良ければリリースもするつもりかもしれない。


「本当にヒーちゃんは小さい頃から歌もダンスも作曲も教えればすぐできて、吸収力のすごい子だったわね」


「先生が良かったので。でも色々できるだけじゃダメでしたよ」


「それは、ヒーちゃんが決めることじゃないの」


 そうだろうか?

 私自身のことは私が知っていると思うのだけど。


 ママが、社長が、天音トリコが見ているものはなんなのだろう?




 このまま何事もなく当日を迎えると考えていた私の元に嵐が再びやってきたのは、ライブの1週間前、セットリストや立ち位置、リハーサルの流れなどを事務所で確認しているタイミングだった。

 突然会議室に声を出せないほど動揺した社員さんがタブレットを持って駆け込んできた。


「今日鹿角さんは!?」


「ヒナちゃんは用事があるとか言ってましたけど」


「そんな……じゃあこれは……」


 へなへなとへたり込むように崩れる社員さんを慌てて近くの人が支える。


「一体どうしたんです? ヒナちゃんになにか?」


「まさか鹿角が事故にあったとか? ちょっとどういうことなのかちゃんと説明してください」


 周囲から詰め寄られながら社員さんは持っていたタブレットのロックを解除してこちらに差し出した。

 これは、ダイアウルフ芸能事務所の公式動画チャンネル?

 できたばかりの天音プロダクションよりは歴史があって大きい芸能事務所だけど……


『こんにちは、はじめまして! 鹿角ヒナタです』


 つい先程アップロードされた動画から見知った声がする。


『この度スプラッシュスパークルを脱退し、天音プロダクションからダイアウルフ芸能事務所へ電撃移籍することになりました!』


「どういうこと?」


『ファンのみんなにはしばらく心配かけるけど、これからソロで頑張りますので、引き続き応援よろしくお願いします』


「なんで……ヒナちゃん、どうして?」


『ナコち。お別れの挨拶もできなくてごめんね。ファンの人たちのことを考えたら、こうするのが最善だと思ったの。これからはライバルとして一緒にアイドルシーンを盛り上げていこう!』


「……勝手だよ。どうして私になにも言ってくれなかったの?」


『それでは鹿角ヒナタでした。みんなこれからもよろしくー』


 なんと言っていいのかわからない。

 嫌な沈黙が場を支配する。

 もうここにヒナちゃんは来ない。それだけは確実なのだろう。


「ヒナちゃんは、これで炎上したりしない?」


「どうでしょうね。炎上を見越しての動画公開かもしれません。やり方はともかく話題にはなるでしょう」


「どうするんだ、ライブまで時間がないんだぞ。これに対する対応なんてやってる暇あるか?」


「沈黙を守るにも限界はありますからね。すぐ天音社長に報告しましょう」


 衝撃と困惑の中、なんとか大人たちはできることを求めて動き出す。

 だけど私は動けない。


 私ひとりでスプラッシュスパークルをやるなんて馬鹿げた話があるだろうか。

 私はヒナちゃんのライバルになれるような立派なアイドルじゃないのに。



 現場は混乱しながらもライブチケットの払い戻し対応をすると発表した。

 しかしながら払い戻しはほぼ無く、逆に今まで出ていたキャンセル分も含め、チケットは完売。

 確か販売されたライブチケット数は900枚くらいだったと思う。

 きっとライブ当日、観客席から投げかけられる視線の大半は私への応援ではないのだろう。


 ひとりグループに取り残された哀れな私がどんな顔でステージに立つのかを見たい人がそれほどいるらしい。

 正真正銘孤軍奮闘の戦場へ私は赴くことになる。


 ファンを喜ばせるならひとりでもライブを成功させないといけない。

 だけど今度の観客に私のファンはどのくらいいる?

 殆どの観客やマスコミが求めているのは私が失敗し、泣き崩れる瞬間だ。


 もしかしたらダイアウルフ芸能事務所やヒナちゃんもそうなのかな。

 ひとりでなにもできなかった私と対比させるように華々しくソロデビューを飾りたいとか。



 自分自身と現状に向き合えないままライブの日は近付いていき、ある朝起きてリビングに向かうと、いつも私より早く仕事へ出る社長が、母親ではなく天音社長の顔で私を待っていた。

 社長は私をじっと見据え、やや厚みのあるクリアホルダーを差し出してきた。


「ライブのセットリストや演出の変更部分よ。大鳥、このプランはあなたに実行可能?」


 渡された資料に目を通す。

 ところどころ古い紙が混じっていることが気になるけど……


「可能だと思います。でもこれはまるで……社長は、ママはいつからこうなると?」


 最近書き足されたような部分もあるけれど、まるで最初からある程度()()()()()()()()()()()()()を想定されていたように見える部分がいくつもある。

 この衣装とかずっと昔から用意されていたような。


「そうね、天音プロを立ち上げたとき、あなたの才能を確認したとき、子供を産もうと考えたとき……突き詰めれば最初に思い付いたのは天音トリコが引退を決めた日かしら?」


「……ライブが終わったら他になにを企んでいるのか教えてください」


 気が付けば歯を噛み締めていた。

 信じていた世界が崩れていく。


「いいわよ」


 きっと社長にとってスプラッシュスパークルは捨て石だった。

 最初からこうするつもりだったのだと思うと悔しい。


 上っていた梯子を急に外されたミキちゃん。

 謂れのないことで沢山傷付いたリンゼさん。

 私たちを守って後を託していったアンナさん。

 未来を潰される前に見切って出て行ったヒナちゃん。


 一体何人犠牲にして、なにを成し遂げようとしているのか、私は知らなくちゃいけない。

 社長は目的の為なら実の娘でさえ躊躇なく切り捨てるかもしれないのだから。


 ……ライブは絶対に成功させる。

 誰が敵でもきっちり勝ち切って、そのまま天音トリコの喉元に刃を突き付けてやる!




 準備を整えた私は控室からステージに向かう。

 リハーサルはそれほど緊張はしなかった。

 ただ5人で立つはずだったステージが私だけでは広過ぎて、少し寂しい。


 今ステージへと向かう道で私の血はかつてないほど滾っている。

 この先で私に視線を投げかけるのは全て敵。

 誰も私に期待していない。

 私の失敗を笑おうと誰もが準備している。


 それなら私は全ての力で立ち向かう。

 全ての観客を虜にしてファンになって帰ってもらう。

 それがアイドルの戦い方だ。


 さあ始めよう。

 一歩も引くことを許されない私とあなたたちの、灼けつくような戦いを。

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