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『忘年界』  作者: 文月
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第二話

「あなた、記憶はあるの?」

およそ初対面の人間には聞かない不自然な質問に後藤は冷静さを取り戻し、怪訝そうに彼女の目を見た。どこまでも深く憂いを帯びた彼女の目は、どこか吸い込まれそうな感覚さえ覚える。記憶は無いと答えると彼女はただ一言「そう......」とこぼし、おもむろに彼の足下にしゃがんだ。たじろぐ彼をよそに、彼女は無言で後藤の革靴に手をかけると、緩んでいた靴紐を結び始める。

初対面の女性に靴紐を結ばれるという奇妙な状況に戸惑っていると、彼女は小さく呟いた。

「決してその靴を脱いではダメ」

真剣味を帯びた、でもどこか懇願するような声で呟かれたその言葉に、後藤はしばらくその意味を考えた後、無言を以てひとまずの肯定とした。

結び終わった彼女は立ち上がると森の奥を指さした。

「あの方角に少し歩けばトニーという男の家に着く。そこで色々聞くといいわ」

彼女はそう言うと向きを変え家の中へ戻る。

「さっきの言葉、忘れちゃダメよ。さよなら」と去り際に言葉を残すと、ドアはパタンと音をたて、足音は小さく消えていった。

後藤は暫くの間さっきの言葉の意味を考えたが、容易に結論が出ない事が分かるとやがて歩き出した。今度は目的を持って。



少し勢いを増した風は大きく木々を揺らし、枝葉は擦れ合い、不穏な音を奏でていた。風が吹く度にどす黒いものが心に浸潤してくるような感覚、後藤はここに来てこの森に得体の知れない何かの存在を確信していた。

進めど進めど目的の家に辿り着かない。募る焦燥は怒りへと変わり始めていく。

彼が先の女性の家を発ってから実に3時間が経過していた。


睡魔が襲ってくるように、ふと気を抜くとどす黒い何か心に忍び寄ってくる。あの女性は少し歩けば着くと言ったが、家は一向に見当たらない。見つかるはずのものが見つからないこと程苛立つ事はないと彼の怒りが心頭に達した瞬間、森の奥から突風が押し寄せた。心の中が黒いもので満たされていく感覚と共に、彼は意識を失った。



どこだここは...?と思わずこぼした。

見知らぬ土地、石壁の家々が辺りに建っている。しかしその家々はどれも壁は崩れ、原型のない家も少なくなかった。さっきまで森にいたはずなのに、と後藤はしきりに辺りを見回していた。

しかし後藤が瞬きをした瞬間、目の前には既に別の景色が広がっていた。その後も瞬きをする度に次々と場所が変わる。

動悸が目眩が吐き気がした。そこがどこなのかは分からないが、心をほじくり返されるようなこの感覚はつまりは私にとってトラウマのような場所なのだろう。半ば冷静に分析していた後藤だったが、次々と目に映る心ざわつかせる光景についに目を覆ってしまった。


しばらくしてもう大丈夫だろうかと目を開けると、そこには一人の男性が立っていた。

「大輝...?」

後藤自身驚いていた。ほとんどの記憶を失っていた彼であったが、まるで最初から覚えていたかのようにそれが自分の弟である事が分かったのだ。

どうしてここに?とそっと声をかけようとした瞬間、銃声と共に鋭い風切り音が目の前の弟の頭部を貫いた。

目から光が消える、膝が崩れ落ちる、ドサリと倒れた地面には紅い液体が広がっていく。

「あぁぁぁぁ」

目を閉じ、耳を塞ぎその場にうずくまった。胸が裂けそうなほど心が悲鳴をあげていた。そしてそれをかき消すかのように枯れるまで声帯を打ち震わせるのだった。


大きな赤子の嗚咽はやがておさまり、捕食者に怯える小動物のように恐る恐る顔を上げた。

先程の思い出したくない惨景はもはや無く、ただ無限に白い空間が広がっていた。

「大丈夫かい?」

突然の声に振り返ると、今度は見知らぬ少年が立っていた。

「辛かったね、でも辛い事に向き合う必要は無い。逃げちゃえばいい。そして1番簡単に逃げる方法をキミは知っている」

自分の周りをくるくると歩く少年に誰かと尋ねると、不敵な笑みを浮かべて言った。

「ボクが誰かなんてどうでもいい。キミに1つアドバイスをしに来たんだ。キミに足りないのは『1歩踏み出す勇気』と『そっと背中をひと押しする優しさ』だよ。キミならこの言葉の意味、分かってくれるはずだ」少年はそう言って再び笑う。

先程の女といい、よく意味のわからない言葉をかけてくる人ばかりだと後藤は少し辟易した。

「それじゃ、また会おう」と少年が言うやいなや、瞬きの次の瞬間には目の前から消えていた。

一体誰だったのかと思ったのも束の間、額に鋭い痛みが走る。直後、視界が歪み意識が揺らいだ。遠のく意識の中誰かが自分の名を呼ぶ気がした。


「...い、...きろ。おい!起きろ!」

後藤が目を覚ますと、そこは嫌なほど見慣れた薄暗い森の中。さっきのは夢だったのかと少し安堵していると額に鋭い痛みを覚える。そっと額に触れた指には血が滲んでいた。

「ようやく起きたか、後藤」

振り向いた先には一匹の黒猫が静かに佇んでいた。

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