5話#救いの手をその先へ
セブンを見つめたまま床に座り込んだリタの異変にマインラートもセブンの正体を察した。リタの母国で灰藍色の髪と瞳は珍しくない。しかしリタの心を動かせるその色を持つ人はただひとりで、マインラートが過去に羨んでいた男ネイトしかいなかった。
ファイブに思考を乱されていたが、リタの危うい瞳を見て危機感を募らせたマインラートは半ば無理やりだが冷静さを取り戻す。
リタに手を差し伸べて起こし、“愛する私たちの子供のためだ”と囁きながら足取りの覚束ない彼女を支えた。
「リタ、立って挨拶をしなければ。セブン殿、大変失礼しました。こちらこそ初めまして、クライス公爵家の当主マインラートです。こちらは妻のリタです。本日は遠いところ来ていただき感謝いたします」
「…………初めまして、リタと申します。ご足労頂きありがとうございます。私は何でもいたします。だからどうかお助けください」
マインラートのセブンに対する態度をみて、リタも心の中で自分を叱咤し気持ちを立て直す。込み上げそうになる表現できない気持ちを飲み込み、仮面をつけている限りネイトではないと自分に言い聞かせ、一度息を吐いて深々と頭を下げた。
「僕は患者を診て判断します。まずは部屋まで案内してください」
「……そうですか」
「セブン殿、こちらです」
聖女が涙ながらに訴える姿は普通の人であれば心揺すられる様子だが、セブンは視線をすぐに外して案内を促す。
マインラートを先頭にアシュレイの部屋へと歩く廊下はいつもより長く感じさせた。複雑な人間関係なのは明らかで、何がきっかけでセブンの機嫌が変わってしまうか恐ろしくなっていた。今やアシュレイの命は事前通達があったようにセブンの気分次第。
“昔のままのネイトなら必ず助けてくれる”という甘い希望と、“もうネイトではない彼が代わりに復讐しにきたのでは”という不安がリタの中で渦巻いている。マインラートはリタの不安げな表情に気を配りつつ、同じようにセブンを変に刺激しないよう会話もできないまま先導した。
マインラートが部屋の扉を開けると、静かな部屋には苦しげな寝息だけが聞こえ、ちょうど従者がアシュレイの額の汗を拭いていた。マインラートたちの入室を確認すると、従者は静かに退室していった。
「ふーん、罹患から2ヶ月だっけぇ?よく命を保ってるぅ。治療は聖女ちゃんが?」
「はい。一日一回から二回ヒールをかけてます。そして数日に一度は上級ポーションを……」
「なるほどねぇ、ヒールのお陰で発疹の進行は食い止められている。体温も微熱程度で魔力中毒は比較的軽症かぁ~さすが聖女ちゃん、加減が上手い」
「…………ありがとうございます」
入室するなりアシュレイの診察を始めたファイブに褒められたが、リタは素直に喜べない。結局治せておらず、ゆっくりと魔力中毒は進んでいるのは間違いない。
ファイブと入れ替わるようにセブンがアシュレイを覗き込み、診察する。愛息子の命は自分たちが傷つけた男の気分に委ねられている。先ほどはファイブの口からは復讐という言葉も出た。診察の様子を緊張した面持ちでクライス夫婦は眺めていた。
「アシュレイ君はまもなく2歳、この体の大きさと病の進行具合を見るに2本………確実性を考えれば3本投与すれば………」
「助けてくれるのですか!?この子を」
「リタ、落ち着くんだ」
セブンの言葉にリタは希望を見出し、今にもセブンに駆け寄りそうになるのをマインラートが腕をつかみ止めさせる。リタはピクっと反応すると、踏み出していた足をゆっくり後ろに引いた。
「ごめんなさい」
「いいんだ。セブン殿、どうなんでしょうか?」
マインラートは仮面からのぞかせる灰藍色の瞳に問う。相変わらず仮面のせいで感情が読めず、不安が募る。
────恨むのなら
その言葉を言ってしまったことを今更ながら後悔し始めていた。
そんなマインラートの様子を流し見、セブンは肩掛けカバンから箱を取り出し、ベッド横のサイドテーブルの上で広げる。中にはレモン色から無色透明のキラキラと輝く口紅程度のサイズの瓶が綺麗に隙間なくに敷き詰められグラデーションができていた。まるで宝石箱のような光景。二人が知るあの液体があの中にあれば、宝石など道端の小石同然の至宝が何本も収められている。二人は息を飲んだ。
「この薬は体の中にある病気のもとを殺し、体の中を破壊し、そして再生させる………世界で唯一無二の薬です」
たとえば森全体に手に終えない感染症が広がったとする。森を復活させるためには一度木を全て燃やして、原因を根絶やしにしてからようやく植林ができる。燃やされた大地は痛みで悲鳴をあげるだろう。しかし復活には必要な過程であるとセブンは説明していく。ちなみに傷はただ再生させればいいので痛みは伴いませんが……と付け加え、そうですよね?とマインラートに投げかけられるような視線を向けるが、マインラートは心当たりがあっても頷けない。ここで認めてしまえば今まで隠し通してきた意味がなくなる。
セブンはすぐに諦め、無色透明な小瓶を3本選びマインラートの手に乗せた。マインラートとリタは記憶にある御守りよりも綺麗に魔力の粒子が輝く様にため息が漏れそうだ。偶然の産物ではなく、洗練された完成品の美しさがあった。
「この子にヒールをかけて起こしてから飲ませてください。途中で痛みが襲ってくるので、これくらいの小さい子供は自力ですべての飲み切ることは難しいでしょう。公爵様はアシュレイ君に飲ませる役目を。騎士の仲間の手当てで慣れてますよね?聖女様はヒールをかけて薬の効果を高めて痛みの継続時間の短縮を手助けしてください」
「「はい」」
セブンがアシュレイを助けると決めてくれたことが分かり、リタは既に感極まり、マインラートも胸を撫で下ろした。
「二人の知るこの薬は生成が極めて難しく、在庫に限りがあります。他にもこの薬を待っている人がいます。なので失敗はしませんように。途中で全てを溢されたら大変なので、3本に分けたままお渡しします。何がなんでも飲ませてください」
「ほらさっさとしなぁー」
質問する間もなく、後ろにいたファイブに背中を押されるがままにアシュレイを挟むようにベッドに座る。セブンとファイブは壁際で見守る体勢に入った。
リタとマインラートは視線を合わせ頷くと、アシュレイの顔を優しく手で包み込み祈った。
「アシュレイ……女神の癒しを、ヒール!」
ヒールの光に包まれたアシュレイの発疹はみるみる消え、リタが肩を揺すると重く閉じられていた瞼がゆっくりと開く。
「………………まぁま?」
「お薬飲みましょうね?魔法のお薬なのよ」
「私が飲むのを手伝ってあげよう」
アシュレイは半分寝惚けた状態で頷き、マインラートがエリクサーを口に寄せると1本目を飲みきった。順調に見えたがマインラートが2本目に手を伸ばした瞬間、アシュレイは体を仰け反らせ叫び出した。
「うわぁぁぁああ!ああぁぁああん!いぃぃぃやぁぁぁあ」
「アシュレイ!飲むんだ!」
ベッドをのたうち回るアシュレイをマインラートが押さえつけながら小瓶を口元に寄せ、すぐさまリタはヒールをかけるがアシュレイは痛みで飲もうとしない。
「おいおーい、早く飲ませないと中途半端で治らないよぉ。無駄遣いになたらどうすんのぉー?死ーぬーよぉー」
「分かってる!くそっ!アシュレイ!許せ」
ファイブに煽られ、マインラートは瓶の中身をアシュレイの口に流し込み手のひらで口を覆うがまだ飲み込まない。セブンは手伝うことなくただ黙って見守るだけ。すぐにアシュレイを無理やり真上に向かせ特効薬が口から溢れないよう顎を掴み、空いた手で鼻を塞ぐ。
液体を飲まないと空気が吸えないアシュレイは叫びきったあと空気を求めるように口を大きく開け、飲み込んだ。
「かはっ……っ!いやぁぁぁあ!ぬあぁぁぁあ─────」
「ごめんねアシュレイ!飲んで欲しいの!」
「最後だアシュレイ!いくぞ!」
愛する我が子を助けるためだと、マインラートは唇を噛み締めて最後の1本も先程と同じように鼻を塞いで飲み込ます。
「う、うぐ…………かはっ」
「よし!飲んだ!アシュレイ!」
「アシュレイ!あと少しだからね!」
「あぁぁあぁあ!うぅぅぅうう!ぐずぅ、ひっく、うわぁああん」
そして叫び暴れ続けるアシュレイをマインラートが抱きしめ、リタはヒールをかけ続けた。時間にしてたった5分、クライス家族にとっては長い5分が過ぎてアシュレイの叫びが止まった。アシュレイは突然痛みが消えただけではなく、沸き上がるエネルギーが不思議で呆然としている。
リタもヒールをかけるが魔力が通る感覚が無くなり、腕をおろした。マインラートは確認するようにセブンとファイブに目を向けるが仮面で表情が分からない。
「セブン殿、ファイブ……どうなんでしょうか?」
マインラートがようやく声に出して問うと、ファイブは呆れた様にやれやれお首を振りながら、セブンとふたりでベッドに近づく。そしてまた皮膚の表面を調べる。
「採血して詳しく確認するから、勇者君はそこにある鞄から赤い小箱だけを取ってきてくんなぁい?他は邪魔だから扉の前に置いておいて」
「………………分かった」
ファイブが指差す離れた扉のところには大きな鞄がひとつの置かれていた。あれほど大きかっただろうかと不思議に思いつつ、マインラートはアシュレイの為に腰をあげてベッドから離れた。しかし、大きな鞄を開けてみるが中にはびっしり物が詰め込まれ、なかなか赤い小箱が見つからない。
「ファイブ、本当にあるのか?」
「あるよぉ~きちんと探しておくれよぉ」
この世の珍品を愛するファイブの鞄だ。何かコレクションを傷つけて逆鱗に触れるわけにはいかない。心の中で舌打ちをして、焦る心を抑え丁寧に探していく。
マインラートが鞄の中から小箱を見つけようとファイブとのやり取りに集中している間に、セブンが“ヒール使って疲れたでしょう?”と小声で瓶に入ったドリンクをリタに渡す。
「効きますよ」
「まぁ、ありがとうございます」
オレンジジュースにしか見えないそれを、リタは疑うことなく口にした。前には夫を、そして今日は息子を助けてくれた世界で一番優しい幼馴染みがくれたものだと信じきっていた。
「リタ!何を飲んで!?」
「─────っ」
マインラートが気付いたときにはリタは飲み干していた。そしてリタの手から空の瓶が滑り落ちると、目を見開き、手を震わせ頭を抱えた。
「あ………あぁ、私は………私は!」
「まま?」
「リタ!」
ファイブはアシュレイをすぐに眠らせ、ベッドから飛び降りる。そして魔法を発動して動き出そうとするマインラートと自分たちの間に結界を張り巡らせた。
「ファイブ!貴様!」
「悪いね~邪魔しないでくれるぅ?」
そうしている間もリタはうわ言のように言葉を溢していく。言葉以上に頭の中では3年分の記憶や心が溢れ出す。
「私は今まで………何を。あぁ、なんでこんなことに………だって、これじゃぁ私はずっと………いやぁぁぁぁぁあ!なんで!なんで私なのよ!あぁあぁああ───」
あまりにも心と乖離していた自分の記憶に、リタは絶望したように悲鳴をあげた。その様子にマインラートは額に青筋を立て、セブンを睨み付けた。
「まさか!ただの飲み物ではなかったんだな」
「えぇ、正解です。エリクサー入りの特製品ですよ」
「おのれ!」
「マイン様!やめて!」
結界を破壊しセブンに飛びかかろうとするが、リタの叫びにマインラートは踏み込みかけた足を止めた。
「もう、駄目………」
リタは分かってしまった。正確には蘇ったに近い。バラバラだった心と記憶が一致していく。本当に愛していたのは誰なのかがハッキリと浮かぶ。いまだに震えるリタの手を包み込んでくれてる人が、目の前にいる仮面をつけた人こそが自分の愛しい人だと今ならわかる。
「リタ、思い出した?」
リタの頬では弧を描くように一縷の滴が流れ、頷くことでポタリと落ちる。
「遅くなってごめん。こんなにも年月がかかってしまった」
悔しそうに絞り出す声の主に、リタは必死にその言葉を否定しようと首を横に振る。リタが残したわずかなヒントでここまでたどり着いついてくれるとは思っても見なかった。彼の身分や、国の政治的要素、世界からの目など越えなければいけない高い壁はいくつもあったはずだ。分かっていたから、実は諦めていた自分がどこかにいたのだ。それでも、彼は諦めず、自分を求めてくれた。
「リタ………本当の気持ちを教えて?」
「うん、私が本当に愛してるのはあなたです」
リタの答えを聞いたマインラートから怒気が溢れ出す。しかしセブンは怯むことなくリタを背にかばい、明らかな強者である勇者マインラートに言い放つ。
「魅了の魔法は消させてもらいました。勇者マインラート、リタを返してもらう!もう渡さない!」
仮面から見えるセブンの瞳には強い光が宿っていた。