極道世界名作劇場 -シンデレラ-
あくまでもファンタジーです。
ツッコミ所は多いです。
西洋の話だと思うので、舞台は西になっております。
ある所に、桟戸利音という男がいました。
利音の所属する組織は、桟戸組といいます。
この桟戸組は、侠気会直参繰武組直系の二次団体です。
この名前が示す通り、この組は利音の父親が立ち上げた組でした。
彼はこの組の跡目を継ぐ立場にありました。
ですが、父親である前組長が亡くなった後も、彼は跡目を継ぐ事ができませんでした。
今の桟戸組長は以前、組の若頭を務めていた男です。
彼は前組長の片腕で、強い信頼を得ていた人物でした。
父親が、利音に跡目を継がせる旨の遺言を託したのもこの男です。
ですが、父親が亡くなると、すぐに彼の態度は豹変しました。
彼は父親の遺言を改ざんし、彼を跡目にするという内容の物に変えてしまい……。
桟戸組を乗っ取る形で、彼は組長に就任したのです。
そして彼はそれ以来、利音へ必要以上に辛く当たるようになりました。
「おい、利音!」
「はい」
組長は利音を怒鳴りつけ、灰皿の中の煙草を床へ捨てます。
「床が汚れとるやないけ! さっさと掃除せんかい!」
「はい。すいません。すぐ片付けます」
「ついでや、事務所中すみずみまでピカピカに磨いとけよ」
「はい」
彼は事あるごとに言いがかりつけ、さながら召使いのように利音へ雑用を申し付けました。
それは組長にとって、彼が邪魔だったからです。
上部団体に当たる繰武組の組長は義侠心の厚い男で、前の桟戸組組長とも個人的に付き合いのある人物でした。
そんな人間が、現組長の不義理を許すはずはありません。
なので現組長は、いずれは利音に組を継がせるという体裁をとって跡目を継いだのです。
そのため、組の名前も桟戸組のままです。
現組長としては、前組長の名残とも言える桟戸組という名も変えてしまいたい所でしたが、そのような真似をすれば繰武組長の怒りを買ってケジメを着けさせられる事は明らかでした。
そして組内の事であるならば、繰武組の組長もおいそれと口出しをできません。
だから、利音に辛く当たる事で自主的に組を抜けさせようと考えたのです。
そうなれば、現組長は胸を張って桟戸組の組長を名乗れます。
しかし利音は理不尽な事を言われても、黙ってそれに従いました。
それは父親の残したこの組の事を考えての事です。
自分がここに居続ける限り、この桟戸組は残る。
そう思い、彼は辛い境遇にも耐えてこの組に留まり続けていたのです。
ですが、最近ではその気力も尽きかけていました。
もう組を抜けてしまおうかと何度も考えました。
でもその度に、父の事を思い出して頑張りました。
利音は父親が組長だった時それなりの立場にいましたが、今の組長に変わってからは、部屋住まいと変わらない扱いを受けていました。
スーツの着用も許されず、いつもジャージ姿です。
一番下っ端の新人よりも扱いは下でした。
組長の理不尽な扱い。
それに加えて、組長の実子である二人の子分からも利音は酷い扱いを受けました。
利音が事務所で、組員達の料理を作っていた時の事です。
二人の子分が、舎弟達を連れて事務所へ帰ってきました。
ある仕事で山へ行っていたため、利音が掃除したばかりの床がドロドロに汚れます。
「お疲れ様です」
そんな彼らに、利音は労いの言葉をかけます。
「おう」
子分は横柄に答えます。
元々は利音よりも下の立場にあった人間です。
本来ならば、このような口の利き方も許されません。
「飯を用意してあります」
言うと、組長の子分は利音が作った料理をチラリと見やり、それから舎弟達に振り返ります。
「おうお前ら、どっか美味いもんでも食いに行こか」
「え、でも……」
組長の子分に言われ、舎弟達は困惑します。
組長の子分は料理の皿を手に取り、床に落としました。
「みんな重労働で疲れとるんや。でかい穴掘らなあかんかったからな。こないな粗末なもん、食わせられんやろ。もっとええもん食わせたらな。おまえらかて、そっちの方がええやろ。なぁ?」
舎弟達へ確認するように言います。
「は、はい」
極道の世界において、上の言う事は絶対です。
逆らう事はできませんでした。
「そや、利音。ちょっとそこに寝そべれや」
「はい」
唐突に言われ、利音は床へ仰向けに寝そべりました。
そんな彼の腹を組長の子分は踏みつけました。
べったりと、利音のジャージに泥が着きます。
それどころか、その泥を擦り付けました。
「ドロドロのまま行ったら、店の迷惑になるやろ。ここで落としとけや、お前ら」
「おお、そらええの」
もう一人の子分もそれに倣って、利音のジャージで靴底の汚れを落としました。
「ほら、お前らもやれや」
困惑する舎弟達。
「でも……」
「ええからやれや! このまま行ったら店の迷惑になるやろが! 堅気に迷惑かけたらあかんやろ?」
「は、はい」
強く言われ、舎弟達は仕方なくそれに従いました。
舎弟達は言われるまま、利音のジャージで靴底の汚れを落としていきます。
「すんません……! すんません……!」
他の組員に聞こえないよう、舎弟の一人が搾り出すような声で謝りました。
多くの舎弟に慕われていた彼ですが、みんな兄貴分には表立って逆らえませんでした。
「ええんや」
利音もそれをわかっていたので、彼にひっそりと告げます。
「もうそろそろええやろ。めっちゃ腹減ったわ。行くで」
「はい」
子分二人は、舎弟達を引き連れて事務所を出て行きました。
残されたのは、ドロと料理で汚れた事務所と利音だけです。
彼は黙ってジャージを着替え、事務所の掃除を始めました。
彼は組長と子分二人にイジメられる辛い日々を送っていました。
そんなある日の事です。
繰武組の組長である繰条武王の誕生日パーティが催される事になりました。
繰武組傘下の下部団体は勿論の事、兄弟分の組からも多くが出席する大規模な会です。
「こりゃあ、気合い入れなあかんなぁ」
桟戸組長は笑みを浮かべて言います。
「親分の機嫌取らなあかんからな」
子分はそれに答えました。
「いや、今回のパーティはそれだけやない。二代目のお披露目でもあるんや」
言いながら、組長は煙草を銜えます。
「二代目言うたら、あの?」
子分は煙草に火を点けながら、聞き返しました。
組長は頷きます。
「そや、器だけやったら親父以上っちゅう噂のあの坊や」
繰武組組長の息子、繰条王次は今年大学を卒業し、ほどなくして父親から杯を受ける事となっていました。
今はまだ堅気の彼ですが極道としての気質は類稀な物で、隠しようのない輝きを放っていました。
彼と直に接した極道は誰もがその気質に惚れ込み、親以上の器であるという予感を覚えるほどです。
「その坊はまだ舎弟の一人もおらん。坊に気に入られて、お前らのどっちかが最初の舎弟にでも選ばれてみろや。将来は安泰や。うちも今まで以上にデカイ顔できるわ」
子分二人は息を呑みました。
王次の舎弟になった未来、その展望の華やかさを思い浮かべます。
「そりゃあ、是が非でも舎弟にならなあきまへんな」
「そや。やから、パーティに行く時はせいぜい身形整えていけや」
「わかったで、親父」
子分二人は頷き、楽しげに話し合いを始めます。
「フランス製のカッコエエの仕立てて行くわ」
「俺も何百万の時計巻いて行くわ」
「腕のええ美容師も呼ばなあかんな」
「アホか。お前スキンヘッドやんけ」
子分二人は、大笑いしました。
「あの」
そんな二人に割って入るように、利音は声をかけました。
声の主に気付いた三人は、表情を消します。
「そのパーティ、俺も連れて行ってもらえまへんやろか」
「何言うとんねん。お前みたいなもん連れて行けるわけないやろが! 場違いなんじゃボケ!」
組長は、利音を怒鳴りつけます。
「でも、俺当てに招待状が届いてるんですわ」
そう言って、利音は招待状を組長に見せました。
招待状には、繰武組長の名が確かに記されています。
利音自身に面識はありませんが、繰武組長と利音の父親には個人的な付き合いがありました。
この招待状は、その関係で繰武組長から贈られて来たものです。
「見せてみろや」
「はい」
言われて、利音は招待状を組長へ渡します。
「本物みたいやな。けど、着ていく服あるんかいな?」
今の利音は、ジャージしか持っていません。
前はスーツを持っていましたが、それもイジメの一環として全て組長に燃やされてしましました。
「用意します」
「金もないくせによう言うわ。一万、二万の安物で行くような所とちゃうんやぞ!」
「それは……」
今の彼は事務所での雑用を強要され、満足にシノギもできない状態でした。
父の財産は現組長に騙し取られ、収入もなく、いくらかの貯金も上納金で全て消えました。
事務所に寝泊りして辛うじて生きていけますが、自由になるお金を彼は持っていません。
「パーティなんぞお前には、場違いや。せやから、こないなもんお前には必要ないんや」
言って組長は招待状を破り、灰皿に捨てました。
「あっ!」
破られた招待状に、銜えていた煙草の火を押し付けます。
煙草の火がジワジワと燃え広がり、やがて灰皿の中で招待状が燃え上がりました。
「用事はそれだけか? 済んだんやったらとっとと失せろ。目障りなんじゃ!」
「……はい」
利音は一言返し、うな垂れてその場を去りました。
そして、パーティの当日。
組長と子分二人は海外製の高級スーツに身を包み、おめかしして出かけました。
利音は掃除を命じられ、事務所で留守番です。
他の舎弟達は休みを与えられ、事務所には彼一人でした。
普段ならば黙々と仕事をこなす彼ですが、今日はパーティが気になってそれも手につきません。
床に座り込み、溜息を吐きます。
そんな時でした。
事務所に来訪者が……。
「邪魔するで」
現れたのは、ブラウンのスーツを着た老人でした。
老人は手に大きなバッグを持っていました。
「あんたは? ここは部外者お断りでっせ」
「ああ。わかっとるよ。君、利音くんやろ? わしは君に会いに来たんや」
名指しされて、利音は驚きました。
「あんたは、誰なんや?」
「それより、今日はパーティやろ? 行かへんのか?」
「それは……。でも、着ていく服がないんや。招待状もないし……。それに、行けたとしても組長《親父》に見つかったら叱られてまう……」
利音は意気消沈した様子で俯きました。
「そうか。なら、来てよかったわ。君にこれをあげようやないか」
「え?」
老人は、バッグからスーツカバーに入った一着のスーツを差し出しました。
カバーを開けると、そこからは上質の白いスーツが現れます。
今の利音では、到底買う事のできないような高価なものである事が一目見てわかりました。
そしてもう一つ、老人は新しい招待状を渡しました。
「これを、俺に? 招待状も……」
「そや。それ着て、パーティに行ったらええ」
「ええんでっか?」
老人は微笑んで頷きました。
「でも、行った事がバレたら……」
「これで顔隠せばええんや。遠目からやったらわからへん」
そう言って、老人はサングラスを利音に差し出しました。
「ほら、早よ着替えや。パーティが終わってまうで」
「はい」
いろいろと腑に落ちない部分はありましたが、それ以上に利音はパーティへ行ける事を嬉しく思いました。
スーツに着替え、サングラスを着けます。
ジャージからスーツに着替えた彼は、見違えるようでした。
誰がどう見ても、立派な極道です。
「ええで。似合っとる。カッコエエやないか」
「ありがとうございます」
「さ、外行こか」
老人に言われるまま外に出ると、事務所の前には一台のベンベが停まっていました。
「これで会場まで送ったる。根子。頼んだで」
「へい」
老人に言われ、運転手が答えました。
そんな老人に、利音は向き直ります。
「あんた、いったい何者なんです? 俺にこんなに良くしてくれて……。招待状まで……」
「わしか? そやのう……」
老人はしばし思案してから答えました。
「人の願いを叶える妖精って所や」
「妖精……」
「それもただの妖精やないで。多くの妖精を従える親分や。そやなぁ……。妖精はフェアリーで、親分は確かゴッドファーザーやったか……。そやからわしは、さしずめフェアリー・ゴッドファーザーちゅう所やな」
ドヤ顔で笑ったフェアリー・ゴッドファーザーは、自分で言っていて恥ずかしくなりました。
照れ隠しに、利音の背中をバシッと叩きます。
「まぁええやんけ。そないな事は、それよりパーティを楽しんで来いや」
「ありがとうございます」
利音は心からフェアリー・ゴッドファーザーに感謝し、深く礼をしました。
「ああ、そや。これも受け取ってくれや」
言うと、フェアリー・ゴッドファーザーは一枚の杯を差し出しました。
それはただの杯ではありません。
ガラスで出来た透明の杯でした。
「これは?」
「昔、最初にできた舎弟と交わした杯や。縁が壊れへんようにって、防弾ガラスで作ったもんなんや。洒落とるやろ?」
「そんな大事なもん、もらえまへん」
「いや、君に持っててほしいんや。頼むわ」
そう言うフェアリー・ゴッドファーザーの目を見ると、利音は断われなくなりました。
本心から彼がそう願っている事を感じ取ったからです。
「貰ときます。ありがとうございます。この恩は、いつか返します」
「いらんわ。わしの方こそ、恩返しなんや。ほら、行けや」
「はい」
利音が乗り込むと、ベンベが走り出します。
シートはとても座り心地がよく、身を預けると疲れが溶け出していくようでした。
上質なサスペンションは走行の振動を極限まで殺し、不快な揺れは一切ありません。
運転手の腕も良く、制動による慣性をほとんど感じさせない丁寧な運転で車を走らせます。
不覚にも利音は眠気を覚え、夢を見ているような心地になりました。
キラキラと無数のネオンが輝く夜の街。
流れゆく光は、とても幻想的です。
「着きました」
そして気付けば、彼はパーティ会場に到着していたのです。
「ここで待っていますので、帰る時はまたお声かけを」
「ありがとうございます。行ってきますわ」
「ごゆっくり」
運転手に礼を言った利音は、パーティ会場へ向かいます。
招待状を見せて会場の中に入ると、そこには多くの極道達の姿がありました。
侠気会で名の知れた組長達の姿が、東西問わずに見られました。
利音はその全てを知っているわけではありませんが、彼らは誰も男気に満ちた魅力的な侠達でした。
「あれは、堂和の組長。そのそばにいるのは、前は関西にいた笠地の兄貴……」
そんな凄い侠達を見て、そんな人達と席を一緒にできる事に利音は胸が熱くなりました。
ふと、美味しそうな匂いが彼の鼻腔をくすぐります。
見ると、そこには色とりどりの料理がありました。
立食形式で、誰でも自由に食べられるようになっています。
「ああ、なんちゅう美味そうな料理なんや」
思えば、ここ最近は料理らしい料理を食べていません。
組の料理を作っていた彼ですが、彼自身はその残り物くらいしか食べられませんでした。
大皿に目一杯盛られた唐揚げ。
焦げ目が付くまで焼かれたバジルウインナー。
濃い味付けのブリの照り焼き。
利音は、次々に料理を食べていきました。
幸せだ……。
リオンは心の中で呟きます。
「坊はどこに行ったんやろなぁ」
そんな時です。
桟戸組長の声が聞こえました。
ちらりと見ると、目の端に組長の姿が見えました。
見つかるわけにはいかないと思い、利音はその場から逃げるように離れました。
廊下に出て、そのまま庭園のある場所まで行きます。
庭園を見渡せる廊下で彼は、手すりに両手を乗せてうな垂れました。
「危なかった」
溜息と共に、言葉が漏れます。
「何が危ないんや?」
誰かから言葉を返され、利音は驚きました。
振り返ると、そこには一人の若い男が立っていました。
「いや、こっちの事情ですわ」
「そうか」
言いながら、男は利音の隣に立ちました。
そして煙草を銜えます。
それを見た利音はライターを取り出して火を点けました。
「おおきに」
男は礼を言い、煙草にその火を近づけました。
紫煙を深く吸込んだ男は、夜の闇へそれを吐き出しました。
夜風がそれを吹き流していきます。
「しかしお前、変わっとるの。夜にサングラスやなんて」
男は、利音に言います。
「これは……これにも事情があるんですわ」
「なんや、事情だらけやの」
男は笑いました。
そんな彼を見ていると、利音も知らず笑みを浮かべます。
「変な奴や。でも、中におる奴に比べればよっぽどマシや」
「そうでっか?」
「ああ」
答えると、男は手すりに背をもたれさせました。
「みんな、俺に声かけて来よる。声かけて、耳障りの良い言葉ばっかりかけてきよる」
この人は明らかに自分よりも若いが、何かしら地位のある人なのかもしれない。
利音は彼の言葉からそれを察します。
「それは下心があるからや。それはええ。誰かて、欲望はあるんやから。でもな、それは本当に上辺だけなんや。誰も彼も、俺の後ろに親父を見とる。俺の機嫌取りながら、俺自身の事は若造や思て侮っとるんや。どこかしら、上から目線なんや。俺はそれが気に入らん」
彼はうんざりとした様子で言います。
利音はそれを黙って聞き続けました。
「年功序列や言うけど、歳食うだけで尊敬されるわけやない。歳上なんて、自分より先に死ぬっちゅうだけの人間なんやから。それが解かってない連中ばっかりや。尊敬されたかったら、年嵩ひけらかす前に、尊敬されるだけの事をせなあかんのに」
利音は、不思議と目の前にいる若者に魅力を感じていました。
初めて会った相手だというのに一緒に居て居心地が良く、自然と気を許す事ができました。
「話し過ぎたわ。いらん愚痴聞かせてしもたの。堪忍や」
「いえ、ええ話でしたわ」
利音は本心からそう思い、答えます。
「そうか。……お前はええのう。俺の事見てくれとるのがようわかるわ」
「目の前には、あんたしかおりませんからな」
「はは」
男は微笑みました。
「俺の名前は、王次っていうんや」
若い男は、自己紹介しました。
「王次……」
利音はその名を反芻するように、小さく呟きました。
「お前の名前は――」
王次が利音の名を聞こうとします。
ですがその言葉が最後まで出る前に、庭園の草むらから一人の男が飛び出しました。
それはヒットマンでした。
恐らく、敵対組織の雇った殺し屋でしょう。
「往生せぇや!」
全身を黒い服に身を包んだヒットマンは、拳銃を構えて王次へと向けていました。
「危ない!」
気付けば、利音は王次の腕を引き、銃口から庇っていました。
発砲音が数回鳴り響き、夜の静寂を裂きます。
その殆どは外れましたが、一発が利音の腹部に命中しました。
拳銃が撃ちつくされ、カチャカチャと空のトリガー音が響きます。
「くそ!」
標的を殺しそこなった事に悪態を吐き、ヒットマンはその場から逃げました。
「大丈夫でっか?」
利音は王次の安否を確認します。
「お前こそ! 撃たれたんちゃうんか!?」
「大丈夫みたいですわ」
答えて、利音は懐から一枚の杯を取り出しました。
腹部にあったそれは、防弾ガラスの杯です。
その中心に銃弾がめり込み、ひびが入っていました。
利音は、それで命を取り留めたのです。
「よかった……」
王次は利音が無事である事に、心から安堵しました。
「おう、何の音や! 二代目! 二代目は無事でっか!」
そんな時、銃声を聞きつけて誰かがこちらに向かってきます。
その声は、桟戸組長のものでした。
「すんません。俺、もう行かなあきまへんわ」
利音はガラスの杯を懐にしまい込むと、組長から逃れるために離れようとします。
「待て、どこ行くんや?」
「堪忍してください」
引きとめようとする王次に言って、利音は廊下を走り去っていきました。
「待てや! お前は……お前は誰なんや?」
問い掛ける王次の声を振り切って、利音は廊下から姿を消します。
利音はそのまま駐車場まで行き、来た時と同じようにベンベで事務所へと帰りました。
パーティから数日後の事です。
「坊が、人を探しとるらしいで。その男を舎弟にしたいとかで」
桟戸組事務所で、組長は二人の子分に言いました。
今の事務所には、その三人だけがいます。
「そうなんでっか?」
「ああ。何でも、ガラスの杯を持った男らしい」
「ガラスの?」
子分が怪訝な顔で問い返します。
「そんな奴がほんまにおるんやったら、すぐに名乗り出るんとちゃいまっか?」
「ああ。どっかにおるはずや。でも、名乗り出てこん。何考えてるんか知らんけど、アホなやっちゃで。まぁ、そのおかげでこっちはええ思いができそうやわ」
言うと、組長は懐から一枚の杯を出します。
それはガラスの杯でした。
恐らく、王次が探しているというものに違いありません。
「親父、これは?」
子分が驚いて訊きます。
「これはな、前の組長が持っとったもんでな。あいつがくたばる時に、俺が貰い受けたんや」
「そう言うて、ほんまは盗ったもんちゃいますの?」
「まぁ、そう言うなや。そうなんやけどな」
三人は小さく笑いました。
「まぁでもこれを見せて名乗り出れば、お前らのどっちか舎弟にしてもらえるやろ」
三人がそんな悪巧みをしていると露知らず、利音は日常を過ごしていました。
パーティから数日経ちましたが、利音はあの日の事を忘れられないでいました。
あのパーティで出会った男。
王次。
彼の事を思うと、熱い気持ちが込み上げてきます。
利音は彼に、惚れていました。
あんな男気に溢れた男はそうそういるものではありません。
彼を思うと、組長達から虐げられる毎日にもどうにか耐えられました。
あの人から杯を受けられたら、どんなにいいだろう。
そんな事を考えます。
ですが、それは適わぬ事でした。
だって、あの人は自分の素性を一切知らないのですから。
彼が自分と杯を交わす事などありえないのです。
そんなある日の事。
「邪魔するで」
そう言って事務所に入って来たのは、護衛を連れた王次でした。
利音は思わぬ再開に、驚き戸惑いました。
彼と目が合います。
ほんの数瞬視線を交わすと、利音の方からその目をそらしました。
「ようこそおいでくださいました」
組長は王次の来訪に気付くと、へりくだった様子で近付きます。
「あいつを見つけたいう話やったな?」
王次はすぐ本題に入ります。
彼は、組長からガラスの杯の持ち主を見つけたという話を聞き、ここへ来たのです。
「はい。こちらに。おい!」
組長が声をかけると、子分の二人が現れます。
「実はあの杯、私の物でしてなぁ。この二人のどっちかがあのガラスの杯を持って行って二代目と会ったいう話なんですわ」
「どっちや?」
「それが、どっちも自分や言い張りましてね。埒があきまへんのや。いっその事、どっちも舎弟にすれば後腐れないと思うんでっけど……」
言うと、三者ともに笑みを浮かべます。
「それより、ガラスの杯は? 見せてくれや」
組長の言い分を無視するように、にべもなく訊ねます。
「はい。こちらに」
組長は、杯を差し出しました。
ひび一つない綺麗な杯でした。
王次はそれを一瞥すると、踵を返しました。
そして、事態を静観していた利音の前に立ちます。
「お前とちゃうんか?」
一言、訊ねます。
「それは……」
思わぬ事に、利音はすぐに答えられませんでした。
「俺は、すぐわかったで。お前や……って。そうなんやろ?」
言われて、利音はジャージのポケットから杯を取り出しました。
その杯には、銃弾の痕とひびがありました。
利音はあの日以来、どういうわけかそれを身につけていました。
そうしたいと思っていたからです。
「やっぱりや……」
王次は自分の探していた相手を見つけ、優しく微笑みました。
「なんやて!? 利音が、探してた相手やと……。それじゃあ、二代目の舎弟は……」
桟戸組長は驚愕し、その場で膝を折りました。
「もう、それは使われへんな」
言って、王次は懐から杯を出しました。
自分が作らせた新しい杯です。
「せやから、新しいのやるわ。受け取ってくれへんか? 俺の杯」
「はい。俺でよければ……」
王次の申し出に、利音は頷きました。
「お前がええんや」
「……! はい。ありがとうございます!」
王次と兄弟の杯を交わした利音は、桟戸組を取り戻して組長となり……。
王次の舎弟という評判で、彼自身にも多くの舎弟が集まりました。
それだけでなく彼自身の魅力もまた評判となり、桟戸組は関西有数の大組織になりましたとさ。
シンデレラのバージョンによって、その結末で継母とその子供達がとても凄惨な目に合います。
ケジメでそういう事が実際にありそう……。
組長達がケジメを取らされたかどうかは、読者の想像にお任せします。
あと、フェアリー・ゴッドファーザーが何故ガラスの杯を持っていたのかについては、利音の父親が片方の杯を持っていた事でなんとなく察してくださるとうれしいです。