陰陽
獅子は吼えた。獅子は狩られる側に回ったばかりだ、逃げることなぞ考えられなかった。自分は誇り高き獅子だ、イエネコなんぞに負けられない。相手は強大にして凶悪、こちらをよく動きよく鳴く玩具にしか捉えていない。
獅子は、生まれて二度目の敗北を味わった。
獅子はかつての主人を思った。優しげな語り口調で、楽しげにスズランの様な笑顔を見せるかつての主君。今は何処と、獅子は鳴いた。暗き校舎に憐れな泣き声が木霊する。
ハゲチャビン……ではない。ローブで分かりづらいが、少し痩せている。いや、まあそうか。あの学園の教師は血脈、才能、人格、どれを取ってもエリート集団の集まりの筈だ。公爵の子供から異国の平民の子供全ての面倒を見るのだからね。当然、宗教組織の上部に食い込めるほどの力はあるよな。或いは、上部からの取り込みかな、まあどうでもいいんだけど。準教皇がハゲチャビンの兄弟だとすると、あのハゲめちゃくちゃ偉いってことになるのか。全然そんな気はしないんだけど。
ジロジロと見過ぎたのだろうか、準教皇が少し怪しんだ。
「おや、マクニヌシ族はそんなに珍しいですか?」
初めて聞く単語だ。文脈的にハゲチャビンと彼の人種だろうから、マクニヌシ族は大型の小人、半ライス大盛りみたいな人種だろう。僕の身長を110cm程度とすると男性の身長は150から160が一般的の人だろうか。まあ人種どころか世界からしても違うし、僕が地球換算で3mという可能性も捨てきれないのだけど、だいたいのサイズ比で言えばそれくらいだと思ってくれ。
「ああいえ、その、学園で準教皇様に良く似た人がいまして。僕の担任なんですけど。」
「ああ、私の弟ですね。愚弟が何か無作法を働いてなければ良いのですが。」
いえいえ、言動が一々鼻につくこともありますが、むしろ私の方が迷惑をかけてしまっています。あ、くそう。語調が移っちまった。困んぜそれは。とは言え、礼には礼で返すのが普通なので、僕も仕立てに出てそんな事はないだのと言って世間話を始めた。マクニヌシ族はいいなぁ、同族って感じがする。態度や性格云々じゃなくて、やっぱ懐かしのアジアンフェイスだもんね。切れ長の目、影の薄い目元、白銀比の顔、なんだか柔和な感じがする。
「さて、今日は診断でしたよね。準備が出来たようですので、付いてきてください。」
神官用の薄紫色のローブも合わさって、医者か何かに見えてしまう。学校の検診とかに来るような……。準教皇の案内に従って神殿内を歩くと、ややお香の香りがする小さな扉の前に来た。
仕方がないこととは思うけど、皆お香好きだよなあ。わかるよ、臭いもん、この世界。ここは下水道があるらしいけど、普通は殺虫用の葉っぱと一緒に土に埋める程度だもね。だからといってお香を焚き過ぎるのも良くないと思うな僕、そんなのキツすぎるよ、煙いし。クロノアデアを見習え、ずっといい匂いしかしない。いや、だいぶ気持ち悪いこととはわかるけども。
煙が目にしみる……準教皇は辛くないのだろうかと目をやった。涼しい顔だ、慣れているの——や、野郎……あの野郎よくよく見たら魔術で常に顔から煙を飛ばしてやがる!本当にそれで良いのかよ、ちくしょう、僕もそれにならい顔から煙を離した。
真面目なクロノアデアは目をしばしばさているので、少し可愛いのを見ていたい気もしたがそれに逆らい、風の魔術を使っても良いようだと準教皇を指差しそよ風を飛ばす。
部屋は薄暗かった。円形の天窓が天井の中央に付いており、光の柱が落とされていた。チンダル現象や周りにある大量のお香により、ギリギリ部屋全体を視認できる程度の明るさだった。目が慣れると、壁面には何か神話がモチーフにされているであろう装飾があった。光を飲む龍に、闇を吸い込む鯨、発光する剣を掲げた人など、様々な模様が一つの話を語っているようだ。
「ああ、あれはこの大陸ができる前のおとぎ話ですよ。御啓示により、あの様な壁画がこの神殿には至る所にございまして。」
準教皇の案内により光の挿す部屋の中央に立ちながら眺めていたら、ハゲチャビン程ではないがそこそこ豊かな腹を揺らして説明をして来た。なるほどなあ、しかし、そうか神様がいる様な世界だものなぁ、どんな成り立ちでもおかしくはないのか。
準教皇のお付きの人が巻尺の様な物を使って僕の体型を測定していった。一応、美術部部長だったし、理想的人体がどれほどのバランスかとかは知っているんだけど、意外と僕細いんだなぁ。いつもワンピースとか、コルセット的な服を着てるから鏡見てもまあこれくらいかとか考えていたけど、そりゃあクロノアデアも心配するか。
数分ほどで測り終えると、今度はシーソーというか、天秤の上に座らされる。もう片方に鉛の粒だかなんだかを土嚢の様におかれる。……あれが鉛かどうかは知らないけど、鉛にしては僕の体重が軽すぎやしないか?本当に筋肉がついていないのか、あるいはあの金属が重すぎるのか。
次は血を取るらしい、銀色に鋭い光を反射する片刃のナイフを手に持ち、クロノアデアが僕の手首を握る。彼女の指先が震え、それに応じて刃先がギラギラと光を放った。ぷるぷる、ギラギラ、彼女は僕の手首を強く握ったまま何度も刃を近づけては遠ざけ、当てては引かずに引っ込めた。
彼女はまあ、身内には優しい。絶対傷つけないし、もし何かの事故が起きたら深く後悔する。シャドウ何て言葉を知ってるかな、多重人格とは違うんだけど。いつも良くキレるナイフの様な性格をした半グレが、雨に打たれた子犬には優しいみたいな、そんな感じだとでも思ってくれ。ナイフの様な一面がペルソナ、子犬に優しいのがアニマやシャドウって言う部分なんだけど、彼女の場合は……いや、語るのはやめておこう。
なんだか踏ん切りがつかない彼女が可哀想で、僕は空いている手で彼女の震える手を押さえた。優しくナイフを絡め取り、リストカットをする、ナイフが赤い光を反射した。
そう、長い時の中で彼女は壊れてしまったのか、凄くサバサバとした冷徹な面を持つ一方、幼女の様な面も持つ。そう言うとなんだか僕みたいだけど、まあ僕みたいなのと一緒にするのも可哀想だからあまりそう思わないでほしい。謝るクロノアデアに気にしないで良いと伝え、さてさて、血を用意された水に垂らし、それを提出してだ。
今度は準教皇が魔力を調べるといって、僕を一人部屋に残し小さな扉から部屋を出てしまった。オーバーフローを見るんだ、試験対象以外がいると意味がない。オーバーフローは原理的に、いや実際にそうなのかは知らないけど、心の中の微妙な傾きによって発生する現象だ。だから僕の漏らした魔力でも、クロノアデアの動揺やらに引っ張られることがある。制心j術を使って見ても良いが、逆にその場に居られるとその人へのペルソナに引っ張られたりね。
僕はホムラビ達の特別な魔力も含めて部屋に魔力を充満させ始めた。まあ含めてというか、意図的に封じないと普通にダダ漏れになっちゃうんだよね。今までは何が起こるかわからないし、やれる場所もなかったから漏らさずに居たけど、つい昨日どの程度の物なのか知ったので安心して漏らす。
壁画が怪しく光る、あれは魔術陣の一種なのだろうか、いや、別にどうでも良いんだけど、それよりもオーバーフローが疑問に引っ張られない様に、ニュートラル、無でもない平生になるんだ。
でも常日頃からどうでも良いこと考えてんだよなぁ……ぼうっと言う音と共に壁に描かれているの絵の縁から、青い炎が出た。どうやら、上手いこと平生になれたらしい、次々と勝手に魔力が働きだした。というかあの壁画はオーバーフローを起こしやすくする働きをしてるのね。まあ魔術陣だから、どんな形でも良いんだろうけど、それってどうなんだか。おっと、いかんいかん。平生平生。
壁画からジョロジョロと清らかな水が漏れ、ワサワサと虫達が現れる。虫が虫を喰らい、老衰で倒れてはカビに覆われ、まるで一つの生態系が生まれた様だ。いつの間にかテンシさんの魔力も発動してた様でボンヤリと明るい光に満たされている。恐ろしい速さで虫達が死んではカビや苔に覆われるのは、僕の独自の属性によるものだろう。青い炎が地衣類を燃やし、その焦げ炭もまた虫と地衣類に飲まれ土に還る。諸行無常というか、大いなる自然の様で幻想的だ。
まるで赤の世界とは——ギィっと扉が開いた。蝶が舞い、苔の花が咲く世界への異物……ではない。ただ大分違和感があるね、ローブさん達とメイド服じゃあ、まあそれをいったら僕もドレス姿なんだけどさ。
クロノアデア達は絶句した。準教皇のお付きの人が足元をムカデが通ったことに驚く、酷いなあ、まあ無毒だって知らないからね。よしよしとイモムシを愛でて苔の食事に戻させた。蜻蛉や蛾が蜘蛛の巣に引っかかっているのを見つけた。アカグモさんがガジガジと食べている、人の姿でやられると結構グロいな。準教皇の首にコクダさんが忍んでいた、準教皇が驚きで体を揺らすとこちらまで飛んでくる。
「か、かつての神子も、部屋を壊す程度はすれどもこの様な事は、そんな……。公爵家の力が、そんな。」
お付きの人が結構お喋りな性格で、聞いてもない情報をベラベラと教えてきてくれた。いいね、なんだか彼とは気が合いそうだ。クロノアデアはあんまり怯えてはないけど、少し驚いている様だ。まあ、館にいた時は物が劣化するかあるいは新品同様になる程度だったものね、旅で何が起きたんだっていう。
まあ色々としか言いようがないんだけど。準教皇にクロノアデアへの説明も兼ねてつい最近、家を守護する神様の魔力の使い方に気付いたので、それが出たのだろうと伝えた。意図的にそれを封じることもできる旨を伝えたが、やはりそう言う意識的な事をしても意味がないと言われたので通常バージョンは無しになった。
蝶々達を魔力の再回収の応用で引っ込めていく。地衣類も粘菌も、消えない炎もヘドロも光も全て、アカグモさんとコクダさんにはお願いしておかえり頂いた。冷静になってみたんだけど、式神って魔力さえあれば勝手に出てくるのね、黒い龍や赤い蜘蛛と女性のキメラが勝手に出てくるとか怖いわ。しかも勝手には消えないしちょっと、いや、必要な時に勝手に帰られたら困るんだけどさ。
「いやはや、お見事です。今代の神子様は肉体的に恵まれてはいないと知り失礼ながら不安を——。」
準教皇の話が長いので意訳するが、お前意外とやるじゃんパネエわこれからもよろ、と言っていた。いや、僕は喋るのは好きなんだけど、人の話を聞くのはそうでも無いんだよね。嫌いでは無いんだけど、好きでも無い人の話を長々と本翻訳するのはちょっと。本訳っていうのはあれ、造語ね。本気で翻訳、本翻訳、本訳。関係ないけど本って漢字はゲシュタルト崩壊しやすそうだね。
色々と話した結果、僕は生贄として申し分ない質の人間だった様だ。ヒューマンの家だったので、前代の獣人の巫女や前々代のエルフの巫女に比べて大丈夫かどうかなんて心配されて居た様だけど、まあ杞憂だったとか云々。お土産を貰って帰ることになった。
「坊ちゃん、今日は申し訳ございません。」
クロノアデアは馬車の中で謝った。魔術の馬車だから彼女の運転だし、ちょっと怖いから今は運転に集中して欲しいんだけど、まあそれは言わずにおいた。謝ったのはどの事だろう。あのムカつく男に謝ったことか、採血ができなかったことか、あるいは心配りのできるクロノアデアしか気にしない様な些細なことか。
「どのことかは知らないけど、許すよ。僕なんか君に迷惑かけてばっかりだしね。」
クロノアデアが僕の手を握る。キラキラとエメラルドの様に輝く瞳が美しい。い、一体なんなんだ、君の色仕掛けになんか僕は簡単に屈してしまうぞ。色々な検査のせいで今は夕暮れ間近、太陽が黄色に眩しく輝き殺人の誘惑を仕掛ける頃合いだ。
いやまあ、流石にそんな異邦人じみたこと感じたこともないけど。でもまあ自殺願望って他殺願望と紙一重らしいし、どうなるかはわかったもんじゃない。でもそうだね、僕はクロノアデアだけには殺されたくないなあ、別にポミエさんやドロシー先輩なら良いって話じゃないけど、僕はクロノアデアのする事をなんでも許せるけど、何されても嬉しいと感じるわけじゃないからね。流石にそこまで狂信的じゃない。いやまあ、ソフトなsmも興味がないと言うわけじゃないけど、いや、この話はやめておこう。自分で言ってて気持ち悪くなってきた。
しばらく黙って居たクロノアデアが、口を開いた。
「私は、坊っちゃんのメイドです。そう思い、思われている事を誇りに思います。どうかこれからも、私の坊っちゃんでいてください。」
勿論、そのつもりだし、そうでいてくれなければ困るよ。Hahaha、君ってやつはお茶目なんだね! くらいの軽い言葉を言うつもりだった。何故だかわからないが、少し言葉に詰まる。私だけの坊っちゃんに何の不満があるんだろう、自分でも全くわからない。
「僕だって僕だけの君でいて欲しい。でも、自分でもひどく勝手な事だと思うけど、君だけの君でいてほしいと思う。それに僕は僕だけの僕であるべきだよ。」
誰かが耳元で囁く様に、自然と言葉が紡がれた。……後悔の念がすぐに僕を襲った。なんでこんな事を言ったんだろう。制心術を使いたいけど、それは卑怯だし、剥き出しの自分をぶつけたい。受け入れて欲しい、彼女を受け入れたい、脳内を電流が駆け回った。
寮に着くまで、僕達は互いを見つめ合うだけだった。彼女は僕を大切な存在だと思ってくれてるし、僕は彼女の特別になりたいのだから、きっと彼女だけの僕で居られれば、彼女とも恋愛関係に発展できた筈だ。でもそれだけじゃあダメなんだ、それは共依存だ。共依存の何がダメなんだ、お互いだけの世界で生きる事の何がいけない。無責任じゃないか、僕は死ぬんだぞ! 後先のことなんて考えるなよ、全てを投げ打ってでも彼女を愛すべきなんだ! そうは言ったって、彼女を悲しませたくはないじゃないか、自分本位だ! お前は彼女の所有物になりたくないから言い訳をしてるだけだ、お前の方こそ無責任だ!
脳がぐちゃぐちゃになる。僕はどうすればいいのだろう。部屋に帰るなり、僕はベットに倒れこんだ。暗闇と時だけが、僕を傷つけないで居てくれる。




