越権した謁見
獅子は毛皮を得た。齧歯類のみすぼらしく不衛生な物だが、今までに持ち得なかった物だ。腐敗するまでそう長くはないが、それまでに獅子はまたネズミを狩り新たにすれば良いと捉えていた。しかし獅子は知らなかった、この世に腐肉をあさる者など腐るほど存在し、自らの起源であるネコ科の動物とて例外ではないと言う事を。
帝都の神殿は少し微妙な立ち位置だ。限りなく自宅に近い別荘とでも言うか、一級神にとっての準総本山的な物だ。
元々一級神の神殿は標高の高く険しい山にあって、そこで教皇や大司教が僧侶達と細々と暮らしていた。だが、帝国が力つけるに従って教皇様達は度々帝都に行かなければならなくなり、その過程で多くの人が滑落死したので、重鎮達は帝都に作った新たな神殿で暮らすことになる。
そこまで来たのでとっとと本拠地の移転を試みたそうだが、教皇様の夢に天使が現れて「何舐めた事をしてんだくらすぞ。」的な事を言い、その年は世界的大飢饉が発生し、王国が飢えに苦しみクーデターを起こすなど、様々な厄介事が起きた。結局、数年後に準教皇を帝都神殿に常駐させて政治的な役割を担当させ、教皇は山で細々とした暮らしに戻ると言った面白いものに落ち着いた。教皇は紙面上準教皇より上の存在だが、実態は伴わないんだな。
だけどまあ、山で暮らす教皇には教皇相応の仕事がある。神と人との仲介者としての役割がね。僕に学園通わせろとか、そういう神託を受け取れるのは教皇しかいないそうだ。
それはともかくとして、僕は準教皇のいる帝都大神殿に来た。準教皇様はどの教会にどれほどの資金援助をするとか、教会の騎士団テンプルナイト、まあ国境を超えて存在する教会独自の軍隊だとでも思ってくれ、その人達の派遣などを行っていたり、あるいは発展途上国への金融支援など、様々な事を担当している。まあ帝都に神殿を構えた結果、帝国軍との繋がりを持って偉くなったからね。
だから当然神殿もそれ相応の物になる。なんと言っても豪華絢爛だし、テンプルナイトと帝国兵の両方が警備に当たってたりするし、重鎮用の応接室なんてものもある。まあ帝都にあるんだから自然と帝国貴族くらいしか利用できないんだけど、仮にも教会なので頻繁に特定の組織との面会をする事は結構まずい。だから秘密の応接間なんて言うのも当然あるわけで。
ポミエさんは急な来客に備え寮で待機してもらい、クロノアデアと僕達2人は神殿についてから、懺悔の部屋に入った。懺悔室みたいな電話ボックスほどの箱じゃなくて、普通に聖者像や神像と長椅子が置かれているだけの部屋だ。当然数人の聖職者待機していて、その他にも黙って神に祈っている人達が数人ほど。クロノアデアは暫く神に祈りを捧げ、近くにいた尼僧、敢えて言うならシスターに気分が優れないと言って隣の部屋に案内をさせた。
隣の部屋には火の付いていない、いやつけた後のない暖炉がある以外は普通の部屋だった。シスターが水差しと布を持ってきて、すぐに部屋を出た。クロノアデアが水差しを持ち暖炉に立つ。その水を全て暖炉に注ぐと、水は暖炉の端に不自然に開けられた穴を流れ落ち、雫の一滴を流し切るか切らないかの所で、カチリと何処からか音がなった。一見したら気の狂った様だが、まあ当然彼女が気の狂っているわけではない。
「おお、本当にこうなるとは。すみません坊ちゃん、私も初めて利用したもので。」
そう言ってクロノアデアは暖炉を押した。暖炉の煙突が途中で切れ、床ごとグルリと回る。忍者屋敷で見るような回転扉の仕掛けだ。暖炉に何かあるのだろうとは思っていたが、まさかここまで大掛かりなものとは。かっこよすぎないか? 馬車でこちらに向かう際に教えられたが、実物を目にするとやはり驚いてしまう。これが秘密の面会室への入口だった。
それにしても、隠し扉を作った職人の腕がいいのか全く違和感がなかった。特に床なんて、不自然な半円の線が走っていたらそれに気付きそうなものだが。偽装の魔術でもかけられていたか?
暖炉の奥には上階へと螺旋階段が続いている。僕は秘密基地なんて感覚に心を踊らせ、ワクワクしながら階段を上って行った。
螺旋階段は小さめのホールに繋がっていた。煌びやかな装飾が悪趣味一歩手前まで施された秘密のホールだ、ギラギラとした人間の欲が垣間見える気がしてならない。ここほんと神殿か?ホールには窓なんて気の利いたものが無く発行する魔術陣のシャンデリアが吊るされていた。
魔術師のローブとは違う、神官のローブを羽織ったおじさんが靴を鳴らしながら歩いてきた。
「これはこれは、ようこそ神の社に。失礼ながら、お名前を伺っても?」
鼻に通したような声で、何か人を舐めたような態度のある男だった。手入れされた口髭やキッチリとセットされた髪に、その割によく言えばカジュアルな、普通に言えばだらしがない着こなしの服装を見るに、そういう人柄なんだろうね。男性だから身だしなみとかの世話係がいるけど、役職相応の人格を持ってないんだろう。着崩しがあの人なりのオシャレなりただの惰性なり、神官がやるべき事じゃない。お香よりも染み付いたタバコの匂いや立ち方一つ取っても、あまり好ましくない人物だった。
「フロワユースレス系のチェルトルカ家です。準教皇様へそれだけ取り次いでください。」
クロノアデアが蝋印がされた手紙を渡し頭を下げると、男は手紙を奪う様にして手に取って観察し、それをポケットに押し込んだ。少し常識とはかけ離れた対応に驚いていると、男は馴れ馴れしくも彼女の体に触れようとした。この世界の男は皆こうなのか? 流石に教会のお偉いさんに手を出すのは不味いとは分かっていたので、僕は少し迷った。今、この男に牽制をするのは簡単だ。でもそれをした時に被る不利益はなんだ、クロノアデアが今不快な思いをする以上の物が来やしないか。こういう時、子供は無力だ。でもまあ、なんと言っても子供だし。僕は純粋な魔力を男にぶつけた。
男が此方にチラリと目をやる。ここで引いちゃあ僕の面目が立たない。何より、地球では少し問題のある表現だが、クロノアデアは僕に仕える僕だけのメイドだ。それはつまり高価な美術品のようで、クロノアデアは自衛の手段を持てないんだ。僕が主人として振舞わなければならない。
「おいガキ、あんまり調子に乗るなよ。そもそもテメーら何処でこの部屋の入り方を知りやがった。ここは本来テメーらの様な薄汚い奴らが来ていい場所じゃねえんだよ。」
男は豹変した。下賤な本性が現れたな、曲がりなりにも聖職者だと言うのになんと卑しく浅ましい。こんな奴がお偉いさんだなんて、帝都の未来は冬の夕暮れの様に眩しいものだよ。見下す様な目をして男の顔を見上げていたら、クロノアデアが非礼を詫びると頭を下げてしまった。本当に自分が情けない、こうする事でしか彼女を守れないのだから。それに、勝手に下品な男に触れられるよりかは頭を下げる方がまだ良かろうと考えたが、それも正しかったのかどうか。
でも、やっぱり彼女のやり方じゃあダメなんだ。謝ってばかりじゃあ無学な男は付け上がるばっかりだし、結局彼女の社会的価値が下がっただけで僕達の状況は一向に改善しない。男は当然のことの様に謝礼になる物を強請ろうとしてきた。『取り次いでやってもいいがガキの為に気分を害した、何かするべき事があるのではないか、金品は要らない、言いたいことがわかるよな?』だとか、なんだとか。
男の言い草に一瞬だけ脳が沸騰しかかったけど、つい昨日習った制心術で少し落ち着かせる。ここまで言われて黙っているのは男じゃあない、けど、それがクロノアデアにどれほど迷惑をかけるのか……いや、すでに迷惑はかけている。今更の事だ。僕はクロノアデアの前に立ち、男を睨みつけた。言葉は選ばなければならい、態度は選ばなければならない、手段は選ばなければならない。法を逸脱するものを法を逸脱して裁いてはならないように。頭に文言がさざ波の様に何度も何度も押し寄せてくる。
「最初に申し上げたはずです、手紙も渡したはずです。僕達はフロワユースレス家に属する家の者、貴方の言動一つ一つがかの家を侮辱していると思いなさい。」
男はこんな物は偽装に決まっていると言って手に持った手紙に見向きもしない。クロノアデアだけじゃなく、なんだか血まで侮辱されている様な気がして、僕は制心術のタガを無理やり外して漏れる魔力を止められなかった。悪癖だとは思うけれども、昨日に立て続きの失敗ごとだけど、他に方法がなかった。僕は恥やしない、むしろ胸を張る。紳士として為すべき事ではないかもしれないけど、それでもみすみすコイツのなすがままを見守るのは誇りを棄てる様なものだった。
「そこまでです! 何をしているのですか、西の司教!」
お互いの怒りが頂点に達しそうな僕達の間にお婆さんが割って入った。西の司教だかなんだかの男は少したじろいだ。クロノアデアはお婆さんに申し訳なさそうに何度も頭を下げている。なんで謝ってしまうんだ。僕は彼女の事で起こり始めたのに、彼女に謝られたら立つ瀬がないじゃないか。勿論、彼女が謝らざるを得ないのはわかる。だけど、それで謝っていたら彼女は彼女自身で公爵家を侮辱した様なものだし、こちらに非があるとしたら奴に教会からの制裁が下しづらくなるし、何より彼女の存在が他の人から小さく見られる様で、悔しくてたまらない!
「失礼ながら僕は自分のメイドに非があったとは思いません!」
僕は叫ぶ様にして言ってしまった。止めに入ったお婆さんまでもが驚いて、僕の目を見た。口の中が少し乾いて、舌が口蓋に張り付く感覚を覚えた。黙っているわけにはいかないのだ、僕は精一杯声をひりだした。
「この男は、フロワユースレス公爵家の印がされている手紙を受け取り、僕達が公爵の使いと十分に想定できる状態にありながら、その手紙をぞんざいに扱いました。」
まずは、最初の段階だ。自分の正当性を保つ為にバレる嘘はつけない、でも、本当の身分も明かしてはならない。握り込んだ拳にじんわりと手汗が広がる。この国では公爵家の力は大きい、まずはこちらはこれほどの権力があると示す。
お婆さんが本当なのかと男に問い詰め、男が奪う様にして取ったせいで少しヨレた手紙を見つけた。男が情けなく言い訳をした、本物の筈がないだとか、こんな女子供の言葉を信じるのかだとか。お婆さんがピシャリと黙らせた。申し訳ございませんとお婆さんが謝る、でも僕の気持ちは晴れなかった。どうしてもあの男に謝らせなければ気がすまなかった。正当性のない謝罪は無礼でもある、僕はそう思えてならないが、クロノアデアとお婆さんとの間で事態は収束の方向へ向かっていく。
「すみません、こちらの男には後に処分を下しておきますので、どうかお許しください。」
お婆さんとクロノアデアの両方に頭を下げられた。なんで、なんで社会はこうも理不尽なんだ。問題を起こしたのは僕とあの男なのに、あの男さえ存在しなければこうもならなかったのに、クロノアデアが無意味に頭を下げるだなんて、我慢ならないことも起こらなかったのに。許すも何も事はまだ終わっていない、でも、もう終わってしまうだなんて。
「……わかりました。でも、公爵家の印を出る以上、僕達がかの家に事を報告するのが義務かと。そこは譲りたくありません。」
神殿で騒いだ以上、こちらにも非がある。言ってしまえば痛み分けという事で内々で処理しましょうねって事だ。昨日もそうだったが、今日はそれに我慢できなかった。クロノアデアを侮辱されたんだ、そんなのに黙っていられる筈がなかった。僕はどんな罰を受けてでもあの男に罰を下したかった。
クロノアデアは目を細め苦しそうな表情になった。その表情を見た瞬間、奥歯が震え涙腺は緩み、僕は泣きそうになっていた。彼女の為にならない事を僕はしているのだ。結局僕は、自分の為に彼女に要らぬお節介を焼いているのだ。そう思うとこの上なく悲しく思えるが、でもそうせざるを得ない今の状況を思うと、それを超えて悲しくなる。
その場の一件は僕の言葉で終わりとなり、お婆さんは準教皇のいる部屋へと僕達を案内した。僕だけが涙をこらえていて、みっともなく今にも消えて無くなりたい気持ちになった。辛酸と苦汁という言葉も過剰ではないが、甘んじて受け入れなければならない状況だった。クロノアデアを守りたかった為に取った行動が招いた結果だ、彼女を守らなければよかったなんて僕は絶対に思いたくはない。乱れ啜り泣くような息と、廊下を歩く音だけが響いていた。
泣き腫らしたかのような顔で準教皇の部屋に入り、机に出されたお茶を飲んだ。準教皇はミサみたいな儀式だかなんだかですぐには来れないらしい。クロノアデアは何も言わなかった、泣きそうな僕を抱きしめ背中を優しくさするだけだった。どうしようもなくミジメだ。クロノアデアには頭を下げないで欲しかったとか君が頭を下げたらダメなんだと、色々と注意をするつもりだったけれども、どうも言葉が出せなかった。
しばらくして震えが治ると、クロノアデアは僕の肩に手を置いて、口を開いた。
「坊っちゃん、世には儘ならない事は多くあります。全てを耐えろとは言いません。ですが、私の為に傷つくのはやめてください。」
どっちのセリフだ、僕が言いたい。それは当然、彼女の職務にも含まれる所もあるだろう、でも、男の僕が愛する彼女を守れなくて、僕はどうすればいいんだ。
……教会に来たのは、単なる顔見せだけじゃない。馬車で彼女は、急に人の多い場所へ来た僕の精神状態や或いは新たな巫女にあたる僕の魔力量など、色々なものを確かめに来たと語った。君たちにわかりやすく言えば新たなる生贄の準備が万全かどうかを確かめに来たんだ。
僕は制心術を再び己にかけ、形だけの平常を取り戻した。一件に関して今だけは考えないようにしよう。クロノアデアは、いわば逆鱗で、今の僕には手に負えない。
ガチャリ、ドアが開いた。準教皇がきたのだ。
「ああ、立ち上がらないで結構です。申し訳ございません、本当。」
扉から入ってきたのは、何処か見覚えのある東洋人フェイスで、日本の中年オヤジの様に太った、そこそこ髪の生えた白髪混じりの男だった。……ハゲチャビン?




