何か忘れていませんか?
「あまり、睨まないでくれると嬉しいのですが……。」
伏し目がちにテンシは言った、俺に気づいたウスノロもやめなよと糸を引っ張りやがる。テメエが俺に指図すんなやと言ったら、すぐに黙り込んだ。ざまあねえな、俺を裏切った罰だ。
俺は、常に怒っている。それと言うのもヒロトの人格、アイツが悲しいだとか可哀想だとか何だとか、そう言う俺が感じづらい感情を受け持ちやがったからだ。アイツは俺らは等価だとかぬかしやがるが、そんな訳がねえ。俺はアロガンって名前になって、その通りに生まれたんだ。約15年分の人格と、約5年分の人格。なあ、どちらの方がでかいと思うよ。
クソが、テンシの野郎も容姿だけはいい。居た堪れない気がして俺は睨むのをやめ、くつろいだ姿勢をとった。それでなあ、今度はなんなんだよ。記憶を取り戻させてくれるのか、それとも一生諦めろってか。
「貴方の記憶を取り戻すための準備をしたいのです。」
テンシはベッドで寝てた俺達を家の外へと連れ出す。外には、家が俺たちの建てた物以外に新たに数軒ほど建っていた。ウスノロは察しがついた様で、赤い蜘蛛と黒い蛇を呼ぶのかと聞いた。コイツの発想は相変わらず謎だ、今のどこにそう推量する余地があったよ。
「簡単な事だよ。記憶を取り戻す準備って言ったらこちらの防衛を強化することでしょ、それなら新しく神格をこっちへ〜〜。」
ベラベラとうざったいから喋らせるのを止めさせた。そういや、俺たちの家には専属の守り神がいたな。護国の蛇と侵略の蜘蛛だとか。そいつらを召喚すんのか、召喚つったって俺たちにゃその方法がわかんねえよ、そいつらの名前も知らねえしな。ああ、そういや格上の神だったら名前を知れるんだったけか。そういや、今日はホムラビが見えねえがアイツはどうした?
「彼女は新しい住民の対応に追われています。」
ああ? どう言うことだ、誰かもうここに来てんのか? まあテンシもホムラビもシュテンドウジも、勝手に入って来たんだしいてもおかしくないが、おいおい、大体ここは俺の精神世界みたいなもんなんだろ、俺の世界のキャパを無視してどうしてそうホイホイ入ってくる訳? 勝手にやって来て勝手に統治とかお前らはコロンブスか。
俺は言いたいことはあったが、黙るしかなかった。口が縫われた様に動かない、多分、ヒロトの性格がそうなんだろう。俺の性格はアイツの性格が元になってできているはずだ。俺がどんだけすさんでいようと奴に大差影響はないが、奴の元々の性格が俺には大きな影響を与える。ヒロトが絶対にしたくねえ事はできねえっつー感じでな。随分な公平性だな、いっつも平等に平等にとかほざきやがる癖に。ああ、そういう時の『人間に完璧な公平は保てない、できるとするなら神だけだ。』だっけか?
「チッ……場所はどこだ?」
舌打ち混じりに聞くと、テンシは森の方を指差した。視界の端にウスノロがテンシに頭を下げてるのが目に入った。ムカつくぜ、俺の保護者気取りかよ。とっとと行くぞ、俺と同じ姿で謝んな。せめて俺から徹底的に殴られるなりなんなり、テメエの顔が変形する様なことをしてからやれや。クソが、どうしても口汚く罵ろうとしても無理やり少しだけ軟化した言葉になりやがる。テメエはそんなに馬鹿にされるのが嫌なんかよっつー。
しばらく異様な森を歩くと、ホムラビが突っ立ているのを見かけた。ヒロトが手を握る力を強め、俺を止める。どうしたんだ、邪魔をすんなよ。俺は一刻も早くこんな世界から逃げたいんだ。
「いや……嫌な予感がする。確証はないけれど、とても不味い事が起きる。君も、何か超直感的な物を感じないか。」
ヒロトの目は本気だった。俺達は本気にならないとどうも演技が下手と言うか、目の動きなり体の向きなり、何かとわかりやすいサインが出る。俺はその違和感に気づけなかったから、本気でそう思っているのか、本気で騙そうとしているのか、そのどちらかだ。コイツが俺を恨んでないのはわかってる、むしろ大切に思っているからこそのあの腹の立つ対応だったことも知っている。だから、俺はコイツの止める様にするのが正しいのかもしれない。
「……そないな所で、2人してイチャイチャ。一体どうしたん?」
イチャイチャしてる様に見えるなら、眼球を一回外しての丸洗いをお勧めするぜ。おい、ホムラビ。俺はホムラビの方の違和感に気づいた。お前、来客の対応をしているんじゃなかったのか。俺がそう問いただすと、ヒロトが手を引っ張った。『逃げよう、ここにいたら危ない。』だそうだ。俺は何がなんだかわからなかったが、ただならぬ事らしい。何故とか何が起きるだとか、そう言うものを考える事もなく一緒にかけ始めた。くそ、少しでも走る様なことになると繋いでる手がうざいが、離したら恐らく小指が赤い糸で引きちぎられる。
「もぉ、なして逃げよん? ウチ、悲しいわぁ。どうせ無駄なんやし、諦めたってやぁ。」
思春期の女体にしてはやや低めの耳障りな声がしたのでチラッと後ろを振り返ると、ホムラビの姿に似た何かが追いかけていた。いや、違う。直視すればするほど、奴の化けの皮が剥がれる様に、奴の本当の姿を認識できる様になって行く。ホムラビに見間違えていた時は紫色の和服であった部分は、紺色の霧の様なベールがかかったドレスになっている。切り揃えられていた濡羽色の短髪は走っているのとベールに隠れているので分かりづらいが、結い上げられた金髪となっている。別人だ、見間違えるのが難しい程に明らかな別人だった。
俺の奥歯はカチカチと音を立てた。おぞましい森の中を暗褐色の血と赤錆色の葉を巻き上げながら走る。当然、足場は悪く後ろを何秒も振り返ることはできなかった。手をつないでいるせいで、どちらかが転びかける度にお互いが負担となり、体力も限界に近づいていた。そして、遂にヒロトが転んだ。釣られて俺も転んでしまう。追いつかれてしまった。俺達を追いかけていた神的存在は女性の姿をしていた。普段は生臭い血の腐った様な匂いがする辺りには熟れすぎた桃、腐り落ちた花の匂いが鼻が痛くなるほど漂っている。女はでかかった、3メートル程になる巨体で俺達に覆いかぶさる様にして四つん這いになっている。
「お前は、誰だ!? 何なんだよ!」
体が叫び慣れてないからか、喉が痛んだ。痛めたって何の解決になるとは思えないが、少なくとも俺のストレスは軽減された。落ち着かなければ見えるものも見えないから、俺は存分に叫びまくった。言葉を失ってるのもあるかも知れない。
巨体の女は線が細く、ただ覆いかぶさっただけでは小柄な俺達を逃してしまうと考えたのか、腕を畳み俺達にのしかかってきた。重くはないが一層あの病室の果物の様な、桃の放置された果汁の様な、甘ったるくも苦い不快な臭いは強まり、体をぞくぞくする寒気が襲った。女は水死体の様に真っ白な顔をしていて、お歯黒でも塗ったかの様な口から白く冷たい息を漏らした。大きく長い舌で舐められる様な不快さがある。
「人の子よ、怯える事はありません。私はアンナ、貴方達を救う者です。どうか落ち着いて話を聞いてください。」
そんなこと信じられるか、薄汚い服を俺達につけるな、ホムラビをどこへやった。色んな罵詈雑言を交えて問いただすがいい返事が帰ってこなかった。大体、テンシ達の仲間だと言うのなら証拠を見せてみろ。
「フフ、私は混沌の神に仕える天使。秩序の神の子達を味方するのではなく、魔術師の味方をする者です。」
血みどろの地面から、粘菌やら綿のようなカビやらがボコボコと湧き出て、俺達を覆い始めた。くそ、そもそもなんで俺達を狙いやがるんだ。俺達を狙っていると言う事は、俺達は十分に人質たり得るんだ。考えろ、奴らの目的は俺達をどうすることだ。殺すことか、それとも混沌陣営の巫女にさせることか。前者だったら……クソ。
今まで住まわせていた虫達がカビに覆われ始めた俺達の体に集まり始まる。卵を産んだり、共食いしたり、特にナメクジ達は恐ろしいスピードで増殖をしている。そう言えばシュテンドウジを受け入れた時にこいつらも受け入れていたが、こいつらは混沌陣営の物だったな。苦しい、寒気と熱に浮かされた感覚が同時に俺を襲う。ナメクジが首筋を這い、大きなハエが耳を掠める。
……ハエ? そうだ、虫やら何やら、アイツらは生態系が完成していた。ハエは肉であれば何でも、カタツムリやナメクジにすら蛆の卵を産み付ける。ハエは徘徊性のクモに食われるし、クモはハチに食われる、ハチはオニヤンマなど大型のトンボに負けるし、そう言う奴らだってカマキリやカミキリムシに負け、そいつらでもハリガネムシに負ける。一方でナメクジは不快だし不衛生ではあるが粘菌を食べることもある。粘菌はアンナとやらから常に僕を厚く覆っているし、こいつらは人の上でどんちゃん騒ぎしているだけで無害と言えば無害なのかもしれない。粘菌に覆い尽くされることもなく、逆にナメクジ達に覆い尽くされることもない。総掛かりで絶妙なバランスで僕を助けているとも見れる。
こいつらは見た目こそ、日本の田舎で見慣れている俺でさえ、気持ち悪いが、そう思うと途端に好意的に捉えられるようになってきた。その無理な解釈では、このアンナだって俺達を発狂させる原因だった虫がいつまた遅いに来るかもわからないから、虫達の餌を与える形で俺達を守っているとも見える。まあ、アイツらが着けてきた虫だからそんな事は無いはずだが。
「そうか、アンナ……真意は問わない。だけれど、ありがとうとは言わせてもらおう。虫達にも、絶妙なバランスで平衡を保ってくれて。だが、一旦俺から離れろ。全員だ。」
隣でぶつぶつと考え事をしているヒロトがどうだかは知らんが、段々と俺はこちらの要領が掴めてきた。ここは『俺の』世界だ。いや、俺達のだな。俺達に支配権がある。神の分霊だかなんだか知らんが、ここでは俺達が王様なんだ。人間の精神は完璧じゃないから自壊性もあって、実はそれが俺を苦しめてるだけなんだろ、きっと。完全にコントロールをすれば、完全な結果が得られる。もちろん奴らは、テンシやホムラビも含め外的な者で、訪問者あるいは侵略者だ。完璧には僕のコントロールは効かないし、勝手な行動もする。だがしかし、何があろうとこの世界で一番は俺達だ。
虫達はまた森の陰に潜り始め、粘菌は崩壊を始めた。どうやら混沌の神の軍勢も俺達の命が目的ではないらしい、服はボロボロだが体は何1つ蝕まれた様子がない。粘菌どもを取っ払ってから森に放ち、あまりの巨体により狭い森では足元がおぼつかないアンナを引っ張る形で家へと誘導した。まあ、なぜか勝手に家を建てられ今では集落だが。
ウスノロは何が何だかわからないようだが、まあ俺が説明してやる義理はない。アイツはウスノロな部分担当して、俺は鋭い推理の担当だ。なんであれ境界線を曖昧にするのは良くないからな、取っ払うかそびえ立たせるかの二択よ二択。
俺達が集落にたどり着くと、ホムラビが腕を組んで立っていた。集落には何故か軽装の人々が焚き火をしたり、コンクリートを作ったりしていた。延々と穴を掘っている輩もいる。ざっと見て10人ぐらいだが、なんなんだ……?
「誰や、その女。ウチの勘違いとちゃうんやったら、混沌の奴らやろ?」
ま、アイツからしたら不機嫌になるのも当然と言えば当然か。俺が自ら敵を招いたんだからな。とは言え、こうなったのは俺のせいじゃない。拒んでいたら殺されていたのかも知れない、お前がしっかりしていればこうはならなかったんだぜ。グッと憎まれ口を堪えてこうなった経緯を説明している中、ウスノロは近くを歩いていた野郎を取っ捕まえて情報収集をしていた。勝手な事をすんなよクソが。
「アンタは……ま、今はそっち聞かんといたるわ。それより、誰やのあん人間達。混沌の臭いはしよるけど、全然神格も持たれへんし、発言も宇宙人みたいで困るわ。」
はあ? 俺に聞くなよ。だが待て、さっき一度だけ超理論で頭を落ち着けたのにまた沸騰した様に働くなってきた。まあ元々働いていたかどうかは謎だが。混沌の神の奴らの匂いがするらしいが、とうとうアイツらは大挙して押し寄せる様になったのか。ちょっと待って欲しい、この世界は俺の支配圏にあると思ったのだが——ポンポンと都合のいいことが起きるし——それなのに、見知らぬ奴らが勝手に出入りをするとはどういう事だ?
ウスノロが手を引っ張って俺に情報を与えた。アイツらは頭のイカれたネットゲーム気分の奴らの仲間らしい。曰く大型アップデートで新しいコンテンツが入ったらしく、未開の地を開拓するだとか何だとかの、それによりこの赤の世界で好き勝手にやってるらしい。随分と混沌の神はネットゲームの住人が好きらしいが、少し前のサブカルに影響でも受けたか? まあ娯楽に走る人間の集合ほど無軌道な物はないだろうしな。
神の娯楽事情ないし人間の混沌性はともかく、俺は窮地に立たされている。この世界での俺の存在意義についてだ。ウスノロはどうかは知らんが、俺や多くの一般人は自分の存在を他者に預けがちだ。論ずるまでもなく危険な事だが、それは自分の内に留める事より遙かに楽だからな。分かり易い例であげれば、父として家族を養う事だったり、母として子供と一緒に過ごす事だったりな。承認欲求は満たされるし、多くの場合において利益をもたらす存在は保護される。問題は——
「僕達はどうすればいいんだ……。」
クソ、被った。そうだ、今までは良かった。ホムラビとか言う酔っ払いとシュテンドウジとか言う無言で木を切り倒す狂人は本気で俺を殺しには来なかった。何つったって秩序の神にとって俺は生きている事に価値があるらしいからな。シュテンドウジは改名する前に殺しにきたが……所がどうだ、混沌の神やらネトゲの民は。混沌の神は現シュテンドウジを使って初手で俺を殺しにきてたし、きっと秩序の神の手へ俺が渡りさえしなければいいって考えなんだろう。ゲームの人達の不安定さは今更語らんが、とにかく恐ろしい。
奴らに俺らの殺傷能力がある以上、2つに1つだ。俺達を生かさざるを得ない状況を作るか、色んな意味で不確定な死を選ぶかだ。こちらの世界で死んだら俺はどうなる……?
奴らにとって俺らの存在意義を大きくしなければ。俺は静かにセコセコと何やら訳の分からぬ事をしている侵略者どもを睨みつけた。




