悲しい話ですね
足が痛い。
僕の体の悲鳴を無視して時刻は午後1時くらい。この世界にも時計はあるが何をしでかすかわからない一年生の教室に置けるほど一般化してないので正確な時刻はわからない。
今日の体育は明日の三年生との合同授業に備えて各自で武器の修練を行う。昨日のレクリエーションでの模擬戦や今日の授業で調整をして、それから三年生の生徒の教えを受けるわけだ。当然僕は班内で割り振られた魔術の矢を鍛えるべきだ。
だが、ここで問題が発生した。僕、魔術使えない。いや、今限定でいつもよりかはという話なんだけど。だけれども全力で魔術の矢の訓練するには少し心もとない、家での鍛錬が控えている中やったら少なくとも明日には筋肉痛と似た症状が出る事は確かだろう。それなら手を抜いて訓練をしようなんて考えも浮かんでしまったが、どうも手を抜いてする訓練に意味なんてない様な気がしてしまう。論ずるまでも無いが、クロノアデアとの訓練をサボると言うのは本末転倒だ。
今回の授業では班をばらして、練習するモノでグループを再構成する。そこで今日の僕は班員に謝ってサーベルを一本作り出させてもらった。つまり、剣の訓練をさせてもらう事にした。班内での僕のやる事は弓での遠距離射撃だ、だからこそ近接戦闘の相手がどう動くを知っておいて損はないだろうと言いくるめるのには苦労した。
魔術陣を組むとか、そう言う魔術を直接使うものでなければ良いってだけなんだけどね。だから別にフランソワーズ君と格闘訓練をよろしくやってみても良かったかもしれないが、剣を持ってカンカン打ち合った方が魔力の消費を抑えられると思ったのだ。武器を持つ分、距離の掴み合いや、相手の出方を見る人も中には……いる、と思うからだ。そう言えば皆小学生だからね。皆ガンガン来てしまうかもしれない。
僕もクロノアデアとの訓練の時はあまり考えずにガンガン打ち合う方だったなあ。小手先ばかり集中して他が疎かになっているなんてよく言われたものだ。まあ僕は少なくともクロノアデアをしてスジが良いと言われるほどには剣を握れる。同年代の子供にもそこそこのあしらいが出来るはずだ。
僕の班以外は僕の戦いぶりと言えば入試の時のイかれたものしか知らないからか、なんで弓矢のところへ行かないんだとかを突っ込ずに受け入れてくれた。まあ僕が昨日まともに戦わずに手の内を晒さなかった、と言うこともあるかも知れないが。よろしく頼むよ、なんて軽い口調で輪に入れさせてもらった。
ここら辺は住居からもわかるように、植生やら気候がヨーロッパに似ている。だから日本ほどの多湿でないのだが……まあ何処に至って日差しを浴びながらの訓練はキツイものがあるよねって。片田舎で山際の坂道を登下校の為に自転車で駆け上がると、冬でも汗をかいていたものだ。アーバンボーイには分からんのかもしれない、それに自転車登校をしていた時は中学生だった。きっと思春期前半特有の高体温もあったんだろう。ま、どうでも良いか。
僕達を照り焼きにでもするかのような日差しの中、僕のを含めて20の瞳がお互いを見つめあった。
剣グループは総勢10人だ。28人中の10人と言うと結構人口が多い。他にも弓グループや魔術グループ、素手グループなんて物があったのに、剣だけやけに人口が多いものだ。まあ納得できるものではあるがね、剣というのはとどのつまり棒、棍棒や槍の親戚だから一番基本的な物なんだね。
10人も集まった僕達はとりあえず素振りを数分して、それから打ち合う事になった。誰も型とかを知らないので、と言うか僕みたいに知っていたとしても申告しないので、修練と言ったって何をしようかとかの話が進まずに苦肉の策、と言うと言い過ぎだが、仕方がなく順番に打ち合いをする事になったのだ。
「よう、よろしくな。」
そう言って爽やかに片手用の剣と小型の盾を構えたのは、一応は僕と同じ騎士爵の子供デモクライトス君だ。デモクリトスと言えば、古代ギリシアにおいて原子の存在を説いた偉人だ。デモクライトス君の名前はこの世界のかつての大魔術師から来ているらしいが、僕にとっちゃあ関係ない。その名を背負う限りはデモクリトス様のように賢くあってほしいものだ。
こちらこそよろしく頼むよと、僕はお下げ髪を解き軽いお団子へ結い直しながら言った。クロノアデアと打ち合ったり魔術を使うときは別にこんな事はしないのだが、素人同士の撃ち合いなんて何が起こるかも分からない、髪が邪魔にならない様にという意図だ。僕が髪を結いあげ終わる頃に、デモクライトス君は僕にだけ聞こえる程度の大きさで呟いた。
「お前とは一度うちあってみたかったんだ。魔術師流だったよな……俺は騎士流の使い手だ。お互いに全力で、と行きたいところだがお前じゃあな。まあ程々に頼むぜ。」
こちらこそ、今日は諸事情で半分も実力が出せないからよろしく頼むよ。軽口と捉えられかねない言葉とともに、サーベルを両手でしっかりと握って軽く揺らした。騎士流と言うのは、別名王国流と言われる剣術の流派だ。僕の使う魔術師流とは違って、滅多なことでは魔術を併用したりはしない。使うとしても、もはや魔術に関わるものの中では基礎中の基礎である体の強化の魔術くらいだと聞く。
僕は体に少し強化の魔術を施した、魔力を温存するためにいつもよりだいぶ弱めの物になるが。僕の強化が試合開始の合図となり、彼は盾を構えてジリジリと歩み寄って来た。
盾を持たれると、僕の剣術は結構弱い。単純に向こうの手数が多くなるからな。そうとは言え彼の剣は片手で持てる物で、僕の剣は両手で持つのもの。単純にリーチが違う。僕はゆっくりと剣を振り上げた。
一歩、一歩とジリジリと距離を詰められる。僕は今一歩、今一歩と彼が間合いギリギリに入るまで身動きひとつせずに待ち構えた。小鳥が鳴いた、予期せぬ音に彼は気持ちが早ったのか、まだ彼の剣ではまだ二歩ほど間を残すだろうに、力強く大きく踏み込んだ。僕は一歩半前へ出て振り下ろされる剣を弾き、若干弱めに小手打ちをさせてもらった。
「ぐっ、流石だな。お前、やっぱ男だわ。」
彼は一瞬だけ顔を歪め再び距離を取るとそんな事をほざいて来た。なんだこいつ、僕を男だって、なんで上から目線で話しかけて来てんだ。
「男かどうかなんてのは君や僕が決めることじゃ無い。生まれた時から決まっているよ。」
あ、一応の配慮として言っておくけれども別にLGBTの人への非難とかじゃ無いよ。僕は肉体的なあり方と精神的なあり方は別だと思っているから。まあ何方も余人の介入する隙間が無いって言うのは確かだけど。性格なんてそうそう変えられるものでも無いし、身体だってそうそう変えられるものでは無い。勿論のこと、向精神薬や洗脳、筋トレや整形にみられるような相応の対抗手段はあるけれどね。でも、精神と肉体のあり方は別、そうじゃないと女子みたいな見た目の僕が困るのもあるけれどね。
再び距離を詰め始めたデモクライトス君を見て、僕は剣を鞘に納めるように腰に添えた。足をもう半歩開き腰を落とせば居合の構えだ。居合は片手持ちになってしまう代わりに腰、肩、肘、手首、この四点すべての筋肉を十全に使える。そしてそれだけ、速さを産んでくれる。勿論それは片手持ちの剣においては常のことだけど。両手持ちの力を捨て、居合に走るのには訳がある。間合いの拡張と、下段から中段への切り上げという変則的な剣筋だ。まあ向こうも居合が来るとわかっているから盾を使って居合切り自体は防ぐだろうが。だから僕も、居合の型を取るけど居合は使わない。
「盾持ちに居合とは、随分と力に自信があるようだな。」
彼が間合いに入るまで剣を握り直したりしていると、そう呟かれた。彼は、僕が強化した腕力で彼を盾ごと叩っ切るつもりであると見たようだ。平時ならそんな力押しもできるのだがね、僕はどうもそんな野蛮なことをする気にはなれんし、今日ばかりはそんな魔力の浪費はしたくない。
「そう思うかい? まあ、君の勝手だけどね。」
僕は意味深に笑ってみた。こんな事をしたってクロノアデアは騙されないのだが、今日の彼は素直に挑発を受け取って盾を構えて突っ込んで来た。嬉しい、きちんと誘いに乗ってくれる人のなんてありがたい事だろう。僕は右前に踏み込んですれ違いざま盾を軽く打ちながら振り返り、後ろから彼の肩を軽く打った。僕程度の技量だと両手持ちの時には出来ない動きだった。片手持ちだからこそ、威力こそないが取り回しや速さの点においてまさる片手持ちだからこその流れだった。
ついでに、居合切りをすると見せかけた前半部分はすれ違いざまに胴を打つという、剣道じゃ抜き胴だかなんだかと言われてた気がする技術の応用だ。あれ、面抜き胴だっけ? ま、まあそんな事はね。あとで考えるとしようじゃないか。今は何より目下の試合に集中しないとね。
気を取られているうちに、見事に居合切りを使うと勘違いしてくれたデモクライトス君は既に盾を構え直していた。僕も剣を握り直す、上段、下段と来たので今度は中段の構えだ。二手も良いようにあしらわれて彼は少し苛ついてきたようだ。
彼らの目線で言えば僕の真骨頂は魔術によるゴリ押しだ、まあ彼ら目線でなくとも僕は魔術が本当の武器なんだけど。まさか大した強化もされてない剣で打ち負かされるとは思ってなかったんだろう。それに構えをコロコロ変えられるのは、実験台にされているようであまり愉快なものじゃないだろうし。
午前中何時間と立ち尽くしていた足にいい加減限界が来ていたので僕はじっと彼を待っているのだが、彼はなかなか攻めてこない。それどころか、盾の構えを少し緩めても見せた。何か来るのかもしれないと備えてみるが、彼は僕に会話を持ちかけた。
「お前けっこうやるじゃん。女だと思って手を抜いてたけど、こっからはガチで行くから。」
今まで本気じゃなかったってそれガチ? 舐められても仕方なくね、インガオーホーってやつっしょ。人のふり見て我がふり直せ的な? うぃっしゅ。俺っちをナオン扱いかましてくれちゃって、そんでガチなんて言葉を使われたから俺っちも使った的な?
拙速な部分の僕が随分と怒り、遅巧な部分の僕も止めないから凄い低俗な言葉がでかかった。当然そんなふざけたレスポンスは送らないけれど、女扱いされているということにかなり腹を立てて、僕は彼を鼻で笑ってやった。彼も彼で『テメェ……』なんて返事もしてくれて、ちょっと良い気になる。ダメだなあ、僕は。常人は良心が痛んですぐに行動を改めようとするのに、今日もなぜか興奮が抑えられず僕はさらなる挑発をしてしまう。
「女じゃないが、この僕でさえ倒せないなんて剣を捨てたほうがいいんんじゃあないのか?」
あっかんべえと軽く舌を見せると、彼はおおきく振りかぶりながら飛びかかって来た。少し移動して盾を打つと、空中でバランスを崩して情けなく着地する。ヘラヘラとした顔を見せて挑発すると、勢いよく、雨霰のように剣撃を繰り出してくるものだ。
……ああ、ハッキリ言わせてもらおう。彼は僕と戦いたいというだけあって、凄い剣の才能がある。彼がいつから剣を持ち始めたかは知らないが、僕は中学高校と剣道の授業で何百年と洗練された技をかじったんだ。その上、クロノアデアからの英才教育もあるんだぞ。それだけのアドバンテージがあるのに、彼の剣にはハッキリとした手応えを感じる。今はどうしても上から目線になってしまうが、あと数年のうちに彼に追い越されることもあり得るだろう。もし僕が剣の修行をサボれば、もっと短いかもしれない。
片手で持つ様な剣では攻撃が限られる。盾が邪魔というのが大きいのだろう。無理に剣で攻撃しようとすると盾を十分に使えることができずに隙ができる。僕はデモクライトス君の攻撃を待つだけでよかった。だが彼もボンクラじゃない、七回も打ち込まれると流石に学習したのか、距離を取っては詰めるばかりで剣を触れさせない様になってしまった。
僕は迷った、攻めるべきなのか、向こうが攻めるのを待つべきなのか。今日の僕のような剣も、盾を使う剣も、どちらも受け身の剣だ。普段なら僕から攻めてあげることもできるのだが、生憎と今は立っているのさえ辛いのだ。多分三手と保つまいし、体当たりや鍔迫り合いになったら負ける。別に勝ちに拘泥するわけではないけれども、こんなに面白い打ち合いをつまらない敗因で終わらせたくはない。
不意に足がぐらついた。大きな隙が生まれたが、デモクライトス君は見逃してくれた。騎士道精神というか、フェアプレイの精神を持ってくれているのだ。試合中に相手を煽ったりするような輩にそんな物を払う必要はないのに律儀な子供だ。僕の浅ましさが目立ってしまうな。
その好意に甘えて、ローブが汚れてしまうが、僕は片膝をつかせてもらうことにした。当然の事剣を手放すなんて事はしない、もう一度居合切りの構えをさせて貰った。今度は抜き胴にもできない、本当に居合斬りだけで勝負するしかない。
「どうも、悪いけど足が震えてしまってね。見ればわかると思うけど、今度は本当に居合切りをさせてもらう。この一回で最後にしよう。」
そう言いながら僕は足先でルーンを書いた。目潰し用の閃光が出せる。僕は魔術師流、卑怯であると罵られようと構やしない。魔術を使うから魔術師流なんだ、くひひ、ヒーヒッヒッヒッヒ! おっと行けない、僕は笑みを隠すために俯いた。
「そうか、今度は騙し打ちなんて事もないだろうな?……俺は突きにさせてもらうぞ。」
そう言って彼は盾を投げ捨て、突きの構えを取った。居合を殺せる盾を捨てるのは、疲労でもう足が使えない僕への配慮なんだろう、なんて男らしい人だろうか。急に僕は自分が恥ずかしくなった。恥知らずめ、地面に書いたルーンをぐちゃぐちゃにかき消し腕の力を強化する。本来ならもっと悔い改めるのだけれど、今はデモクライトス君との戦いに集中させてもらおう。戦いでの失礼は戦いでの礼で返す。
デモクライトス君は駆け出した、腕や体を伸ばし切れる突きではサーベルのリーチもそう役には立たない。
強化された肉体は、時の流れを緩慢にする。一歩、一歩と駆け出す彼の、巻き上げる土煙でさえ目に入った。
間合い、後二歩。デモクライトス君は座っている僕に狙いを合わせる様に上半身を倒した。後一歩、腰をひねり腕を伸ばし始めた。半歩、焦った僕のサーベルが彼の伸ばしきるかきらないかの腕を強打した。零歩、彼の手をすっぽ抜けた剣が僕の首を掠めローブのフードに風穴を開けた。
焦らずに彼の胴へキチンと居合が入る様にしていたら、僕のサーベルが彼へ当たる前に彼の剣が僕の顔を引き裂いたのかもしれない。焦ったからこそ、今日は保健室送りにならずに済んだらしい。
「……君は強いね。危うく死んでた。」
ホントホント、ちびりそうだもん。あ、やばい。魔術の使いすぎで頭が軽くなってた。僕が自作した石のサーベルとは違う、彼のキチンと鍛治師が打ったであろう金属製の剣をローブから引き抜き彼に手渡しながら僕は言った。
「おいおい、皮肉か何かかよ。お前、フランソワーズ達なんかと組んでることが悲しいくらいだぜ。」
僕の友人に随分な物言いをしてくれる彼だが、立ち上がれない僕に肩を貸してくれるほどの優しさはあるようだ。なんだか、少し嬉しいけれども少し悲しい。動けない級友に肩を貸すほどの優しさはあるけれど、身の丈に合わない夢を抱く子供を笑う冷たさを持っているのだ。考えてもみてくれ、プロ野球選手になりたいなんて自己紹介で行った子供をクラス全員が笑う様な状況なんだぜ。それもその子達にも全くの無情と言うわけではなく人並みの情けはあるんだ。それはつまり、彼らがそう言う風に教育を受けたと言うことなんだぞ。これを悲しまずに何を感じろと言うのだ。
「彼も彼なりに、筋の通った人だから。仲良くしてあげてね。」
せめて彼の立場を改善しようと僕がデモクライトス君に頼むと、彼は柔かな笑顔を見せて元気な返事をしてくれた。
何も、彼らに話が通じないと言う訳じゃあないんだ……。また少し悲しく少し嬉しな感情を抱いた。