ネコと和解せよ
思うに、和解とは対等な関係でのみ生まれる概念だ。全知全能であり慈悲深き神とは言え、全人類が神と和解できる日は来るのだろうか。まあその様な事に頭を悩ますのも良いかもしれないが、もっと直近の問題がある。
Q.自分から生じた別人格と和解はできますか?
さて、僕がこのトンチキな疑問を抱くに至るまでの話をしよう。
目が覚めて最初に目にしたのは僕と何かを見比べる様に睨んでいるホムラビだった。こちらを睨みつけて、一体何が目的なのだろうか……考えられることは幾つかあるが、まずは僕が眠気を訴えた事だろうか。実は、こちらの世界では疲労と言う概念が一時リセットされる。数える程度しか来ていない世界だが、疲れ果てている時も、そうでもない時もみな始めの頃は物事を悠長に考えられていたのだ。次第に赤という精神的によろしくない色を見させられ続けているから——と、そこまで来て僕の思考回路は止まった。というのも、ある人物からいきなり突き飛ばされたからなのだ。
痛いし、非文化的なことをしないでほしいとそちらを睨むと、少女がいた。少女は驚いた様に、何かを言おうとしてどもる様に、こちらを指差してパニックに陥ってる。
「だだ、誰だテメー! 俺の世界に、テメエみたいなアマはいなかった筈だ!」
それはこっちのセリフなのだが、彼女……いや、合点いった。彼は黒く長い髪をした緑色の目をした女の子の様な見た目をしていて、日本語と帝国語の入り混じった言葉を話していた。ああ、多分彼は僕なのだろうな。僕の超直感は彼は僕がアロガンと名付けた人物だと言っている。さて、僕の遅々たる思考とは裏腹に彼は何やらしゃべり立てている。はあ、普段の僕はこういう見方をされているのか。喋り方というものは、人それぞれにペースがある。どうやら僕、ヒロトは人より遅い喋り方で、アロガンは早い喋り方の様だ。兵は拙速を尊ぶらしいが、ヒロトは……どうなんだろうな。遅巧だなんてものではない、遅拙だ、稚拙じゃないか。まったく、参ったねどうも。
「——おっ、お前俺か! 俺から分岐した人格だろ!」
おや、彼も同じ結論に到達した様だ。ようやく現状に対して同じ認識に辿り着く、つまり会議のスタートラインに立ったわけだ。じゃあ話を進めるとしようか。まず僕と彼の状態だが多分、というのも自分の姿が見えないので断言ができないが、恐らく瓜二つの容姿をしていると見ても良いだろう。少なくとも彼は、普段の僕そのものの容姿をしていたし、彼は僕を女と認識した。それでもって、お互いに小指の根元を一本の、血の滲んだような、ドス黒い糸で結ばれていた。麻の様に強力だが、絹糸のように滑らかな肌触りで、不思議な感覚がする。
「——な、なあホムラビ。コイツ、本当に俺か? 言っちゃあ悪いが、なんだかトロいような……。」
おや、まあ予想はできたことだが、彼は僕が状況を整理している最中に話を進めようとしてしまった。でも分かりきったことを聞いているから、もしかしたら彼も状況の確認をしているのかもしれない。
「うーん。アンタがアイツと同じかって言われたらちゃうんやけど、別にアンタも今までのアンタとはちゃうよ。」
言葉遊びか、ホムラビも風情がある。つまり、これは僕からしたら当然のことなんだが、彼女は、僕達は今までの『僕』であった存在から生まれた僕A僕Bであると、言いたいわけだ。それこそ、拙速たれとされる面と、遅巧たれとされる2面で分けられたAとĀで。そうなると、元々が拙速よりなんだから遅巧な僕の存在は、今拙速を担当している彼よりだいぶ小さなものになりそうだけれど。だが、そうだな。遅速も巧拙も全ては基準点からの比較だ。恐らく僕の平均を基準とされて分けられたのだろう、だから彼の発想は僕より偏りやすく、少し貧相だ。いや、バカにしてる訳じゃないんだけど、話の運び方の上だとどうしても。
「さて、誰一人として現状を理解できていないみたいだし、どうだね、少し話をしようじゃないか。」
「いや、テメーがしきんなよ。ここは俺かホムラビだろ。」
そこからか……我ながら、なんとも。まあある一人の人間を互いにまるで違う面になるように切り分けたのだから、当然と言えば当然だ。僕が賛成する事には彼は反対する確率の方が高いのだろう。別段、僕も発言さえでるのならそれで良いのだから今後不測の事態が起きない限りは司会は彼に頼む事にした。
「お、おう。やけに静かだな? まあ、良いぜ。じゃあまず——お前は誰だ?」
再び言わせてもらおう。そこからか……言わば、彼は通常時の僕への鏡だ。彼がする思考を、僕は少なくとも一回はするという事なんだろう。今回、多分彼は僕が自分から分岐したものだと信じ込んでいるのだろうな……普段から僕は偏見を持って物を見ているという訳だ。偏見はまあ、あった方が結果的に便利になることもあるが、あまり持たない方がいいものだ。今後は気をつけよう。それはそれとして、僕は彼がわかるように、ゆっくりと、説明をしてやった。
「ああ、じゃあなんだ! お前が主人格だっつーわけか! な訳ねーだろうが!」
僕の説明を聞いているうちに、彼は怒り出した。短気な性格だ、彼が僕の一側面とは思えないのだけれど、そうなんだろうなあ。まあ思い当たる節もなくはないし。
いやあ、ちょっと待ちたまえよ君、話を聞いていたのか? 僕の理解としては、僕達は主人格を割ったものなんだよ。要は一側面の物で……主人格はサイコロ本体で、僕が2の目で君が5の目みたいな感じだ。ああ、君の事だから1の面はとか聞くのかな。その目の値はどうでもいいよ。ただ、ニュートラルな物って事を表したいだけなのだから。
そう言ってやると、少し、彼は落ち着いてくれた。いいなあ、そうそう、そう出ないと困るんだよ。僕達が怒っても、個人的にカタルシスもどきを得る程度で、何にもならないのだから、ね?
「いや、何もしないうちに時間が進む以上何かは起こるだろうが。いやんな事はどうでもいい、え、じゃあなんだ。お前が俺の側面だとして、どうやって俺らは元に戻れるっつーんだ?」
僕の一部が君の一部に重なってるってだけで、別に君の側面ってわけじゃないと思うんだけれどね。まあいいさ、それじゃあ統合する方向で行きたいんだけど、君には、この赤い糸は見えるかい?
「バカにしてんのかブン殴んぞわりゃ。いや、見えるに決まってんだろ。マジでこりゃあなんなんだよ、おい、ホムラビもさっきから黙ってないで会話に参加しろよな。」
その可憐な容姿に相応しく、まあ実際のブツはなんとも不気味な見た目をしているがイデア的には、僕達の間の赤い糸を主張してみたが、当然向こうもその存在自体には了承をしているみたいだった。しかし、彼の言うことは確かにそうだ。ホムラビは僕達を睨みつけ何かを思案しているようで、口数が少ない。何かあるのだろうかと、彼女を観察する。
少なくとも、名称はわからないが和服の帯の上からする紐を見るに、彼女は僕の意識がこちらにない時間でもこの世界で生活をしているようだった。それと言うのは、長時間結ぶ事によって歪む紐の目などからの推測なのだが。まあここら辺の推測する理由の話は、僕が頭で理解すればいい話なので、置いておくにしても、彼女は別に体調が悪いわけでもなさそうで、かと言って火急の用事があるわけでもなさそうだ。むしろ、何かルールに抑圧されているような……これくらいしか、特筆する程のことは僕の目では理解ができなかった。この後に他の様々な情報と統括する技能は、拙速の方に移っているのだろう。
「ああ、悪いのだけれど……何か事情があって喋れないと言うわけではないのなら、何か行動を示してくれないか?」
僕がそう聞いても、彼女は何も反応せずに、こちらを見据えるだけだった。つまり、彼女が喋らないのはなんらかの事情があるわけなのだ。顎に手を当てて、ゆっくり考えていると、急に糸から小指が引っ張られた。思わず痛いと声が漏れそうになる、まあ糸の面積からすれば少しの力でも相当の圧力に変わるから、不意に糸を引っ張った彼にも悪気はないのだろう。
「おい、外へ行くぞ。あー……イカレポンチの語調を借りると、これはイベントだ。俺たちが外に出て、プレーヤーとなるイカレポンチ2達を相手にしなきゃなんねぇんだ。」
おや、彼もやはり僕と同じ存在から生まれたのだ。僕より早く、僕が理解できる範囲で、そして恐らく正解に近い結論を導き出した。まあ、彼もシュテンドウジが連れてきた鎧さんの事を思い出したのだ。たぶん、彼と二分割される前の僕であった存在を送り返さなければ、この世界の違和感を解消できないと言いたいのだろう。いや……なんと説明したらいいかな。彼が自分の言いたい事を思考過程を置いて言ってくれた物だから、結論だけで通じると感じてしまっていると言うか……ああそうか、思考が少し乱されているんだ。
一度乱れた思考は、大抵の場合放っておくに限る。彼に言われるがまま、手を繋いで外へ歩いた。……ああ、本当に彼は説明が不要だから、思わず二、三段飛ばしの行動を取ってしまう。まず、糸が張った状態ではお互いに小指が引っ張られて痛い、だからなるべく離れたくないのだけれど、無意識に手を振って歩く以上は少なからず糸が張る場面が現れてしまう、だからいっそのこと手を繋いで、一定の距離……と言うか、距離も何も無いようにするわけだ。
「君、説明が不要と言うものは良いものだね。クロノアデアでも、こうは行かないだろう。僕達が道を踏み外さない限り、最高のパートナーじゃないか。」
結局のところ僕達の思考回路は、ミクロなプロセスが違うだけで、マクロなリザルトは似たり寄ったりの物に落ち着くんだ。そうだなぁ、リンゴが落ちるのを見て、彼は地球に引っ張られたと感じるが、僕は見えない力が地球へと引っ張ったと感じるんだ。この場合にはお互い、道を誤らなければ重力というものへは辿り着くだろう? 近道か否か、直近に発展性があるか否か、そう言うものの差によるだけで。まあ、僕達は恐らく二人揃って重力なんて考え付かないけどね。
僕は素晴らしいバディを見つけたと顔を歪ませるのだけど、彼は冗談じゃないと引きつらせていた。まあわからなくもない、だって彼にとっては僕はただのウスノロだからね。僕みたいにじっくり物を見ないと分からないような側面じゃなく、上部を見て素早く判断できる面の僕なんだからそうでなくては困ると言うものさ。
さて、僕達は2人で仲良く今回の来訪者を探して、いつぞやの貝塚の中で、倒れている1人を見つけた。声をかけて起こすとしたいのだが、僕は少し立ち止まって彼を見つめた。彼は僕の一部も持っているから、キチンとした頭で、ちゃんとこちらのゲームから飛び出したような人達に対して、身元がバレるような事はしてもらっては困るのだ。
「……お前も俺だっつーんならわかってると思うが、ちゃんとキャラを取り繕えよ?」
もちろんだとも。良いなあ、こう言う関係。なんて、漠然とした満足感が浮かぶ。これは良いものだね、僕は好きなんだよ。こう言う自分が口を動かさずに済むやりとりが。
あの、もし、大丈夫ですかと彼は咳払いをするだとかのスイッチも入れずに演技に入っていく。自画自賛になってしまうかもしれないが素晴らしい才能だ、確かに、仮称で言わせてもらうが分割前の『集合僕』には、あと一歩というところで届かないと評価を下させてもらうが、それでもその演技力の要、『流れ』は自然なものだ。
演技における『流れ』とは、一連の動作における繋ぎの滑らかさの事で、例えば目の前のリンゴを口にするという動作には、手で口の前まで運ぶ、齧りとる、咀嚼すると言う3つの動作が必要だ。その動作がブツ切れだったりしたら違和感があるだろう、あるいは、咀嚼する前に一回踊るなんて文脈から考えられない動作が入っても違和感だろう?
……じゃあ、僕はどうなるのかと言ったら、僕もどっこいどっこいだった。流れがに若干の違和感があるが、細部まで意識が行き届いていると自己評価させてもらおう。
その評価の妥当性としては、拙速な僕が注意をしていない、つまり赤点レベルで下手だと注意を下していないと言うものによるが。
今回の鎧さんは、前回倒した岩のような鎧の人だった。今回は作りが悪いのかカブトを外せないし、ましてや彼が持っている大剣なぞ動かしようがなかった。普段これを扱えるだなんて、この岩鎧さんのの中身はどんな筋骨隆々の人なんだろうか。少し怖い、まずこの世界で暴れられたら敵いっこないだろうな。いや、鎧の分幾らか足が遅かったりするのだろうか。
岩鎧さんの体を二人掛かりで精一杯揺すっていると、当の本人がようやく呻き声を上げてくれた。このまま気絶されていては話が進まないから、本当に良かった。本当に良かった、筈なのだがどうも調子がおかしい。フンフンと何か力を込めているようだが、一向に起き上がろうとしない。いや、起き上がる気配がしないと言うか。
「あれ……これ体が……ふん! ……あれ、ごめんちょっと待って!」
鎧の中から妙に甲高い声が聞こえた。僕達は2人して青ざめた。彼、いや声の調子からして、彼女の体が動かない事には心当たりがあった。たしか彼女との戦いで『集合僕』は、彼女の首を捻り折って倒したはずだ。まさかアレは魔術的仮想世界の様なものだとは思っていたのだけれど、もしや彼女は前回ので首を——!?
「ちょ、どうするヒロトいや、その、俺。」
慌てるものだからつい拙速な方の僕は本名を言ってしまった様だ、僕に言われたってどうするって言うのさ。いや、声は出ている様だから話を聞こうじゃないか。それで体が動かないと言われたら……僕がそうなったら行き詰まりだと悩んでいると、彼は閃いた様だ。聞くに、最悪の場合は彼女を僕達が無理やり何処かへ帰そうと言う。前回の、帰還の石とやらを懐を弄って使わせるもよし、あるいは水責めでも生き埋めでもして殺せば光の粒になるんじゃないかと言った。それだ、君は天才か何かか。いや、待ってくれ。即決はマズイ、取り敢えず話を聞こう、ね?
拙速な僕を宥めつつ、僕達は彼女に対話を試みようとゆっくりと顔を近づけた。声をかけようと思ったのだ、かけられなかったが。
「ファッーーーヤバイ! ショタ2人ぃ!! うそ、ちょちょちょちょ、絵面やばすぎる!」
ショタ、君達はこの概念について知っているかな。僕は知っている。年端もいかぬ少年のことだ。ナボコフのロリータに対して、ショタの語源には諸説あるが、まあ僕は忘れた。ただ、問題なのは、彼女が僕達を談志と認識したことだ。僕達を知っていると、言うことになる。
隣で生き埋めにするかと、この鎧さんの末路を考えている僕の意見に、僕は少し耳を傾けつつあった。
もし推定混沌の神の尖兵であるこの女性を殺せば、どうなるのか。生かすべきか、死なすべきか。それが問題だ。




