自己侮蔑-ニーチェ
しばらくそわそわとしながら色々なことに考えを巡らせると、体感にして数十分くらいで迎えの馬車が来た。は、早くないか?
「いえ、後数時間ほどですからコレぐらいかと。またお手洗いに行きますか?」
ああクソ、ガチガチのガチに緊張している。そこまで恐ろしいか、なぜ男一人に会うことに緊張しているんだ。虫案件か? いや、怒りやらなんやらに飲まれるあの独特な感じはしない……これは僕の素だ。
それで……ええっと、なに? あ、トイレ。トイレね、うん、そうそうトイレ。いや、さっきから15回は立ってるわ。なんも出ないよ、干からびちゃう。いや干からびるかはどうかは置いといて人間の尿って1日に150Lは生成されるから出せなくはないが。いやどうでもいいわ、緊張するからって余計なことを考えるな。
「い、いや。大丈夫。」
まあ完璧なクロノアデアは僕の緊張なんて見通している。平静を装っても虚しく見破られ、クスリと笑われてしまった。
「坊っちゃん。何もそんなに緊張なさらずに……大丈夫です、とって食われるようなことはありませんから。」
あってたまるか!
揺すられて何時間か経つと、館というほどではないがそんじょそこらの豪邸とは雰囲気からして違う邸に着いた。邸の見た目からしてヤバイ。まずパッと見た感じでは悪の組織の幹部が住む場所って感じがする。壁や屋根の基本はしっかりと光沢のある黒で抑えつつ、要所要所に金色でアクセントがかけられている。全体的に見ても独特なんだけど無理に例えるならアレだ、ギリシャの白の建築美術を黒と金に置き換えた感じ。きっと夜になったらどこか神聖と静寂さを感じさせられるだろう。昼間に見ているから悪趣味以外の何も感じないが。
「ここが……公爵家別邸…………。」
両の肩に手を置かれ、歩き出すように促される。まさか背に手を回されなければ歩けないほど緊張しているのか? なぜ緊張するのか、初めて会う肉親だからか、それとも何か別の理由があるのか。後者の方が強そうだが、虫の気配もしないしどうだか怪しい。
邸の内装もやはり黒づくめだった。黒の壁、金の意匠が施された壁、黒壁、金柱、黒壁、金柱……と虎か何かでも意識しているのかと問いたくなるほど内装だ、たまに見える陶磁器とかの飾りが癒しだな。恐ろしさで言ってしまったら慣れもあるかもしれないが赤い館の比ではない。インテリヤクザが住んでそうだ。
う、緊張してまたトイレに行きたくなって来た……。しかし現実とは特に都合の悪い時に都合の悪い物が来る、コレもマーフィーの法則ってやつだな。トイレに行きたいと言い出しかけた時に客室に案内されて公爵様を連れてくるからここで数分待ってろと言われた。我慢は良くないんだぞちくしょう、まあ招かれた身で家主に挨拶もしないうちにトイレを利用するのもどうかと思うけれど。
客室として案内された部屋には大きなテーブルと子供用に少し背の低い椅子と、恐らく公爵閣下が座るであろう大きくて立派なソファがあった。カーペットはゼブラ柄とでも言おうか白虎柄とでも言おうか、白と黒の縞模様の物だ。しかしつい虎を意識しているのだろうかと勘ぐってしまうが、本当に虎のような動物がこちらにいるのかは謎だ。もしかしたら体毛が虎の模様に似たような他の動物を意識しているのかもしれないし、そもそも動物を意識していないただの偶然の一致なのかもしれない。
下座には椅子が一つだけだったので、クロノアデアは扉から少し離れたところで立っていることになった。傷があったり、クッションのくたびれ具合から子供用の椅子はどうやら普段からだいぶ使い込まれているようだ。僕の兄が普段使っていたりでもするのだろうか。
ガチャっと音を立てて扉が開いた。慌てて立ち上がって入口を見ると、そこには男が二人。背が高く骨がしっかりとしているが痩せこけて疲れた印象を受ける更年期の男と、どこか不機嫌そうな顔をした偏屈そうな白髪頭の老人だ。直感でわかった、僕の父は痩せた男だ。何故そんな体なのだろうか、公爵というからもっと肥えた体を想像していたのだけれど。だがしかし流石は公爵閣下といったところか、漏れ出している魔力が尋常でない。荒れ狂う川の如く魔力が漏れ出している。クロノアデアと比べたら魔力の量や質こそ劣るかもしれないが、その何もかもを浚う濁流のような攻撃的な性質の点で見ればよほど恐ろしい。
「いい……座りなさい。おい、人払いをしろ。」
父が口を開いて執事の人にそう命じた。クロノアデアも一緒に出て行ってしまう。僕は大柄な男と対面して、その威圧感にも似た空気によって何も口を開けなかった。
気まずい。それにしても僕はどういう振る舞いをすれば良いんだ。騎士の子供か、公爵の子供か。知らん顔は流石に冷たすぎるような気もするし、人払いもしたんだからそりゃあ僕が実子として振舞っても構わないような気がするが——。
「大きくなったな。」
不意打ちに口を開かれ、反応が遅れた。大きくなった、コレはつまり僕を実子として取り扱っているのだろうと信じてお父さんとつけて返事を返しておく。
「——お前が生まれたばかりの頃、お前は痩せていて、それに常に具合が悪かったそうだ。お前の成長は……手紙で知っていたが、本当に大きく育ってくれた。」
僕が病弱か、あまりそういう気はしなかったんだけど、精神的な弱さで見るとそうなのかもしれない。最近よく発狂するけれど、健全な魂は健全な肉体にの考えで行けば健全な肉体ではないに当てはまるんじゃないか。それに僕は普段から最低限とはいえ肉体強化をしているからな、最低限だなんて言ってつい楽をしてしまえば当然筋力は落ちるし病弱にもなるしなっても気づかないだろう。
「お前は母似だ……小さな頃の母さんとそっくりだ。髪の色や肌もそうだが特に目が……色は違うが、お前は俺と違って優しい目をしている。」
そう言って父さんは僕と同じ緑の目から涙を零した。僕が母さんにねぇ……まあ確かに女装をしているし、髪や肌云々はピンク色とかもあり得るファンタジーだからブレ幅大きいし納得するけれど、この僕が優しい目だと? 本気で言っているのか? 現にこうして実父の涙を軽んじているというのに。
「あ、えっと……お母様はどちらに?」
まずい事を聞いたな。不思議とそう思わずにはいられなかった。コレも直感っていうやつだ、どんな情報を統括してはじき出した答えかは知らないけれど。まあ母親ってどんな文化を持っていても基本的に子供の近くにいたがるから、人払いまでしているこの場で僕に顔を見せないのは変に思えるし、聞いた瞬間に父さんの雰囲気が少し変わったって情報あたりだろうか。
「母さんは……今は遠い所へ行っている。」
確定だと断ずるには早いが、触っても良い話じゃなさそうだ。僕はとりあえず残念だと伝えて話題を切り替えようとした。実際には父さんの方から母さんの話を始めたが。どうやら僕を産んで暫くは元気だったが、段々と食ぼそりや発熱などの症状が出てきてゆっくりと弱って行ったらしい。
「本当に聡い子だ。アイツもそうだった。知らせたくないことを自分で思い至って、それでいて知らないフリをしていてくれた。……お前はアイツの生き写しだ。こういう形でしか会えないのが情けない。」
肩を落として自分が情けないとは言ってくれるが、神様からの命令じゃあ仕方ないだろう。神と名乗る少女ワタツホムラビメ、彼女が神様であるという証拠こそないがよしんば神でなくともあのような訳の分からない力が使えるのだから本当の神様ならなおさら。まあ彼女以上の存在があるってだけで恐ろしいから僕は彼女を神と認めるが。それよりも僕はクロノアデアを雇ってくれたことや、館に多くの人をやってくれた事を感謝している。館から出られなかったりパーティーの時に一度も会えなかった事は残念に思うが、館での暮らしは不自由がなかった。
「お前の兄は……俺に似てしまった。お前が産まれたことも、母さんの事も忘れてしまっている。アイツは俺が今の妻と最初から一緒だったと信じて……。」
ギリギリと歯を軋ませて父がいう内容は、どうも反応に困る事だった。まず子供が母親を忘れてしまうっていうのは辛い事だと思う、そして君のお母さんは本当のお母さんじゃないんだよと伝えるのも辛いだろう。しかしだ、まず第一に僕は父親が再婚してたことも知らなかった。館で開かれたパーティーに聞き耳を立てていたら僕が産まれた後にも子供を数人こしらえたと聞いたが、まさか後妻との間にか……。子供に聞かせる話かと聞かれれば微妙だが、僕は自分について知らなすぎるな。異母兄弟の存在があったとは。
「それは、お辛いことでしょうね。」
少なくとも僕の心境を察する事ができない程度には。まあ別にね、僕くらいの子供なら異母兄弟のなにが問題かを知らないだろうし多少はね、わからんでもないよ。だけど傷つくものは傷つくさ。まあその傷もほぼ他人同然だからあまり深くはないけど。だけど平民ならともかく公爵の跡取りなんだろう、それならいつかはバレることだし早めに言った方がいいんじゃないだろうか。
「……お前の考える通りいつまでも隠し通せることではない。既にバレているのかもわからん……もしバレていなかったとしても、アイツがそれを知ってしまった時が、アイツが悲しむのが俺は怖い……。」
口を開きかけた所、先に言われてしまった。クロノアデアと言いこの人と言い、強い人は心を読む能力が備わっているのだろうか。まあそれは置いておくにしても、今がマズい状況と判っているのか……判っているなら、いいんじゃないか。理解できずに何もしないのと、理解していて何もできないのでは大違いだ。人間は考える葦である、とはよく言ったものだと僕は思うよ。
「そう思えるだけ立派な父親ですよ。」
慰めになれば良いのだけれどと思って口を利くと父さんはスッと立ち上がり、僕の元へ寄ってきた。シワの深い手で僕の肩に触れるので見上げれば、涙ぐんだ顔をした恐ろしい顔が見えた。……少なくとも僕よりかは優しい顔をしている。思わず言葉を洩らせばまた父さんの琴線に触れたようで今度は強く抱きしめられた。
「お前は……本当に母さんに良く似ている。」
どうでも良い人間のはずなんだけど、母さんの人柄も知らないんだけど、そう言われるとどこかこそばゆい。
「そうですか、良かったです。」
こうして、僕と父の初めての対面は成功したのだった。
だがどうも遺伝子の記憶と言うものだろうか、例えばAさんが好きなタイプの人間をAさんの子供も好きになったと言うように、僕の父が愛した人間を僕の兄も好きになるようだった。母が亡き今、兄は母のような人間を求める。つまり、僕が言いたい事は……言わずともわかるよな?
自己侮蔑という男子の病気には、賢い女に愛されるのがもっとも確実な療法である。
——フリードリヒ・ニーチェ




