才女伝
急いで書いたので誤字が不安
『坊っちゃん、坊っちゃん。』
黒洞々とした虚のような影を広げる森を、悲痛な声を漏らしながら走る女中がいた。元は良かったであろう装いは人が見ればおおよそ誤解をするほど泥に汚れ枝に割かれている。それを厭わぬ彼女は何に追われているのか。
昔ある所に、男勝りの少女がいた。魔術師としては『人並みはずれた』などの言葉では表せないほど優秀で、成長して大人になってからは師匠を抜いては国の軍に入り敵をバッタバッタと焼き殺してしまった。
男勝りの少女は鬼のような女となった。
だが仕事上のある事件を境に、女の体はピタリと老いなくなった。それどころか年々と肌は張って背は縮み、若返り始めまでもした。元々その溢れんばかりの才能を用いて『諸国の英傑』、『鬼女』などと言われていたが、いつしか花の咲くような乙女の外見になってしまった。戦で護った人々からは気味悪がられ、さんざん孝行をした親からは呪われた子と罵られた。
信じた者に尽く裏切られた現実から逃げたくなったので、女は剣の数本と盾の一枚を持って修行の旅に出た。ドワーフの住む山や、エルフの住む森、サイクロプスのいる谷など様々な土地を訪れ、様々な技を磨いた。時には海を渡り世界の果てにある『黄金の国』と呼ばれる土地にも行ったそうだ。
長寿のエルフにも老いを疑われる彼女にとっては、煩わしい事を忘れられる戦いこそが安らぎだった。強い者を求めそれを倒し、更に強い者を探す、あわよくばそれで死のう。これが彼女の行き方だった。
身体能力などはお得意の魔術でどうにかなってしまうものだから、人より遥かに素の贅力の強い獣人と言った種族の国よりも、彼女と同じく老衰がなく何百年も技を磨き続けた達人が多い不死属の国に辿り着くのも当然だった。『不死者の王』、『現人神』、『最強』と多くの名を冠する【カライノミヒコ】。この人に手痛い敗北を味あわせたのは彼女だったと言う。
戦いに明け暮れた日々の中、そろそろ知人が皆天寿を全うしただろうと思ったその日、ふと故郷を一目だけで良いから見たいと考え始めるようになった。子供の頃は義理人情を大事にする男という生き物に混じるような娘、人一倍人間を好いていたのだろう。その望みはジュクジュクと果物に蔓延るカビの様に娘を蝕んで行った。
よせば良いものを、娘は悩みに悩み抜いてとうとう行くことを決意してしまった。不死属とは言ってしまえば仙人の類で偏屈な存在、当然外界との繋がりは薄く文化は異なる発展をする。エルフですら生き絶える時が流れ言葉や魔術、果ては日常的習慣ですら大きな壁となり立ち塞がった。鉛の杯で飲む美酒は毒薬とされ、かつての賢帝は暴君となされるか忘れ去られるか、果ては入浴でさえ賤しき行為とされた。
聞けばなるほど納得できる理由であったり、てんで分からぬ物もあった。だが彼女は諦めなかった。自分と縁のある地を巡りながら、粘り強く世に馴染んで行った。
各地を巡りながら時には剣を交え、新しい魔術を見た。しかしかつての戦場は大きな都市になっていたり、谷間に集落ができたり、大戦によって幾つか知った国が消えてもいた。そんな具合だから娘も予感こそしていた。
だが、やっとの思いでたどり着いた故郷が跡形もなくなっていた事に娘は衝撃を受けた。本来なら耐えられぬ物であるはずが娘も実際はかなりの年だ、衝撃は重いものだが同時に静かな物だった。また衝撃が静かな物だからこそ、より一層重いものになった。
結局のところ、彼女はどこまで行っても人であった。恐ろしい呪いによって人ならざる身を手にした女であったが、心はどこまで行っても娘であった。若い心を持つからこそ女は娘の姿に戻ったのか、あるいは娘の姿に戻ったからこそ心が若い娘らしい物になったのか。生きた年月相応の精神を身につけて居たのならばせめてもの救いとなったものを。
だが人である以上、時が彼女の悲しみを癒した。立ち直った彼女には生きる目的こそ無かったが、死ぬ理由はなく、『死にたくない』と生きる理由だけはあった。
それから彼女は訳もなく世界を彷徨い歩いた。今度は誰に追われたわけでも、修行のつもりで出たわけでも無かった。進んだ魔術を見様見真似で真似たり剣技を盗んだりはしたが、本質は『自分探しの旅』などとなんとも言えない若者らしい物であった。
不死属の世界とは違う進化を経た魔術の中には、例えば腕を新しく生やすものや、生命を新しく作る物もあった。
彼女はそれらの魔術を改造して、時には巨人、時には小人、獣人など、人と別れるごとに姿を変えた。姿だけでなく新たに傭兵団を立ち上げたり、学生になったり、薬剤師、旅芸人、また古典的魔術師などに身分を変えた。
ある時だった。彼女は人間の業を見て生きる目的を知る為にしたいと考えて間者になった。間者と言えば商人か使用人、娘は女中としての身分をこしらえた。ある時は男爵家で不正を暴き、ある時は伯爵家に使える商人を破滅に追い込んだ。
元々娘は協会に金のない貴族に対し護衛を兼ねて雇われる女中として登録していた。だが何の手違いか、今まで築いてきた仮初めの信頼が教会の判断を鈍らせたのか、娘は公爵家の秘密の依頼を受けることになった。
娘は大量の金を受け取って断ることもできたのだが『せっかくの間者の身分だ。』と考えてしまい、情報を売る先もないまま子守女中として働くことになった。
最初こそ伊達や酔狂で子守をやっていた娘だが、父も母も知らない子の甘える姿や泣く姿に心が溶けて行ってしまった。
良く知った人に裏切られた娘がよく知らぬ人に裏切られた子供に向ける感情は哀れみでも、同情でも、共感でもなく、まさしく『愛』だったのだろう。無償の愛を受け子供は元気に育った、その筈だった。
昨日の事だった。娘が見ていた子が賊を殺めてしまった。娘が情操教育を間違えたのか、往来の性分なのか、子はそれの為に気を病んだ。
それからは一刻毎にと言えるほど早く、子供の様子が変わって行った。忙しない、瞼を閉じても眼球が動く、祈るように手を組む、感情的な行動をとる、家族以外を近くに寄せない。もはやどんなに鈍い人でも気づくほど子は気を病んでいた。
そして今日、子供は神隠しにあった。
神によって存在を隠されたことは恐ろしく長い人生の経験からすぐにわかった。走って教会から出た子を追って目で捉えた次の瞬間には目の前でいきなり霧のように消え、魔術で探そうにも何処にもいなかった。
そこからは嵐のように荒れた。自分が一番近くにいたのに、彼には自分以外に頼れる者がいないのに、ポツポツと頭に浮かぶ恨み言が娘を焦らせた。
娘は走った。子にこちらの気配に気づき逃げられることを避けるために、あまり魔術を使うわけには行けなかった。魔力孔を塞ぎ、出来るだけ気配を薄めた。
子を意識して出来るだけ早く、出来るだけ静かに走った。
川を越え、野を越えた。もう一度村に戻り、今度は逆の方向を探したりなどもした。
いつのまにか斜陽が彼女の目を強く焼いていた。夜になれば狼や野盗の心配も出てくる。如何に優れた魔術師だろうと魔力が切れてはただの人だ、子の身に何かあっては行けない。子を逃さない為に全力を出せば良いと考えて、彼女はとうとう魔術を使おうとした。魔力孔を開き、唇をゆっくりと動かす。
【アモル・プリモペカトゥ——
彼女が呪文を途中まで唱えた時、背後から急激な速度で近ずく魔力の反応に気づいた。
黒い靄だった。自分に近ずく度に大きく膨らんでいることから、近くの魔力を消費して肥大化する魔術だろう。見たところは危険性が無いようにも見られるが、つい昨日に自分の目を欺かれたので信用はできない。
素早く距離を取り、魔力の塊を打ち出して開いた孔を閉じた。大きな魔力反応を標的とするならばこれで撒けるはずだが、打ち出した魔力には目もくれず彼女に迫った。
これであの魔術は彼女を標的とした物と決まった。魔力を自分から吸う魔術なので延々と追いかけてくるだろう、いっそ何があるか分かったものでは無いが魔術を掻き消してしまおうと考えた。
魔術の破壊方法は簡単だ。その魔術に込められた魔力よりも更に強い魔力をぶつければいい。一先ず火炎の球を靄に向けて打ったが、どうした事か小手調べで打ったはずのそれで靄は掻き消えてしまった。
魔力の反応を探って見たが、本当に靄らしき物は消え失せてしまったようだった。そこで彼女は今の魔術が攻撃性の物ではなかったことに気がついた。攻撃性でない魔術を使う人など、思い当たるのは2人だけだった。1人は同僚の女中、もう1人は今探している子だ。どちらが打ったにせよ重要な知らせである、彼女は靄がきた方向へ走った。
暫くすると黒い靄に先導されて歩く同僚を見つけた。少なくとも同僚が打った魔術ではないようだ。彼女は恐らく靄が導く先が村であると考えて、同僚を置いて走り出した。
村に近づくと予想通り、教会に子の気配がした。
急いで教会を探すと結界を張って縮こまっていた子を見つけた。怯えるような目でこちら見る子供の足元には魔術の術式と見られる図があった。術式を見ると所々ずぼらな子の性分で雑なところは有ったが、自分が教えた要点は忠実に守っていた物が書かれていた。
震える子を見て彼女は言葉を失った。怒るべきか、慰めるべきか、褒めるべきか。言うべき事を悩みはしたが子は無事であったと言う安堵が彼女を襲い、結局は何も言えなかった。
先に子が勝手な行動を取った事を謝った。しっかりと叱らねばと言う気持ちは有ったのだが、どうも上手く舌が回らなかった。結界から恐る恐る目の前に出てくる子を見て、何をすれば良かったのか。それは今もわからないが彼女は黙って子を抱きしめた。
側から見れば幾分か歪んでいたが、その有様は確かに母のようであった。




