あふぁーまちぶ
「気をつけなさいと言ったのに。」
セーフルームの扉を開けると、出し抜けにボソリとナビさんに言われた。まあ、そう言うことだったんだろうけど……文化が違いすぎてよく自分が何をしたのかよくわかっていないのだけれど、彼女らにとっては意味のある事らしい。そう思ったのだけど、一度無理やりにパスが繋がってしまうと色々と不便になってしまうらしい。具体的には、tokageと言う人物とルサルカと言う人物が深く結びついてしまうらしい。この肉体は僕のじゃない、まあ僕に本当に自分の肉体があるのかと言うのは謎だけど、邪神謹製の特別仕様の哺乳類だ。そう言うクッションを挟んでいるから現実に影響が及ぶ訳ではないけど、ゲーム内では確実に影響が出る。いや、むしろゲーム内と言う多少は複雑であったとしてもそれでも全知全能でもない神によって作られた単純な世界であるが故に、より大きな影響が生じるようだ。例えば彼女の記憶が流れきたように。
記憶というのは情報ではあるけれども、それ以上に意識だ。前に言ったことがあるけれども、思い出すと言うのは過去の自分と言う別人の人生の追体験であって、例えば昔は腹が立った親の行動も成長すれば有り難く思えるように、過去の自分とは全く違った意見を今の自分が抱く事がある。得ている情報が違うからだ、例で言えば親の行動は我が子の将来を思っての行動だったと知れたように、もはや人格からして違っているからだ。自分が連続的存在であると証明もなしに認識しているが故に別人だと思いづらいが、過去の自分とは肉体を構成している物質も原子レベルで違えば抱いている思想や人格さえ違う。連続していると信じる理由である記憶だって、完璧なものではない。だから、結局は思い込みの域を出ないと言われれば否定をする事はできない。まあ自己の連続性が思い込みの域を出ない事は自己の存在になんら不利益をもたらさないので特にかまいやしないが。
ここで逆の場合を考えよう。今回は世界が不安定だから僕にルサルカさんの記憶が流れ込んできたんだけども、それは僕とルサルカさんの存在が重なっていると認識できることにならないだろうか。つまり、僕は実際にはそうでないと思えるのに、ルサルカさんの人生の一部も歩んだと思う事になるのだけれど……。まあアレだよ、僕は僕の記憶を持っているから自分をササキ・ヒロトと思っているし信じて生活しているけれども、実際にヒロトの肉体を持って生きているわけではない。僕は社会的にウロノテオス・ゲニーマハト・フロワユースレス、ないしアロガン・ゲニーマハト・チェルトルカと言う名前の人物と認識されているし、僕はその事に対して何か抱くものがあるわけではなく受け入れている。結局、ヒロトは厳密には僕ではないが、僕が彼の記憶の一部を持っているが故に僕は僕がヒロトから連続している存在だと認識しているし、肉体が違うだけでヒロトそのものだと思っている。
それと同様に、僕はルサルカさんでもある。ヒロトとして生きた記憶が多すぎるからヒロトとしての意識を持っているけれども、それよりも多くのルサルカさんの記憶が流れ込んできたら僕は彼女になってしまっただろう。現に少しだけではあるものの、僕は僕が好きになり、僕は彼女へ親近感が湧き、僕はこの村が好きでこの村をこんな風に沈めた黒騎士を憎み始めている。しかし本当に黒騎士がやったのだろうか、今回の事件は……?
かつての一度っきりの邂逅で黒騎士は、特に好戦的だったとは見受けられなかった。竜を従えてアイテムを手に取ると、『邪魔したな』なんて言ってどこかへ去っていった。今回はアイテムの回収もせずに、村を一個沈めた……いや、更に言うなら、黒騎士が沈めたとすればこの空間は一体なんだ?
術者は二人いる。いや、魔法使いの贋作と邪神の真作か? ……沼地の魔法使いは、古戦場跡の槍やオソレ山の壺と比べると随分と劣った物を持っていた。アレは贋作なのではないか? 誰が作ったかは知らないけれど、贋作の作成者が居て、黒騎士は噂を聞いて柄杓の取りに来ようと思ったが贋作だと気づき、取らずに帰っていった。その時に怒って……? いや、考えすぎか? それよりは、村を水没させた者がいて、守った者がいると考えたほうがいいかも知れない。いや両方か? 黒騎士がなんらかの理由で村を沈め、それに何らかの対抗処置をとった者が……疑問が残る。黒騎士、超直感だけれども、嫌な予感がする。彼は何を目的としている?
「探求者tokage、悩むのも良いですが……この教会、思ったよりも警戒したほうが良さそうですよ。」
ナビさんはそう言って、屈んで祭壇の下の床を撫でる仕草をした。指が汚れるのをいとい、床に触れない程度の高さでそういった仕草をしただけで実際に触れてはいない。否応が無しに腹をその汚らわしい床にズリズリと擦りながら歩かねばならない僕を前にそこまで潔癖症にならなくても……まあ良い。確かにその床はどこか違和感がある。これは……?
「幻影、それも異界につながる扉が隠されてるね。」
ルサルカさんがそう言って水に濡れた爪先で床を踏むように足を運ぶとと、爪先が床へと沈んだ。幻の壁か、気づけなかった。魔眼で見ればすぐわかっただろうに……。ん、いや待て異界へ繋がる扉?
「探索者tokage、このロードアビスにはセーフルームの様に異なる世界へ繋がる道があります。貴方の赤の世界へも、この世界のどこからかはアクセスできますよ。」
そうか、確かに……実際に肉体を運ばれていないから魂という形容の仕方をするけど、僕は寝ると魂を二つに割られて赤の世界とこっちのゲームの世界へと飛ばされる。そしてそれぞれ仮の肉体を得て活動を始めるわけだけれども、それはつまり魂だけだったりのチューブを通すけれども世界と世界を繋ぐことはできると言う意味か。一定以上に邪神の管理下にある世界なら魂だけという制約もなく行けるだろう。この異界の扉も、そう言った類か。
「それでどうしますか? 私としては、一度準備を整えた方が良いかと思えます。新しいメンバーも加わってしまったことですし。」
ナビさんはルサルカさんをジロリと見て、ルサルカさんは居たたまれなさに身じろいだ。道徳的にまずい事だったのだろうか。僕はカントじゃないし理性を持った存在の道徳観が一つに決まるとは思わない、僕がどう悩んだって不道徳だと判断できない物が誰かにとってはどう悩んでも道徳的に適っていると判断できない物に当てはまることもあろう。そこら辺の違いは下手に倫理観の外にいる僕が彼女らの軋轢に割って入るべきじゃない事の十分な理由となるだろう。まあ仲良くしては欲しいと思うけれども。
でも確かに、メンバーが加わって戦略というか、戦いのルーティーンも変わってくるだろう。今はナビさんの攻撃に合わせて僕が援護をすると言う物だから僕のする事は別に変わらないのだけれども、ナビさんとルサルカさんの連携の面も考慮しなければならない。装備だってそうだ、僕は布切れと杖だから変わらないけれども、ナビさんはいい加減防具を変えた方がいいし、ルサルカさんは僕が作った石の槍からマトモな槍を用意した方がいい。ナビさんの剣が、えっと、コウザさんだっけ、彼から強奪してしまった剣だからまだ大丈夫のだけれど。……強奪しておいて名前を覚えていないとは。
「誤解です。これは強奪品ではなく、ゲームルールによって齎された正当な戦利品です。まあ、あの時のNaviと今の私は厳密に言えば違うので贈呈品とも言えますが。」
ナビさん曰く、それが嫌なら勝負を仕掛けなければ良かったのですだとか。そうかもしれないけれど、そう考えるとナビさんがじっと見つめてきたので考えるのをやめた。ルールは守るべきものだ、予め決められていたゲームルールなら仕方がない。
結局、僕らは扉に登録をした所で今日の冒険を止めることにした。次の冒険ではお金を稼いで、その次の冒険でストーリー攻略を再開すると決まったので、セーフルームに入ってログアウトをする。
「漸くナキ村の聖女と会ったか。」
13の裂け目は開口一番にそう言い放った。ルサルカさんの事だろう、村の聖女と聞いたら宗教に関わる女性だが、僕があった中で一番それに近しい人間は彼女だけだ。聖女と呼ぶには些か邪だが、まあ邪神を崇め奉る宗教では聖女なのだろう。
「彼女はナビと同じく君の為に新たに作った存在と言ってもいい。定期的な新ストーリーの追加だから、あまりその一側面が強いわけではないがね。」
ルサルカさんが? と言うか僕の為にも新たなストーリー追加の為にもって、それは僕の進行ルートを参考に作っているのか? そう考えると、つい最近に姿を成人男性からクラゲ頭へ変えたもう一人の邪神が詰め寄って注意してきた。
「おっと、君がゲーム制作に協力しているからと対価を求めないでくれたまえよ。こちらとしては君に見えない形で十分に渡しているのだからな。」
そんなつもりはないけれど。
それなら良いのだがと言ってクラゲ頭は元の位置に戻って、僕のプレイレポートを取り始めた。ナビさんが僕の頭を読み取れる様に彼らも僕の頭を読み取るのは可能なのだろうだから何故そうしないのか。おそらく儀式なのだろうけれど、毎回思わずにはいられない。いや、もしかして本当にできない? キャラクタークリエイトの時も、カモノハシの説明を僕の口からさせた。ナビさんの力を使えない、ナビさんは直接の眷属じゃない? 13の裂け目の方がナビさんの生みの親か……。邪神にしてはクラゲ頭はまだ理性的だったから。そっちだと思っていたのだけれど。
多少の驚きを抱きつつ、僕は現実へと戻っていった。朝の涼しげな空気が毛布を愛おしくする。最近、窓に冷暖房機能をつけて外の気温と合わせるようにして見たのだけれど、良い感じだ。着々と魔術師の巣作りが出来ている。ハウスダストや過度な湿気や乾燥を避ける為に空気清浄機能を取り付ける準備も裏で進めている。一度決まってしまった以上は仕方がないが、やはり地下暮らしはあまり好きではない。いや、良いと思えなくもないけれども、やっぱり日光を浴びて自然を感じたくはある。こっちは前世も今世もアーバンボーイじゃなくカントリーボーイだったから、やっぱり自然があると落ち着くんだ。風情もあるし自然最高。
目覚めに気づいたクロノアデアがおはようございますと言って服を脱がせてくる。少し寝汗をかいたようだ、水で濡らされた布で丁寧に肌を拭かれる。
「坊ちゃんも大きくなりましたね。相変わらず細いのが気になりますが……。」
たくさん食べてはいるのだけど、どうも消化吸収効率が悪いかったり代謝が高すぎたりするのか、あるいは日中に消費した分の魔力変換にだいぶ栄養がとられているのか。たぶん後者だ。いい加減、大気中の魔力を即座に自分のにしたり……おっと? いや、なんでもない。まあ、エンゲル係数を増やしたくなかったら自分の魔力を上手い具合に節約せねばな。でも、節約と言ったって難しい。外気の魔力を吸って発動させる魔術陣型が主な節約方法だろうけれど、発動までに時間がかかるのは僕の戦い方に合わない。いくら若いからって、今まで築き上げてきた戦い方を変えるのは難しいし。
「もっとたくさんご飯を食べましょう、お野菜にお肉にパンをたっくさん。」
それは良いのだがね、いかんせん胃袋が子供相応にしかないから、食べ過ぎたら僕は吐くよ? 胃の形だって大人みたいに吐きづらい形ではないのだし。いっそのこと点滴みたいに栄養を血液へぶち込めれば良いのだけれど、たぶんこの未発達な世界でやっても死ぬだけだろうからやらない。人体実験とかもやらないといけないだろうし、自分の為に他者の命を犠牲にする事を厭わないほど僕は独立できてないので、それも理由の一つである。まあ、意識していないだけで現代日本にいるだけでそう言った事は日常茶飯事的に起きていた事なんだろうけど。アフリカや中東、あるいは大陸の国の奥地の方でも。欧米やアジア東部の先進国のお金に殺される人は多い、だからなんだと言う話ではあるが。
でも、そう言う生まれによるどうしようもない無くそうといくら小さな一歩だとしても意義がある物だと日夜頑張っている人々もいる。そうとは言え、外から来た者というのが少なく、部落差別も全国を探せば確かにありはするのだろうが、差別というものを全く経験したことがない箱庭で育ったような日本人には首を傾げたくなる者も多いが。まあそもそも日本は我々も欧米の列強に加わって世界地図の塗り絵に参加したいぞって頑張り過ぎた結果あまり価値観が列強に馴染まないまま東アジアと言う限られた地域で存在感を強めてしまったから、色々と複雑なんだろうけど。でも衆道という文化は西洋文化に頑張って馴染むことにより、けしからん物として男性の同性愛者達とともに社会から排除されるようにはなったよ、やったね。まあ女性同士の恋愛に関してはあまり変わってなかったような気もするが……。
少しだけ話を戻して、格差の是正を目指す積極的差別是正措置、カッコよく横文字で言えばアファーマティブ・アクションと言うものはおかしな話で、人生はいつだって格差に溢れていて、世界に自明な秩序やカントが言うような共通道徳はないから、どうしても積極的格差是正主義者と実力主義者の衝突は避けられない。それでいつも格差是正主義者は実力主義者の血の滲むような努力を視界の外へ押しやり、いや努力しない人は哀れむべき存在で努力した人間は努力をしなかった存在へその努力の成果を貢ぐべきだとさえ言い張り。開くべくして開かれた格差でさえ埋めてしまう。差別のない平和な世界を訴えながらその者の属す階級に応じて搾取するしないを決めるのだから、笑えるよ。差別ではなく必要な区別だとは言うが、発酵と腐敗だって本質的に同じなのだからただの言葉遊びとしか思えない。
さらに笑えるのは『肌が黒い人を肌が白い人は歴史的にいじめていて、白人優先の社会を築き上げてしまった社会に置いてはどうせ肌が黒い人達は学習環境が劣悪で勉強する機会がないだろうから、肌が白い人達は同じ学力の肌が黒い人達が入れる学校でも入れてあげないよ。そうだ、ついでにアジア人は文化的に親が子供へ過度な学習環境を用意するから減点ね』だなんて階級どころか人種による差別をしているところさ。格差をなくすためのこの話だけでも複数個は指摘できる理不尽があるんだ、たぶん公平と公正の極限は人類が死滅する事だね。そうすれば誰かを不当に優先することはできなくなる。
話が逸れたね。まあ言いたいことは、結局どうやったってケチはつくのだから自分が納得できるかできないかなんだ。遺伝的にメラニン色素が多い人達へ恵まれた環境を用意してあげたいと思うのなら部外者からどう批難されようがそうすれば良いし、そうした結果当の肌の黒い人達から人をバカにするなと怒られても、自分が起こしたくて起こした行動なら満足だろう。誰かから『ありがとう君は救世主だ、無知蒙昧な私達の導き手だ!』なんて崇拝されたかったらそうすれば良い、手放しに自分より劣っていると信じ込めるような存在を見つけて施しを与えてやればいいんじゃないかな、実際どうなのかは知らないけど。納得が重要だ、だから僕は僕のほんのちょびっとばかしの栄養不良に対して同族の誰かの健康を酷く脅かしかねない行動を取ることに納得がいかないからしない。差別しないと叫ぶ差別主義者を笑う僕でもウシや小麦なんてヒト以外の生物の健康は害せても、ヒトの健康を害せない辺り、やっぱり納得できるかできないかなのさ。
ぼんやりとした朝の思考の裏でクロノアデアが下着から手袋まで全ての身だしなみを整えて、口もゆすぎ終わったので手を引かれて椅子に案内される。ベラベラ脳内でしゃべっているのがいけないのだろうけど老人の介護か何かか?
「さあ坊ちゃん、お着替えも終わりましたし、朝ご飯を召し上がってください。たくさん食べて元気になってくださいね。」
今日の朝ごはんはカリカリに焼かれたベーコンに茹で卵、サラダはカイワレに食用菊のような花と豆、スープは具沢山のコンソメに飲み物はブドウと、まあ彼女らの献身的な態度が見えるものだった。食後のお茶も良く、ビタミンやミネラルもそうだが、摂取カロリーはかなりの量だ。多分僕が今後魔術を使わなくなったら一気に太るんじゃないかな、彼女の好みから外れないように気をつけたいが。まあなんだ、今日も元気に行こう。
今日は少しだけ教室が騒がしかった。聞くに、僕が休んでいる間にアナウンスがあったのだけれど、今日から体育祭が始まるらしい。訳したのは体育祭だっけか、あまり記憶にないが、まあ今日から今まで午後の授業を分けていた例の大会が始まるらしい。まあ、始まるのは下級生の部だけだけれど。大会は五日を通して行われる。始めの二日は予選と言って、全10学年のうち下位5学年が適当に戦って下級生のエントリーを四半数まで減らすらしい。幾ら何でも数が多いとか。それから日に2回の、計6回の戦いで優勝を決めるらしい。本戦は初回だけ3人での混戦、以降は一対一の決闘方式で戦うそうだから……だいたい、本戦参加者は100人くらいだ。一学年32人で参加者が各学年半数の16名とし、上位5学年で80名、下位5学年がその4分の1で20名とすると、まあ計算に適う。毎年決まった人数がこれるわけでもないので初日に幾分かの調整もあるだろうし、大体そんなものか。
……しかし一体、どこまで勝ち進めば良いのか。壁にブチ当れば良いのだけれど、魔術だけじゃなく神の魔法まで使ってしまうと壁にブチ当るのはそれはそれとして問題だ。神の加護を物ともしない人間がいると言う話だからね。表向きは隠し子なのだし目立たないほうがいいのか、それとも勝負の神聖さを尊重して勝ったほうがいいのか。しかし、血の流れも不明などこの者かも分からない一年生に打ち負かされる上級生はさぞ屈辱なのだろうな。
そんな事を考えながら、僕は午前の授業を受けた。




