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第六話 女商人アルマ

 しばらくすると、ようやく街道に出た。


 西に落ちかけている太陽からは、黄金色の光が旅人を照らしている。

 街道に出れば、行商人や旅人。巡礼者など様々な人間、人種がそれぞれの目的のために旅を続けている。ひょっとすると、こういった人間の中にロルフのような元奴隷が旅をしているかもしれない。


 つい、旅人の首筋に目が行ってしまう。


 もちろんフードを目深にかぶっていれば、奴隷の烙印などは隠れて見ることはできない。

 人の多いところにいると、ついロルフは同じ境遇の者を探してしまう。ふと、世界で一人だけ残った元奴隷なのかと不安になってしまう。この戦争で逃げ出した奴隷も多いだろうからそんなことは無いと思うが、不安になってしまうのは仕方が無い。


 シスは街道に出るとロルフの外套の裾をつまみ、後ろに隠れるように歩いていた。

 街道を歩いていると、いよいよ陽が地平線に隠れるまでになってきた。暗くなってしまう前にどこかで寝床を確保しないといけない。

 それにもう一つ、問題がある。


 ……食料が底を尽きかけていたのだ。


 二人分の食料を消費しているということもあるが、シスが意外と飯を食う。

 先日も夕食はパンを三つと干し肉五切れを腹に収めた。その前に、うさぎを一羽まるまる食べたはずだったが……この小さな体のどこに入るのだろう。

 あまりにおいしそうに食べるのでロルフも咎めず食べさせてしまったが、これからは少し考えてないといけない。


 そんなことを考えていると太陽は地平線に沈み、辺りはだんだんと暗くなっていく。

 とりあえず食料をどうにかしないといけない。先日、酒場で見たこのあたりの地図では、そろそろ木賃宿があるはずだ。そこで食料を分けてもらおう。


 遠くに見える山々に夜の帳が下り、辺りも闇に満ちてきた頃にようやく木賃宿に辿り着いた。

 所々、壊れかけた壁に、粗末な薄い扉。


 それでも大きさはそれなりにあるようで、十部屋以上はあるみたいだ。

 街道には旅人のためにいくつかの木賃宿がある。金の無い学生などは基本的に野宿が多いが、それなりに金を持っている行商人などは泊まっていることが多い。

 行商人はさまざまなところを旅しているため、地理的な情報を聞くことができる。しかし、いつでも利益を追い求めるのが行商人だ。情報料はしっかりと取られてしまうが……。


「今日はここで宿を取るからな。部屋に入るまでは外套を脱ぐんじゃないぞ」


「今日は野宿じゃないのか?」


「まあ、野宿でもいいんだけどな。食料がもう無いんだよ。この宿で分けてもらおうと思ってな」


「そうか」


「ジャガイモやキャベツのスープなんかも美味いぞ。用意してもらえるかもな」


 通常、木賃宿は素泊まりが基本だ。しかし、金を払えばこういった食材は用意してもらえることも多い。

 シスは「おぉ」と一言、感嘆の声を漏らし、琥珀色の宝石のような目をさらに輝かせた。赤い舌を口の端から端へ運び、嬉しそうな顔を作った。


 ロルフはシスの頭を一撫でして、宿の扉を開けた。


 中も外見と同じく、お世辞にも綺麗な場所ではないようだ。壁も腐っていたり穴があいていたりと、風を遮断できるのかも怪しい。

 とはいうものの、ちゃんと屋根があるだけ良い方だ。中には屋根も無い、外で寝ているのと変わらないような宿にも泊まったことがあった。

 シスを見るとにやけた表情を崩していない。このような宿に女の子を泊めるのはどうかと思ったが、野宿でも喜んでいたのを思い出した。


「二人だけど部屋あるかな?」


 ロルフは忙しそうに宿帳に記帳している宿屋の主人に、カウンター越しに声をかけた。

 宿屋の主人はちらりとロルフたちに視線を向けると、


「二人か? 何日だ?」


「一日。後、今日の夕食用に何か食材あるかな? あったら分けてほしいんだけど」


 宿屋の主人は、粗末な部屋の鍵を一つ出しつつ「無い」と一言答えた。


「え?」


「今日は客が多いからな。備蓄用の干し肉やチーズはあるが……あくまで備蓄用だからな。分けてやれるほどは無い」


「そうか……」


これは少し困った。ロルフの持っている食料は節約しても後二日分ほどしかない。ガンベルツをさらに南に下れば、通行証なしでも入れる街があるが、そこまで食料が持つかどうか……。

 どうしたものかと、頭を捻っていると外套を引っ張るシスがいた。


「ジャガイモとキャベツのスープは?」


「……ああ。悪いなこういうこともあるんだ。我慢してくれ」


 そうシスに告げると、ロルフを見上げる瞳は急速に力を失っていく。シスは力尽きたように膝を落としうなだれた。

 シスは「ジャガイモとキャベツのスープ……」と悲痛な声で呻いている。

 ロルフは外套のフードを目深にかぶり直し、シスの肩に手を置いた。


「シス。今日は諦めろって。いつか食わせてやるから」


 シスはそれでも顔を上げない。


 宿屋の主人はその様子を不憫に思ってか、先ほどまでの素っ気ない声色から一転、慰めるような声をかけてきた。


「まあ、この店から分けてやれる食材は無いが、客の中に行商人もいる。交渉次第で分けてもらえるかも知れねえぞ」


 談話室の方に目を向けると、確かに行商人と思われる風貌の客が何人かいる。その中にはガンベルツに商品を運ぶ行商人もいるだろう。

 目的地が迫った行商人なら余った食材を売ってくれるかもしれない。さすがにキャベツやジャガイモなどの生の食材を持っている行商人はいないだろうが……。


「なあ、アンタ」


 突然、後ろから声をかけられてしまったので、手に持った鍵を落としてしまった。それを拾いながら声がした方を向いた。


「羊肉が余ってるんだ。もしよかったら分けてやってもいいぜ」


 驚いたのは、その言葉遣いに反して、目の前にいたのは女性だった。

 固い感じのする髪質だったが、美しい金色の髪。それを肩先で切り揃えている。切れ長の目は力を帯びており、青い瞳は深い海を思わせる。


「良いのか? 分けてもらえるのなら助かる」


 その女性は口端を軽く上げ手を差し出した。


「アルマだ。一応、行商人だ」


「ロルフだ。一応?」


「本来はガンベルツの商館で働いている。旅に出ていないのに、行商人なんて名乗れない」


「そうか、街に……。しかし、女性の行商人なんて初めて見たよ」


 握手を交わすと、痛いほどに握り返してきた。少しだけ抗議しているのかもしれない。


「女には女なりの武器があるんだよ。その武器があまりにも強力だからな。今まで生きてこられた」


 アルマはさらに表情を崩し、屈託のない笑顔を向けてきた。


 たしかに珍しいが、それよりも驚いたのは思いのほかアルマは若かった。

 堂々とした風貌からは、ひと癖ある行商人の世界で生きている自信のようなものが見える。しかし、その笑顔は多少幼さの残る表情だ。


 ふと後ろを見ると、シスがロルフの陰に隠れている。時折ちらりと顔を出しアルマの顔をのぞいていた。

 羊肉と聞いて、犬のようにはしゃぎだすと思ったが、よほど人見知りなのだろう。名乗りもせずロルフの腰にへばり付いている。


「こいつはシス。俺と一緒に旅をしている」


「へえ、十歳くらいか。娘……がいるって年じゃねぇよなアンタ。となると妹……でもねえよな。顔立ちや目の色も違うし……。お前らのその格好は巡礼者でもねえよな」


 アルマは顎に手を当ていろいろ考えを巡らせているようだ。


「奴隷でも買って、娼婦にしてんのか?」


 ……なぜそういう考えになるんだ。


「違うよ。こいつ見てくれよ。ちっちゃいだろ。いろいろ」


「そのくらいのが好きな貴族もたくさんいるぜ。世の中人の数だけ趣味があるからな」


「ち、ち、ち、ちがう私は大人だ!」


 シスが真っ赤になってロルフの陰から飛び出してきた。


「大人? 貧しい国の生まれか? こんなに発育が悪いなんてなぁ。かわいそうに」


 シスが口をパクパクさせながら、怒りともなんともつかない目でアルマを見ていた。

感情が高ぶって魔術師の模様が出てしまったら大変だ。シスのはだけたフードをしっかりとかぶらせてやった。


「……保護者だよ。保護者。旅の途中で拾ったんだ」


 シスが今度はロルフをものすごい勢いで睨みつけた。


「拾ったってなんだ! ロルフ酷いぞ!」


「なんか面白いな。お前ら」


「うるさい! 早く肉食わせろ」


 アルマは女性とは思えないほど大声で笑っている。談話室にいる客たちも何事かとこちらに目を向けている。


「気にいったよお前たち。食材は私が持つから、一緒に飯でも食おうぜ」


「いいのか?」


「ああ。それにいくらか保存食もある。こっちはタダってわけにはいかないが、分けてやるよ」


 アルマの目を見ると、とても嘘を言っているようには見えない。行商人はどんな時でも商人であるゆえ、利益の出ないことは決してしない人種だ。余った食材とはいえ、無料で提供するとは思えないが。


「その眼は行商人なのに、って顔だな。まあ、間違っちゃいねぇよ。行商人ってのはお前が思っている通りだよ」


 アルマはカウンターに肩肘を付き、困ったような表情をしている。


「しかし、だからこそお前らみたいな、損得が関係しない相手と話せるってことは貴重なんだよ」


 常日頃から、相手の心の奥底を探り、利益を追求する行商人ならではの言葉だ。


「まあ、そういうことだ。羊肉の代金はその対価だ」


 アルマはロルフとシスに目配せをすると、


「付き合ってもらうぜ、私の娯楽に」


 そう言うアルマの表情は、無垢な少女のようだった。

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