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第四話 たとえ傷の舐めあいでも

「私は魔術師……なのかな」


 少女は木のコップに入った水をぼんやりと見つめながら呟いた。


 月の光もわずかにしか届かない森の中では、夜になれば濃い闇が辺りを埋めつくし、まるで冥界に迷い込んでしまったと錯覚してしまう。

 岩のような硬さのライ麦パンと干し肉を、二人でかじりながら薪の火を囲む。


「君のその力は気がついた時には使えるようになっていたのか?」


 少女は無言で頷く。

 記憶がないということは、これ以上詮索しても無意味だ。憶測だがこの少女も戦後、迫害され逃げ続けてきたのだろうと思う。その途中、何らかの理由で記憶を無くしてしまったのだろう。

 ロルフは少女の隣に座り頭を撫でた。その手を振り払い怒りの表情をロルフに向ける。


「子供扱いするんじゃない!」


「なんだよ。まだ子供じゃないか」


「私はもう大人だ。腰だってこんなにくびれているし、おっぱいだって膨らんでいる!」


 少女は勢いよく立ちあがり、自分がいかに大人の女性なのかをアピールしている。どう見ても腰はくびれていないし、胸も平坦だ。


「十歳くらいだろ? どこからどう見ても大人には見えない。胸も膨らんでないじゃないか」


「私が知るか! けだものが揉んだから減ったんだ!」


「減るかよ。それに俺が掴んだのは肩だ」


「うるさい! けだもの!」


 散々な言われようだ。


 少女は、ぷいとロルフに背を向けると寝転がった。すねているのか?

 しおらしくなったり、すぐに怒ったりと変な奴だ。

 仕方がないと思い、ロルフも芝の上に寝転がった。


「……それ。首の傷」


 少女がロルフを指差しながら、驚いたような目を向けている。


「その傷! 怪我したのか?」


 しまった!


 ロルフが首筋に手を当てると、外套の首の部分がざっくりと切り裂かれていた。この少女に魔術で切り裂かれたことを思い出した。


 油断した。見られてしまった。


 少女はロルフの首筋に触れようとする。


「触るな! 見るんじゃない!」


 少女の手を振り払ってしまった。少女は勢いよく尻もちをつき、驚きの表情を浮かべている。

 ロルフは我に返り、ショックのあまり呆然としている少女に手を伸ばした。


「すまない。これは今日負った傷じゃない。昔からある古傷なんだ」


 少女は目を逸らし「そう」とだけ呟いた。


「本当に悪かった。この傷のことは忘れてくれ。もう寝よう」


 少女の体についた埃を払ってやり、ロルフは再度寝転がった。


 沈黙。


 風が森を揺らす音だけが聞こえる。少しばかりの気まずさを抱えながら眠りに就こうとすると、


「話して」


 と静寂を破る声が聞こえた。


「え?」


「話して。あなたのこと。私も思い出す事があったらしゃべるから……」


 ロルフは少しだけ迷った。自らのことを人に話すのは初めてだ。

 ……そして、重い口を開く。


「俺は元奴隷だ」


 元奴隷という自ら言った言葉が、ロルフの心に突き刺さる。


「奴隷?」


「ああ。俺の首にある古い傷を見ただろ? これが奴隷の烙印だ」


 奴隷になったその日。ロルフは首筋から背中にかけて、焼けた鉄の塊を押し付けられた。それはまるで獲物を捕らえる鷲の爪のように、ロルフの体に一生消えることのない傷を植え付けた。


 奴隷の証であるこの傷を絶対に見られてはいけない。


 先の大陸中を巻き込んだ戦争。そのきっかけは奴隷の反乱だった。ある国の奴隷が待遇改善を求め、王に対し反旗を翻した。

 それは成功し、その国の王は討たれた。

 問題は、その国と対立していた他国の王が、和平を求め訪問していたことだった。

 勢いに乗った奴隷たちはその王を人質にとり、攻め込もうと考えていたのだ。和平を求めようと、訪問した国で自分たちの王が捕えられるということは屈辱だったに違いない。燻っていた火種が燃え上がった。


 戦いの火はそれ以外の国に飛び火し、ついには大陸中を巻き込んだ戦争にまで発展した。

 奴隷は戦を起こす忌むべきもの。それは解放された『元奴隷』も同じで、家畜以下の災いをもたらすだけの存在となった。


 この奴隷の烙印を押されたものは人間ではない。


 どの街へ行ってもこの奴隷の烙印のせいでロルフは追われてきた。今まで話が弾んでいた相手でも、この烙印を見せれば途端に忌むべきものと言う目で見られてしまう。

 この森へ来る前に立ち寄った酒場でもそうだった。ロルフが元奴隷だとわかると、途端に態度が変わる。元奴隷には定住する場所は無い。


「元奴隷は安息の地なんてないんだ」


 目の前の少女は記憶が無いと言った。世の中の事など知らないだろう。

 しかし、今まで抑えていた感情が雪崩のように言葉となり流れ出た。


「誰かと話がしたい。友人を作って話がしたい。孤独に震える夜はいやだ……人間として生きたいんだ」


 言葉が震える。気がつくとロルフは涙を流していた。


「大丈夫だよ。きっと……きっと誰かわかってくれる人がいる」


 目の前の少女は先ほどまでとは打って変わり、慈愛の表情を浮かべロルフの涙を拭った。

 少女の琥珀色の瞳に力が宿る。


「私には記憶がないけど……この世界は広いんでしょう? きっと受け入れてくれるところがあるよ」


 そんなこと、現実を分かっていない者の詭弁だ。でも、ロルフの心に温かい物がしみわたる。迫害され続けるもの同士。同じ境遇の人間がいると言うだけでここまで心が休まるものなのか……。


 たとえそれが傷の舐め合いだとしても。


「なあ」「ねえ」


 同時だった。


 ロルフも少女も、ハッとして顔をそむける。口火を切ったのは少女だった。


「私も、その……連れてってほしい。旅に」


 うまくその言葉を飲み込むことができなかった。その言葉はゆっくりと脳に浸透していった。


「ダメ?」


 少女が顎を引き、上目遣いでロルフを見る。深く息を吸い応えた。


「俺もお前を連れていきたい。一緒に来てくれ」


 少女の顔が紅潮する。そして一言、満面の笑みで、


「うん。ありがとう。けだもの」


 ロルフも笑みを返す。旅の仲間。その言葉にロルフの胸が温かくなる。


「ところで、俺の名前はけだものじゃない。ロルフだ」


 ロルフ……と少女がロルフの名前を反芻する。



「シス。私の名前はシス」


 シス……これがロルフと一緒に旅をする少女の名前。迫害され続けて追われた者同士だ。

 ロルフとシスがお互い見つめ合う。


 ロルフの胸には今まで感じたことが無い程の暖かさが満ちていた。

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