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第三話 その瞳の奥に潜む想いは

 どのくらい気絶していたのだろうか。


 相変わらず森の中は薄暗いが、陽の光が枝葉の隙間からこぼれている。夜にはなっていないようだ。数十分ほど気絶していただけだろう。


「あいててて」


 立ち上がると、あちこちが痛い。蹴られたところはそうでもなかったが、吹っ飛ばされた勢いであちこちに痣ができている。

 少し、余計なことをしゃべってしまったようだ。


 ロルフは体中の泥や葉っぱを払い落し、外套のフードを目深にかぶり直す。周りを見渡してみても、静かな森の風景が見えるだけだ。あの少女の姿は見えない。

 冷静になった頭で先ほどの事を思い起こす。


 先ほど少女が使っていたあの力。あれは『魔術』だ。


 『魔術』は、自然界に存在する力を操り、さまざまな奇跡を起こす。空気の温度を上げ炎を起こす。反対に気温を下げることで冷気を発生させる。風を起こし、対象を切り裂き、大地を動かす。

 その奇跡を操る者を『魔術師』と呼ぶ。


 先の大陸中を巻き込んだ戦争で、猛威を奮ったのがこの力を使う『魔術師』だった。

 ロルフも奴隷兵士として戦争に参加した際に、その脅威を味わった。

 急ごしらえで持たされた粗末な武器で敵側の陣へ突入したところ、突然空中に火球が出現した。

 そのままロルフたちの方へ飛んできたかと思うと、火球は破裂し仲間の奴隷たちが火だるまになり死んでいった。


『魔術師』が相手側に一人いるだけで、戦況は大きく相手側に傾く。

 その強大な力から、『魔術師』が存在すると言うだけで、軍事力、はたまた外交力にも大きな影響を及ぼす。


 もちろん、そんな『魔術師』が多くいるわけではなく、大国でも多くて数人。一人いるだけでもその国は大きく飛躍することができる。

 大戦が終わりその強大な力を恐れたスワニー王国の命令により、全ての『魔術師』は処刑されてしまったはず。


 戦争の道具として、散々酷使され捨てられた『魔術師』たちには同情するが、再びその力が戦争に使われることを考えれば、非情だが賢明な判断かもしれない。


 まだ、生き残っていたのか?


 ロルフは大きく空を仰ぎ、ため息をついた。

 もう一度あの少女に出会ってしまう前に、この森を出た方がいいのかもしれない。

 襲われてから、ずいぶんと森の奥深くまで入ってしまったようだ。泉のところに置いてきてしまった荷物が気になる。ロルフの旅の全財産がそこにあるのだ。無くしてしまったら一大事だ。ロルフは祈るような気持ちで、痛みがまだ残る足を引きずりながら泉まで歩いていった。


 あの少女に出会わないように、信じてもいない神に祈る。……しかし、信仰心が無いからだろうか。その祈りは神には届いてはいなかった。

 あの少女が泉のほとりに置いたままのロルフの荷物を覗き込んでいる。


 風が吹いた。


 少女の腰まで伸びた乳白色の髪がはためいている。その姿は神秘の泉の精霊と言われても納得ができるくらい美しいものだった。

 ロルフはどうしたものか……と思いながらその場に立ちつくしていた。

 ちょこんと手で足を抱え座っているその姿は、ごく普通の少女だ。とても一人で数千人を葬り去る『魔術師』には見えない。


「なぁ。君」


 ロルフはできるだけ穏やかに声をかけた。

 少女はロルフを見ると、ビクンと肩を揺らして身構えた。まるで小動物がいつでも逃げられるように構えている姿そのものだ。


 ロルフは敵意が無い事を証明するように、手を上げゆっくりと少女に近づいた。


「俺は敵じゃない。その……さっきは悪かったよ」


 しばらくはロルフを睨みつけていた少女も敵意が無い事を察したのか、次第に表情がときほぐれていく。


「その荷物……返してもらえるかな? 無いと困るんだ」


 少女はロルフと荷物を交互に見る。


「良い匂いがする。これ」


 良い匂い? 少女は麻ひもを何重にも編みこみ作られた袋に目を落とした。

 初めて怒気を含んでいない声を聞いた。


「良い匂いか……」


 ロルフはそう言いながら少女へと近づいた。


 ゆっくりと少女はロルフから離れていく。やはりまだ少し警戒されているみたいだ。

 麻袋の紐をとき、ロルフは中から牛の乳で作られたチーズを取り出した。それを少女に近付けた。


「これか?」


 少女は目を見開き、チーズに恐る恐る鼻を近づけた。「う」と小さく呻き、ふるふると首を横に振った。


「違う。臭い」


 ロルフは大好物であるチーズをけなされ、少しむっとしてしまった。もう一度袋の中をまさぐり、今度は干し肉を取り出す。

 すると、少女は目をらんらんと輝かせた。


「食ってみるか?」


 すると、少女は恐る恐るロルフから干し肉を受け取り、小さな口へ運んだ。


 咥えた瞬間、少女の宝石のような大きな目はさらに見開かれ、口角がにゅっと上がった。

 少女は夢中で干し肉をしゃぶった後、柔らかくなってきたところで、ぱくりと口の中へ放り込んだ。

 手のひらを口に当て大きく咀嚼している。やがてゴクリと飲み込むと、呆けたような顔をして小さく「おいしい」と言った。


 安い肉で作られた粗末な保存食を、ここまでおいしそうに食べている人間を見るのは初めてだ。ロルフはなんだか嬉しくなってしまう。


「よし。ちょっと待ってろ」


 泉のそばに生えている手頃な桃をもぎ取り、皮をむく。

 麻の袋から取り出した蜂蜜と葡萄酒を手頃な器に入れる。そこに泉から汲んできた少々の水と半分に切った桃を入れ、薪で起こした火で煮込む。

 やがてぐつぐつと音を立て甘い匂いが辺りに立ち込める。

 その様子を少女は口をあんぐりと開け見つめている。しばらくしたら完成だ。


「ほれ。食ってみな」


 とろっとろに煮込まれた蜂蜜漬けの桃を、木をくりぬいて作った椀に盛り付けて少女へ差し出した。


 少女はそれを不思議な面持ちで受け取り、まずは蜂蜜液をすする。口に入れた瞬間、少女は脳天に雷の直撃を受けたように、背中を伸ばし表情を強張らせた。

 ひょっとして不味かったか? と思ったが、次の瞬間、手づかみで桃を頬張り始めた。

 少女は泣いているのか、笑っているのか分からない表情をしていた。


 ロルフもその表情をみて唾を飲んだ。そんなにうまいのか……。器に残った残りの半分の桃に手を出そうとしたところ……。


 すでに桃の蜂蜜漬けを食べ終えた少女が、むんずと残りの桃を持ち自分の椀に入れると、ロルフに背を向け走り出した。


「お、おい。どこ行くんだよ!」


 少女はロルフの制止が耳に入っていないようだ。大事そうに木の椀を持ち、茂みの中へ消えていった。

 さすがに森の歩き方に慣れているのだろう。少し遅れながらも少女についていった。


 悪い足場に難儀しながら少女についていくと、ぽっかりと空いた広場に辿り着いた。

 泉ほどの広さは無いが、地面にはまるで高価なじゅうたんのように芝がひかれている。ひと際目につくのは、周りの木が小さく見えるほどの大木。上を見ると天を貫かんばかりの高さを誇り、その幹は神話に出てくる神獣の体を思わせるほどに太い。地面から出てきている根もロルフの胴体くらいはある大きなものだ。


 その巨大な木の根元に少女はいた。少女はロルフに背を向け桃が入った木の椀を地面に置いた。

 少女の肩越しからむこう側を覗くと――木の根元に体を預けるように、白骨化した遺体が横たわっていた。

 遺体をよく見ると、長い髪の毛が腰のあたりまで伸びている。女性の遺体だろうか。今でも艶は失われていない。乳白色の髪色をしているところを見ると、この少女の近しい人間なのかもしれない。


「これ美味しかったから食べてね」


 穏やかに遺体に語りかける。

 少女は遺体のそばに器を置き、立ち上がってロルフを見る。その瞳は殺意を含んだものではない。


 その少女は、夕焼けを思わせる琥珀色の瞳で俺を見据えている。乳白色の髪の毛が風に揺れ、おだやかな川の流れを思い起こされる。


 ……この少女は本当に『魔術師』なのか?


 尋ねてみたいが、いまだ警戒を解いていないこの少女を刺激するのはまずい。ロルフは遺体の前に歩み出た。

 そして、膝を落とし、手を組んで祈る。


 少女はきょとんとした表情を浮かべている。


「……何、してるんだ?」


「祈ってるんだよ。この人が神のもとで安らかに暮らせますように、と」


「祈る? それはやった方がいいのか?」


 まさかこの少女は死者に対しての祈りも知らないのだろうか? 普通は物心つく前から神に対する祈りは教えられるはずだ。遺体が埋葬もされず野ざらしになっているのはこの少女が神に対する知識が全くないからなのか?


「こっちへおいで」


 そう言うと、少女はロルフの隣にしゃがみ、手をもじもじと動かしていた。


「こうするんだ」


 少女の手を取り組ませる。少女は目を瞑り、祈りをささげた。

 やがて少女は祈りを終え俺を見つめた。その瞳には少し悲しげな色が見える。


「この人は誰なんだ? 君の母親か?」


 少女が小さく首を横に振る。


「分からない。この人が誰なのか……」


「分からない? じゃあ、君はなぜこの森にいるんだ?」


「知らない……気が付いたら私はここにいて、目の前にはこの人がいて……それ以外は全く思い出せない」


 少女は頭を抱える。


「そうか……俺にはこの遺体が君の近しい人に思えたんだけど……」


「知らない! でも、この人がかわいそうに思えたから! それ以上は何も知らない……」


 少女は硬く目を瞑り、苦しそうに唸っている。


 ボロボロのローブから覗く肌には、先ほど魔術のようなものを使った際に出た波紋のようなものが浮き出ている。


「君は……魔術師なのか?」


 そう聞くと、少女の髪は毛先から、ぶわとはためき、荒ぶるように揺れている。ロルフが驚いたのは少女の顔だった。体だけに留まらず顔にも波紋のようなものが流動していた。

 やはりこの少女は『魔術師』だ。『魔術』を使う際には魔力が体を駆け巡り、水が流動するような模様を描くらしい。


「お前も、私たちを殺すのか?」


 少女は先ほど祈った時とは、違う性質の悲しみの色を持った瞳で俺を睨みつけている。


「違う。俺は君に危害を加えたりはしない」


 忌み嫌われる存在である『魔術師』

 ロルフにはこの少女の気持ちがよく分かる。ロルフ自身も忌み嫌われる存在だから。


「いやなら答えなくてもいいんだ」


 しばらくすると、少女はロルフに向けていた目線を外し、再び悲しみの表情を浮かべた。


「お墓を作ってやらないか? このまま野ざらしじゃかわいそうだ」


「お墓って?」


「土に埋めてあげて、この人が安心して眠っていられる場所を作ってあげるんだよ」


「……その方がいいなら、そうする」


 ロルフたちは大木の根元に穴を掘り、誰かも分からない遺体を土に埋めた。その時に気がついた。遺体の頭部の骨には陥没したような跡があった。おそらく何か鈍器のようなもので殴られたのだろう。これが致命傷なのかもしれない。

 ひょっとしたらこの遺体も生前は魔術師だったのかもしれない。少女との関係は今のところ分からないが……。

 少女の方を見ると鼻をすん、と鳴らし、琥珀色の瞳に涙を浮かべている。


「いなくなっちゃった……一人になっちゃった」


 やがて少女は座り込み、膝に顔をうずめ肩を震わせている。


 誰かもわからない……とは言っていたが、この少女の記憶の片隅には何かが残っているのだろう。戦争終結後、魔術師がこの少女を連れて逃げたことも考えられる。途中、襲われこの森に逃げ込んで事切れたのだろうか。少女を残して……。

 一人になった、と少女は言った。誰も知り合いはいないのだろう。

 陽はすでに大きく西の方へ傾いている。


 空からわずかに入る陽の光は、少女と同じ琥珀色をしていた。


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