第十二話 刺激される罪悪感
美味い酒と、美味い飯をたらふく腹に収め、いい気分で部屋に戻ってきたのは商館の明かりが完全に消えてからだった。
シスはロルフの腕の中で抱きかかえられ、大いびきをかいている。鳥やうさぎ、羊肉。海産物でいえばニシンやタラ、カキ、ホタテなどをシスは食べまくった。その後、葡萄酒を飲みたいと言ったので、飲ませてやったらこのありさまだ。
ほんの少し口に含んだだけだったと思うが、途端に顔を真っ赤にしてその場に崩れ落ちた。そのまま椅子から転げ落ち、ものすごい音を立て床に頭を打ち付けたので心配してしまったが、この様子を見る限りは大丈夫そうだ。
部屋のベッドにシスを寝かせ、頬を撫でた。
ぷっくりした頬は酒のせいか上気しており、ほんのりと暖かい。
雪の季節はまだ先とはいっても、夜になれば肌寒い。シスの体にシーツをかけてやり、起こさないように静かに扉を閉め、部屋を出た。
そして大きく息を吸い込み、体の中に残った不安を吐き出そうとする。しかし、不安は薄れることなくロルフの体内に残ったままだ。
酒は少し飲んでいたが、酔えるはずも無くアルマの部屋へ向かった。
建物の南側には部屋は一つしかなかったので、ここがアルマの部屋なのだろう。
ぎこちなくノックをすると、中から「入れ」と短く返事が聞こえた。
扉を開けると、ろうそくの光が扉の隙間から洩れ、暗い廊下を薄く琥珀色に染める。
「早く入って来い。待ちくたびれたぜ」
言葉使いとは裏腹に、甘ったるい声色が聞こえてきた。本当にアルマの声なのかと驚きながら部屋の中に入っていくと、部屋に満ちる琥珀色の光の中にアルマはいた。
昼間会った時の商人の顔とは違い、柔和な笑顔をロルフに向けている。
一瞬、本当にアルマなのかと疑ってしまうが、薄暗い部屋の中でも美しい金色の髪と青い瞳ははっきりと確認できる。
本当に驚いたのは、その姿だった。
アルマは肩を落とした薄手のチュニックを一枚だけ身につけ、部屋のベッドの縁に腰掛けている。昼間の服ではあまり分からなかったが、二つの形の良い膨らみが嫌でも目に入る。チュニックの下からあらわになる太ももは白く、しなやかに伸びている。
その姿は、商品を各地へ運んでいる行商人のそれではない。腕は細く、その肌はきめ細かく、職人が磨き上げた水晶のようだ。
アルマは自分の座っているベッドの横を指さし、
「ここ座れよ。あのお譲ちゃんは部屋に置いてきたんだろ? 飲まないとは言わせないぜ?」
そう言いながら、葡萄酒の入った水差しを手に持ち、二人分を木のコップに注ぐ。
「あ……ああ」
コップに注がれる葡萄酒の音さえも、男を誘う妖艶な音色に聞こえる。
ひょっとしたらこの部屋中に男を幻惑させる、香水でも撒かれているんじゃないかと勘ぐってしまう。
アルマの隣に腰を下ろすとロルフに葡萄酒の入ったコップを渡し、自分もコップを持つ。
アルマはそれを目の位置に上げ、一度頷いた。
それをくいっ、と飲む姿は、とても声では言い表せないほど艶めかしい。
「ふう、良い酒だ。星空のもとで飲む酒もいいが、こうやってお前と飲む酒は格別だな。おい」
相変わらず言葉は粗暴だったが、むしろ野性的な魅力が増し、美しいとさえ思う。
ロルフも葡萄酒を一口飲む。蒸留されているようでかなりきつい酒のようだ。
アルマはふわりとロルフの肩に頭を乗せる。
風呂上がりだったのだろうか。しっとりと濡れた髪の毛から甘いにおいが香り、鼻に抜ける。
「乳香を付けてみた。お譲ちゃんを連れているお前にはお似合いだと思ってな」
馬鹿にされている、とは思っても、乳香の甘美な香りと妖艶な雰囲気で正常な判断ができない。
ロルフは頭を振り、夢の中にいるような感触を振り払う。
「アルマ。悪いが俺は酒を飲みに来たんじゃない。お前に聞きたいことが……」
アルマはロルフの唇を人差し指で触れ言葉を遮った。そのまま、アルマの指はロルフの頬を撫で、顎を通り胸をなぞっていく。みぞおちの辺りで指を止めたかと思うと、両手を広げ、ロルフの背中に腕を回した。
心臓が一度大きく跳ねる。
「な、何を」
「こんなときに野暮ったい物持ってくるなよ」
腰のあたりで、ぷつりと何かが切れる音がした。
「私は商人だからな。金のすれる音は現実に引き戻される」
アルマの手には革袋が収まっていた。ロルフの財布だ。シスと街に出て行ったときに持っていたものだ。
「おい、アルマ……」
本来であれば怒って取り返す場面なのだろうが、強い蒸留酒のせいなのか、この雰囲気のせいなのか、体が動いてくれない。
アルマはなんの躊躇いも無く、財布の中身を自分の手の中に出した。
「金貨が五枚に、銀貨が十二枚。銅貨が……結構持ってるな。それに、これは?」
さすがに、これだけ財布の中身を改められれば、腑抜けになったロルフの頭も正常に戻る。
「おい! 止めろ」
アルマはロルフの手を躱すと、残りの財布の中身を全て取り出した。カラカラといくつもの石のかけらが乾いた音を出し、アルマの手の中で転がった。
「これは……宝石か? それも北の国でしか取れないかなり希少な宝石だな。お前もしかして……」
ロルフはアルマの視線を避けるように、目を逸らした。
「やっぱりそうか。金の話をしたときに妙だと思ったんだ。あまり食い付いてこなかったのは、こういうことか」
「っ……くっ」
アルマはからかうような笑みをロルフに向けた。
「研磨されているな。このまま宝石商に売ればすぐに装飾品に加工できる。ロルフ、お前盗みの経験があるんじゃないか」
「違う! それは違うんだ!」
「何か違うってんだ?」
アルマは手の中の宝石を弄びながら、ロルフの首筋に腕を回した。胸を押し付け上目遣いにロルフを見る。
「お前には関係ない」
「いいから言ってみろよ。今は二人しかいない。お前のことをもっと知りたいんだよ」
アルマはロルフにぴったりと張り付いたまま、寝屋で頼みごとをする娼婦のような視線を向ける。
ロルフは重い口を開いた。
「疫病で廃村になった村から盗った」
アルマは「へぇ」と小さくつぶやき、ニヤリと笑う。
「軽く見積もっても今後数年分の路銀になる。運が良かったな」
そういうとアルマは弄んでいた宝石を財布に入れロルフに渡した。
「疫病だったんだ。みんな死んでいた。だから……だから誰もいないから……盗ったんだ」
「昨日、野党に襲われた時は有無を言わせず、奪ったのにな」
アルマは喉をクツクツと鳴らし笑っている。
「あ……あれは。襲ってきたから……」
「全く、罪悪感を感じるくらいなら盗るなってんだ」
アルマは鼻をフンと鳴らし、子供を叱る母親のような視線をロルフに向けた。
「お……俺も、あの村で疫病をもらった。しばらく苦しんだんだ! 罰は受けている」
情けない。自分でも本当に情けないと思う。
人の物を盗ってはいけない。人に迷惑を掛けてはいけない。まともな親であればもちろん子供にはそう教えるはずだ。ロルフも両親にそう教えられた。
生きるためとはいえ、ロルフは盗みを働いた。それは許されることではない。
「よしよし、そんな怖い顔するなよ。こんな時代だ。そんなこともあるさ」
アルマは穏やかな口調で、ロルフの頭を子供をあやすように撫でている。
それを心地よいと感じてしまった自分に腹が立ち、アルマの手を払いのけた。
「俺は子供じゃない」
図らずも、シスがロルフに言った言葉をアルマにぶつけた。
アルマはロルフの言葉を全く意に介さず、そのまま首筋に顔を近づけた。
そして、ロルフの鎖骨の辺りに唇をあてた。