頂点と最強 5
「人を殺してはいけない事、人を殺して正義を成した事。その2つはそもそも矛盾していないんじゃないかな」
随分と長い間を置いたあとで、ダズはそう口を開いた。
窓の外は白み始め、食堂には淡いオレンジ色の光が滲み始めていた。
「え?」
僕にはダズの言葉の意味がわからない。
「殺人が正義不義どちらであるかと、殺人が許される状況があるかないか、それは分けて考えるべきじゃないかと俺は思う。確かにルカ君の言うとおり殺人は不義ではあるかもしれない、だがウェイストウッズであの時は善であった。そういう話では」
僕の思考がゆっくりと廻り始める。
善悪、正義不義、それらが別の物。
意味が……よく、わからない。
でも、ある言葉が記憶の底から浮かび上がってきた。
――正義とは、所詮社会にとって都合が良いことに過ぎない。
ダズさんが、先々月ワールンの舞台で放った言葉。
「例を挙げて説明しようか。飢饉に苦しむ一家があったとする、その一員である母親が、労働力にならない幼い息子の一人を殺したとする。結果その一家は飢饉を乗り越えられた。さて、母親は善悪正義不義どれだと思う?」
返答に詰まる。
「子殺しは不義だ、だから一家全員餓死するのが善だったか?」
「そんな事は……ありません」
言いながら僕はウェイストウッズのダンジョンで出会った探求者達を思い出す。
――俺に、死ねと。避難民を守って死ぬべきだったと、無様に死ぬべきだったと、お前も、そうやって考えているのか。
彼らは自分達を守るためには大勢を犠牲にした。そしてその罪に苦しんでいた。
彼、ナナクは悪だったか?
彼らは何かを間違えたのか?
彼らはどうすれば良かった?
「母親がやるべきことは、一家全員で餓死することか? 息子を殺した自分の罪に潰れる事か? いいや違う『自分の選択した善を成就させること』だ――」
選択した善。
君は君のやりたい事をやるといい。
「――母親は『子殺し』の不義をしてでも、一家の多くを生存させるという善に従った。彼女がやるべき事は生存に死力を尽くすことだ」
ダズはそう言い終えると、再び笑みを浮かべてみせた。
彼の言ってることは正しいようにも聞こえる。
本当だろうか、本当にそれでいいのか?
そんな風に割り切ってしまって良いのだろうか……
「理解してると思うが、一応説明しておくぞロナ」
ゼノビアは彼女が散らかした部屋を片付けながらボソボソと喋り始める。
「コリエルは今はウェイストウッズにいる、秘蔵の血線メイド達をぞろぞろと引き連れて籠城中だ」
「彼の目的は?」
ロナは自分の足に治癒魔法を当てながら低い声で尋ねる。
「私達が奴隷を皆殺しにしてまで隠そうとした『何か』を見つけることだろう。占領という長期戦の構えを取ったという事は、少なくともあと2日は留まると思われる。生存者を脅しに行くのはその後だね」
ゼノビアの予測に、ロナは納得した様子で頷く。
「つまり……長くても4日でコリエルはルカとティトに辿り着く」
「お前たちが自治領で暴れればもっと早まるだろうがね」
ゼノビアはそう言って膨大な量の書類をクズ箱に突っ込んでいく。
「つまりだロナ、時間制限が厳しい。自治領ですべての決着をつける必要がある、下手に長引かせるとコリエルとナドラを出会う事になる、それはまずい。長くともあと4日以内に、私達は奴を倒して工作を完了する必要がある――」
ロナは足から手を離す。避けていた肉は既に埋まり、血の紐での縫合が完了している。
「――自治領に残ってる血線メイドは4人、全員レベル二桁でしかも一人はメイド長の『ミュトロギア』だ、噂によるとレベル20らしい。彼女たちを突破するには相応の戦力が必要だろう」
「戦力? 無理でしょ、行けるのはルカとせいぜい私が限界」
「暗殺ギルドで適当な人間を調達できないかな」
「人は増やしたくない、面倒になるよ。今いる人員で何とかする」
ロナの言葉にゼノビアは眉を顰める。
「今いる人員? ルカであのメイドに対処できるのか?」
ロナは再び彼女に背を向けると、ひっくり返って歪んだ机の抽斗を強引に引き、中から小さな瓶を取り出す。
「いいえ違う、ティトラカワンを利用する――」
小瓶の中には、一滴の血が浮かんでいた。
「――あの魔物に私の血を与える」




